産業というものは 「底辺の人たち」の犠牲を必要とするものです。

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つくずく、日本は当時と変わらないなあと感じたのは

東京女子医科大学病院の問題です。

医療崩壊寸前な危険な職場でありながら

「ボーナスは支払わない」

 

そして「看護師は所詮は数。頭数さえあればいい」

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まさに働く人たちを将棋の駒としてしかみなしていない。

「軍艦島」「富岡製糸所」「炭鉱」

その日・アジアの労働者について「都合の悪い記憶」は失われていく。。

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日本と朝鮮半島が併合された明治・大正・昭和時代・・

日本はあこがれで、朝鮮人は日本に行きたがっていた。

そんな 当時の歌もあるゾ。

 

・・・らしいが、そういう「新説」?に疑問を呈するのがこの本。

 

こちらの本でも、「日本行きを希望する朝鮮人がいた」

と述べられている。

しかし、夢見た日本はどうだったのか?

この、外村氏の著書にもとずいて 述べます。

 

明治時代から朝鮮半島は「日本」だった。

明治・大正・昭和の長い時代、

 

日本へ 自分の意思で渡った朝鮮生まれの人達

が いないわけでは ない。

 

いないわけでは ない。ない。

 

と、わたしも何回も書いているんですけどね。

なぜか、日本語が読めないのか

眼球に病変がるのか、

 

「いないわけではない」

 

その部分を読み落としている読者が 約一名います。

その方は、わたしのことを「うんこおばあさま」

よりもひどい言葉で 悪口おっしゃってますが、

 

その方こそ70代だとお見受けいたします。

言葉の選択が下品すぎる。

言葉自体が「ルッキズム」であり、女性蔑視だとしか言いようがない。

そんなブログを見て、不愉快になって去る人もいるだろうに・・

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話を戻します。

 

日本に来た朝鮮人には、「どんどん稼ぎたい」

「一山当てて、貧困から脱出したい」と来た人もいるだろう。

現代では、みんな知っている大企業を作った人もいるから。

しかし、そうでない人もいる。

 

「夢見た日本で待っていたのは奴隷労働」

 

炭鉱は危険で過酷。

日本人労働者とも折り合いが悪い。

もっと稼ぎがいい職場を求めて脱走者が続出した。

それで炭鉱経営者たちは 見張りをたてた。

 

脱走できないように見張りを立てる、

それは 「監禁」であり

「職業選択の自由を奪う」ことである。

これは「奴隷状態」である。

 

「しあわせだった」「わたしは強制労働ではない」と語るコリアンは

「脱走して稼ぎがいい仕事につけた」

「炭鉱から円満転職できた」

「朝鮮人が経営する炭鉱に行くことができた」

という人だと思う。

 

逆に、

職業選択の自由がない職場で

暴力もある過酷な仕事。

戦後、給料も渡されず。

落盤などで死ぬ者もいた。

それで怒りがない、という者はいない。

 

もちろん日本人労働者もいた。

日本人にとっても 炭鉱は危険で過酷だったことは言うまでもない。

日本人・朝鮮人両方が体験した

大日本帝国の「負」の部分を隠蔽しようとする

そういう最近の日韓の動きを わたしは警戒する。

 

奴隷労働者は、朝鮮人だけではない。

富岡製糸所での「過剰労働」については

その記憶を伝えないようになってきている。

 

歴史に目を塞ぐ者は 未来にも目を塞ぐ。

「誤り」を見れないことは 韓国の未来にとってもマイナスだ。

韓国も「同じ」になるからだ。

 

「過去を振り返らない」日本は

研修生制度など 批判されるような奴隷労働を繰り返している。

過去は未来に続くのだ。

韓国にとっても。

 

外山氏の著書では

「暴力的な動員」「「強制的な連行」などについても

行政文書、朝鮮総督府の文書

「聞き取り調査」を含む内部資料

などが調査されている。

固有名詞も出されて「証言」も記載されている。

 

 

 

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もうひとつ、気をつけてもらいたいのは、

「強制連行」「慰安婦問題」「戦時性暴力」の問題は

韓国だけに留まっていないことだ。

「韓国のケースはこうだった」

からといって、中国や他の国の被害者と実態は無視してはいけない。

植民地とそうでない国によっても状況は異なる。

 

例えば、日本の植民地だった朝鮮と、

アメリカの植民地だったフィリピンとでは

「慰安所」「レイプ」の状態は異なる。

中国とも異なる。

 

