『おどろきの中国』橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司 講談社現代新書を読んだ。
宗教を中心とした社会学に多数の著書が有り、奥様が中国の方で、中国にも多数の知己のいる橋爪さんに対して、大澤さんと宮台さんが問うという形式で、中国を解読する。
もちろん中国を語るのに新書1冊では不十分で、テーマは、そもそも国家なのか?近代中国の成立過程、毛沢東の指導原理、文革、日本との関係、そして改革開放後の中国とこれからの日中関係について。
1970年代最後に、日本では、NHKの放送でシルクロードがブームになった。喜多郎のシンセサイザーのテーマ曲とともに、経済成長を遂げて、自然がみるみる変わった日本人にとっては、素朴でたくましく生きる中国辺境の人、そしてなによりも、質素でありながら、朗らかに生きる共産主義国中国というのが、あこがれに近い存在であった。行ってみたい旅行先に水墨画で有名な桂林が常に上位にあった時代もあった。
しかしそれが幻想であったことは、のちのちに分かる。
「大躍進政策」「文革」で振り回され、多くの人が餓死、処刑されていた。人々が共同で晴耕雨読の生活をしていると思われていた人民公社も、私が学校で習った時には既に矛盾が噴出して、なくなっていたことをあとになって知った。
そして、鄧小平の「改革開放」後、資本主義を超える市場経済のを体現させているのが中国、そして日本との関係においては、ここ10年、惨めな憎悪の累積という状態になっている。
そうは言っても、三国志や孔子、春秋戦国時代のエピソードや、漢詩、書、水墨画など、ほぼ同じ遺伝子を持っているくらい地肉になっている存在でもある。
そして、そんな中国に対する理解と感情におけるもやもやを少し解消してくれるのが本書だ。読みながら自分の頭の中を整理するのにも役立つ。近代中国の成立なんて、正確に説明できる日本人なんてほとんどいないんじゃないだろうか?
一つ一つ感想を書くと膨大になるので、いくつか・・・
①欧米の尺度で考えてはいけない。
まずこの本の帯のキャッチコピーにもなっている「そもそも国家なのか?」の答えとして、「国民国家」「王朝と禅譲」「神と天」「統一国家と統一性」「漢字のもつ統一性」といった切り口で対談し、だけど、しっくりくる説明ができないねえという所に戻ってしまうのだが、橋爪さんは、そういうのは欧米の尺度であって、中国人自体は変だとは思っていない。と言う。それが中国なんだと。
社会主義を標榜し、資本主義を邁進しているという矛盾も、むしろ私たちが、そいういうものを理解する道具がないということだ。欧米基準の社会学ではまだまだ中国文明を理解するツールとしては未熟なのだ。
②毛沢東は皇帝?
つづく