ほたるいかの書きつけ -31ページ目

プラス・ビタミンC

 以前のエントリ で取り上げたように、「プラス・ビタミン」というのを出したコカ・コーラだが、今度は「プラス・ビタミンC」だそうだ。コンビニで見かけて、早速買ってきた。
 見た目、以前のとほとんど変わらないのだが…あ、だいぶ良くなってる。柑橘系の味が、うまくコーラの味と一体化している。うん、昔の Coca-cola light lemon みたいな感じ。これならOKだな。

 しかし、味的には、冬より夏に飲みたい感じ。夏まで生き残ってるかな?

ABO FAN式統計学?

 例の掲示板 にかかわってから、自分のブログの更新がなかなかできなくなっておりますが。(^^;;

 #648で、私は以下のような「問題」を出しました。
コインの裏と表の出る確率が五分五分かどうか検証したいと思います。そこで、5回コインをふったら、5回とも表が出ました。
このデータから、ABO FAN さんは、このコインは表と裏の出る確率には差があるものだと結論されますか?それとも別の結論を出されますか?別の結論の場合は、どういう結論になるのか教えてください。
これって、「血液型と性格」を含め、およそ検定というものをする以上は考えておかなければいけない問題だと思うのですよね。「検定」というものが本質的に抱える問題(問題というか、まあ検定とはそういうもの、というべきですが)。
 タイプ1エラーの話で ABO FANさんはしどろもどろになり、動揺しまくったコメントを発しまくったので、ああ、やっぱわかってないんだな、と。で、どこをどのようにわかってないのかを知りたいのですよね。

 で、これに対する ABO FANさんの回答がこちら。#666。
普通の回答でもいいのですが、私の「イメージ」が伝わればいいということなので、あえて別な回答にします。ご了承ください。
たぶん、こっちの方がわかりやすいでしょうし。

まず、このコインの例は(確率・統計のみの話なので)、現実の「血液型と性格」の議論とは(たぶん)関係ないということです。

では、現実の「血液型と性格」はどういうものかというと、FSMさんの文章を拝借すれば、

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コインの裏と表の出る確率が五分五分かどうか検証したいと思います。
問題のコインの構造を調べると、どうも表の出る確率が10~20%多いらしいのです。
そこで、5回コインをふったら、3回表が出ました。
何回か繰り返してみましたが、やはり表が多く出る傾向があるようです。
このデータから、FSM さんは、このコインは表と裏の出る確率には差があるものだと結論されますか?それとも別の結論を出されますか?別の結論の場合は、どういう結論になるのか教えてください。
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ということです。
全然わかりやすくない。(^^;;
 コインの例も「血液型と性格」の議論と関係ありまくりだし。というか「検定」というものをどう考えるか、という根本のところを聞きたいのに、こうややこしい問題に改変されては言い逃れの道を大量に作るようなもので、この手の問題としてはダメなのですよね。

 で、あまりにもトンチンカンな返答なので、「ひねりすぎです。そのままの形で答えてください」とお願いしました。
 それに対して、ABO FANさんは #686 で以下のように返答しました。(太字強調は引用者)
>> ひねりすぎです。全然別の話になっちゃってます。

FSMさんの文章は「思い込み」がない場合で、現実にはある可能性が高いのですから、私の「イメージ」が誤解されると思ってそう書きました。

> 「検定」についての ABO FAN さんのイメージを知りたいのです。血液型と性格を含めた一般論です。およそ検定というのであれば考えておかなければいけないことです。

正直、意図がよくわかりません。
私は、「血液型と性格」に一般論は(基本的に)無意味だと思っています。
FSMさんも私も他の人も、個別具体的に書いているのですから、それ対して回答するのが一番でしょう。
「一般論は無意味」て…。さあ、どういう意味でしょう?
 私は検定の原理原則をお聞きしたので、それに対して一般論が無意味ということは、次の二つの可能性が考えられます。
(1)一般論というメタな話では意味がなく、具体的な状況で議論すべきだ
(2)「血液型と性格」については、通常の統計学は適用できず、「血液型と性格」に特化した特殊な統計学を使うべきだ
 さてどちらでしょう。(1)なら、ABO FANさんは検定というものがそもそもどういうものかがわかっておられない。私の質問は、あらゆる検定に対して当てはまるものですので。少なくとも最初の私の質問の意味がおわかりでないのですから、その可能性が非常に高いのですが。(2)ならば、もうわけがわからないですね。

 なんというか、正直、ちょっと見てて痛々しくなってきました。どんどん壊れていきますね。どうすべきですかね。

 ところで Kumicit さん作成のニコニコ動画 (こちらのエントリ "ABOFAN fools abofans "からリンクあり)、私も暮になってやっとアカウントを取得し、遅ればせながら見てみました。…とてもわかりやすいですね。とてもわかりやすいのですが、やはり ABO FANさんには通じないでしょうね(というか通じなかったですね^^;;)。一連のやりとりで、私の評価は not 詐欺師 but ○○(しかも自分に不利そうだと予感すると自然に全力で逃げる)に傾きつつあります。だってホントにわかってなさそうなんだもん。
 …もしちゃんとわかっているというのであれば、#648の質問に、正面から答えてくださいね、ABO FANさん!

