『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』江上波夫 中公文庫を読んだ。
私たちの受けてきた学校の歴史だと、縄文、弥生、古墳時代、大和時代となる。卑弥呼が出ると、その次は聖徳太子。授業はさっさと大化の改新に進む。戦前であれば、この前に1000年分の天皇の名前を憶えさせられたかもしれないが、記録、遺跡が少なく、様々な学説もそれを裏付ける資料に乏しく、また決定的でないため百論百出のままなのである。
ちょうど昨日、宮内庁の許可がおりて、卑弥呼の墓と言われる奈良の『箸墓古墳』が調査解禁となった。ただし、発掘はダメ等の制約があったが。研究に参加した先生たちは高齢で、なんとか生きているうちに調査が進むよう願うものである。
そんな日本古代史の中でひと際、異彩を放つのが『騎馬民族征服王朝説』だ。名前だけは聞いていたが、具体的な本は読んだこと無かった。司馬遼太郎さんの本で散見する、彼の憧憬の対象である騎馬民族、井上靖さんの『敦煌』等に出てくる中華を脅かす西夏や吐蕃といった強力な軍事国家、そんな騎馬民族と日本人の祖先が同一と言う説、はたして、、、、
と思っていると古本屋で『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』を見つけた。昭和59年版の紙が黄色くなっている本、350ページの図表も多いこの本が100円。たった100円で、日本古代史の最大のエンターテインメントが楽しめる。
騎馬民族とは、人類が狩猟、牧畜、農耕、工業(基本は農業)と産業の発展段階の一つではなく、牧畜、農耕の民を襲い略奪する形態の生活様式(?)とでもいうか、それだけでは生きていけない何とも奇妙な連中なのだ。彼らが発展した場合、必ず中国や欧州(ローマ等)に、その略奪の対象となる国家(農耕民族)があり、自らは何も産しない軍事国家なのだ。イメージ悪いのだ。
そんな連中が、日本人の祖先とは!
説の内容は単純で、騎馬民族の特徴と古代日本にある特徴の一致、類似の例証、古代中国、朝鮮半島と日本との交渉の推測等である。私自身、日本の神話にある国津神、天津神を元々日本に居た勢力と半島から渡ってきた勢力という前提で古代史を論じた本や、渡来人の出自を探る本、広開土王碑文の解釈等、様々につまみ食いしてきたので、誰のどういう説が正しいと言うより、全てが渾然一体となって消化しているので、一つ一つの、習俗、慣習、地名等の言葉の類似を挙げられても、ヘェ~とうなづくだけだ。
騎馬民族は後の大国モンゴルもあるが、この本に挙げられて、古代日本に渡ってきた、あるいは、その起源と考えられている騎馬民族は4つ①スキタイ②匈奴③突厥④烏桓・鮮卑。
最古のスキタイは紀元前8世紀頃が起こり、烏桓、鮮卑の活動期が1世紀、2世紀と漢と同じ頃になる。南下した彼らが朝鮮半島から日本に渡ってきたとしてもおかしくない。その渡り方が①文字通り集団で明確な侵略意図を持って来たのか②中国の圧迫や、朝鮮半島内でのパワーゲームを避けて避難して来たのか③個人の意志で渡って来たのか④あるいは、倭人のヤマト勢力の出先である加耶、任那が半島を後にした時に連れて来た人に交じっていたのか、騎馬民族の習俗を残す人々が日本に来たことには間違いが無いだろう。
ちなみに、韓国の歴史、最近では韓国の歴史ドラマも多いがピンと来ないのでググってみると、朝鮮の始まりは4000年以上も遡る檀君紀元というものがあるとか、実は漢字も朝鮮人が発明した、なんて奇想天外な学説がまかり通っているようなのだ。
そしてまさに、『歴史はねつ造できてしまう』というのが、厄介な話しで、これがために、つまんない政治的な利用をされてしまうのが、どこの国の歴史にもある話しなのだ。一度文字になってしまった歴史は、そう簡単には覆すことはできない。遺伝子地図が時空を越えて人の系統を体系化できるか、あるいはタイムマシーンでこれまで生まれた人類全員を追跡調査するまで、真実はわからない。
宮内庁の皇室に関わる古墳は調査させない。なんて態度がむしろ潔いのかもしれない。
人類の歴史に置いて、ユーラシア大陸の砂漠と大森林の狭間に生まれた民族、南に穀物豊かに実る大国があったために偶然生まれた略奪専門の巨大軍事国家。そんな汚名に近い民族の末裔であっても、日本が平和を希求する国であることには変わりない。ということをこれからもずっと言える国でありたい。