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元広島ではたらく社長のblog

六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

『SOSの猿』伊坂幸太郎 文春文庫を読んだ。


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伊坂さんを解決!ビフォアアフター風に言うと『伏線の魔術師』

物語に散りばめられた伏線がクライマックスに行くにしたがって、ひょこっひょこっと、気持ちのいいほど繋がって大団円を向かえる。

見落としている伏線がないか?一件関係ないエピソードや人物、登場人物の何気ない一言に気を使って読むのは、疲れる、ということはなく意外と楽しい。

結局、深読みしすぎて、なんてこともあるけど。それもまた楽し。


今回は、『自分お話』と『猿の話』が交互に出てくる構成。猿の話は、株の誤発注事件を調べる男と孫悟空、西遊記の面々が出てくる奇怪な話。個々の会話やアイテムが伏線でなく、『猿の話』自体が伏線のよう。伏線にしては太すぎる。

一方、知り合いの息子の引きこもり解決に乗り出す『悪魔祓い』の私の話が同時並行する。

やがて、共通の人物、共通の場所が出てくるが、微妙に時間軸のズレや出来事のズレが出てくる。


一瞬、どこかで飛ばしたか、読み間違え?記憶違い?


少し自分の読解力に自信がなくなる。

しかし、3分の1を残すところで、物語が一気に収斂していく。

前半に星のごとく散りばめられた伏線が、自分を目指して夜空から次々に落ちてくる。

そして、物語は終わる。

にくいよ、この!この!この!


これまで読んだものと雰囲気が違うけど、やっぱりハズレなしの面白さでした。


さて、株の誤発注事件等を題材にし、その原因を調べる登場人物がいるため、巻末の参考文献には、『失敗の心理学』『なぜあの人はあやまちを認めないのか』といった本の中に


『ヒューマンエラーを防ぐ技術』東京電力技術開発研究所ヒューマンファクターグループ著


というのがある。この本は2009年7月まで夕刊で連載、東日本大震災や福島原発事故が起きる前に書かれている。


伊坂さんは仙台在住の作家で震災も経験しておられる。福島の原発事故は技術的な限界もあるが、ヒューマンな要因が何重にも問題を複雑化させている。『ヒューマンエラーを防ぐ技術』は、どうやら生かせなかったようだ。皮肉なものだ。


ただしかし、今も、福島原発で、文字通り『命を懸けて』職務に就いている人たちがいる。この人たちの存在も紛れもない事実。どうぞ、みなさん頑張ってください。陰ながら応援しています。

『おどろきの中国』橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司 講談社現代新書を読んだ。


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宗教を中心とした社会学に多数の著書が有り、奥様が中国の方で、中国にも多数の知己のいる橋爪さんに対して、大澤さんと宮台さんが問うという形式で、中国を解読する。


もちろん中国を語るのに新書1冊では不十分で、テーマは、そもそも国家なのか?近代中国の成立過程、毛沢東の指導原理、文革、日本との関係、そして改革開放後の中国とこれからの日中関係について。


1970年代最後に、日本では、NHKの放送でシルクロードがブームになった。喜多郎のシンセサイザーのテーマ曲とともに、経済成長を遂げて、自然がみるみる変わった日本人にとっては、素朴でたくましく生きる中国辺境の人、そしてなによりも、質素でありながら、朗らかに生きる共産主義国中国というのが、あこがれに近い存在であった。行ってみたい旅行先に水墨画で有名な桂林が常に上位にあった時代もあった。


しかしそれが幻想であったことは、のちのちに分かる。


「大躍進政策」「文革」で振り回され、多くの人が餓死、処刑されていた。人々が共同で晴耕雨読の生活をしていると思われていた人民公社も、私が学校で習った時には既に矛盾が噴出して、なくなっていたことをあとになって知った。

そして、小平の「改革開放」後、資本主義を超える市場経済のを体現させているのが中国、そして日本との関係においては、ここ10年、惨めな憎悪の累積という状態になっている。

そうは言っても、三国志や孔子、春秋戦国時代のエピソードや、漢詩、書、水墨画など、ほぼ同じ遺伝子を持っているくらい地肉になっている存在でもある。


そして、そんな中国に対する理解と感情におけるもやもやを少し解消してくれるのが本書だ。読みながら自分の頭の中を整理するのにも役立つ。近代中国の成立なんて、正確に説明できる日本人なんてほとんどいないんじゃないだろうか?


