続・功夫電影専科 -87ページ目

続・功夫電影専科

香港映画を始めとした古今東西のアクション映画の感想などを書き連ねています。


「少林寺破戒大師伝説」
原題:破戒大師
英題:Carry On Wise Guy
製作:1980年

●功夫映画界には数多の武術指導家たちが存在するが、どれも様々な特色とスタイルを持ち合わせており、どれがナンバー1かを決めるのは至難の業だと言えるだろう。だが、格式や功夫アクションの表現力などを比較するなら、この劉家班がトップクラスの実力派集団であったことだけは間違いないはずだ。
劉家班は名武術指導家・劉家良(ラウ・カーリョン)を頂点とするスタント・グループで、東洋のハリウッドと呼ばれたショウブラザーズにおいて、常に最高級の功夫アクションを構築し続けた精鋭中の精鋭だ。"功夫良"劉家良・"三徳和尚"劉家輝(ゴードン・リュウ)・"蟷螂"劉家榮(リュウ・チャーヨン)の3人が中心となって活躍。代表作は『少林寺三十六房』『少林虎鶴拳』『邪教逆襲』『嵐を呼ぶドラゴン』等で、クリエイターとしての実力も確かなものであった。
 その劉家班、80年代中頃まではショウブラ以外での活動が制限されていたのだが、それでも外部で数本の作品を残している。劉家良の秘蔵っ子・汪禹を担ぎ出して撮った『鬼馬功夫』『功夫小子』、韓国へ出張した『少林寺の復讐』『大兄出道』、台湾製の『片腕カンフー対空とぶギロチン』『中原[金票]局』等々…そして本作も劉家班が外部で撮った作品であり、劉氏兄弟の一角である劉家榮が監督を務めた作品だ。
劉家榮は武術指導一家の出でありながら、変則的な作品を得意としていた。先に挙げた『鬼馬功夫』や『功夫小子』も彼の作品で、普通の功夫映画とは違ったアプローチで撮られた物が多いのが特徴である。この『少林寺破戒大師伝説』は、前年に劉家班が協力した劉家榮監督作『ガッツ・フィスト魔宮拳』と同じタッチで作られ、物語の牽引役には『魔宮拳』と同じ劉家輝を起用し、それに着いていく2人組には劉家勇と曾志偉(エリック・ツァン)の両名が参加している。

 ストーリーは瀕死の男から託された箱を巡って、劉家輝・曾志偉・劉家勇らと劉家榮&李麗麗(リリー・リー)が闘うというもの。『魔宮拳』は劉家輝がマヌケな2人組を利用するという話だったが、本作では劉家輝がマヌケな2人組に利用されてしまうという逆のパターンを辿っている。しかし、困ったことに本作は全然面白くないのだ。ギャグのキレもイマイチだし、パロディ描写も中途半端。『魔宮拳』もこれといって良い話ではなかったが、本作はそれ以上に出来が落ちてしまっている。
特に問題だったのが劉家輝と曾志偉らの温度差だろうか。劉家輝はオープニングから突然寺を襲撃され、仲間や師匠を皆殺しにされるというヘビーな身の上のキャラだ。そんな可哀想な劉家輝とは対照的に、曾志偉&劉家勇は金儲けの事しか頭になく、町民を騙して劉家輝に差し向けるなど、ムカつく行動ばかり取っている。私としては『魔宮拳』の劉家榮と李海生が気に入っていただけに、この落差は正直受け付けませんでした。
 一方、劉家班が手掛けているだけあって功夫アクションは一級品。奥の手が拳銃という劉家榮には参ったが(苦笑)、全体的なレベルは非常に高い。こちらはまどろっこしい出来になった『魔宮拳』と違い、素直にアクションを堪能できました(江島や馮克安といったお馴染みの顔も飛び出します)。これで話がもうちょっと良ければなぁ…。


「抜け忍」
製作:2009年

▼忍者映画というものは海外で盛んに作られてきましたが、そのどれもが陳腐で奇天烈なものばかり。金髪の外人がカラフルな忍装束に身を包み、真昼間にチャンバラもどきのアクションを見せるという光景は、我々日本人からすれば異様なものにしか見えませんでした。
それならば、忍者の本場といえる日本が「本格派忍者映画」を作れば、過去の忍者映画に負けない凄い作品を作ることができるのではないでしょうか?
 しかし現在の邦画界でそういう奇異な作品を望む声はほとんどありません。それでも忍者映画を製作したいのなら、流行のアイドルなどを起用した『SHINOBI』のような映画か、或いは香港映画の縮小コピーで奇をてらった『血蜘蛛の十蔵』のような映画を作るしかないのが現状なのです。
本作はその中で後者に該当する作品であり、『伊賀の乱』系列などを撮った千葉誠治が監督を務めてます。千葉氏は何故か谷垣健治や下村勇二といったドニー門下の精鋭と縁があり、谷垣導演の『隠忍術』などにも参加。本作では下村氏がアクション指導を担当し、香港系の忍者アクションを作り上げています。

