・・・・・・・っということで、イスラエル人はパレスティナ人を虫ケラ程度にしか考えていないように見えます。
イスラエル国民へのインタビューを見ていると、本心でパレスチナ人を見下しています。
あのジェノサイドとも言える蛮行を繰り返すイスラエルの行動は、そう説明するしかないと思われます。
ジェノサイドを先にやったのはハマス側だという論理を掲げれば、やり返すのは当たり前という論法です。
歴史的な背景もこれあり、極東の島民であるぼくには理解の及ばないところです。
しかし、別の角度から理解しようとする試みは、許されてもいいでしょう。
なぜ他民族を見下すのか?
なぜ他民族はサルと同程度と考えるのか?
それは、自分たちが文明人であること、より高度の教養を持っていること、すなわち上等な人間であると考えているからです。
上等な人間が子供を殺しても許されると考えるのは、上等な人間でない証拠だという正論はここでは一旦横に置きます。
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そもそも、ユダヤ人とパレスティナ人の人種的違いがあるのか?
遺伝的には発祥が地理的に同じですから、とても近い関係です。
ディアスポラを経験したユダヤ人とアラブに定住しつづけたパレスチナ人との違いで、遺伝的差異があると考えるのが科学的です。
突き詰めるところ、両者の違いは言葉と宗教の違いだと言って差し支えないでしょう。
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じゃあ、なんで一方が上等で、もう片方が猿と同然なのでしょう?
ぼくが思うに、それは「教育の差」でしかないのじゃないか。
ユダヤ人というのは教育に熱心な民族であることが知られています。
学問がなければ、他民族の社会の中では、悲惨な生活を送らざるを得ないことを知っているからです。
すると、パレスチナ人はきちんとした教育を受けていないのか?
答えはYesでありNoでもあります。
何をもって高等教育と称するかは別にして、彼らだって教育を受けています。
問題は何を教育されているかなのです。
イスラエル国民があれだけパレスティナ人を軽蔑するのは、そう教え込まれてきたからにすぎません。
パレスティナ人も同様にイスラエルについて教育されてきたのです。
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教育というものはとても重要ですが、教育内容や教育法についてはぼくは信用していません。
日本の近隣諸国は、依然として日本は軍国主義国だと教育されています。
79年間も他国と交戦せずに、派兵もしていない日本のどこが軍国主義国なのでしょう?
とんでもない言いがかりです。
それでも、反日教育されれば、ご覧のとおり彼らは反日になるのです。
そんな教育はするなと、いくら日本が抗議しても、彼らが改めるはずがないのです。
だから、ぼくは教育を信用しないのです。
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じゃ、どうすればいいのかというのが本日のお題です。
教育が信用できないなら、何を教えればいいのか?
それは、「芸術」に力を入れるべきというのがぼくの答えです。
例えば、音楽は易々と国境を超えてしまいます。
絵画でも文学でも、芸術一般は言葉の壁を越える力があるのです。
だから、専制国家は厳しく芸術を弾圧するのです。
ぼくが強く感じるに、現代の混乱は芸術の力が弱まっているからじゃないでしょうか。
もし、プーチンがトランプがネタニヤフが、クラシック音楽ファンだとしたら、これほど世界を悲惨な目に遭わすことはなかったでしょう。
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ぼくは最近入浴中はバッハばかりを聴いています。
ああ何て神々しい音楽なんだろう。
神の啓示を受けずにこんな曲が作曲できるはずがないと思うのです。
それに比べ、最近の音楽の何と刹那的で刺々しい響きなんだろうか。
