GS名曲秘宝(1)寺内タケシとバニーズ「悪魔のベビー」「レッツゴー運命」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

寺内タケシとバニーズ - 悪魔のベビー (Seven Seas, 1967)
寺内タケシとバニーズ - 悪魔のベビー (作詞・ささきひろし/作編曲・寺内タケシ) (Seven Seas HIT-713, August 1, 1967) - 2:38

寺内タケシ - lead guitar
黒沢博 - guitar
鈴木義之 - guitar
萩野達也 - organ
小野肇 - bass guitar
井上正 - drums, vocal'

 昭和41年(1966年)12月にシングル「テリーのテーマ c/w テスト・ドライバー」でデビューした、「エレキの神様」寺内タケシ(1939-2021)が昭和37年(1962年)から率いていた寺内タケシとブルージーンズからリーダーみずから脱退して結成した新バンド、寺内タケシとバニーズによる6枚目のシングル「悪魔のベビー」(昭和42年/1967年8月)ほど振り切れた曲はありません。寺内タケシとバニーズは昭和43年(1968年)9月までに13枚のシングル、4枚のアルバムを残してリーダーの寺内タケシ氏は再結成ブルージーンズ(寺内氏没後も続くこのバンドは、多くのメンバー・チェンジを経て寺内氏のライフワークになりました)のために脱退して「萩野達也とバニーズ」となり、昭和46年(1971年)10月までに寺内氏のゲスト参加シングルを含めて8枚のシングル、1枚のアルバムを残したソフト・ロック・グループに転身しました。寺内氏脱退後のソフト・ロック化したバニーズは本家寺内氏の復活ブルージーンズにファンを奪われ人気、評価ともに下降しましたが、1990年代のソフト・ロック再評価以降にようやく評価を集めるようになります。

 しかし寺内氏という巨大な存在をなんとご紹介すればいいのでしょうか。戦時下の子供時代にクラシック・ギターにマイクを内蔵させ「エレキギターは俺の発明。レスポールより早い」、「エレキ・インストはベンチャーズより俺の方が早いし上手い。世界中のギタリストは俺のコピーだ。ジェフ・ベックも俺を尊敬してる」(大意)などなど、寺内氏の名言を引けばきりがありません。ビートルズ来日公演の前座出演直前にリーダーみずからブルージーンズを脱退して結成されたバニーズは、勃興しつつあったグループ・サウンズへの寺内氏の回答でした(ブルージーンズも専属ヴォーカリストに内田祐也氏を擁していましたが)。寺内氏をまっ先に「尊敬する人」に上げる若手メンバーを集め、スパルタ式の合宿訓練で短期間に鍛え上げられた寺内氏率いるバニーズは、インストとヴォーカル曲半々のアルバム第一作『バニーズ登場!レッツ・ゴー・寺内タケシ』(King, 1966.12)、民謡・長唄など日本の伝承曲をエレキ化したアルバム第二作『正調寺内節』(King, 1967.3)、ジャズ曲やスタンダード曲をエレキ化したアルバム第三作『世界はテリーを待っている』(King, 1967.6)と3か月1作ペースでアルバムを連発し、全曲クラシック曲のエレキ化に挑んだアルバム第四作『レッツ・ゴー「運命」』(King, 1967.9)はセンセーショナルな話題を呼び30万枚(!)を越える大ヒット(当時LPレコードは100枚単位でプレスされていた時代です)、ヨーロッパ盤も大反響を呼び西ドイツでは優秀アルバム賞を受賞、日本でもレコード大賞企画賞を受賞します(この年のレコード大賞はジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」でした)。1967年12月にアルバム未収録シングル中心のベスト盤を挟んで、寺内氏はライヴ盤のアルバム第五作『バニーズ・ゴールデン・コンサート』(King, 1968.4)を最後に脱退します。寺内氏在籍時の活動は実質的に1年強、アルバム未収録シングル集のベスト盤を含む六作のアルバムはいずれも当時のギター少年の教則本レコードとして熱心に聴かれたと伝えられます。
寺内タケシとバニーズ - 運命 (作曲・ベートーヴェン/編曲・寺内タケシ) c/w 未完成 (作曲・シューベルト/編曲・寺内タケシ) (Seven Seas HIT-715, October 1, 1967) - 5:17


 寺内氏がグループ・サウンズと接点を持ったのはたった1年強のバニーズ時代と言ってよいのですが、さてバニーズをいわゆるGSと呼んでいいものか、古今東西の音楽をすべてエレキ化してしまう寺内氏のコンセプトはインスト・グループのブルージーンズでもっとも発揮されたものですが、基本的にはバニーズも同じです。そういう意味で寺内氏はベンチャーズはもとよりハービー・マンやカルロス・サンタナと同じタイプのミュージシャンと言ってよく、バニーズ時代にはレパートリーにビート・グループを視野に入れていたというだけの違いとも言えます。エレキ星人・寺内氏の音楽は「寺内タケシ」というひとつのジャンルだったと考えた方がすっきりします。今回ご紹介したシングル「悪魔のベビー」(プレスによってタイトルのロゴ違い、デザイン違い、「悪魔のベイビー」とのタイトル違いがあり、またアンプに隠れて遊ぶ子供たちはこの曲のプロモーションMV撮影の際に撮影されたそうです)はバニーズとしてはもっともグループ・サウンズ的な名曲ですが(B面の名曲「ストップ」の試聴リンクがないためご紹介できないのが残念で、両A面と言っていいほど強力なナンバーです)、この「悪魔のベビー」は通常の意味の名曲名演を越えて、度を超えた異次元空間にリスナーを誘います。ファズやディストーションどころではない轟音エレクトリック・ギター、ハウリングを起こしているようなひっくり返るヴォーカルは宇宙人が自動翻訳機で歌っているようなほど異様で、これが有名クラシック曲のエレキ化アルバム『レッツ・ゴー「運命」』(翌月発売)と連続して録音されたと思うとクラクラします。シングル・カットされた(シングルも大ヒット)「運命」「未完成」以外も全12曲、「白鳥の湖」「ペルシャの市場にて」「熊蜂の飛行」「ショパンのノクターン」「剣の舞」「ハンガリー舞踏曲第5番」「カルメン」「ドナウ川のさざなみ」「或る晴れた日に」「エリーゼのために」を収めた、ジャケット(シングルと同ジャケット)もキッチュな『レッツ・ゴー「運命」』は全編度を越したディストーション・ギターが駆けめぐる名盤で、「悪魔のベビー」同様リーダーの寺内氏始めメンバー全員、脳内麻薬の分泌のままに一糸乱れず暴走しているような、聴き終えたリスナーの思考をイナゴの大群が、または巨大ブルドーザーが通過したかのように更地にしてしまう恐るべきアルバムです。筆者は妻子持ちだった頃、料理や家事のBGMに『レッツ・ゴー「運命」』をよく聴きましたが、娘たちからは「パパそんな音楽止めてよ!」、前妻からは「何てバカな音楽なの!」と吐き捨てるように嫌がられました。GSを笑う者はGSに泣く。しかしバニーズを笑う者は決してバニーズに泣くことに転じるとは思えないので、その意味でも寺さんのバニーズは不朽です。55年前に雑音と呼ばれたビートルズは今では世界中で愛されるポップスです。しかし寺内タケシさんの音楽は今なおぶっ飛んだエレキ・サウンドで、どちらが偉大かは言うまでもありません。