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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 音楽への想いはその時々の自分の心理状況や周囲の環境が影響すると思いますか?

 アメリカに住んでいたまだ若い頃に、ハイウエイを車で飛ばしている時など口ずさむ音楽がありました。皆さんならどんな曲を口ずさみますか?ジャズですか、カントリーウェスタンですか、フォークミュージックですか、ポップですか、クラシックですか、ブルースじゃないですよね。

ハイウエイ

 私はフォークとかポップとかクラシックでした。当時流行っていたフォークやポップが殆どでしたが、クラシックもよく口ずさんでいました。

 そんな時に私の心に現れるのがモーツアルトの曲です。何故だろうといつも思いました。私がモーツアルトが好きだからでしょうか。アメリカにいるのだからドボルザークの「新世界」の方が相応しいと思うんですが。

 モーツアルトが小さな子供の頃から悪路を馬車に揺られてヨーロッパじゅうを旅したからでしょうか。少年時代に2度イタリア旅行をし、青年時代にパリにも行っています。音楽家は旅しないと駄目だとも言ってますが、彼自身12歳までの日々の47%は旅行に費やしています。35歳の短い生涯のうち29%は旅行です。

 私はアメリカから帰国したらもう一生帰って来られないと覚悟していました。今では考えられませんが、海外旅行は自由化されていなかったのです。1ドルが360円の時代です。

 ちょっと面白い動画を見つけましたので載せて置きましょう。一時流行った「のだめカンタービレ」からモーツアルトのトルコ行進曲とキラキラ星変奏曲です(勿論、演奏は吹き替えです)。このドラマは結構クラシック愛好者のすそ野を広げたそうです。





 結婚して以来30年間位、妻がピアノを弾く以外は、彼女もチェロを、私もヴァイオリンを弾くのを止めていました。アメリカではレコードを図書館から借りてきてもプレーヤーがないので聴けません。帰国する医学留学生から貰った小さなラジオだけです。オンボロの自動車に付いているラジオで音楽に接していました。

 音楽から離れていても、好きな作曲家は好きなんですよね。それにモーツアルトの音楽が最も口ずさみやすいそうです。妻がミネソタにいた昔のこと忘れていくというので、私も同様ですが、突然音楽のことを思い出した訳です。



 Viosan の「ミネソタの遠い日々」

1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
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 和泉多摩川と登戸の間に構築されている二ケ領の堰から見た多摩川の夕景です。また下手な水彩画になりましたが、イメージと現実の絵とは大きなギャップがあります。一応多摩川を題材にした3枚目の最後です。

夕日


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1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ

 コーヒーを入れようと、台所へ行き、ふと窓の外を見たら、上を向いている一匹の猫を発見。


cat01  コーヒーを入れるのも忘れて、台所の網戸越しに猫の行動を眺めていた。この辺じゃ見かけない綺麗な毛並みの猫である。時々我が家の庭を走り抜けて行く猫とも違う。


 ご近所の奥さんがグレーのトラ柄でお腹が白い猫をリードを付けて朝夕に散歩させているのとも違う。この猫は綺麗な毛並みで品があるが、警戒心が強い。


 猫が見上げている家は留守がちで、家人が時々帰ってくる。猫が好奇心を示しているものが何だか判らない。木が茂っているので鳥の巣だろうか。しかし小鳥の声も聞こえない。

cat02  余り真剣に見上げているので、「猫ちゃん、何を見ているの?」って、つい大声で網戸越しに声をかけた。一瞬、振り返り、こちらを見るが、また上方をじっと見ている。


茂み  面白いので、網戸越しに写真を数枚取ってみた。上の方に何があるのかいまだに判らす仕舞い。猫の行動は女性と同じで時々理解不能だから面白い。


 暫くすると自転車に乗った男性が来て、猫は慌てて逃げて行った。



cat04  猫には、人間に近づかない猫と、甘えて寄って来る猫がいる。同じ日に楽譜のコピーをとりに駅前のコンビニへ行った。入口前の広場に茶と黒の変わった猫がちょこんと座っている。声をかけたら、近寄って来て、脚にスリスリする。


 こうゆうタイプの猫を鬱陶しいと思う人と可愛いと思う人がいるでしょう。さて、あなたはどちらですか?

