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断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

週末の休暇を利用してスペイン・サンティアゴへ小旅行をした。サンティアゴまでの実際の距離は思っていたよりも遠く、マドリッドへ行くのと同じぐらいの距離があった。しかし、シザのガリシア現代美術館もあるし、ポルトガルにいるからこそ行ける場所だろうと、夜行バスに乗った。


10月3日

朝5時にサンティアゴに着く。霧がかかり、想像していた以上に寒い。町の中心部を目指してバスの運転手が教えてくれた方向に歩くが、なんと同じバスステーションの逆側のエントランスにたどり着くというまさかの展開。しかし、歩いたことによりウソみたいにきれいな教会の写真(セピア指定をしたわけではなく、カラーでとってこの色なのだ)を撮ることができ、街が、活動するにしてはまだ恐ろしく寒いことを知ることができた。バスステーションで暖をとり、7時のオープンとともにそこに入っていたカフェでコーヒーとデニッシュを食べる。ほっとする。暖かくてうまい。この時点で空はまだ真っ暗。リスボンの日の出が7時半くらいで、サンティアゴはリスボンとほぼおなじ経度なのに、時差がありスペインのほうがポルトガルより1時間進んでいるから当たり前だ。

8時前にほのかに色づいて来た空を見て町の中心へ向かう。歩いていると、まずガリシア現代美術館にたどり着いた。


ガリシアは図面で見た時のイメージよりも修道院に囲まれてはおらず、道からアクセスすると結構独立しているように感じる。しかし、裏庭に回ったり、エントランスの取り方や建物配置、建物の外側・修道院との間の道に面するスペースなどをじっくり観察すると、周りのとの関係性を充分に、充分に考慮していることがわかる。コンテクストを読むということの意味を教えさせられる。美術館の周りの、簡単な庭園?をひたすら見て、美術館に戻る。オープンしていると思いきや、11時オープンでまだ入れないため、予定を変更して先にカテドラルを見る。3大巡礼地の一つということでずっと旅をしてきたような巡礼者も多いが、やはり観光客が多い。昼になるともっと多くなるからということで先にカテドラルを見ることにしたのだが、その判断は正しかったようだ。装飾が抑えられた三廊式のロマネスクの巨大な内部の正面にヤコブの像がまつられたチュリゲラ様式の光輝く祭壇が待つ。この装飾やデザインはあまり好きではなかった。また、採光口が少ないため、内部空間の感動は薄いかと思っていた。しかし、祭壇の裏、アプスに回り込んでその考えは大きく変わった。アプスがさらに細かく祭壇を持つ部屋に分かれており、それぞれにテイストが異なっているのだが、その中にはいくつか心打たれるものがあった。とくに、右斜め奥側にあった、すべての装飾を石(大理石ではないと思う。種類は分からない)をはめ込んで作った部屋が素晴らしかった。ロース研究と言い、シザの住宅と言い、僕は意外と石を装飾に用いるのが好きなのかもしれない。そんなこと意識したこともなかったけれど。


いくつかのホテルにコンタクトをとり、空いていたところに決め(3件もいっぱいだと断られた!)再びシザの美術館へ。内部は空間のつながりはシンプルだけど、細かい操作が多い。それらの操作は嫌らしかったり、過剰だったりするのではなく、細かいところまで気が効いているなと好印象を受けるものであった。素直に感動できる建築。僕の好きな美術館建築best3に入る。どんな人をも人を引き付ける驚きがあり、細かいところまでとことん考えたのだろうという繊細さがあり、そしてやはり、コンテクストを最大限に尊重し、活かしているということが大きい。作品の展示変更期だったのか、いくつかいけない部屋もあり(というか、建築を大きく3つのブロックに分けるなら、一番大きな一つのブロックにしか入れなかった)、残念な部分もあったが、それを上回る感動があった。そして、なぞも多く、どうやって構造的に持たせているのか、なぜこんなおさまりを選択したのか、道に面している壁の開口の上辺ははどうして斜めなのか(インパクトを与えるためと考えられるが、気づいてしまうと変な違和感というか気持ち悪さが残る)などの疑問点も生まれた。この建築はボリュームの取り方、プランニング、ファサードの見せ方、構造、そしてディーテイルに至るまで学ぶべきところの多い建築であった。