■時は織田信長が伊賀忍者を壊滅させる数年前の頃。凄腕の下忍・肘井美佳は、今日も任務を遂行して帰路に着いていた。幼馴染の泉政行や義兄の虎牙光揮とは親しいのだが、色狂いの下忍頭・島津健太郎とは対立している。どうやらこの男、何か良からぬことを企んでいるようだが…。
折りしも、伊賀の里では下忍たちが謎の刺客によって次々と暗殺されるという事件が起きていた。下忍を指揮する上忍たちは何の行動も起こそうとせず、肘井たちは苛立つばかりだ。そして刺客の魔手は、ついに肘井の理解者であった里の長にまで及んでしまう。
この混乱に乗じた島津は、クーデターを起こして伊賀の里を掌握。邪魔な肘井を始末しようと企み、大勢の追っ手を彼女へ差し向けた。肘井はこれに怯むことなく立ち向かい、島津に捕まった仲間を助けようとする。果たして、謎の刺客の正体とは…?

▲この作品、本筋となるストーリーは本当にこれだけしかありません。多少のどんでん返しはいくつか用意されてはいますが、サブストーリーなどは一切存在しないのです。そのせいか尺も短く、非常にミニマムな作品になっていました。
大体、「強いくノ一がいました、悪い下忍頭がいました、刺客が伊賀の里に入り込んでしまいました、色々あって下忍頭は倒されました、刺客の正体は○○でした、おしまい」…だけじゃ余りにもボリューム不足です
また、本作のクライマックスでは謎の刺客と肘井の戦闘は無く、あからさまに続編を作れそうな終り方をしています。この手のVシネ作品にありがちな事ですが、作品のオチを付けようとせずに宙ぶらりんな幕引きで済ませてしまうのは、ちょっとどうかと思いますね。そういえば『血蜘蛛』も『男組』こんな感じだったような…(汗
 そんなわけで作品自体は良い出来とは言えませんでしたが、下村氏の指導したアクションシーンは光っています。主人公の肘井美佳は激しいソードアクションに挑戦しており、なかなか良い動きを見せていました(彼女は全編に渡ってほぼノンスタントでアクションを演じ切っています)。
その他の役者さんたちも大いに奮戦していて、とりわけ虎牙光揮の暴れっぷりが見事でした。リアルヒッティングっぽい演出をしておきながら実際にヒットさせていない箇所が幾つかあったのは残念ですが、全体的にとても見ごたえのあるアクションだったと思います。
格闘アクション的には満点ですが、単純なストーリーが水を差す惜しい作品。今現在はこのような作品しか出来ないけれど、いつか日本の映画界は「本格派忍者映画」を創り出して欲しいと、私は切に望んでいます。


「天空伝説/ハンサム・シビリング」
原題:絶代雙驕
英題:Handsome Siblings
製作:1992年

▼90年代に起きた武侠片ブームは、各方面へと様々な影響を及ぼした。このブームの火蓋を切った『黄飛鴻』系列にあやかって少林英雄を持ち上げる者がいれば、脚光を浴びた俳優を起用して2匹目のドジョウを狙う者、そして武侠小説の映像化に挑もうとする者など、ありとあらゆるパターンの武侠片が作られていた。
本作は『スウォーズマン』で強烈なキャラクターに扮した大女優・林青霞(ブリジット・リン)を担ぎ出した作品で、加えて劉華(アンディ・ラウ)も出演。監督にはシネマシティの立役者である曾志偉(エリック・ツァン)を向かえ、単なる便乗作品でない気概を見せている。
ちなみにこの作品、元々は武侠小説が原作であり、1979年にショウブラザーズでも映像化されている。私はショウブラ版を見ていないので、本作がショウブラ版のリメイクなのか、あるいは別物なのかまでは解らない。が、原作者の名前を見て一抹の不安を感じた。そう、この映画の原作者はトンデモ超展開を得意とする、あの古龍(クー・ロン)だったのである。……なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ?(爆

