断片の集積 -20ページ目

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

今日、今年最後の授業があった。しかし、30分くらい先生が誰も来ず、みんなでくだらない話していると事務の人からコエ―リョの具合が悪いので今日の授業はなし、提出物は預かるという連絡が入る。そこで、提出だけして早々と寮に戻ってくる。


その帰りのバスの中で素敵な出会いがあった。途中で乗ってきたおばあちゃんにポルトガル語で話しかけられたのだが、何を言っているのかわからないので申し訳なく思いながらも英語で「ごめんなさい、ポルトガル語わからないんです」という。たいていの場合、このくらいの世代の人だと自分の知らない言葉で返答されたということから、こいつはポルトガル語話せないんだということを察して、苦笑いとともに二言三言何かを言ったところで会話は途切れる。しかし、今日のおばあちゃんは「じゃあ英語で話しましょう」と話し出した。最初は世間話だったのだけれど、僕が日本人だということを知ると15年以上も前に日本にいった話をしてくれる。あまりに流暢に英語を話すので日本には観光できたのか仕事できたのかと聞いてみると、やはり仕事だという。何の仕事をしていたのかは分からなかったけれど、日本のほかにも南アメリカや、オリエント(これがどこのことを指していたのかはわからなかったけれど)にも行ったという。そして、ヨーロッパで働いているときはヨーロッパ中ををまたにかけてスペイン人やフランス人、イタリア人やドイツ人等と一緒に働いていたという。だからあなたはとても英語がうまいのですねと僕が言うと、最近は使う機会がないから全然しゃべれないわよという答え。昔は英語スペイン語フランス語ドイツ語が喋れたという。すごすぎる。で、結婚してポルトガルにいついてしまった、失敗したわって笑う。

全然いやみな感じがなくて、親しみやすくて、アクティブで素敵なおばあちゃんだった。そして、別れ際に「リスボンの生活を楽しんでね、そして良いクリスマスをね」と言われ、僕も「お話できて楽しかった、あなたもよいクリスマスを」といって別れた。おばあちゃんと出会ってなんだか救われた気がした。というのも、今日が休暇前の最後のクラスだったというのにみんなと大した挨拶もせずにさらっと別れてきてしまって、自分の中でうまく切り替えられずにいたモードが、おばあちゃんとの最後のやり取りでクリスマス休暇に切り替わった気がしたからである。


寮に帰ってきてからは明日からのパリでの宿(ユースホステル)を予約したり、見るべき建築を調べたり、パリで会う予定の友達にメールしたり荷造りしたりしていた。そしてダラダラしていた。だけど、夜の始まりに急に「今日が今年最後のリスボンで過ごす夜じゃないか」と悟り、パリから帰ってきたら道によって異なる美しい装飾たちはきっとすべて取り外されてしまっているんだろうと思うと、いてもたってもいられなくなくなって、夜のロシオへと向かった。


パリもきっとすごいのだろうけれど、リスボンの電飾もなかなか美しい。日本と違い、元々の街が明るすぎないので電飾がはえる。それから、これだけたくさんの電飾があるのに、昼も嫌な感じがしない。何故なんだろう。電飾って夜はきれいなのだけれど、昼間明かりが灯っていない状態の時ってなんだかみっともなくて好きじゃないのだけれど、リスボンではそんなに気にならないんだよね。


夜は5人全員がそろう今年最後の食事ということで、ちょっとお金をかけて、東大生がうまいビーフステーキとスープを作ってくれ、ポルトガルで伝統的にクリスマスに食べるというケーキを買ってきてくれた。なんだか、僕の誕生日とか大事な日はいつも東大生に料理当番が回ってきている気がする。


そうそう、それから、昨日アイレス・マテウス自邸でのマテウス事務所のパーティーに参加させてもらう。もう最高だった。以前、ファドにご一緒させていただいたインターン生(東大生で現在マテウス事務所でインターン中)に誘っていただいた。マテウスはとても親切で気さくなおじさん。ああやってボスが率先して楽しむということが大事なんだな。それで、もちろん自邸はマテウスの手によるものなんだけれど、かっこいい。ディテールの処理とか、扉の付け方、階段の配置の仕方など勉強になる。そして、奥さんの手による ものすごくおいしい手料理。

でっかい音でかかっていた音楽のせいであまりいろんな人と話したりは出来なかったけれど、最高の空間で最高の手料理(本当にポルトガル来て一番の料理だったと思う)をいただいたということだけで感動。マテウスも奥さんも誘ってくれたインターン生も本当にありがとうございました。


さて、いっちょパリ行ってくるよ!