昼食は某有名観光ガイドブックに載っていたお店へ。安く、量が多く、うまい。とても満足できるもの。前菜の選び方(僕らはスープを頼んだ)を間違えればその量は大変なことになっていた(周りの席のいくつかにはそれメインディッシュでしょ?という量の前菜のプレートが次々と運ばれていた)。メインはステーキを頼んだのだが大切れの肉が二枚も。おいしかった。友達が「腹いっぱいでいらない」というので僕は都合2.5枚くらい食べた。まあそれもすごいのだろうけど、魚を頼んでいた隣のおじさんのもとには、小さめのカレイ?をから揚げにしたようなものが4匹とサラダが載ったプレートが運ばれていた。小さめと言っても一匹の大きさは前回僕らが寮で調理して食べたイワシぐらいはあっただろう。一度の食事で魚を4匹も食べることなんて、普通まずないでしょ?びっくり。


その後観光客を避けてぶらぶらとまちはずれへ。丘の上に整備されたヨーロッパ庭園といった趣の広場があり、おじいちゃんや家族連れ、カップルなどが読書したり、話したりしている。とても心地の良い空間。庭園は少し手入れされすぎているように感じたけれど、そういった公共空間の質ってのは、場のきれいさではなく、使われ方・場の雰囲気で決まるのだと改めて確認。その丘からは、谷をはさんで少し小高くなった向こう側にそびえるカテドラルを見ることができた。


さいごに、シザの美術館の隣にある修道院へ。ここはリノベーションされ、民族博物館のようになっていた。展示内容はそういったところにしては面白く、企画展でやっていたアフリカの子供たちや、緑をとった複数の写真家の写真展(これは常設展の内容とは少しも関係がなかった)は惹きつけられるものがあり、飽きさせなかったが、展示空間はただ、展示しているだけで最悪だった。悪い例を見た。人のふり見て我がふり…にしなければ。ただし、質素な修道院の聖堂と、3つの階段が軸をずらし重なりながら回転して登っていく様はよかった。


まだ、そんなに遅い時刻ではなかったので次はどうしようかとふらふらしていると急激な大雨に見舞われる。仕方なくホテルの近くまで走って戻り、近くのバーで一息。雨がやまないまま時間が過ぎていくので、観光は諦め、小ぶりになったのを見て、近くのバールへ走る。そこで、ゆでダコにオリーブオイルと唐辛子をかけたもの(これはサンティアゴの名物らしい。これがとてつもなくうまかった)やムール貝のビネガー漬け、生ハム、オリーブなどをつまみ、白ワインを飲む。軽めだけれど昼が多かったので十分。味も上手くて大満足。ただ、予想以上にこまごました物(パンとか)が高くて、予想以上に金がかかってしまった。けれど、満足できる一日。


夜、テレビでアトレティコマドリードvsサラゴサを見ながら就寝。気づいた時には眠りに落ちていた。どっちが勝ったのかもわからない。


4日

昨日宣言したとおり、眠っている友達を残して、朝の散歩でまだ暗い街へ。昨日の雨により、石畳の道がオレンジの街燈をあやしく照らし、とても美しい。特に尖塔の上部が闇に溶け合ったカテドラルの外観は素晴らしい。街をふらふらしようと思っていたのだが、予定外の大雨にあい、カテドラルの中へ。側廊の小さな部屋で小さなミサが行われていたのと、ひと組の巡礼者カップル、地元のおばあさん以外には僕しかいない。大きな大きな空間がちっぽけな僕を包む。天井が高く、柱にも側廊の壁にも装飾がほとんどなされていないため、より一層、空間が大きく、自分が小さく感じられる。完全に圧倒された。すごい。しばし、圧倒され、陶酔する。

外の様子を眺めに行くと、一向に雨がやむ気配がないので、思い切って外に飛び出す。ガリシア現代美術館目指して一直線に走り、途中で見つけた小さな広場の写真を思わず立ち止まって撮る。これは広場とも言えないくらいの小さな空間で、木が一本生えているだけなのだが、サンティアゴにはこういう場所が多い。狭い小道を抜けた後に、こういう場所がふっと現れると、ほっと一息つけるのだ。ガリシアで雨宿りをしながら、昨日気になっていたいくつかのディーテイルや関係性を改めて確認し、ホテルへ戻る。そのままシャワーを浴びる。そうそう、このホテルはシャワー、トイレが部屋に付いておらず、フロアで共用だったのだけれど、こうやって部屋から離れていると、寝ている友達を音で起こす心配をしなくてよいというメリットもあるんだと知る。雨には降られたけれど、気持ちいい朝の散歩。