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 運転免許を初めて取得したのは23歳だったから、もううん十年前になる。それまで私の眼は左が極端な遠視だったので、免許取得は駄目でした。当時交通法が改正されて、両眼で0.7以上で取得できるようになった。それ以来、更新するたびに視力の問題ですったもんだしてきた。


 欧米では0.5以上だと思うが、日本語では画数が多く判読し難い。アルファベットなら画数が少ないから0.5もあれば充分である。日本人は言葉でなく、葉で生きているようなものだ。同音意義語(英語でHOMONYM)が茶苦茶多い。この日本語だって画数が多い。同音意義語は名前がいい例だ。最近子供に変な名前を付けるけど、漢字が読めないだけで、音かカタカナにすれば同じ名前になる。例えば「ヒロコ」は少なくとも10個の異なる漢字名があるが、みなヒロコである。


 若い頃にメガネ屋で眼鏡を作ってもらった。メガネ屋の女主人は左目だけ強い遠視の眼鏡を作った。但し理屈は合っていても、実際にその眼鏡をかけたら階段を降りれないのだ。

                <成城署-ウイキペディヤより>
成城警察署  以来、更新のたびに警察の窓口で大騒ぎになる。こちらが悪いのだから仕方ない。そのうち左目は諦めて右目で視野検査をお願いしやっと更新出来た。6年前の更新の時に右目も怪しくなってきて、更新できずに流してしまった。この時は成城警察署の視覚検査担当の女性検査官から自宅に電話があり今後の対応について話してもらい大変にお世話になった。


 直ぐに、ある眼科医のお世話になった。眼鏡を作ってもらい、左目には同時にコンタクトを入れる。両眼で0.7以上で無事更新できた。


 先日警察署へ更新に行った。ところが、左目がアレルギーを起こしコンタクトが使えない。片目で、後は視野検査で済ませようと思ったら、いきなり「裸眼で検査します」って言うので、「何で?眼鏡使用でいいんだけど」って告げると、「いや、自動二輪が裸眼でもいいからです」


 すったもんだの挙句、自動二輪も眼鏡使用にしてもらう。警察署の皆さんには大変ご迷惑をおかけしたが、視野検査をやってもらいOKになった。


 左目の遠視は白内障の手術みたいに眼内レンズを入れれば治るのだけども、白内障でもないのに手術するにはどうかと思っている。当面、更新はしんどいのを覚悟しなけりゃと思う。


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ぶどう房  昨日ひどい雨の中、東京の方南町のイタリア・レストラン「葡萄房」へ行きました。


 10年以上前からここで催されている室内楽のプライベートな音楽会です。奏者は日フィルOBを中心としたカルテットのグループで、妻のノッコがトラで出ている昭和大学オケを指揮しているビオラ奏者や親交のあるプロのチェリストなどで、我々とは仲のいい人達です。


プログラム  曲目はモーツアルトとブラームス。モーツアルトの小気味よさやブラームスの重厚な音が流れるいい演奏でした。


 終わって帰り際に奏者に挨拶したり、談笑したり、来場者の中には知り合いもいたりして何気なく店を出ました。新宿で丸ノ内線から小田急線に乗り換えたのですが、突然妻が「お金払うの忘れた!」と叫びました。引き返すのには時間がかかるし、息子のチャオと夕食の約束があったので、成城学園前駅で待ち合わせしていました。仕方なく次の日に銀行振り込みで処理しようと決めました。


 レストランなどで支払いをしないで出てきてしまったのは初めてです。正に無銭飲食ですね、いや有銭飲食かな。

エレーヴ  息子と成城学園前駅で落ち合い、駅ビル二階のレストランに行き、牛頬肉のシチューを頼みました。しかし一向に出てこないのです。気の短い人なら諦めて帰ってしまいそうなくらい長い時間です。やっと出て来たら、これが美味しこと、この上なしなのです。


 「デザートは如何しますか?」との給仕の声に、「私はカプチーノ、奥様はブレンドコーヒー、それからこちらはカプチーノのアイス」

「えっ、カプチーノのアイスってあるの?」


 給仕も「それはちょっと・・・・」と言葉を濁す。「だってメニューに乗ってるよ」と給仕に見せた。彼は「ちょっとお待ちください」と言って厨房へいく。「出来なきゃ、アイスコーヒーでいいよ」と叫んだ。若い給仕と飲み物担当の女の子と三人でひそひそとやっている。暫くして出て来たのは氷にミルクとその上にコーヒーが乗ったカプチーノとは似て非なる代物だった。


 「もおうカプチーノのアイスなんてメニューから削除しておいた方がいいよ」と忠告して店を出た。

 今日は変てこりんな一日でありました。


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