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ポンバル像。右奥に見えているのは南ヨーロッパ最大のクリスマスツリー。


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りべルターデ大通り


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ヴィトンのディスプレイも鮮やかに。


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ロシオ広場からの裏通り。久々に観光地というか人々の喧騒の中に足を踏み入れたなとこの道にきて思った。


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宙に浮くプレゼント。
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ちゃんと見るとこんな感じ。プレゼントが延々と並ぶ。写真だと伝わらないけれど、道に連続してあるということが美しさ、楽しさの一つの要因。


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リスボンの観光のメインストリートは抑えた光の装飾をまとっていた。



マテウス自邸の写真ももちろん撮ったけれど、一個人の家なのでここには載せません。でも、ホントかっこよかったな~

明日の授業のために大学に行って何枚かプリントをしてくる。プリントセンターが6時までなので、必死でなんとかデータをまとめて、10分前に持っていく。すると、まだ空いていたのにもかかわらず、6時に(スタッフが)帰るからもう印刷できんといわれる。なんでだよ?6時まで仕事しろよって思いながら居座って頼んでみるとボスのおばさんのご厚意で印刷してくれることに。そのおばさんが鍵の管理をしているようなのだけれど、それをバイトに預けて、あなた印刷してあげなさいってなことを言いつけて僕にも笑顔でチャオ!ってあいさつして帰っていく。そのおかげで何とか作業を完了させることができた。もう今日は寝よう。明日行ったらどうせまた何か課題を言いつけられんだから休めるときに休んどかなきゃな。


作業の大半は都市の図面を書くことで、やってもやっても終わらないし、ちょっといやんなってた気持ちをリセットするために昨日は馬車美術館の展示空間の模型を作った。美術館のほうはプランも何も決めぬ前にとりあえず展示空間を考えて模型を作って来いというのが課題。昨日の模型作りの作業はここ一週間の作業の中で一番楽しい作業だった。寝たのは朝4時をとうに過ぎていたけれど全然眠くもならずに辛くもなかった。こういうときは建築って楽しいなって思える。

それから、こうやって先に特定の空間から考えるということはあまりしないけれど(どうしても先に大枠のプランや空間のつながりを考えてしまう)、やってみてわかったことは、一つの特定の空間をつくると自ずとその周辺の空間のイメージが湧いてきて、こういう感覚はあまり味わったことがなかったから面白いなと思った。


日本では忘年会やら同窓会やらと年の瀬という感じなようだけれど、ここはあまりそういう感じはまだない。とにかく課題に追われているという感覚。クリスマスまであと7日、紅白まで15日?とかならしい。信じられん早さで一年は過ぎるな。去年の今頃俺は何やってたんだろう。卒計やらなきゃと思いつつまだそこまでとっかかりがつかめなくてちょっと休んでた頃かな。懐かしい。

さて、明日の授業に備えてもう寝よう。


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いい、悪いは別として、建築楽しいなって気持ちがあふれている模型だと思う。この模型を作ってみて、馬車美術館はものすごくでかい空間が必要だと実感。もちろん見せ方によってそれはいかようにもなるのだけれど。頭の中で思い描いていたよりも、模型を作ってみたら空間が狭くなってしまった。

もう少しで、冬休み。あと少しの頑張りで、楽しい休息が待っている はず。

こんなに毎日頑張っている(つもり)なのに、全然成果が上がらない気がする。迷うことが大事だとは思うけれど、毎日迷っている。こんなにでかい空間を考えたことがない。こんなにでかい建築を建ててしまってよいのだろうか。何が正しくて、何が間違いなのか。わからない。

建築がでかすぎる気はしているし、スケール感覚がおかしくなっている気もする。でも、周りの建築(ジェロニモス修道院やベレン文化センター)は巨大で、そういったコンテクストの中にあり、しかもモニュメンタルエリアの中心ということを考えるとある程度、でかくなければならない(というか、小さい建築を敷き詰めていくのは違うのではないか)とも思う。

たぶん、これだっていう確信が持てないということはやっぱり何か違うんだろうけれど、でも、あまり迷っている時間もないしなあ。もう一度最初から自分の思考を整理してみようかな。そういう馬鹿みたいにでかい都市のこと考えながら、美術館の内部空間のことも考えねばならない。それは楽しいことでもあり難しく辛いことでもある。