ニセ科学への批判にあたっての留意点

あけましておめでとうございます。
旧年中は多くの方々に大変お世話になりました。また拙ブログにお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

新年なんて、所詮人間が勝手に決めたもの、なにがめでたいものか…などと考えていた青い時期もありましたが、(^^;;
大学に入るころにはそのあたりとも折り合いがつき、いまでは無宗教にもかかわらず平気で神社に初詣に行く人間と相なっております。

というわけで新年にあたっての決意、というわけではありませんが(タイトルも本エントリの内容に比べてかなり大仰なのですが)、暮にある方とやりとりして、あらためて思ったことを一つ。

 「(考え中)」(eastcorridorさん) のコメント欄で少しやりとりしたのですが、そこでeastcorridorさんがニセ科学批判への違和感を表明 してらっしゃいます。eastcorridorさんは、「水伝(水からの伝言)」が科学とは到底思えないのに、なぜわざわざニセ科学と言って批判をするのか、と思ってらっしゃいました。水伝についての実態(どのように科学的実験を装っているか、など)について知っていただくことで、ある程度はご理解いただけたかな…と思っています。

 さて、いわゆる「ニセ科学批判批判」の中には、そのエントリのコメント欄でも出てきた論宅氏 のように、悪しき相対主義の立場から無駄・無意味な批判を繰り広げる人もいるのですが、一方で、ニセ科学批判のひろがりを反映して、水伝への批判記事で初めて水伝に触れるという人も大勢いると思います。その際に、記事の論調によっては、見た人が「うわなにこれ」と思ってしまうことがあってもおかしくない場合がありそうです。(水伝に限らず)なぜ批判されているのかを知る前に、攻撃的な論調に引いてしまい、そこで実態を知るという行為がストップしてしまうと、「妖怪どっちもどっち」になってしまいかねない。

 そうならないためには、なぜ批判されるのかの要点がわかるように批判記事が書かれていると良いのですが、もちろんあらゆる記事には記事が書かれた文脈というものがありますし、すべてを説明していると長くなりますし、万人が読めるのがネットの記事とは言え記事というものは読者をある程度は想定して書かれてもいます。ですから、完璧なエントリを書くのは無理にしても、単に実態を詳しく知らないがためにニセ科学批判への批判を表明している人を、単純に「ああ、批判批判の人ね」と色眼鏡で見ないようにしたいと思います。

 こういうことは過去にも様々な人が留意すべき点として指摘していたと思いますが、ついついおざなりにしてしまうのですよね。私も江本勝のブログを批判したりするときに、「うわこんなこと書いてるよ」みたいなことしか書いていない場合もあるんじゃないか、そういう指摘だけして肝心の何がおかしいかについてもしかしたら書いていないかもしれない、とかいうことがあったかもしれません。(汗) 注意したいと思います。

 このことは、しかしニセ科学批判にとっては、その拡がりを示す一つの事例にもなっていると言えるでしょう。従って、今後も似たような「違和感」を表明される方は出てくると予想されます。その際に、「そんなこともわからんのか」のような非難をぶつけ、「あちら側」へ追いやってしまうようなことがないよう、気をつけたいものです。