友達も起き、チェックアウトしバスターミナルへ。昨日とおなじカフェで昨日とおなじ朝食を食べ(相変わらずここのコーヒーはおいしかったな)、10時発のバスでポルトへ。


ポルトでは再びカサ・ダ・ムジカを見、安くてうまい店でパンをつまみ、念願の対岸へ渡った。対岸からはこれぞポルトという景色が広がっていた。斜面に連なる間口の狭い家々の、鮮やかだったり、くすんでいたり、青だったり黄色だったりという壁面が連なり、美しい景色を作り上げる。一部、完全に同じ形の新しい目の建物が連なる一画があったのだが、ここは全く魅力的でない。この一画が「いくつかの共通項を持った似て非なる建築がいくつも連なって都市の一体を形成するとき、そこには美しい街並みが生まれる」ということを反面教師になって教えていた。ポルトも目的が果たせたので満足だ。ソウト・デ・モウラが作ったメトロの駅も見ることができたし(これは写真で見たほうが美しい)。

夕方6時のバスに乗り、リスボン着。夜10時過ぎにマックを食べて帰宅。


旅をするということはとても素晴らしいことだと友達と話していた。旅をすると、課題を頑張らなくてはというやる気がわいてくるし、刺激をたくさん受けるから、こんな設計をしたいという意欲もわいてくる。これからも可能な限り旅に出よう。小さな旅でかまわないのだ。


そういえば、帰りのバスの中で、プロセスのことをまた考えていた。ポルトを対岸から見たときに「こちら側のほうが平地な部分が多いのに、なぜあちら側に街が発展したのだろうか」と友達が言ったからである。都市を見ると、なぜこんな街ができたのだろうかと街の歴史にごく自然なこととして考えをめぐらす。仮に街が立体交差していたら、どういう順番でその形が形成されたのかと無意識のうちに考える。ただ、「面白いね」とは絶対にならない。では、建築を見るときはどうなのだろうか。建築を見るときに、そういうことを考えることは少ないように思う。どういう理由でそのデザインが決まったのか、どういう順番でプランニングがなされたのかと言うこちに関して思索することである。もちろん、なんでこんなおさまりにしたの?とか、この空間のつながりはどうなのとはよく考えるけれど、ここで言いたいのはそのもっと前の段階の話、プランニングの話である。今回のガリシアの美術館を見たときに、修道院との関係性により導かれたプランニングと言うか、そこにおけるシザの思索が何となくわかったような気がしたのだ。非常に修道院に対して敬意を払っているということが。建築が都市を変えることも無い訳ではない。しかし、通常、ほとんどの建築は都市の中の一部としてふるまう。その時に、都市との関係性というか、プランニングにおけるプロセス、都市との関係性、コンテクストの読み込み方が何となでもく示唆されるべきではないか。もしかしたらよい建築というのは、それがさりげなく示されているもの、都市のコンテクストをどう読み、それをどのような形に落とし込み、どんなプランを与え、その結果として空間はどうなったのか、ということがある意味素直すぎるほどであっても、ちゃんと示されている建築が良い建築なのではないか、と考えていた。たとえば美術にキャプションや説明はいらないと僕は思っている。それを読むためだけに美術館に来ている人(それを読めば満足で絵なんてロクに見ていない)が多すぎる日本の美術展に本当に飽き飽きする。しかし、どんなおかしな現代アートでも、キャプションなんて読まなくても、たまに「わかる」作品がある。そういうものが必要なんじゃないかって思う。

つまり、「こういうことを考えてこうやって、こんな事をしてみて、こうやったら、こうなった」みたいなことを長々と説明するんじゃなくて、本当に素直にコンテクストを読んで、そこに本当に素直にいい空間を当てはめていったら、こういう建築になった」ということが、建物を見ただけで何となく伝わるような。そういう意味で、建築がプロセスを内包していることが重要なんだと思う。建築という作品に、長ったらしい説明なんていらない。昔から僕は主張しているけれど、言葉が建築の装飾になる、それも美しくない装飾になるなんてごめんだ。もちろんそれはメディアの影響もあると思うけれど。そんなことをずっと考えていたら、あまり眠れず、大きな黄金に輝く満月と対向車線の大規模な事故を見ることができた。事故を見るのはけっしてうれしいことではないが。


