GS名曲秘宝(2)ザ・ビーバーズ「君なき世界」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・ビーバーズ - 君なき世界 (Seven Seas, 1967)
ザ・ビーバーズ - 君なき世界 (作詞作曲・醍樹弦) (Seven Seas HIT-720, Single A-Side, November 10, 1967) オリコン♯57 - 2:35 :  

成田賢 - lead vocal
早瀬雅男 - lead vocal
石間秀樹 - lead guitar
平井正之 - guitar
荒川宏 - bass guitar
淡村悠紀夫 - drums

 グループ・サウンズの隠れ名曲というとまっ先に浮かんでくるのが、筆者の場合はこの曲(AB面とも)です。日本ロック史上最重要ギタリスト石間秀樹(現・秀機)氏在籍、「日本初のツイン・リード・ギター・バンド」とプロ・ミュージシャンからも注目されたザ・ビーバーズは、ロカビリーのヴォーカル・グループ、スリー・ファンキーズを母体として生まれ、昭和41年(1966年)2月にジ・アウトロウズとして結成、活動を始めました。石間秀樹と平井正之のツイン・ギターはともかく、成田賢と早瀬雅男のツイン・ヴォーカルの編成を取っているのはスリー・ファンキーズ時代の名残りです。新宿ACBなどのジャズ喫茶で活動したり日活映画『逢いたくて逢いたくて』(昭和41年6月公開)の端役出演を経て昭和42年(1967年)1月には日劇ウエスタン・カーニバルに初出演、所属していた共同プロの解散に伴いスパイダースに見出されて渡辺プロ傘下のスパイダースのプロダクション、スパイダクションに移ったバンドはキング・レコードからレコード・デビューの話が舞いこみ、より親しみやすいバンド名をというレコード会社側の意図からザ・ビーバーズと改名しました。AB面ともスパイダースの大野克夫作曲のラテン・ロック調のシングル「初恋の丘 c/w ハロー!コーヒー・ガール!」(1967.7.20)でデビューし、バンド最大の中ヒット(オリコンは1968年1月設立ですが、各種チャート番組で20位前後)になりました。ラテン・ロックは1950年代のリッチー・ヴァレンス「ラ・バンバ」から1960年代のビート・グループ以降にもテキサスのサー・ダグラス・クインテットなどに萌芽がありましたが、1969年のサンタナのデビュー以前にラテン・ロックをデビュー・シングルにしたのは才人・大野氏らしい着眼点です。その後ビーバーズはビート・ナンバー「君なき世界 c/w ホワイ・ベイビー・ホワイ」(AB面醍樹弦作曲、1967.11.10)、「君・好きだよ c/w 恋して愛して」(AB面いずみたく作曲、1968.4.10)、全12曲収録の唯一のアルバム『ビバ!ビーバーズ!』(King SKK-42, 1968.6.10)、シングル「愛しのサンタマリア c/w 波うつ心」(A面なかにし礼・村井邦彦/B面石間秀樹作曲、1968.8.20)、ラスト・シングル「泣かないで泣かないで c/w サテンの夜」(A面橋本淳・すぎやまこういち/B面ムーディー・ブルースの星加ルミ子訳詞カヴァー,、1968.12.10)を残して昭和44年(1969年)4月1日付けで解散しましたが、その後内田裕也のフラワーズ加入を経て、クニ河内氏の名盤『切狂言』、内田氏がプロデュースにまわったフラワー・トラベリン・バンド以降の石間秀樹氏の活動はご存知の通りです。また成田賢(1945-2018)氏も山内テツ(元ミッキー・カーチス&サムライ)、瀬川洋(元ザ・ダイナマイツ)との名盤共作アルバム『フレンズ』(日本ビクター, 1971.6)とアシッド・フォークの傑作アルバム『眠りからさめて』(デンオン/マッシュルーム, 1971.11.25)を発表するとともにいっそう実力派シンガーとしての才能を開花させ、成田氏も5年前にバンド唯一の故人となりましたが、成田氏と石間氏の原点となったバンドというだけでもビーバーズの存在は語り継がれていくでしょう。成田賢氏ののちの異色作に、まだテレビドラマやテレビCMの仕事が多かった初期のゴダイゴの4枚目のシングルで、大林宣彦監督作『ハウス』の主題歌として成田氏をヴォーカルに迎えたこの曲があります。青春ホラー映画の画期作と目される大ヒット作のその映画主題歌がゴダイゴの演奏・成田氏のヴォーカルとは意外と見落とされているのではないでしょうか。
ゴダイゴ・フィーチャリング・成田賢 - ハウスのふたり -ハウス・愛のテーマ- (作詞・橋本淳/作曲・小林亜星) (日本コロムビア YK-87-AX, Single A-Side,1977.6.1) - 5:32 :  

 このセカンド・シングル「君なき世界 c/w ホワイ・ベイビー・ホワイ」は昭和42年11月という早い時期に、天翔けるようなツイン・ギターとツイン・ヴォーカルで完成度の高いサイケデリック・ロック・チューンを達成した傑作AB面シングルで、作者の醍樹弦はスパイダースのかまやつひろし氏の仮名です。A面「君なき世界」はアレンジによっては歌謡GSになってもおかしくないようなメロディアスな楽曲ですが、「〽️そんなそんな、あまりにも残酷な」の部分転調はロックの作曲家かまやつ氏ならではの発想で、かまやつ氏得意のビート・ナンバーのB面「ホワイ・ベイビー・ホワイ」ともビーバーズ自身の優れたアレンジ力と演奏力が光り、続く昭和42年といえばジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」がレコード大賞を、また寺内タケシとバニーズの『レッツ・ゴー「運命」』がレコード大賞企画賞を受賞した年にして、同年2月シングル・デビューのタイガースはシングル3枚、アルバム1作でGS第二世代のトップに立とうとしていた頃で、ちょうどGS第一世代のスパイダース、ブルー・コメッツやワイルドワンズと、より若い第二世代GSの転換期でした。この「君なき世界」が最新のR&Bやサイケデリック・ロックにアプローチして実力派の名を誇ったモップスやゴールデン・カップスのデビュー(カップスは昭和42年6月、モップスは昭和42年11月)とすでに同時期と思うと、ブレインについたかまやつ氏、そしてビーバーズの先駆性と力量を知らしめてあまりあります。