 ところでその論宅さんのコメントですが、これがまさに論宅さんの立ち位置を示しているように思われます。論宅さんのコメントを引用します。
 eastcorridorさん こんにちは 論宅です。少しコメントさせて下さい。
 私も水伝を読みましたが、eastcorridorさんのように科学とは思いませんでした。
 水伝が人々にどのように受け取られているのか調べるためには、大手各書店のどの分野のコーナーにおいてあるのか確認することで少しわかりそうですね。宗教や精神世界のコーナーに置いてあるのか、サイエンスや学術書のコーナーにあるのかです。ちなみに、スピリチュアル本はやはり精神世界のコーナーにあります。ある書店では、水伝は科学ではなく、写真集のコーナーにありました。大人による視点という意味では、この観察は適切かと思います。
 現在のところ、水伝を人々がどのように受容しているのかという社会学者による社会調査は見たことがないのですが、社会学的に個人レベルで調べるとなると、上記のような手もあります。FMSさんの暗黙の前提(カルト=悪とか?、実験や客観的事実は科学だけのものとか)には異論がありますが、場が違うので、ここでは差し控えておきます。失礼しました。
私のハンドルネームを間違えているのは措いておきましょう。この論宅さんの主張、「どのコーナーに水伝本が置いてあるか」は、確かに一つの指標になります。しかし、だからと言って、水伝が科学として受けとめられてはいないということを示すことにはなりません。
 それは、一つには、大半が非科学と認知したとしても、1%の人が科学だと思うだけでも実数としては相当数にのぼることがあります。1%だから批判しなくてもいいということにはなりません。もう一つは、eastcorridorさんによる論宅さんへの返信が端的に示しています。
情報ありがとうございます。私の近所の書店では、最近ではあまり水伝関連の本は置いていないみたいです。ニセ科学であるという情報が広まって、引き上げてしまったのでしょうか?
ここには「批判があることにより水伝本が撤去された(あるいは科学コーナーから精神世界コーナーへ移った)のかもしれない」という当然の疑問が提示されています。もちろん実際のところはわかりません。書店によっても違うでしょう。しかし、科学書に置いている(いた)書店は確実にあります。そのあたりは、「水に伝言 ぬかに釘 」内の、「本屋はそれをどこに並べるか? 」に紹介されています。ついでに言えば、時系列でどう変化したかを調べても面白いかと思います。

 このような「動的」な見方-批判によって水伝の扱いが変化する-は、意識の(しかも論宅さんの!)此岸に受かびあがったものだけを「絶対」のものとして取り扱うという論宅さんの姿勢からは、決して出てくるものではないでしょう。重要なのは、絶対者としての視点から社会を解釈して理解した気になるのではなく、この社会とどう関わり、いかに変革していくのか、ということにあるはずです。それは「どういう社会がいいのか」という価値観と密接に関わるものではありますが、しかしそのことが、科学を特定の価値観から独立させ、健全に発展させる保障になるのだとも思います。

 というわけで、ニセ科学批判の輪を拡げつつ、今年もバシバシ批判していきたいと思っています。と言いつつ、またしばらくは(2月後半ぐらいまでと予想)忙しくて更新も滞りがちになりそうですが…。なにはともあれ、今後ともよろしくお願い致します。

かっれえっぱんっ!

 諸君、私はかれえぱんが

 …いやいや、やめときます(元ネタ知らんので^^;;)。

 魔がさして、カレーパンまつりをやってしまいました。
 コンビニにあった3種類のカレーパン一つづつ買って全部一度に食べちゃった。(^^;;
 カレーまんも買おうかと思ったけれど、店員さんに笑われそうでやめたのはナイショです。←まだまだ修行が足りない(違)

 カレーパンは、日本が発明した最も偉大なものの一つだと思います(きっぱり)。昔、カレーパンのうた?だったかな、そういうFLASHもネットに出回っていましたね。


 ところで、昨日古本屋に行って、また色々と100円コーナーでゲットしてきました。
 初めて「さよなら絶望先生」を読みましたよ。あー、これか、「絶望した!」ってのは!(遅れるにもほどがある^^;;)
 『知の技法』も100円だったのでゲット。『高次元科学』(関英男)もゲット。「加速学園代表」ってカッコいいなあ。(^^;;

 で。前から資料用に買おうと思っていた『マンガ嫌韓流』も入手しました(ちなみに全部100円コーナーです)。いつも高いので買わなかったんですよね。内容がバカバカしいのは知ってたから、そんなのに500円も600円も出してられるか、と。でも100円だったらまあしゃーない。

 で。
 ざっと読んだんですが…ひどいね、これ。想像以上にひどいね。

 このマンガ、大きく分けて、二つのカテゴリーで間違いがあると思いました。

 一つは、内容が間違ってる。端的に言って、正しくない。

 もう一つは…人として間違ってる。

 なんでこんなのを喜んで読む人がいるのか、と思うけれど、まあそれは「水伝(水からの伝言)」みたいなのを信じちゃう人が後を絶たないのと似たような構造なんでしょう、きっと。

 でも、ざっと見て、ああ、たしかにこれは所謂ネット右翼の教科書なんだなあ、というのを実感しました。
 もう一つ実感したのは、これ、Apemanさん言うところの「コピペ史観」 の嚆矢なのかなあ、ということ。例えば小林よしのりだって相当滅茶苦茶なわけですが、あれはあれで、自分なりに消化して(しようとして)うみだされたものなわけで。でも『嫌韓流』はそれすらも感じられなくて、まさにコピペ。差別と排外主義に彩られたコピペ。小林よしのりが思わず立派に見えてしまうくらい。