だから「強制連行」「慰安婦問題」「戦時レイプ問題」

は安易に「ない」「少ない」などと言うべきではない。

 

双方の問題とも、全貌はまだまだ明らかになっていないのだ。

 

くれぐれも

「日韓の問題」と小さく捉えてはいけない。

 

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外村氏が「朝鮮半島」に特化した調査をしているが

 

「ゲンさん」は中国人も連行があったことを示唆している。

丹波マンガンさんも「強制連行被害者は朝鮮だけではない

中国人も、アジア全土の人たちが連れてこられた」

と述べていた。

 

瑞浪市の 「奴隷労働犠牲者」の慰霊碑には

中国人のお名前が多く刻まれていた。

 

 

 

だから、「すべてが自分の意思で日本へ来た」

とは断言できないだろう。

 

中国人やその他の外国人もが 日本行きを希望していたのか?

自分の意思で 過酷な労働をしていたのか?

それを示す資料がない。

もしも中国人が外国へ出稼ぎに行くとしたら、

交流が多かったヨーロッパの方面だろう。

ロシア、モンゴルも近い。

 

 

まちがって2つ貼りましたが、上は中国人強制連行の目次です。

下、強制連行された人の証言です。

 

 

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サイト「おしえてゲンさん」より。日本軍人による強姦の拡大

慰安婦や強姦の南方への拡大

1941年12月8日、

アメリカやイギリスと開戦し、

南方に侵略を開始していくと共に、

慰安所や強姦も南方に拡大していきました。

 

そのあたりの事を、金原節三

「陸軍省業務日誌摘録」から見てみます。   

   (文章は意訳します)

 

● 陸軍省課長会報での法務局長報告 

      1942年2月12日

 富兵団(第25軍)において

 敵前逃亡112、強姦3、掠奪3の報告あり・・・・

 比島(フィリピン)方面でも相当強姦(14名)あり、

 下士官の婦人傷害事例もありたり。・・・・

 

● 局長会報 (大山文雄法務局長と

     田中隆吉兵務局長のやりとり) 

     1942年5月2日

(法務局長) 

 第25軍の独立速射砲第1大隊の

 現役大尉がクアラルンプ-ルにおいて

 マレ-人の妻女を強姦、    

 その時計5~6個を掠奪し、

 さらにジョホ-ルの第3王女を騙し、    

 真珠を詐欺し、強姦、掠奪、詐欺の

 犯罪を犯せる者あり。

(兵務局長) 

 第25軍はクアラルンプ-ルに来るまでは

 とかくの評判ありしも、

 この事件を契機として今後面目を一新せり。

(法務局長) 

 フィリピン方面においても強姦多かりしが、    

 厳重なる取締まりをなしたる結果、

 犯罪激減せり。

(兵務局長) 

 フィリピンは他の地域に比し比較的多かった。    

 しかし、支那事変に比すれば少ないといえる。

  注:中国での強姦が相当ひどかった。

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年5月9日

 南方軍の犯罪件数23件。

 大体において支那事変に比し少なし。

 第14軍(司令官本間雅晴中将)には強姦が多し。

 女が日本人むきなるをもってなり。

  注:女が日本人向きだからとは変な理屈です。

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年5月27日

 南方犯罪の状況 

  掠奪強姦76件(開戦以来)

  強姦は14軍に多し、

  犯罪が多きは、14軍、15軍、16軍、

  南方総軍、直轄、の順で、

  軍律違反も14軍に多し。

   注:第14軍はフィリピン、

     第15軍はタイ・ビルマ、

     第16軍はインドネシアを担当

 

● 局長会報 田中兵務局長の報告 1942年6月3日

 ・・・・マレ-では支那婦人に対する

 暴行が5月の1ケ月だけで8件あった。

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年8月12日

 南方の犯罪610件、強姦罪多し、

 支那よりの転用部隊に多し。

 慰安設備不十分、

 監視監督不十分に起因す。

 拘禁所にはどこも200名あて収容しあるが、

 いずれも3~4名の法務官が処理しあり

 

これらの局長会報を見ると、

いかに中国での強姦が凄まじかったかが分かります。

その結果中国から転進してきた部隊が

南方に来てさらに強姦事件を

起こしていることが分かります。

(転載、以上)

 

フィリピンでの強姦、虐殺について