3 監護権の必要性について。
① まず、監護権という言葉が非常にあいまいなので、言葉を定義しておく。
監護権とは、民法820条に基づくもので親権者が有する「社会的責務とでもいうべきものである」。(乙第3号証211頁下から10行目)。
講学上は、身上監護権とも呼ばれる。
監護権者とは、監護権を有する者である。
監護とは、未成年の子供の世話を実際に行うことである。
監護者とは、未成年の子供の世話を実際に行う者である。
② 監護権の具体的内容としては、講学上、①居所指定権、②懲戒権、③職業許可権、④第三者に対する妨害排除請求権、⑤身分上の行為の代理権が挙げられている。(乙第3号証212頁)。しかし、これらは、監護権も含んだ完全な親権を、講学上、分類するにあたって、財産管理権と身上監護権という類型を用意して、無理に当てはめた結果である。
つまり、親権と監護権の分属を想定していないために、⑤の「身分上の行為の代理権」については、身上監護権には含まず、親権者の権能であると裁判上結果が出ているにもかかわらず、講学上は、いまだに身上監護権に分類されている。
つまり、「親権中の監護権」と「親権から分属した監護権」とは似て非なるものであり、「親権から分属した監護権」に、「講学上の身上監護権」がすべて含まれるわけではない。
③ また、監護権の内容自体が、「法律には定められておらず、争いがあります」。(甲第24号証)。つまり、非常にあいまいであり、結局、民法第766条、第820条の解釈から始める必要がある。
④ 情報公開制度においては、開示請求者が、監護者であることや監護権者であることは問われていない。
⑤ 被告は、原告に監護権がないことを主張するが、そもそも、実際に手元で監護しているのでれば、原告の子が田川市においてどのような保育をされているのか等の情報を情報公開請求などをすることなく、保育所等から直接得ることができるのであり、情報公開請求を行う必要もない。つまり、情報公開制度は非監護親であるからこそ必要な制度なのである。原告を非監護親権者であると決めつけて非開示とする被告の主張は失当である。
⑥ 原告と原告の妻は、双方ともに子の親である。よって、監護権の有無、監護の有無又は男女の性差などによって、情報公開制度の開示か不開示かを決定するということは憲法第14条の法の下の平等に反する。もちろん、合理的な区別は許されるものであるが、監護権の有無によって区別することが合理的な区別になるかどうかについては、情報公開訴訟においては、行政庁が立証責任を負うことからして、明確に立証してもらいたい。
⑦ 被告は、原告の監護権を否定することに熱心であるが、仮に原告の監護権が否定されたとしても、本件公開対象情報が、原告の子(サド子供)の「生命、健康、生活又は財産を保護するため、開示することが必要であると認められる情報」であることには変わりない。
⑧ 原告は未だ婚姻中であるので、親権を主張できるし、監護権を主張することもできる。
⑨ では、離婚して、監護権を失えば、本件公開対象情報の必要が無くなるかと言えばそのようなことはない。監護権を失ったと言っても、それは、表面上のことであり、親として子に対する責任は継続しているのである。
離婚後の親権と監護権の分属の事案についていえば、「相手方は、親権者として事件本人を直接監護・養育することがなくとも、親権者としての立場で、事件本人の健全な成長を希求しつつ申立人が事件本人を監護・養育するのを見守つてゆき、もし将来の事情の変動により事件本人の監護・養育に不適当な事情が生じたならば必要な措置をとるというのも、親権というものが子の福祉のためのものであることからいつて、親権者である父親としての一つのあり方ではないかと考えられる。」(福島家庭裁判所白河支部昭和42年6月29日審判)ということになる。また、「親権と監護権の分属により、父母双方が子の養育についての共同責任を負担していることを自覚させ、子の福祉の観点から、父母の監護養育責任と協力の必要性を強調する」(甲第25号証)ことで、子の福祉を図るのである。
親として子に対する責任は、子の利益のためにも、剥奪されない。
親としての責任が、離婚後においても、継続して存続することは、離婚後においても、親権者変更(民法第819条第6項)や監護者変更の手続きを行うことができることからも明らかである。
そして、そのような手続きを行う場合とは、監護状況に問題がある場合である。ところが、一般的に、非監護親は、監護親から、監護状況についての情報提供は望めない。
とすれば、一体どのような方法で適切な監護が行われているかを確認すればよいのか。実の子とはいえ、見守るようなことをしていれば、ストーカー扱いされる世の中である。そのよう行為を継続すれば、面会交流の審判で面会交流を制限するための事情として勘案されることが多い。
⑩ 考えられる方法としては、順序が逆であるが、親権者変更の審判等を 申し立てることで、家庭裁判所調査官の調査により、監護状況を確認してもうことが期待できる。申立てにあたっては、申立の理由が必要であるが、監護状況を確認するためという理由は、あり得ないであろう。建前上の申立て理由を記載することになるだろうが、そのような利用のされ方は制度の本旨ではなかろう。また、申立費用が軽微であることを考えれば、片親による連れ去り問題が増加の一途をたどる中、家庭裁判所の負担が重くなりすぎるであろう。
⑪ となると、やはり情報公開制度を適切に運用することで解決していくことが望ましい。
そして、情報開示請求者には、親権も監護権も必要なく、子の親であるという事実さえあれば十分である。さらにいえば、親でなくともたとえば祖父母等の身内でも監護者になりうるわけであるから、第三者であっても問題ない。
開示するかどうかは、法務省基準に従い「個別の事案に応じた慎重な検討」を行えばよいのである。
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① まず、監護権という言葉が非常にあいまいなので、言葉を定義しておく。