■江湖のはずれにある悪人の谷で、正義の使者・張敏(チャン・マン)が十悪人という集団を「飢饉の人々を殺した罪」で殺そうとしていた。本当は裏切り者によって濡れ衣を着せられていただけなのだが、あくまで張敏は十悪人の罪を許そうとしない。そこへ張敏の元夫・苗僑偉(ミウ・キウワイ)が現れ、命を賭して張敏の暴挙を阻んだ。そのとき苗僑偉が連れていた子供は十悪人に引き取られ、引き下がった張敏も養女を育てようとしていた。
時は流れて18年後、十悪人に育てられた赤ん坊は劉華(アンディ・ラウ)に成長し、「武術大会へ出場して裏切り者2人を探してほしい」と十悪人から頼まれ、育ての親である呉孟達(ン・マンタ)らと共に出奔した。大会の開催地へ向かう道中、劉華は張敏に育てられて正義の使者となった林青霞と遭遇する。彼女の事が気になる劉華は、開催地に到着するなり林青霞のことを探ろうとするが、林青霞も劉華のことが気になりつつあった。
 そんなこんなで開催された武術大会は、準決勝までに劉華・林青霞・大会主催者の張國柱・馮克安の養子呉鎮宇(フランシス・ン)の4人が出揃っていた。時を同じくして、劉華は大会そっちのけで林青霞に接近しつつあったが、何としてでも娘を勝たせようと企む張敏が介入し、林青霞に毒薬を飲ませるという暴挙に出てしまう。
そして迎えた準決勝での劉華VS林青霞戦。見かねた張敏が乱入するという事態が起きるが、この機に乗じて張國柱が張敏を謀殺。劉華と林青霞は目の前で母親を殺されてしまった。ところが、事態の収拾に武林のお偉方(正体は見てのお楽しみ・笑)が登場し、呉鎮宇のタレコミによって張國柱の悪事は露見してしまう。これで事件は一件落着かと思われたが、実はすべて呉鎮宇が仕組んだ計画だったのだ。
 呉鎮宇は力こそ無かったが、武術大会の優勝者に授けられる奥義を虎視眈々と狙っており、奥義を身に付けると武林のお偉方の力を奪い、更なるパワーアップを果たした。こうして武林の覇権を手に入れた呉鎮宇だが、悪の栄えた例は無し。苗僑偉の犠牲によって蘇えった林青霞と劉華は、力を失ったお偉方から「二人剣」という奥義を伝授され、打倒・呉鎮宇に挑むのだった。

▲本作は曾志偉プレゼンツの作品だが、本当に彼が監督したのか疑ってしまうような出来である。
無駄に残酷で下品な演出を加えたり、劉華と林青霞のラブストーリーを中途半端に描いてしまうなど、曾志偉の監督作にしては消化不良な箇所がところどころで目に付く。また、武林のお偉方が登場→呉鎮宇パワーアップまでの展開には驚かされたが、裏切り者の件が完全に放置されたまま終わっているのは頂けない。超展開は古龍のお家芸だが、いくらなんでもコレはなぁ…。
 功夫アクションにも思い切りが無く、作品の舞台となる武術大会も適当な扱われ方をしている。
まず最初に予選大会が始まるのだが、信じられないことに闘いの様子はサラッと流されるのみで、2分少々でもう準々決勝に到着。さらに出場者が逃げ出して(!)即座に準決勝へ進んでしまうのだ。そりゃあジックリと大会を描写しすぎるのはナンセンスだろうが、ここまで端折ってしまうのもどうかと思う。
さらに功夫アクションの端折り問題はラストバトルにも影響していた。最後の決戦で劉華らは「二人剣」という技を使用するのだが、これが単に手を繋いで剣を飛ばしているだけにしか見えないという代物。それどころか呉孟達が放ったアホ技の方が役立っている上に、バトル自体も5分と経たず終わっている。殺陣自体もワイヤーで飛ぶだけのありきたりなアクションで、特に面白いものではなかった。
 並みの便乗作品ならともかく、本作はあの曾志偉が撮った作品だ。しかし本作には曾志偉らしい独創性が見出せないばかりか、複線放置・功夫アクション無視・人命軽視といったネガティブポイントばかりが目立っている。やはり、さすがの曾志偉でも古龍作品を料理するのは難しかったのだろうか…?