 なんだかなあ。

***

 しばらくネットにつなぎにくい環境に行きますので、これを最後にたぶんエントリの更新はしばらくお休みすることになると思います(もうちょっといい話題にしたかった…)。メールチェックぐらいはできると思います。

 では、よいお年を。


『子どもの貧困』阿部彩

 某掲示板での某A氏との議論で消耗してはいるのですが、たまには栄養になる本を読まないと続かなくなるので。

 この本、まだ読み途中なのだが、あまりにも衝撃が大きかったので、そこだけ紹介する。
 内容はタイトルの通り子どもの貧困についてである。子どもがいる世帯の貧困、と言ってもいいだろう。

 冒頭、子ども時代の貧困が、後の人生にどう影響するかの調査結果の紹介がある。子ども時代の貧困は、その語一生にわたって不利になる、ということだ。これはあくまでも統計的な調査であって、貧困を乗り越えて立派な人生を歩んだ人はもちろん大勢いたのだろう。しかし、学歴やら収入やら健康やらで明らかに子ども時代に貧困であった人々は不利であるということが示される。親の因果が子に報い…ではないが、本人の責任ではない、子ども時代の貧困が、その後一生にわかってつきまとうのである。

 貧困とはなにか。絶対的貧困と相対的貧困の概念が示される。本書が取り上げるのは、相対的貧困である。これは先進国では標準的な指標だそうで、収入の中央値の半分が貧困ラインとなる(40%や60%の場合もあるそうだ)。日本の場合、1人世帯で年収127万円、2人世帯(母子世帯など)で180万円、4人世帯で254万円。これは複雑な計算によって与えられる生活保護基準とよく一致している。もっとも生活保護受給のためにはあまりにも高いハードルが課せられ、基準を満たしている(下回る収入しか得ていない)場合でも、受給している世帯はほんの一握りなのだが。
 日本の子どもの貧困率は、2004年のデータでは14.7%。7人に1人が貧困、ということだ。
 他国ではどうだろうか。アメリカは20%超で突出している。日本はイギリス、カナダ、オーストラリアと似ていて15%前後。ドイツやフランス、台湾などはやや低くて10%弱。北欧諸国は5%弱。日本は高めだ。

 この高い数値が本当に意味のある数値なのかがあらゆる角度からの分析で示される。これは読み応えがある。

 さて。
 私が衝撃を受けたのは、次に示すグラフである。
 どの国でも、貧困対策はやっているだろう。貧困はともかく、格差対策はしているはずである。累進課税はもちろん、様々な再分配策が取られている。生活保護や児童手当もそうだ。では、これら再分配策は、国によってどれくらいの効果を上げているのだろう。
 以下は、国ごとの、再分配前(就労や金融資産によって得られる所得)と再分配後(税金と社会保険料を引き、社会保障給付を足した可処分所得)での子どもの貧困率を示したものである。

ほたるいかの書きつけ-子どもの貧困率
これらの国の中で、日本は唯一、再分配後の方が貧困率が高くなっているのだ。
 再分配前の貧困率は、これらの国の中ではむしろ低い方だ。しかし、他国は、当然のことながら、政府の施策により、貧困を減らすことに成功している。アメリカですら、僅かながら貧困率を減らしている。フランスなどは再分配前の貧困率がトップクラスであるにもかかわらず、再分配によって劇的に貧困率を減らしている。それに引きかえ、我が日本のなんと情けないことよ。庶民から収奪し貧困を拡大しているのだ。

 昨今の急激な雇用情勢の悪化のため、おそらく子どもの貧困率はますます上昇するだろう。特に母子・父子世帯を直撃することになる。なお、母子世帯における親の就労率は、他国と比べて日本はかなり高いそうだ。しかも、子どもと接する時間も短い。これはつまり、他国では母子世帯への援助がきちんと行われているのが、日本の場合はロクな補助がなく、親は倒れる寸前まで必死に働いているということを意味する。政府がなんとかしないといけないことが、この日本では当然のように行われていないのだ。


 この本、全編にわたって(ってまだ全部読んでないけど)衝撃の連続である。なんの罪もない子どもが犠牲になっている。そしてその影響は今後数十年にわたって続く。いまなんとかしなければ、10年後、20年後の日本社会はかなりとんでもないことになると予想される。単に子どものためというだけでなく、社会の維持・発展のためにも、緊急の対策が必要だろう。
 とにかくスゴい本なので、おすすめ。多くの人に読んでほしいと思う。
子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)/阿部 彩
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