一つ一つ感想を書くと膨大になるので、いくつか・・・


①欧米の尺度で考えてはいけない。

まずこの本の帯のキャッチコピーにもなっている「そもそも国家なのか?」の答えとして、「国民国家」「王朝と禅譲」「神と天」「統一国家と統一性」「漢字のもつ統一性」といった切り口で対談し、だけど、しっくりくる説明ができないねえという所に戻ってしまうのだが、橋爪さんは、そういうのは欧米の尺度であって、中国人自体は変だとは思っていない。と言う。それが中国なんだと。

社会主義を標榜し、資本主義を邁進しているという矛盾も、むしろ私たちが、そいういうものを理解する道具がないということだ。欧米基準の社会学ではまだまだ中国文明を理解するツールとしては未熟なのだ。


②毛沢東は皇帝?


つづく


『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』江上波夫 中公文庫を読んだ。

 私たちの受けてきた学校の歴史だと、縄文、弥生、古墳時代、大和時代となる。卑弥呼が出ると、その次は聖徳太子。授業はさっさと大化の改新に進む。戦前であれば、この前に1000年分の天皇の名前を憶えさせられたかもしれないが、記録、遺跡が少なく、様々な学説もそれを裏付ける資料に乏しく、また決定的でないため百論百出のままなのである。

ちょうど昨日、宮内庁の許可がおりて、卑弥呼の墓と言われる奈良の『箸墓古墳』が調査解禁となった。ただし、発掘はダメ等の制約があったが。研究に参加した先生たちは高齢で、なんとか生きているうちに調査が進むよう願うものである。

 そんな日本古代史の中でひと際、異彩を放つのが『騎馬民族征服王朝説』だ。名前だけは聞いていたが、具体的な本は読んだこと無かった。司馬遼太郎さんの本で散見する、彼の憧憬の対象である騎馬民族、井上靖さんの『敦煌』等に出てくる中華を脅かす西夏や吐蕃といった強力な軍事国家、そんな騎馬民族と日本人の祖先が同一と言う説、はたして、、、、

 と思っていると古本屋で『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』を見つけた。昭和59年版の紙が黄色くなっている本、350ページの図表も多いこの本が100円。たった100円で、日本古代史の最大のエンターテインメントが楽しめる。

 騎馬民族とは、人類が狩猟、牧畜、農耕、工業(基本は農業)と産業の発展段階の一つではなく、牧畜、農耕の民を襲い略奪する形態の生活様式(?)とでもいうか、それだけでは生きていけない何とも奇妙な連中なのだ。彼らが発展した場合、必ず中国や欧州(ローマ等)に、その略奪の対象となる国家(農耕民族)があり、自らは何も産しない軍事国家なのだ。イメージ悪いのだ。
 そんな連中が、日本人の祖先とは!

 説の内容は単純で、騎馬民族の特徴と古代日本にある特徴の一致、類似の例証、古代中国、朝鮮半島と日本との交渉の推測等である。私自身、日本の神話にある国津神、天津神を元々日本に居た勢力と半島から渡ってきた勢力という前提で古代史を論じた本や、渡来人の出自を探る本、広開土王碑文の解釈等、様々につまみ食いしてきたので、誰のどういう説が正しいと言うより、全てが渾然一体となって消化しているので、一つ一つの、習俗、慣習、地名等の言葉の類似を挙げられても、ヘェ~とうなづくだけだ。

 騎馬民族は後の大国モンゴルもあるが、この本に挙げられて、古代日本に渡ってきた、あるいは、その起源と考えられている騎馬民族は4つ①スキタイ②匈奴③突厥④烏桓・鮮卑。
 最古のスキタイは紀元前8世紀頃が起こり、烏桓、鮮卑の活動期が1世紀、2世紀と漢と同じ頃になる。南下した彼らが朝鮮半島から日本に渡ってきたとしてもおかしくない。その渡り方が①文字通り集団で明確な侵略意図を持って来たのか②中国の圧迫や、朝鮮半島内でのパワーゲームを避けて避難して来たのか③個人の意志で渡って来たのか④あるいは、倭人のヤマト勢力の出先である加耶、任那が半島を後にした時に連れて来た人に交じっていたのか、騎馬民族の習俗を残す人々が日本に来たことには間違いが無いだろう。

