Facebookでは、大日本帝国軍の所業に関し、元自衛官の小西誠さんが連続的に史実を上げられています。
「マニラ、性奴隷女性像」を巡っても、背景にあった「人さらい、強姦」についてご案内を頂いております。


下記は、小西さんが、「読売新聞・社説」に関連してアップされたものです。

2006年2月当時のマニラメモラーレ(追悼集会)に臨席した在比日本大使館の山崎大使の言葉です。

2006年とは、日本国内閣が小泉内閣(第三次)の時です。1995年村山談話をこの小泉総理大臣までは歴代継承してきていました。
 

以下、マニラ・性奴隷女性像のそのものから離れ、1945年マニラ市街戦の被害を祈念するメモマーレ・マニラのことを中心に記述いたします。
2006年2月、比国の市民的な追悼集会「マニラ・メモマーレ」に日本政府の大使・山崎さんが出席したばかりでなく、

このような歴史的事実を念頭におき、私は、マニラの悲劇的な運命に対して心からの謝罪と深い自責の念を表します。

・・・・と、謝罪を表明。

そしてそれを聞いていた比大使で、自らの母親をマニラ市街戦の中の住民大虐殺で失った比大使ファン・ロチャさんが、「日本人からの)悔恨の言葉がなかったこれまでは赦すことも難しかったのです」と涙を浮かべた・・・というのです。


人の心の何が、悪魔の所業の歴史を越えさせるのか・・・・。

改めて考えさせられる山崎大使の謝罪だったと振り返ります。

 

山崎大使の言葉は下記URL

 

 

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●追記 史実記録のフィリピン側の豊富さ等

上に「大量の記録文書」の保存について、触れた。

併合時代の朝鮮の記録は、大日本帝国敗戦後に相当数が廃棄されて、既に無いのと対照的。

これについては、自分の主観というより、歴史研究家の一ツ橋大学、中野聡さんの言明から確認出来ることです。

念のため、その言明を追記しておきます。

以下、2016年3月の荻上チキによる中野聡さんインタビューの一部から。

 

■ 2016.03.01 Tue フィリピンで日本軍は何をしたのか? SYNODOS 中野聡×荻上チキ

(一部抜粋)

・・・・ エルミタというマニラ都心部に避難していた市民の中から日本軍が女性を選んで連行し、ベイビュー・ホテルに集めて集団レイプが横行したという事件です。この事件は日本軍の戦時性暴力の最悪の事例のひとつとして記憶されています。この二つの事件は被害証言もしっかり残っています。

・・・・ 中野 そうですね。被害事実に関しては精度の高い資料が残っているのも、マニラ市街戦の大きな特徴でもあるんです。被害者の中に富裕層、すなわち証言を正確にできる能力のある人たちが多かったということもあります。

・・・・ また、米軍はすでにこのとき、日本軍の戦争犯罪を戦後告発しようとしていたので、マニラ市街戦が始まる前から戦犯調査の準備を始めていました。このため戦争犯罪が起きてから調査までの期間がすごく短かった。生き残った被害者はみんな病院にかつぎこまれたのですが、その病床の脇で宣誓口供書をとっていったのです。ですから、加害者を特定するのは難しい一方で、被害事実については詳細な記憶に基づいた記録が残っているのです。

 

これは一部です。「八紘一宇」については2 もあります。

 

群青さん、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。