誤解しないでほしいのだが、

わたしは「日本に住むすべての在日コリアンが強制連行の被害者」

とは言っていない。

 

明治時代から日本と朝鮮半島は併合されたので、

「国境がなくなった」、だから日本に自由意志で来た人たち

そしてその子孫たちもいると言っている。

 

が、

「朝鮮人の強制連行は存在した」

とわたしに話してくれた在日コリアンの方もいらっしゃる。

 

その方を無視することはできない。

 

アメブロでは「丹波マンガン」さん

というハンネでブログも開設なさっておられる。

 

その方のお父さんが

自費を投じて「新大谷鉱山」跡地に、

 

「強制連行」と「朝鮮人労働者」たちを

記録する資料館を作った。

それが「丹波マンガン記念館」。

朝鮮人強制連行とそこで働いた労働者の

唯一の資料館である。

 

丹波マンガン記念館とは。

 

 

丹波マンガン記念館。設立経緯。

「設立経緯」を一部抜粋します。

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丹波のマンガン鉱山では約3000人もの朝鮮人が強制連行や募集連行によりマンガン鉱山で働いていました。
何故、多くの朝鮮人が働いたか?というと、日本の植民地支配に原因があります。
土地調査事業によって日本の「東洋拓殖会社」(会社といっても日本国営)によって70%の田圃などの土地が取り上げられ多い所では90%以上の年貢を強いられ離農した朝鮮人が職を失い渡日した。

次に日本が植民地支配していた期間に朝鮮から日本に持ち出した米は2400万トンで朝鮮人の食べる物がないのに日本が食料を略奪して日本本土に「飢餓輸出」をしていたのです。綿花、亜麻、マユ、など繊維原料も60万トンも略奪しています。
その他の穀物は1900万トンも略奪しています。

次に日本が植民地支配していた時の政策に「山林令」があります。
日本の植民地支配以前は朝鮮では山は公共の物で誰でも山に立ち入って芝刈りが出来たのですが日本の植民地支配が開始されてから「山林令」が発布され山が立入禁止になったのです。
この政策は朝鮮人の燃料がなくなる事を意味しました。

李貞鎬の父も朝鮮で日本に土地を取り上げられ日本に居る兄を頼って渡日しましたが直ぐに病気にかかり医者に診てもらえず亡くなりました。李貞鎬の父の兄。つまり李貞鎬の叔父が弟の名が絶えるから長男の李貞鎬を日本に遺せと言われ泣く泣く李貞鎬の母は弟を連れ朝鮮に帰りましたが弟は朝鮮で直ぐに亡くなり母は再婚して李貞鎬は天涯孤独の身となったのでした。

日本は鉱物資源が少なく殆どの鉱物は必要量の1/10程度しか採掘されませんでした。
第二次大戦中の後半にはアメリカに制空権を握られ輸送船が沈められ外国の鉱物は、ほとんど輸入されませんでした。その上、日本人は「学徒出陣」といって学生まで兵隊に徴用したので鉱山だけでも100万人もの労働力が必要で強制連行は人手不足と鉱物不足が原因でした。

マンガンの90%は鉄を硬くする為に使用されました。第二次大戦中には銃や大砲の砲身、戦車の鋼板やキャタピラーなどの鉄の強化剤に使われ戦争遂行には必要不可欠な軍事物資でしたので多くの朝鮮人が集められたのです。
戦争当時は2万もの鉱山が稼働しており、内1万の鉱山は朝鮮人が強制連行されました。300万人ともいわれる強制連行は労働者不足、金属不足を補い戦争を継続させる為に必要不可欠な事だったのです。

丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬氏(故人)が、じん肺に苦しみながらも、在日朝鮮人の歴史を残すために、私財を投げ打って家族と共に創り守ってきた博物館です。「坑道(穴)に入れば厳しい労働が解る」と坑道を300m歩けるようにし資料館、進入道路1.2kmの道路や飯場を建設しました。・・・・・続く

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アクセス

 

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FBの友人からアドバイスをいただきました。

徴用には募集、斡旋、徴用の3つの形態がありました。

(1)企業が警察などの協力で実施した「募集」は1939年から。(2)朝鮮総督府の外郭団体・朝鮮労務協会による
「官斡旋」は1942年から。(3)1944年からは国民徴用令に基づいて強制した「徴用」です。(3)が本人の意思に反した強制連行ですが、広い意味で強制力を伴わなくても植民地時代に日本本土の労働力不足を補うための施策という事が本質だと思います。」

 

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岩波文庫の「朝鮮人強制連行」にも

書いてあったけど、本が刊行された2014年現在でも

「強制連行についての調査は進んでいない」ということで

 

実際に連行された人の数も詳しくはわからないらしい。

 

ちょっと愕然。

 

「慰安婦問題」に関しては

レイプや労働強制の「被害者」の お一人お一人のお名前と

「慰安婦」にされた状況も 詳細に調査されている。

それにひきかえ・・

 

随分前から「強制連行」という名称はあるのに

具体的なことが 多くはわかっていないとは。

文献にもなっていないとは。

韓国側すらも調査せず、?

資料を作成してすらいないのだろうか?

 

だから「強制連行はなかった」と主張する在日の方も

いらしたのだろうな。。。

けど、わたしの文をちゃんと読まずに

感情的になられたのは 残念だ。

けど、議論し合ったところで

「あった」「なかった」の睨み合いで終わるのは

目に見えている。

わたしが「負けました」と言えば

よかったのだろうが、

そもそも、「正しい歴史」とは

勝負事ではない。

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研究者や「被害国」である韓国でさえ

「頼りにならない」状況で

 

「生き証人」であるマンガンさんのお父さんが 資料館を作られたことは

すごくすごく偉大なことです。

 

ほんとうにありがとうございます。

 

現在は「丹波マンガン記念館」は休業中です。

コロナ問題がなくなったら

婿殿をつついて 見学に行きたいです。