「怒れるドラゴン/不死身の四天王」
原題:四大天王
英題:Four Real Friends/Dragon Squad
製作:1974年

▼久々となる王羽(ジミー先生)作品のご登場です。時期としては台湾に渡った頃の作品(当時も一応ゴールデンハーベストの契約下だった)ですが、ジミー先生がフィルム・メーカーとして覚醒するのが正にこの頃で、『片腕ドラゴン』を筆頭に数々の傑作が生まれていきました。
一般的にジミー作品といえば、『片腕カンフー対空とぶギロチン』『英雄本色(ドラゴンVS不死身の老婆)』といったトンデモ映画が有名ですが、同時にシリアスな佳作も多く手掛けています。中でも『ドラゴン覇王拳』と本作はジミー流シリアス路線の決定版といえる作品で、濃厚なジミー先生テイストが味わえるものとなっているのです。
 また、この映画の最大の売りは、なんといっても台湾映画の4大スターが揃い踏みしている点でしょう。ジミー先生を始め、『餓虎狂龍』の陳星(チン・セイ)、『ドラゴンの逆襲』の張翼(チャン・イー)、そして『死對頭』の金剛(カム・コン)までもが集結しています。
中でも、当時一番の出世頭だった陳星はイチバンおいしい所を任されており、あのジミー先生が見せ場を譲っている(!)のにも注目したいところです。

■物語は、[金票]局(昔のガードマン業のこと)の金剛が盗賊団(リーダーは高飛)に襲われている場面から幕を開ける。襲撃を受けてボロボロになった彼は、通りかかった独身貴族・張翼によって命を救われるのだった。
一方、ギャンブラーのジミー先生は酒場で件の盗賊団と遭遇。博打で連中から金を巻き上げるが、そのとき盗賊団が持っていた財布(金剛から奪ったもの)を見たジミー先生は、相手が盗賊団で何かが起きていることに気付いた。
 この盗賊団を影で操っていたのは龍飛(ロン・フェイ)とその一味だった。彼の元には日本から呼び寄せた用心棒・鹿村泰祥、そして山茅(サン・マオ)らが控えている。龍飛は事態を察知しつつあるジミー先生を抹殺しろと高飛に命じるが、裏では報酬の宝箱を独り占めしようと画策していた。
そのころ、傷の癒えた金剛は張翼の元から飛び出し、かつての師であった陳星を尋ねていた。が、人を殺してアル中となっていた陳星にかつての威光は無く、金剛と張翼は深く落胆するのだった。
 ジミー先生も高飛に追われる中で「裏に何かあるな」と勘付き、密かに行動を開始していく。まず張翼に接触して互いを認め合うと、敵を知るために龍飛一味へ挑戦状を送った。そのせいで一時は敵の手に落ちてしまうが、機転を利かせてすぐに脱出。金剛は匿われていた道場を襲撃されるも、張翼の計らいによってジミー先生と合流を果たした。
混乱は敵地でも起きていた。高飛の度重なる失態に業を煮やした龍飛は、宝箱を奪うと強盗団全員を抹殺する。更に龍飛一味は、周囲を嗅ぎまわっていた張翼に制裁を加え、陳星が思いを寄せていた客棧の娘にも手を出そうと企んだ。事ここに至り、腑抜けていた陳星は遂に復活!こうして揃った4人の男たちは、手を取り合って悪党たちに決戦を挑んだ!

▲各所でも触れられていますが、本作は単なる復讐劇ではない男たちの友情を描いた物語であり、当時としても異色の作品だった事が伺えます。この4人の男たちのストーリーもよく出来ていて、オールスター映画によくある各エピソードの軽薄化に陥っていない点も、大いに評価できると言えます(脚本は倪匡)。
また、各人のアクションも個々の個性が反映されていて、陳星なら野性味溢れるアクションを、金剛なら足技を多用した力強い戦いを、ジミー先生なら卑怯な戦法(笑)を…といった具合に、それぞれのキャラに合った動作が積極的に取り入れられていました。
 欲を言えば、ラストバトルはそれぞれの戦いをきっちりと描いてほしかったのですが(龍飛と山茅の最後もかなり適当)、本作のダイナミックな功夫ファイトの前ではあまり気になりません。視聴後の後味も爽快なジミー先生渾身の快作。功夫映画を愛する方は必見の逸品です!
ところで本作のオリジナルの予告映像には、客棧の娘にジミー先生が言い寄って陳星が怒るシーン(一緒に金剛と張翼もいる)があるんですが、このような場面は本編に存在しません。恐らくこれはアウトテイクだと思われますが、実際に使用されたとしたらどんなシーンになったんでしょうか?気になります。