建築を考えることってのは楽しさと辛さが同居していて、いかにして辛さの部分を隠し、楽しさの部分だけを表現していくかということなのかなと思う。


それから、昨日食堂で突然ポルトガル人の見知らぬ女の子に「日本人ですか?」と日本語で声をかけられる。いま大学一年で去年5ヵ月間日本にホームステイしていたという。ポルトガル人の口からこんなにうまい日本語を聴くのは初めて。軽い衝撃を受ける。日本に行く前にどれくらい日本語を勉強したのだろうか。聞きたいのに聞けなかったことがたくさんある。あまりの衝撃に僕たちのほうがうまく会話できなかった。彼女があれだけうまく話せるのだから、僕たちだってあのくらいうまくポルトガル語を喋れる可能性があるということ。頑張って勉強したいけれど、課題に負けてその時間を作りだしてやることができない。毎日寝る前にポルトガル語の本を読むことにしようかと思いつつも、実行できたことは一度もない。


最後に、この間水曜どうでしょうのベトナム縦断ラストランのゴールシーンをyoutubeで見た。以前も見たことがあったけれど、何度見ても感動する。どんな旅にも終りがあるって知っているけれど、終わりって受け入れられないことが多い。究極的には死という終わり(別れ)もあるし、卒業や旅の終わり、大切にしていた何かを捨てる時、引越し、失恋等いろいろな終わりがある。徹夜をしているとカラスが鳴いて夜が終わるなんていうのもある。で、それはまあいいとして、今こうやって課題に追われて疲弊しているこの留学生活も終わりは必ず来てしまうということ。その時は僕も涙を流すのだろうか。日本を発つとき涙は流さなかったけれど、家族や犬や友達にずっと会えないこともあって、ちょっとおかしくなっていた。でも、ポルトガルを発つときはそんなこと少しも思い出さずに二度と会えないかもしれないクラスメイトとの別れに涙を流すのだろう。人の心は勝手すぎる。今、こんなに大変な思いをしながら頑張っていることも、また別の困難に直面した時にはすべて忘れてしまって、今までの人生でこんなにつらいことはないって思いこむんだ。本当に身勝手だし、そうやって思いながら生きていくことは狂うしい。でも新たなる困難に常に一所懸命に取り組むことで、常にに最善の答えを出すことができるのではないかなあ。


ブログに弱った心は全部吐き捨ててしまってまた頑張ろう。


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ジェロニモスの前に広場をつくるというのが一つのコンセプト。スケールがでかすぎるから、建築で広場を規定して、スケールを落とす。この巨大建築には図書館・オフィス、左側の低いボリュームには文学博物館という機能を与えた。モニュメンタルエリアの中心には人を集める機能を持ったモニュメントとなりうる建築と広場があるという分析を最初のころにしたので、それらを作ることをそのままのコンセプトにした。ジェロニモスという観光客を集めるモニュメントと図書館という住民を集めるモニュメントになりうる建築。それらは、静かで、ある種神聖で、空気の流れの少ない場所。だからこそ、それらの前に広場があることで、解放空間という公共空間になりうるのではないか。そして、モニュメンタルエリアの中心となりうるのではないか。


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一方、こちらは丘の上のアジュダパレス周辺。この宮殿は当初の計画の1/3しか完成していない。

増築とリノベーションにより現在の機能である王宮美術館に加え、ポサーダを作ることと周辺の軍事施設を移転させ、巨大庭園を作り(すぐ近くには王宮と同時に計画された幾何学庭園がこれも完成せぬまま残っている)、人工的な芝生の空間と背の高い木々に覆われた二種類のエリアを提案した。


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急斜面にあるため、3次元的に考えることが非常に大切になっていくる。


もちろんこれが作業のすべてではないし、これだけでは何をやっているのかもわからないと思う。でも、何年後かに僕がこのブログを見返した時、これらの写真があれば、僕が何にこんなに迷って悩んでいたのかを思い出すことができる。そう考えると、ブログに記憶をとどめておくということは価値のあることだと思う。

昨日はクラスのクリスマスパーティーがあった。ロシオ駅の近くのレストランに集まり、夕食を食べてからバイロ・アルトへ、さらにそこからクラブへ(結局、行こうと思っていたクラブはしまっていたためその近くのDJが音を流してくれる踊れるバーに行った)と流れて寮に戻ってきたのは朝の5時50分であった。それで、今日は昼過ぎまで寝てしまい、今もう夕方6時だけれど全然課題が進んでいない。今日は完全に休養日だ笑


同じクラスを選択している東大生の具合が悪かったのでパーティーには一人で行った。一人で行くと楽しいね、やっぱり。日本人が俺一人だからみんな俺に話しかけてくれる。すごくありがたいこと。まじめな建築のこと、建築会社・企業のこと、就職のこと、将来のこと、京都議定書のこと、クラスのこと、学費のこと等から音楽や映画のこと、そしてくっだらない、女の話やプレイボーイ(雑誌)や日本のセックス産業のことまで本当にいろんな話をした。めちゃくちゃおもしろい。言いたいことは全部言いたいって思ったから、(お酒の力も借りて)文法とか間違ってても気にせずどんどんしゃべった。言いたいことを頭の中で整理してから話すのではなく、話しながら次のフレーズを探していく感覚。昨日は英語による思考をしていた気がする。いいことだし、気持ちいい。


