もう少し | 断片の集積

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日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

もう少しで、冬休み。あと少しの頑張りで、楽しい休息が待っている はず。

こんなに毎日頑張っている(つもり)なのに、全然成果が上がらない気がする。迷うことが大事だとは思うけれど、毎日迷っている。こんなにでかい空間を考えたことがない。こんなにでかい建築を建ててしまってよいのだろうか。何が正しくて、何が間違いなのか。わからない。

建築がでかすぎる気はしているし、スケール感覚がおかしくなっている気もする。でも、周りの建築(ジェロニモス修道院やベレン文化センター)は巨大で、そういったコンテクストの中にあり、しかもモニュメンタルエリアの中心ということを考えるとある程度、でかくなければならない(というか、小さい建築を敷き詰めていくのは違うのではないか)とも思う。

たぶん、これだっていう確信が持てないということはやっぱり何か違うんだろうけれど、でも、あまり迷っている時間もないしなあ。もう一度最初から自分の思考を整理してみようかな。そういう馬鹿みたいにでかい都市のこと考えながら、美術館の内部空間のことも考えねばならない。それは楽しいことでもあり難しく辛いことでもある。

建築を考えることってのは楽しさと辛さが同居していて、いかにして辛さの部分を隠し、楽しさの部分だけを表現していくかということなのかなと思う。


それから、昨日食堂で突然ポルトガル人の見知らぬ女の子に「日本人ですか?」と日本語で声をかけられる。いま大学一年で去年5ヵ月間日本にホームステイしていたという。ポルトガル人の口からこんなにうまい日本語を聴くのは初めて。軽い衝撃を受ける。日本に行く前にどれくらい日本語を勉強したのだろうか。聞きたいのに聞けなかったことがたくさんある。あまりの衝撃に僕たちのほうがうまく会話できなかった。彼女があれだけうまく話せるのだから、僕たちだってあのくらいうまくポルトガル語を喋れる可能性があるということ。頑張って勉強したいけれど、課題に負けてその時間を作りだしてやることができない。毎日寝る前にポルトガル語の本を読むことにしようかと思いつつも、実行できたことは一度もない。


最後に、この間水曜どうでしょうのベトナム縦断ラストランのゴールシーンをyoutubeで見た。以前も見たことがあったけれど、何度見ても感動する。どんな旅にも終りがあるって知っているけれど、終わりって受け入れられないことが多い。究極的には死という終わり(別れ)もあるし、卒業や旅の終わり、大切にしていた何かを捨てる時、引越し、失恋等いろいろな終わりがある。徹夜をしているとカラスが鳴いて夜が終わるなんていうのもある。で、それはまあいいとして、今こうやって課題に追われて疲弊しているこの留学生活も終わりは必ず来てしまうということ。その時は僕も涙を流すのだろうか。日本を発つとき涙は流さなかったけれど、家族や犬や友達にずっと会えないこともあって、ちょっとおかしくなっていた。でも、ポルトガルを発つときはそんなこと少しも思い出さずに二度と会えないかもしれないクラスメイトとの別れに涙を流すのだろう。人の心は勝手すぎる。今、こんなに大変な思いをしながら頑張っていることも、また別の困難に直面した時にはすべて忘れてしまって、今までの人生でこんなにつらいことはないって思いこむんだ。本当に身勝手だし、そうやって思いながら生きていくことは狂うしい。でも新たなる困難に常に一所懸命に取り組むことで、常にに最善の答えを出すことができるのではないかなあ。


ブログに弱った心は全部吐き捨ててしまってまた頑張ろう。


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ジェロニモスの前に広場をつくるというのが一つのコンセプト。スケールがでかすぎるから、建築で広場を規定して、スケールを落とす。この巨大建築には図書館・オフィス、左側の低いボリュームには文学博物館という機能を与えた。モニュメンタルエリアの中心には人を集める機能を持ったモニュメントとなりうる建築と広場があるという分析を最初のころにしたので、それらを作ることをそのままのコンセプトにした。ジェロニモスという観光客を集めるモニュメントと図書館という住民を集めるモニュメントになりうる建築。それらは、静かで、ある種神聖で、空気の流れの少ない場所。だからこそ、それらの前に広場があることで、解放空間という公共空間になりうるのではないか。そして、モニュメンタルエリアの中心となりうるのではないか。


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一方、こちらは丘の上のアジュダパレス周辺。この宮殿は当初の計画の1/3しか完成していない。

増築とリノベーションにより現在の機能である王宮美術館に加え、ポサーダを作ることと周辺の軍事施設を移転させ、巨大庭園を作り(すぐ近くには王宮と同時に計画された幾何学庭園がこれも完成せぬまま残っている)、人工的な芝生の空間と背の高い木々に覆われた二種類のエリアを提案した。


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急斜面にあるため、3次元的に考えることが非常に大切になっていくる。


もちろんこれが作業のすべてではないし、これだけでは何をやっているのかもわからないと思う。でも、何年後かに僕がこのブログを見返した時、これらの写真があれば、僕が何にこんなに迷って悩んでいたのかを思い出すことができる。そう考えると、ブログに記憶をとどめておくということは価値のあることだと思う。