『Love & Thanks』3月号 | ほたるいかの書きつけ

『Love & Thanks』3月号

 再び出張で東京へ行きまして、『Love & Thanks』の3月号を入手。
 しかしなんですな、Hado からリニューアルしたと思ったら、紙質だけでなく内容も薄くなっちゃって。論評に値しない記事ばかり。まあソフト路線ちうことで、エコでロハスな人々は手に取りやすいのかもしれないけど。でも新宿紀伊国屋本店と大阪梅田の旭屋でしか見ないもんなあ。
 どんどんスピリチュアルに近付いていってますね。ということはまあアレだ、まさにオカルトということで、科学っぽい理論武装をしようという姿勢が見られなくなりつつある。と言ってももちろん客観的事実であるという姿勢に揺らぎのないことは、(今号にも載っているが)江本勝自身の発言の中にも表れている(既にあちこちで言われているのと同内容なので、ここで引用したりはしませんが)。

 ところが、一つだけ面白い記事がある。「スピリチュアルステップ」という連載だ。誰が書いているのかはわからないけど、アキーとマサーオの二人の掛け合い漫才風の対話でスピリチュアル的な「何か」を解説していくのだ。で、わかりやすい説明っていうのはその対象に限らず難しいもんで、往々にして馬脚を表しやすい。
 今回のテーマは「意識のちから」。イヤなニオイがプンプンしますね。最初の言葉が「アキー、『量子』って何?」ですよ。臓器も細胞も、ずーっと細かく見ていくと、
A: 「量子」と呼ばれる、光のように点滅する粒になるんだ。
M: 何それ! じゃ、僕はその光の粒子の集合体ってこと?
A: そうなるね。マサーオだけじゃない、木だって、そこにあるコップも椅子も、細かく、細かく見ていくと「量子」にたどり着くんだ。
M: それは、みんな同じ「量子」なの?
A: 同じ「量子」だよ。
M: 同じ材料でできてるってこと?
A: そうだよ。
M: この世界のものは、みんな粒々、点々でできてるの?
A: そうだよ。
…江本先生!!この世のものは「波動」でできてるんじゃなかったでしたっけ!!
というツッコミはおいといて。頭クラクラしますが、まあでも許容範囲かもしれん。ここまでは。たとえば量子が原子を指しているのだとすれば、理解できなくもない。いや、「光のように点滅する粒」って。光だって光量子と言ったりもするし、粒でもあり(正しい意味で)波動でもある。で、「点滅する」ってなんなんだ。とツッコミたくなるがそこはおさえて(おさえられてないですね、ハイ)。

 このあとが少々いやらしい。ついでなのでもうちょい引用。
M: う~~ん。じゃ、その粒々、点々だらけの世界で、僕が僕で、コップがコップとして存在しているのはなぜ?
A: 意識のちからだよ。
でた~「意識」!!電磁気力と核力という単語の意味を調べた方がいいと思うし湯川秀樹にも失礼だろうと思うがそれは置いといて。
 量子力学と意識の関係といえば、以前このブログでも取り上げた奥健夫氏が最近何冊かまた困った本を出しているのですよね。この界隈での理論的支柱となっていくのか、ちょっと様子を見ておく必要がありそう。
 ちなみに奥氏について(ちょっとでも)取り上げたエントリはこちら。
   トンデモ本:『意識情報エネルギー医学』
   奥健夫氏続報
   どうして量子力学を齧ったサイエンスライターは観測問題とスピリチュアルを結び付けたがるのか
   『懐疑論者の事典』と並んで@阪大図書館

 さて、記事の続きである。
M: どういう意味?
A: マサーオの世界は、マサーオが粒々、点々の中からマサーオが認識したものでつくられている。
M: 僕の意識が粒々や点々を、僕やコップに定着させている。
A: そうなるね。もし、原始人が空を飛んでいる飛行船を見たら、飛行船ってわかるかな?人が乗ってるってわかるかな?
M: 無理だよ。原始人は、飛行船なんて知らないもの。
A: だよね。おそらく、存在自体気づかないと思うよ。
M: あ! 認識できないものは、存在しないと同じ?
A: そう。原始人にとっては飛行船は存在しないんだよ。粒々、点々の中から、マンモスなんかは認識できるんだろうね。
悪しき相対主義から都合のいいところだけつまみ喰い。最初は意識が物体を構成していると言っておきながら、後半は「事実上存在しないも同じ」という話に飛躍している。飛行船なんて概念のない原始人はそりゃ「飛行船だ」とは認識しないだろうが、この話し方だと、アキーは、原始人は「あれは飛行船だ」とは思わなくても、我々が飛行船だとして見ているものと同じものを見ていると考えているとしか思えない。そして、それは前半の話とは矛盾する。
 こういうあたりに、都合よく相対主義が利用され、また彼らが相対主義というもの、量子力学というものを理解していないということが端的に示されるのだな。
 ちなみに対話はこのあと、だったら壁を通り抜けられても不思議じゃない、とか、スプーン曲げの人も割り箸をグニョグニョに曲げることはできないので意識の限界じゃないか、とか、しかし毛虫が刺すということを知らずにこの間毛虫を素手でつかまえてくれて助かった、それは無意識の意識の可能性だ、とかなんとかわけのわからん話になっていく。

 もう一つ面白いのがイラストに添えられているセリフ。
僕は存在している。存在させられているんじゃない。
そう。世界に存在しているすべてのものみーんな。
これって、この手の人々の発想と反対ですよね。「我々は生かされているんだ」的な。だから感謝しよう、みたいな。「愛・感謝」と整合するのだろうか。

***

精神世界コーナーに行くと、ついニヤニヤしてしまうのですが、この季節は花粉症でマスクをしているのでニヤニヤしていてもバレないですね。目でバレてるかな。もっとも若者が真剣に爬虫類型宇宙人の本を見ていたりするのはやりきれないですが。というか、爬虫類とかプレアデス星人とかの本が最近異様に増殖しているけど、本気で信じているのか?信じているんだろうな、たぶん…。

しかしまあ前回も書きましたけど、東京にいると花粉症はひどくなりますなあ、やっぱり。今回も、夜中に目が痒くて起きてしまったことが何度か。困ったもんだ。