アドューのブログ -8ページ目

強い女

強い女になりたい。


愚痴を言わず、泣きごと言わず、

・・・泣2

すっくと立ち、前だけを見ている。いのしし

後悔しないで、めそめそもしない

(する時は一人でひっそりと)。
・・・泣  

つらければつらいほど 歌い、笑っている。ゲ ゲロッパ

凛として、キイロイトリ顔アップ

静かに厳しく、くま

そして優しい。
次元 


そんな女に私はなりたい。   三日月 


幼稚園でパーティ


今日はDDの幼稚園でポットラック
(料理持ち寄り)パーティでした。
私は超簡単なミートソースを持っていきました。お鍋


前、日本にいたとき会社でインド人のゲストの人に
今より更にヘタクソな英語で
英語

女の子「今日ポッタリーパーティがあるよ。行く?」って言ったら

インド人「ポッタリーパーティってなんやねん?」と聞かれたので得意げに

女の子
「ポッタリーパーティーとは、
皆が料理を持ち寄るパーティーのことです。
そうだ!と言ったら

インド人「、、、、、、、オー!ポットラックパーティ!」と軽く言われて
俺赤面、、、。
・・・照



※ ポッタリー = 陶芸  


このポットラックパーティは年に2回くらいあるような気がする。

今まで持って行ったのは

型抜きおにぎりリラックマほしハート

鱒鮨の型で作ったチキンサラダズシにわとり

マフィンマフィン(チョコチップ)

だったので今回はメインディッシュにしてみました。ぼのぼの

アメリカ人は料理下手(しない)けど

DDの行ってる幼稚園はインターナショナルなので

おいしいものがいっぱいあったよ。

春巻き、シュマイ、ラザーニア、春雨の何か、鴨の煮たやつ、

キッシュ、肉パイ、マカロニ&チーズ、

ケーキ、クッキー、ケーキ、クッキー、ケーキ、ケーキ、、、等。


今日の幸せ
寒~い朝、寒
バス停まで歩く空気の気持ちよさもみじ 












酒のことを考える時間がちょっとづつ減ってきた。はにわ
金曜日に買ったワインがボトル半分残ってるけど赤ワイン・ボトル
けっこう無視できるもんだわに。わに

ああ眠い、、、。寝る
おやすみなさい。おやすみ。



工作っぽくなら料理は好き。楽しい!
すなわち 測ったり、切ったり、むいたり、包丁
混ぜたり
こねたり、のばしたり。皮剥き器
蒸すのも煮るのもオーブンで焼くのも好き!パスタをゆでる
あまり失敗がない。ぴーす

がしかし!

フライパンが苦手だ、、、。フライパン
肉を焼くとき必ずといっていいいほど 肉 肉
「まず強火で表面を焼き、その後中火にして裏返し、6~7分焼く」 シェフ大泉 
とか書いてあるけどなぜか絶対焼きすぎる。
特に子供がいると生はこわいので常にオーバークック!やっちまった
固っ!ガーン

肉焼き才能まったく無し!!
ガクリ


ところがうちの夫はそんな肉焼き常識&定説をかなぐり捨て、 え?
(というか知らないだけ)
最初から弱火でチロチロチロチロ焼いていく。 マジ?
するとどうよ!
柔らかいではないか!まいう

うーむ。定説を見直す必要大いにアリ!?うーん?



よっ、大将!そうだ!

18の時友達のお母さんに味噌汁の作り方を教わっててみそ汁
「ふむふむ、そいで塩コショウは?」と聞いた時と比べたら
今の私はミシュラン五つ星並みだと思う。
シェフスタースタースタースタースター



子供時代

子供を産んでからかなりよくなったけど、
私の鬱病はおやじが死んだときに始まったのかな-?
でも、もしかしたらもっと小さいときにすでにそうだったかも?
小1の時よく授業中に気持ち悪くなっていて、ある日母に連れられて病院に行ったら
「神経の使いすぎ」って言われた。
だってそうだよ。毎日のように両親が殴り合いのケンカしてりゃあ、神経もすり減るよねぇ。

私はいつもケンカが始まると、怖くて怖くて泣きながらトイレに逃げていた。
でもお姉ちゃんとお兄ちゃん(といっても二人もまだ小さい!)に
「お前もいっしょに止めろ!」と引きずりだされて必死でなだめようとしていた。
「お父ちゃんは、一家の大黒柱なんだから、、、」などとしゃくりあげながら言っては
ひっぱたかれたり顔を床にこすりつけられたりしていた。

はっきりいって子供時代の思い出はすごく少ない。
楽しい思い出はないな。
たぶん暗い子供時代を過ごしたんだろう。
笑ってたのかな-?
おそらくすでに鬱だったのではと睨んでいる、、、。

数少ない思い出の中で、今でもなぜかはっきり覚えてるのが小1の授業参観。
先生が「それではみんなで ”ぬ”のつく言葉を言ってみましょう~!!」と言い、
皆はほがらかに「いぬ~」とか「ぬいぐるみ~」とか言っていた。
私は手をあげて「死ぬ。」とポツリと言った。

父が暴れて母が私達を連れて家から逃げ出しては、
うつろに宙を見てよく「一緒に死のう」って言ってたからかな。
でもそう言われる度にものすごく恐ろしかった。
本当に目の前が真っ暗になって、この世の終わりって感じで
怖い、死にたくないと思って絶望しながら泣いたもんだ。

子供を持った今、自分の子供にこんな思いをさせるなんて考えられないけど
今から35年以上も前、昭和40年代は、アルコール依存症という言葉も、
カウンセリングなんてものもなかった。
アル中患者はきちがい扱いされて精神病院行きという時代だった。
親は子供をひっぱたくのが当たり前で、幼児虐待なんてコンセプトもなかったし
児童心理なんて言葉も一般人にはなじみがなかったと思う。
日本中が貧乏だったし、親は子を食べさせていくだけで精一杯だったんだろう。