 ところで、本作には日本人の鹿村泰祥が出演していますが、ここでちょっとジミー先生が考える「日本人像」について触れてみたいと思います。元来、功夫片における日本人は悪役として描かれる事が多く、その描き方も決まって醜悪なものばかりでした。しかし、ジミー先生だけは日本人の描き方がまったく違うのです。
ジミー作品に登場する日本人は、いつも決まって突飛なキャラにされていました。『片腕ドラゴン』にの怪物空手家、『片腕カンフー対~』のトンファー侍、『英雄本色』の不死身の老婆、『神拳大戰快鎗手』のマシンガン侍、そして本作の鹿村さんと愉快な仲間たち…列挙しているだけでも目眩がしそうです(笑
 さて、このようにジミー先生は日本人を単なる悪意の象徴とせず、そのことごとくをネタキャラへ昇華させていきました。これによって独自の日本人像を作り上げたばかりか、結果として日本人が悪役になっても陰惨さを感じなくなり、安心感すら漂うほどの雰囲気を作り上げてしまったのです。
単なるヒールを過剰な装飾で彩り、陰惨さの回避に成功したジミー先生。果たしてこれがどこまで彼の意図したものかは解りません。しかし、ジミー作品が持つ飄々としたおおらかな空気の正体は、このような細かい演出を重ね続けた末の産物…なのかもしれませんね(←深読みしすぎ)


「NINJA ニンジャ in L.A.」
原題:HELLBINDERS
製作:2009年

●本作は『スター・ウォーズEp1』のダース・モール役に扮し、見事な二刀流アクションを演じたレイ・パーク主演のホラー・アクション映画である。彼と共に闘う仲間役に『ウィケッド・ゲーム』のジョニー・ヨング・ボッシュ、スタント経験アリのエステバン・クエトの両名が参戦。オマケに監督が3人(いずれもスタントマン出身者)も加わっており、マーシャルアーツ映画ファンとしては期待できる布陣であったのだが…。
 裏社会の始末屋・レイは、あるときロス市警からカルト教団の皆殺しを依頼された。仲間と共に敵地へ乗り込み、すぐに任務は終わるかと思われたが、戦いの中で突然仲間たちに襲われてしまう。不測のハプニングに命からがら逃げ出したレイは、自宅でニンジャ戦士のジョニーと遭遇。彼の口から、教団の人間は全員「鬼(レギオン)」という悪霊に体を奪われ、連中が世界を滅ぼさんとしていることを知らされる。
時を同じくして、エルサレムから不死の体を持つ戦士エステバンが悪霊掃討の命を受け、ロスに到着していた。共通の敵を持った3人は、ジョニーの師であるジェラルド・オカムラの協力を得て、地獄から来た悪魔たちと闘っていくことになる。
オカムラの術によって悪霊を封じ込める特異体質になったレイ、かつての仲間を裏切ってまでも戦い続けるジョニー、そして長きに渡る因縁の決着を付けようとするエステバン…3人はオカムラを失いつつも、地獄の門を開けようと企む悪魔の本陣へと攻め込む決意を固める!

 なかなか凝った設定の作品だが、本作の問題点はまさにその「懲り様」にある。舞台背景を聖書などから引用して趣向を凝らし、キャラクターの発する台詞を凝った言い回しにして、場面転換を漫画のコマ割りのような凝った演出にし、同時に凝ったキャプションを付ける…と、こんな具合に、本作は「凝り様」が凝り固まった、非常に感情移入しづらい作品に仕上がっているのだ。
ストーリーラインだけを追えば単純な構成なのだが、ここまで回りくどい話にしてしまうとは勿体ない。どうも本作の監督3人は、メインキャラ3人のストーリーをそれぞれ監督していたらしく(?)、全体的に構成がまとまってないのはそのせいなのだろう。3人寄れば文殊の知恵という言葉があるが、本作の場合は船頭多くして船山に登る…と言った方が正しいかもしれない(爆
 格闘アクションに関しては、スタントマン関係者が大挙して参加しているだけあって、それなりに派手さはある。
ただ、主役3人の中で最もいい動きができたはずのレイ・パークは、作中において素手のファイトをほとんど披露していない。それどころか、クライマックスでは銃を両手にドンパチするだけという有様で、明らかにキャラクター設計を間違えている。ジョニーは忍者らしく刀を振るい、エステバンはパワーファイターとして頑張っているが、個性を振り分けるのならレイの動きを生かせるようにして欲しかったものである。
なお、最後のオチは続編の可能性を示唆するものだった(ジョニーと因縁のあった悪霊も登場していない)が、本作を見る限りでは次に期待が持てません。あまり無理をしない方がいいのでは?ところで、作中にジョニーの上司が「東京でニンジャの決戦が行われている」と言っていたが、個人的には悪霊よりもこっちの方が凄く気になります(笑