それにしてもバスは疲れる。足が狭いよ。でも、何といっても安くて、気軽(気分次第でその場で旅立てる!)なのがとても良い。これからも、何度もバスで旅するんだろうな。


写真はまた明日にでも。今日はとりあえず、忘れないうちに旅の記憶を残しておく。

なんと、昨日は僕の23歳の誕生日だった。


みんなからのメールにあったけれど、まさかリスボンで23歳の誕生日を迎えることになるとは。

日中はバスカードが作れなかったり(まだ作れないなんて!)、寮費を払ったり、ワークをしたりとパッとしなかったけれど、夜、パエリヤとサラダとカツレツ的なものとフルーツポンチというすごく豪華な料理を、一緒に来ている東大生が作ってくれて、ビールやワインもたくさん飲んだ。寮にいる外国人も祝ってくれて、いろんな人と握手したり、抱き合ったりした。すごく有り難い。絵を描いてくれた女の子もいた。絶対なくすなと脅された笑

パーティーを開いてくれる話もあったみたいだけれど、この間のパーティーでうるさくしすぎて警察呼ばれて、こないだキレてる奴らと話し合いを行った直後だから、そこは自粛ということで。今日、朝8時から授業だったしね。

23歳の目標は?とルームメイトに聞かれて、俺は思い切り楽しむこと、そしてイライラしないことと答えた。共同生活だから、イライラすると他人に迷惑をかけるしね。でも、さらに言えば、これはずーっと探していかなきゃいけないことなのだけれど、僕にしかできないこと、僕が僕である意味みたいなものを探していきたいと思う。いろんなことに対して意欲的で、首突っ込んで、ある程度わがままにやっていきたい。それが23歳の目標。でもやっぱり簡単な言葉に換言すると「健康で、あらゆることを楽しみ、人に迷惑や心配をかけない」ってことになると思う。それから頑張るってこと。これは、無理して頑張るんじゃなくて、楽しいからやるってのがベストだけれど、たくさん色んな事をこなしていきたい。

かくして、僕は23になった。あっという間に23になってしまった。子供のころは24くらいで結婚して、26くらいで子供もいるつもりだった。あと、本当に幼いころは、23くらいでもう海外移籍してる一級のサッカー選手になってるつもりだったな。 本当にあっという間だよね。今年があっという間に過ぎてしまわぬようにしっかりと積み上げていかなくちゃ。そして、ぼくの歴史に、ただこなしたことをたくさん積みあげるのではなく、楽しくてわくわくすることをたくさん積み上げていきたい。

ちなみに、去年(あれは去年なんだよね、もっと前の気がするな)、母がある占い師?に見てもらったところ、基本的に僕は運が強く、悪い時はないけれど、その中で、15~22が唯一あまり良くない時期、23からはどんどん良くなっていくと言われたらしい。さあ、これからが人生の絶頂期でっせ!でも、自分の人生の良し悪しは自分の努力によって大きく左右されるよね、たぶん。自分を信じてやっていこう。


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作ってくれた食事。ハイクオリティー!


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みんなで開けたワイン。ルームメイトが個人的に買ってくれた。

かわいいデザインで飲みやすくておいしかった。でも、でかいコップになみなみと注がれて、飲みきるのが大変だった笑

今日は早起きして8時からの授業に遅れないように早く出かけた。もちろん今までも遅刻したことはないけど。

いつもより少しだけ早く起き、余裕をもって寮を出たのだ。するととても素敵な光景に出合えた。

バスを待っているとき、町中の街燈の照明が消えたのである。もちろん、すでに朝日は射していたけれど、その時間はまだ暗めで、照明が一気に消えたとき、ほんの少しの間だけではあるけれど、街が暗闇に包まれたように感じたのだ。そしてそれはまさに「7月24日通り」で吉田修一が描いた文章から僕がイメージしたものだったのだ。眠たかったけれど、早起きするとよいこともある。

今日の授業のために、リスボンと京都、そしてニューヨークの地図をセイムスケールで並べたものを朝起きてから学校に行くまでの忙しい時間の合間を縫って、1分もかけずに作った。ただ並べただけであるけれど、こうやって並べてみると同じグリッドの都市であるのにも拘らず、その町の様相が全く異なっていることがわかる。頭ではもちろん理解しているつもりだけれど、こうやって並べて視覚的に把握すると改めてビビッドに違いが明確につかめる。


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上から京都・ニューヨーク・リスボン いずれの都市もグリッドからなる(リスボンは映っている範囲ではバイシャのみだが) のにもかかわらず、そのスケール、そして身を置いた時に受ける印象は、あたりまえだが、全く異なったものとなっている