 ビーバーズは最初の3枚のシングルと唯一のアルバム『ビバ!ビーバーズ!』までが良くて、アルバム発表後の2枚のシングルはB面こそ石間氏のオリジナル曲、ムーディー・ブルースの日本語詞カヴァーこそ聴きものですが、「愛しのサンタマリア」はオーケストラを被せたなかにし礼・村井邦彦コンビのGS歌謡、また「泣かないで泣かないで」は橋本淳・すぎやまこういちコンビのクラシック調GS歌謡と、急激に歌謡GSへの転換を迫られてしまいます。ビーバーズは第二世代のGSとしては各メンバーのキャリアも結成も早く、昭和42年7月デビューは2月デビューのタイガースの5か月後、6月デビューのジャガーズやカーナビーツの翌月です。しかしタイガースはもちろん、地味な実力派のビーバーズはジャガーズやカーナビーツほどの華もなく、最少の3枚のシングルではアレンジの奮いようのある佳曲に恵まれながらも、ジャガーズが「君に会いたい」「ダンシング・ロンリー・ナイト」「マドモアゼル・ブルース」、カーナビーツが「好きさ好きさ好きさ」「恋をしようよジェニー」「オーケイ!」とヒットを連発したようにはブレイクには結びつきませんでした。バンドとしての力量は色気のある岡本信(ジャガーズ)やアイ高野と臼井啓吉のツイン・ヴォーカルに匹敵する成田賢と早瀬雅男のツイン・ヴォーカル、力量あるリズム・セクション、沖津ひさゆきと宮崎こういち(ジャガーズ)、越川ヒロシと喜多村次郎(カーナビーツ)のツイン・ギターを凌駕するとさえ言える石間秀樹と平井正之のツイン・ギターは「君なき世界 c/w ホワイ・ベイビー・ホワイ」で聴ける通りで、ビーバーズのライヴには石間秀樹のギター奏法を学ぼうとアマチュア・バンドのギタリストのみならずプロ・ミュージシャンのギタリストまで集まったそうです。ヤードバーズ時代のジェフ・ベックのレコードに学んだ奏法はジャガーズの沖津氏にも顕著でしたが、石間氏の咀嚼力と力量は沖津氏以上にジェフ・ベックの奏法を摂取し、さらに強烈な個性に踏みこんだものでした。もっとも後年の石間氏はビーバーズ時代のジェフ・ベックからの影響について「最新のスタイルで流行ってたから演っていただけ」と軽く流していますが、寺内タケシ系でもなく加瀬邦彦さんのようなフォーク・ロック系でもなしに、真っ向から革新的なヤードバーズに挑んで最高の成果を上げたのは石間氏以上の存在はいません。

 アルバム『ビバ!ビーバーズ』は既発シングルからの5曲にカヴァー7曲を録り下ろしたものですが、ストーンズの「She's A Rainbow」やビージーズの「Women」もサイケデリックなツイン・ギターにアレンジされ、ヤードバーズの「I'm A Man」「Over Under Sideways Down」では原曲からさらに発展させた奔放なアドリブを聴くことができます。ツイン・ギターの絡みはビートルズ以降多くのビート・グループの取った編成ですが、リード・ギターとサイド・ギターという役割分担を越えて、ツイン・リード・ギターに到達したのは日本ではビーバーズが初めてだったと言われます。意欲的な佳作シングル3枚、傑作アルバム1作までのビーバーズは少女ファンを惹きつけるアイドル性をあまりに欠いていたからか、アルバム以降のシングル2枚では村井邦彦、すぎやまこういち提供曲のGS歌謡に追いやられてしまいますが、シングルB面の石間秀樹のオリジナル曲、アルバムとは別テイク(アルバムでは英語詞のままでした)の「サテンの夜」はビーバーズ最後の抵抗でした。ビーバーズ音源は全12曲のアルバムに、アルバム未収録シングル曲5曲を加えた全17曲のコンプリート盤がCD再発されていますが、本格的な洋楽指向を打ち出しながらアイドル的な人気にも十分なヒットにも恵まれなかった不遇なキャリアでは、昭和42年1月デビュー、シングル6枚・アルバム1作(昭和42年11月)をリリースしながらもまったく商業的成功を収めなかったアウト・キャスト、昭和42年2月デビュー、シングル7枚をリリースしつつもアルバム・リリースにこぎ着けなかったリンド&ザ・リンダーズと並ぶ存在です。名曲「君なき世界」「ホワイ・ベイビー・ホワイ」を収録した、数ある日本の'60年代ロック ≒ グループ・サウンズのアルバムでも上位に上がるビーバーズ唯一作『ビバ!ビーバーズ!』(King SKK-42, 1968.6.10)をぜひお聴きください。
『ビバ!ビーバーズ!』(King SKK-42, 1968.6.10) + 5 Bonus Tracks :