またアンチフェミ関連のブログで 情報をいただきました。

ご苦労様です。

2006年代に放映されていたらしい「マイメロディ」(サンリオキャラ)のアニメ

について、炎上があるとか。

「男のプライドは大事」「女の敵は女」

という台詞が問題らしい。

どうして作中に こういう台詞が 出てきたのだろうね。

強制性がある広告と違って、

アニメはまだ 選択肢があるのだけれども、

子ども向けとして制作されたものに こういう台詞が描かれるとは

制作者サイドに 何らかの意図があったのだろう。

明らかすぎる。

ミレニアム前後は、まだ昭和の残りカスのようなものが

まだ残っていて、

子どもアニメにも、「女はこうあれ」という メッセージを

「力の限り」残そうとする人々が いたと思われる。

事実「理想の嫁姑」アニメも ゴールデン枠で放映されていた。

わたしは「けっ」だったが、

娘たちは 何が面白いのか見ていた。

が、30代になった彼女らには

まったく 印象に残っていなかった。

ともかく、子どもアニメでのメッセージに

「男のプライドを守れ」 には笑った。

制作者は よほど 必死だったんだな。

「女の敵は女」とは、

「最後の男尊女卑だぞーーー」「これからはもうできないから」

の形相まで見えてくる。

けど現在でも 男尊女卑表現はある。

ひどいね。約束が違うよ。

・・・・・・・・・

「女の敵は女」が あるのに

ではなぜ

「男の敵は男」というのが ないのか?

そして「女の味方は男」なのだろうか?

「女」は女の味方をしないのか?

・・・・・

「女の敵は女」があって

「男の敵は男」というのが ないのかは

「支配者側の策略」なのである。

外国にも こんな言葉があるのかどうか

わからないが、

少なくとも日本・中国・朝鮮では

儒教をベースにした支配体制があった。

徳川幕府によってそれは強化され

動かすことができない階級制度・・

差別制度というのができた。

もちろん女は 男の下の階級に組み込まれた。

どの階級にでもだ。

 

「女の敵は女」

そう吹き込むことで

女たちが徒党を組むことを 阻止したのだ。

 

で、現代の 「徒党」であるフェミニストが

女性からも叩かれる 「階層」になることへ

アンチフェミとミソどもと 一部の男ドモは必死である。

 

逆になぜ 「男の敵は男」というのがないのか?

そりゃ、配下が分裂してくれたら困るから。

配下が 支配者に反逆してくれたら 困るから。

「気持ち悪いくらいの」忠誠心が

封建時代には 必要でしょう。

どの国も同じですね。

「女の敵は女」の反対語は

「男たちの気持ち悪いくらいの忠誠心」

なんだよ。

それは現代でも続き、

男性たちは 搾取者たちの支配から

抜けられないでいる。

下、気持ち悪い男の結束例

 

 

女性たちも

女性間の信頼や団結を 不可能にされ、

敵視しあい、

孤立し、

もはや「支配者」に 依存せねばならなくなった。

 

「女は男の敵」どころか

「女は男の下階級」である。

だからいちいち 女をバカにするのだ。

「女は敵」と言えるほど 「対等な存在」ではないのだ。

 

「女の敵は女」

「男の味方は男だよ」

は セットで 

弱者を 支配・搾取するための 呪詛である。

特級呪霊はそう簡単には 浄化できません。

・・・・・・・・・・・

けれど、拘束されたままで生きるわけには いかない。

前時代の「偏見」や「固定概念」や「洗脳」「言霊」「呪音」に

捕らわれて生きるのは損だ。

「呪い」を自分で解くには

どうしたらいいのか?

 

「偏見なく」

というのは難しいものだ。

 

そして「信じすぎ」も問題がある。

 

信じるべきものは誰か?

 

「自分」なのだ。

 

「自分の味方は自分」

でしかない。

 

日本人は そういうのが苦手だ。

 

敵は誰なのか?

味方は誰なのか?

自分のカンと感性を信じて 生きてください。

誰かが言ったからでなく。

日本人は苦手だけれどねえ。「自分」で考えることが。

 

少なくとも2000年代のアニメは

信じないでください。

 

「女は女は」「男は男は」

という言葉も信じないでください。

それは呪怨ですからね。

むしろ そっちこそが怖い。

 

女性たちは、女性の味方をしてあげてください。

それは 社会全体の孤立や孤独をなくす一歩にも なりますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のテーマ曲。