国による相違は大きくて、この間、京都の町のリミットが鴨川にあるかその東の143号線にあるかという討論になり、「川が切れ目のほうが視覚的にわかりやすい」というポルトガル人に、僕は「川は物流の中心でもあり、川の周りに町が出来る傾向がある。川が町の切れ目になるってことはあり得ないだろ」って日本の川をイメージして反論した。その時は、いくら視覚的にわかりやすいからってこいつあまりにも短絡すぎるだろってその子のことを思った。でも、その後気づいたのだ。間違ってたのは僕だって。ニューヨークだってリスボンだって河が切れ目になっている。日本の川と世界の川はスケールが違いすぎる。日本の川はものの3分もあれば渡しで渡れるものが多いし、橋がかけられないほど大きい川ってそんなにはない。でもテージョは。そこに橋を架けるのに、一体どれだけの知識と資本と労力が必要だろうか。

こういった感覚の違いはこれからもどんどん生じるだろう。そういったものにたくさん出会えればいい。そして、それらを受け入れ、日本の感覚とリスボンの感覚、世界の感覚を自分の中で育てていけばよい。それだけ視野が広がることにつながるから。それにしてもグループが不安。ニューヨークも本当に積極的に意見していかないと…。すごく質が(プレゼンどうこうでなく、リサーチの内容の質が)低いものしかできずに終わってしまいそうだ。

でも、現在僕はすごくいい状態にあると思う。楽しみながら、一生懸命授業に取り組めている。

今日は金曜。週末でたくさん遊んで息抜きしなければ。

オリエント駅の写真をアップしておく。ここに身を置いた時の興奮は忘れられない。

僕にとって大事な場所だから、時間がたってしまったけれどちゃんと写真を留めておこう。


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僕らは地下鉄でオリエントに到着したので、まず、ホームを支えるコンクリートの構造物を目にすることになった。圧倒的な迫力。


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空間が多様に絡み合う。シンプルだけれど多様で気持ちいい。


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駅からの出口は巨大なクジラの口のよう。この、グランドレベルとつながっている階だけリスボンの町中と同じ石畳みになっている。こういう細かい心づかいが気持ちいい。町と一体化させようっていう心遣い。


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そしてホーム!いつかは訪れてみたいと思っていたホーム。鉄骨の森。強い光を高い屋根が優しく遮り気持ちいい。


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電車が出ていく線路の突端はアーチになっている。構造的効果とかのことよりも、視覚的効果の面白さに目が行ってしまう。


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こちらはバスターミナルへのアクセス。駅からターミナルへは二階フロアの陸橋を使ってアクセス。その階段を降りるときの視線がまたよい。ライトと時計が効いてる。

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遠景から見たオリエント。鉄骨の森は宙に浮いてる。


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駅のメインエントランス。手前側にはデザインが駅と一体となったショッピングセンターが建つ。このアングルが僕はすごく好きだった。もちろんホームの感動が一番だったけど。

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夜は照明に照らされ、また別の美しさ。こちらの駅は基本的に日本に比べてすごく暗いです。でも、写真ではわからないんだけど、屋根のトップにダウンライトがついていて、個人的にはさらに暗くなってしまうけれど、そのライトはなくてもいいんではないかと感じた。そのライトを消して、柱の途中からの上向きの間接照明だけで照らしたら、上に行くにつれて暗くなる、日本の古民家のような空間が生まれ、屋根の高さがぼやけて、より高く感じられて、面白い感覚が味わえるのではないかと思った。

いずれにしろこの駅は、僕が今までに見てきた建造物の中でも特に深く心に刻まれるものとなった。高校の時にカレンダーで見た印象とは違っていたけれど、その印象の強さという点では、その時と何も変わらないし、実際に訪れたことで、それはより一層強くなった。



今日は8時から授業があり、昨日作った京都のマップと写真を持って急いで学校へ。ついてみるとグループメンバーはどちらも来ていない。やれやれ。京都のモニュメントとなりうるエレメントについては一つの要素として京都駅と京都タワー、そしてもう一つの要素として、市街地を囲む寺院と山(これらはセットになっていることが多い)を挙げた。それらは写真や地図を用いて伝えることができて、ある程度理解してもらうことができた。が、ではこれらのモニュメントを含むモニュメンタルエリアのリミットはどこなのと問われる。リミットってなに?そんなこと言われたってわからんよ。そんな簡単にリミットなんて定義できないでしょ。でも、とりあえず決めなければならないので、適当に決めて、コエーリョに見せる。すると京都のことは割と理解し、納得してくれたが、ニューヨークのほうのリミットの取り方がおかしいといわれる。モニュメンタルエリアって概念を捉えるのが難しいよ。コエーリョに見せたことで、課題が見え、また、来週の金曜日にA2サイズでプレゼンということもわかった。その時にどんな絵を用いて説明するかが次回までのぼくの課題に。でも個人的には、ニューヨークのことも調べなければと思う。ニューヨークに対しての立ち位置は僕も彼女らも変わらない。だって、僕がそうなのと同じように、彼女らにとってもニューヨークは見知らぬ場所だろう。つまり、僕らは同じ土俵の上で議論ができるはずだ。そのためには僕がニューヨークのことをちゃんと理解しなければならない。そして、ニューヨークを彼女たち任せにするのではなく、ニューヨークについても意見を口出ししていきたいと思った。そのぐらいの意欲で圧倒していかなければっていう危機感も少し感じた。