 ちなみに、韓国の歴史、最近では韓国の歴史ドラマも多いがピンと来ないのでググってみると、朝鮮の始まりは4000年以上も遡る檀君紀元というものがあるとか、実は漢字も朝鮮人が発明した、なんて奇想天外な学説がまかり通っているようなのだ。

 そしてまさに、『歴史はねつ造できてしまう』というのが、厄介な話しで、これがために、つまんない政治的な利用をされてしまうのが、どこの国の歴史にもある話しなのだ。一度文字になってしまった歴史は、そう簡単には覆すことはできない。遺伝子地図が時空を越えて人の系統を体系化できるか、あるいはタイムマシーンでこれまで生まれた人類全員を追跡調査するまで、真実はわからない。

 宮内庁の皇室に関わる古墳は調査させない。なんて態度がむしろ潔いのかもしれない。

 人類の歴史に置いて、ユーラシア大陸の砂漠と大森林の狭間に生まれた民族、南に穀物豊かに実る大国があったために偶然生まれた略奪専門の巨大軍事国家。そんな汚名に近い民族の末裔であっても、日本が平和を希求する国であることには変わりない。ということをこれからもずっと言える国でありたい。

BSで「冬の華」をやっていた。
昭和のいい俳優がたくさん出てる。
クロードチアリのギターもいいけど、チャイコフスキーが、場違いなチャイコフスキーが、胸を締め付ける。
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iPhoneからの投稿
NHKの月曜10時に、昨秋よりレギュラー化した『ファミリーヒストリー』と言う番組があり気になる回は見ている。

浅野忠信さん、余貴美子さんと見て、余さんの先祖が、台湾に渡ってきた中国まで遡り、さらにその地に余さんと同じ一族がたくさん居るというスケールの大きな話を知るに至り、それ以降はは毎回録画して見ている。

格闘家武蔵の先祖が一休さんで有名な蜷川新衛門さんだったり、南果歩さんの先祖が、朝鮮に居着く前は、唐の玄宗に仕えた官僚だったりと、先祖を調べると、日本のみならず、遠く、朝鮮半島、中国、アメリカと広がっていく様は、小さな島の領有問題を解けない現代人が嘘みたいに感じる。

余さんと、南さんは、いずれも台湾、朝鮮半島の違いはあれど、中国にルーツがある。

中国の苗字は4100種
朝鮮は250種(3カ国の苗字数は諸説あり) 
         
両方とも漢字1字(例外はあるが)のため日本のように30万も苗字があるとは違う。朝鮮ではさらに金、朴、李で人口の半分を占めるらしい。

苗字が少ないとなると、同姓の人と会うと「同じ一族か?」「同じ出自か?」といったことを考えることになるし、自然仲間意識が芽生える。番組の中でも、「族譜」という、一族の家系図兼紳士録のような分厚い立派な本が作られており、その本を見れば、はるか数百年前の先祖まで辿れたりする。
その本の装丁の見事さを考えると、朝鮮、台湾では、「族譜」ビジネスがある程度隆盛なのを感じたりするのである。日本では怪しい「家系図」作成サービス等があるが、せいぜい巻物レベルで、また、中国、韓国は夫婦別姓、日本は、母方の先祖探索は難しくなるだろう。明治以前は、身分のある人以外は苗字も無いので、日本国民のほとんどは、150年くらい遡るのが限界だろう。「ファミリーヒストリー」の番組でも、余さん、南さん以外は、明治か幕末くらいが限界のようだ。

ただ、日本人は、苗字が多いことで、中国、韓国に無いメリットもあるかもしれない。中国、朝鮮で苗字が少ないと言うことは、

ここまで書いて1ヶ月経ってしまった。
日本が近代化の過程で、同苗字、つまりこれまでのコミュニティを出て都市に人が流入し、農耕を主体とした国から工業、商業が欧米並みに発展していくところと重ねて、人の流動性と苗字の多様性を話したかったが、言葉がうまく見つからなかった。

さらに、江上波夫さんの『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』を読んで、日中朝鮮の3地域について、現代人の狭小な想像力では足りない遥かな時空の広がりの中で、又苗字については話したい。