パーティーには25人くらい来ていたけれど全員ではなかった。うちのクラス25人くらいだと思ってたんだけど、いったい何人いるんだ?今度数えとこ。で、一人一個プレゼントを持って行ってランダムにプレゼント交換を行った。僕はトナカイのフォルムがあしらわれたキャンドルスタンドとキャンドル、それに各国の「Happy new year」という言葉がデザインされたユニセフのポストカードを包んで持っていった(日本語も含まれていたのでこれを選んだ。「よいお年を」と書かれている) 。みんなが持ってきたプレゼントのバリエーションは様々で、それこそプレイボーイとかパニーニ社のサッカー選手のシールとかマニキュアとか温度計とかタバコとか模型作る用の糊&小物とか面白サングラスとか発見のモニュメントの置物のお土産(これは課題の敷地がベレンということでのギャグ)とか本当に様々だった。そんな中で僕は大きめの香り付きのキャンドルとサンタクロースの帽子が当たった。可愛らしいもの。ありがとう大切にします。どれが当たっても嬉しかったけれど本をプレゼントにしていた人が二人いて、それが当たったらきつかったな。


そうそう、それから、バイロ・アルトに行ったら壁とかに落書きする用のスプレーを販売する店がオープンしたらしく、その店のオープニングイベントが盛り上がっていた。店内の壁には様々なグラフィティーが描かれていた。そこで、僕は友達に質問する。リスボンには結構落書き(違法なグラフィティー)がたくさん描かれているじゃない?ああいうのって全部違法なんでしょ?こういうスプレーを売る店をこんなに大々的に構えて大丈夫なの?って。すると、最近ではこういったグラフィティーを店内に取り入れる若者向けの店が増えてきたので、違法じゃなくグラフィティーを描ける場面もあるとのこと。

日本の感覚だと、違法で壁に落書きしてるやつは堂々とスプレー買いに来られないんじゃないのと思うけれど、こっちの感覚だと買うのと描くのは別、描いてるところ捕まえられなければ大丈夫という感じ。寛容ですな。感覚の違いは多々あるね。そういう違いを知ることが楽しい。


最後に行ったバーでかかっていた曲は知らない曲も多いけれど、ガンズとかエアロとか知っている曲もある。リスボンに来てからやけにガンズが流れてるのを聞くんだけど人気なのかな?


それから今日「やわらかい月の下で」のストリーミング放送を聞いていたらネット放送だけの特別コーナーでみんながどこで(パラグアイとかウルグアイとか)聞いているのかメッセージが欲しいって話をしていた。こりゃメール送るしかないかな。リスボンにもあなたの声は届いてますよって。


そういや、おとといペドロ・コスタの映画を映画館で見た。その話も書こうと思ってたんだ。でも時間無いから、また今度。


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イルミネーションを身にまとったロシオ広場のモニュメント。


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同じくイルミネーションを身にまとった劇場。街はすっかりクリスマス。

後期が馬車美術館(コシェミュージアム)の設計になるようなのだが、前期のうちから美術館の設計も少しやるよう。(よう、ようばかりだけれど、コエ―リョのいうことに確信が持てないからね。また変わるかもしれない。だからようばかりになってしまう。)

都市スケールでのプランニングと並行して美術館の展示空間をヒューマンスケールから考えていくという。大きなスケールと小さなスケールを行ったり来たりしながら思考するのは楽しいし、よいこと。ただ、それはひとつの建築を考えるときの話で、都市全体の計画と美術館(しかも展示空間のみ)をパラレルに考えるというのは結構難しい気もする。とりあえず都市を仕上げてそれから単体の建築の設計に入って行ったほうが分かり易いのでは…とも思う。


まあ、とにかくこれからはパラレルに二つのことを考えなければならない。

それでヒューマンスケールの思考の導入として馬車の模型を作れという課題が出た。スケールをつかむためらしい。必要なのか?とも思うけれど、何も考えずにただ模型を作るってのは楽だし、息抜きになるから作る。スケールの指定もないからとりあえず1/50で作る。意外と時間がかかってしまった。でも楽しかった。時間を取り戻すために今から都市のほうをやらなきゃ。


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素材は厚紙である。こいつが切りにくい。黄ボール程度だろって思ってたらさらに切りにくくて、この間敷地模型を作った時に手を焼いた。


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我ながら、相変わらず模型はきれいだなって思う。でも今日はちょっと時間かかりすぎだ。

模型は寮のスタディルームで作る。後ろに見えているのは僕のPC。