午前中に授業は終わり、昼過ぎには寮に戻る。この時間に初めてネットを使ったのだけれど、びっくりするほど速い。この時間はみんな学校にいるからだろう。グーグルアースを使って幾つかの調べ物をし、シエスタをとる。すぐに眠りに落ちる。その後、ちょっとだけ読書し、買い物に行って、夕食の準備をする。今日は僕の当番で、まだ誰もひき肉に手を出していないし、今日は時間もあったのでハンバーグを作る。サイドメニュー(サラダとポテト・人参のボイル)も充実させる。ハンバーグは玉ねぎを入れすぎたのと包丁の切れ味の悪さで細かくみじん切りできなかったことにより、作っているときは不安があったが、できてみたらめちゃくちゃうまかった。料理のセンスは意外とあるかもしれない笑 自分で言うなよって話だけれど。みんなもうまいって言って食べてくれた。うまいって言ってくれるのが一番うれしい。女の子の気持ちがちょいとわかる笑 うまいって言ってくれると作ってよかったなって思う。でも基本的には料理することにストレスを感じないので、その点においてはノープロブレム。


そうそう、僕らが食事をしようとするちょっと前から、寮会議が始まる。この間のパーティーで騒ぎすぎ、警察を呼ばれたことが問題になる。そのパーティーに来ていなかった女の子がものすごく怒っている。寝たい人がいるのに朝方まで騒いでいたことと、寮の住人ではない人を呼んで寮に入れていたことが問題のようだ。確かにこの間のパーティーは問題があった。うるさすぎた。でも、楽しかったし、あのパーティーに呼んでくれたおかげで知り合い(日本人の感覚としては知り合い、外国人なら友達となろう)も増えた。あのパーティーに感謝しているのも事実だ。

結果、議論は12時以降は寮内でパーティーはしない。それ以降も騒ぎたいならどこか店でやるということでとりあえず終結。でも、今後もパーティーは起こる予感。ほとぼりが冷めたころにね。

こうやってモラルがないことが起こると、ルールが厳しくなる。それって本当は好ましいことじゃない。ルールは甘い、でも住人のモラルによって良い環境が保たれているってのがベストだと思う。街並みも一緒。でももはやそうも言ってられないから、ヨーロッパの多くの都市はたくさんルールがかかっている。日本の都市はおかしなルールばかり。本当に街並みをよくしていこうって意志はあまり感じられないよね。


夕食後、テレビでチャンピオンズリーグのダイジェストを見ていたら遅くなってしまった。結局あの番組は2時間以上ずっとサッカーを流していた。そういう番組があるってのがうらやましい。久々にグティのプレーを見たけれど相変わらずうまいね。でも、レアルは個が立ちすぎている分、カカもクリロナも前のチームの時より目立ってはいなかったな。もちろんちゃんと仕事はしていたけれど。


部屋に戻ってきて、都市における時間の流れの重要性の話を東大生とする。ティポロジアの話も。モニュメントの歴史だった建築史に、でも、建築の歴史って住居の歴史でしょってことを示した重要な研究だっていう。不覚にも知らなかったけれど、面白そうだ。さまざまな時代の建築が相まって都市ができる。都市がどのような時間の体積を経て現在の形になったのかっていうそのプロセスはすごく大事だと思う。その結果として、今どんな都市が現われているかよりも。建築においてはどうかはわからないが(あえてわからないって書いておく。そこは本当にわからないんだもの。)。

もっともっと勉強したいという意欲がさらに湧く。いいことだ。でも建築・都市に対する意欲が増した分ポル語の勉強がおろそかになっている。しっかりやらなければ。ペソアも読んで帰りたいもんね。頑張ろう。