監護権とは、民法820条に基づくもので親権者が有する「社会的責務とでもいうべきものである」。(乙第3号証211頁下から10行目)。
講学上は、身上監護権とも呼ばれる。
監護権者とは、監護権を有する者である。
監護とは、未成年の子供の世話を実際に行うことである。
監護者とは、未成年の子供の世話を実際に行う者である。
② 監護権の具体的内容としては、講学上、①居所指定権、②懲戒権、③職業許可権、④第三者に対する妨害排除請求権、⑤身分上の行為の代理権が挙げられている。(乙第3号証212頁)。しかし、これらは、監護権も含んだ完全な親権を、講学上、分類するにあたって、財産管理権と身上監護権という類型を用意して、無理に当てはめた結果である。
つまり、親権と監護権の分属を想定していないために、⑤の「身分上の行為の代理権」については、身上監護権には含まず、親権者の権能であると裁判上結果が出ているにもかかわらず、講学上は、いまだに身上監護権に分類されている。
つまり、「親権中の監護権」と「親権から分属した監護権」とは似て非なるものであり、「親権から分属した監護権」に、「講学上の身上監護権」がすべて含まれるわけではない。
③ また、監護権の内容自体が、「法律には定められておらず、争いがあります」。(甲第24号証)。つまり、非常にあいまいであり、結局、民法第766条、第820条の解釈から始める必要がある。
④ 情報公開制度においては、開示請求者が、監護者であることや監護権者であることは問われていない。
⑤ 被告は、原告に監護権がないことを主張するが、そもそも、実際に手元で監護しているのでれば、原告の子が田川市においてどのような保育をされているのか等の情報を情報公開請求などをすることなく、保育所等から直接得ることができるのであり、情報公開請求を行う必要もない。つまり、情報公開制度は非監護親であるからこそ必要な制度なのである。原告を非監護親権者であると決めつけて非開示とする被告の主張は失当である。
⑥ 原告と原告の妻は、双方ともに子の親である。よって、監護権の有無、監護の有無又は男女の性差などによって、情報公開制度の開示か不開示かを決定するということは憲法第14条の法の下の平等に反する。もちろん、合理的な区別は許されるものであるが、監護権の有無によって区別することが合理的な区別になるかどうかについては、情報公開訴訟においては、行政庁が立証責任を負うことからして、明確に立証してもらいたい。
⑦ 被告は、原告の監護権を否定することに熱心であるが、仮に原告の監護権が否定されたとしても、本件公開対象情報が、原告の子(サド子供)の「生命、健康、生活又は財産を保護するため、開示することが必要であると認められる情報」であることには変わりない。
⑧ 原告は未だ婚姻中であるので、親権を主張できるし、監護権を主張することもできる。
⑨ では、離婚して、監護権を失えば、本件公開対象情報の必要が無くなるかと言えばそのようなことはない。監護権を失ったと言っても、それは、表面上のことであり、親として子に対する責任は継続しているのである。
離婚後の親権と監護権の分属の事案についていえば、「相手方は、親権者として事件本人を直接監護・養育することがなくとも、親権者としての立場で、事件本人の健全な成長を希求しつつ申立人が事件本人を監護・養育するのを見守つてゆき、もし将来の事情の変動により事件本人の監護・養育に不適当な事情が生じたならば必要な措置をとるというのも、親権というものが子の福祉のためのものであることからいつて、親権者である父親としての一つのあり方ではないかと考えられる。」(福島家庭裁判所白河支部昭和42年6月29日審判)ということになる。また、「親権と監護権の分属により、父母双方が子の養育についての共同責任を負担していることを自覚させ、子の福祉の観点から、父母の監護養育責任と協力の必要性を強調する」(甲第25号証)ことで、子の福祉を図るのである。
親として子に対する責任は、子の利益のためにも、剥奪されない。
親としての責任が、離婚後においても、継続して存続することは、離婚後においても、親権者変更(民法第819条第6項)や監護者変更の手続きを行うことができることからも明らかである。
そして、そのような手続きを行う場合とは、監護状況に問題がある場合である。ところが、一般的に、非監護親は、監護親から、監護状況についての情報提供は望めない。
とすれば、一体どのような方法で適切な監護が行われているかを確認すればよいのか。実の子とはいえ、見守るようなことをしていれば、ストーカー扱いされる世の中である。そのよう行為を継続すれば、面会交流の審判で面会交流を制限するための事情として勘案されることが多い。
⑩ 考えられる方法としては、順序が逆であるが、親権者変更の審判等を 申し立てることで、家庭裁判所調査官の調査により、監護状況を確認してもうことが期待できる。申立てにあたっては、申立の理由が必要であるが、監護状況を確認するためという理由は、あり得ないであろう。建前上の申立て理由を記載することになるだろうが、そのような利用のされ方は制度の本旨ではなかろう。また、申立費用が軽微であることを考えれば、片親による連れ去り問題が増加の一途をたどる中、家庭裁判所の負担が重くなりすぎるであろう。
⑪ となると、やはり情報公開制度を適切に運用することで解決していくことが望ましい。
そして、情報開示請求者には、親権も監護権も必要なく、子の親であるという事実さえあれば十分である。さらにいえば、親でなくともたとえば祖父母等の身内でも監護者になりうるわけであるから、第三者であっても問題ない。
開示するかどうかは、法務省基準に従い「個別の事案に応じた慎重な検討」を行えばよいのである。
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