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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

いつも自分に言い聞かせてる事がある。

「止まってちゃダメだ。風を起こそう!」って。

物事は良かった事でさえ、時間と共に朽ち始める。

人間関係もそうだ。

相手に頼り切り、安心し切っていると、

小さな摩擦が亀裂へと育ってしまう。

良し悪しでさえも気にせず、

揺さぶり、動かし、いつも風を吹かせるべきだ。

 

無風状態が一番怖い。「凪」は人を腐らせる。

何も起きず、ただ煮詰まって行くのを見過ごしてはいけない。

もちろん物事は、どちらに転ぶか分からない。

それを恐れて身動きせず好機を逃していては、

人生は一層煮詰まってしまう。

そして「好機」は自分で作れる。

風を起こす事だ。

小さな石ころを池に投げ込むように、

何らかのアクションを起こせば、必ず波紋は広がる。

結果は予想もつかない、が当たり前だ。

予想し、検証し、石橋を叩いてるうちに、

物事は止まってしまう。腐ってしまう。

主眼は「動かす事」。ただそれだけで良いんだ。

 

悪い事ならいくらでも起きるだろう。

ラッキーな事なんて、本当に稀だ。

だが、起きるのなら、悪い事でさえウェルカムだ。

そう思おう。

マイナスの向こう側には、必ず別の要素が潜む。

それを見つけるんだ。

例えば、家族が急病で入院したとする。

バタバタと親戚などが集まる。

そこには日頃疎遠だった人同士に交流が生まれる。

近況を報告し合い、新しい展開もあり得る。

「こんな事でもなきゃ、無かったね」って事だ。

例えば、私の父は早くに、突然事故で亡くなった。

山石家は一瞬でどん底に突き落とされた。

母は専業主婦だったが、元々才気溢れる人だった。

その後苦労したが、仕事で活躍し、自分自身を活かした人生を送った。

不幸が無ければ、成し遂げられなかった人生だ。

不幸は跳ね返すパワーを求める。

自分の新しい面を発見させる。発掘させる。

そして不幸が原因で、新しい道を模索せざるを得ず、

必要に迫られ、自然と風は起こる。

もちろん何も不幸を望む必要などないが、

どんな事にも様々な面があり、そこに着眼すれば、

良い方向へと舵は切れる、という事だ。

 

「バタフライ・エフェクト」という概念がある。

羽ばたく蝶が起こした風が、「何か」を引き起こす。連れて来る。

もちろん困った事態も考えられるが、

それでも「動き」は必ず「未来」へと繋がる。

巻き起こる様々な事態にアタフタと対処するウチに、

気がつけば別の場所に立っているだろう。

対処は道を探し、切り開く作業だ。

「もしあの時何もしなかったら、今の自分は無い」

というエピソードは、よく耳にするだろう。

全ては偶然の産物だとしても、その偶然を呼び込むのは、

風を起こそう、という君の意思だ。決意だ。

全てはそこから始まる。

 

今回は実に観念的な話しになってしまったが、

言いたいのは、

「煮詰まった時」「迷走してしまった時」「最悪な時」

そこにはチャンスが潜んでいる、と考えて欲しい。

そのためには「風を起こす」事だ。

何らかのアクションを起こし、物事を、人生を「揺さぶる」事だ。

「やっても無駄かな?」は禁句だ。

予想も要らない。(どうせ当たらない)

失う物など無い、と開き直れれば大概の事は出来る。

停滞して腐るくらいなら、動いて何が出て来るのかを見つめよう。

人生は、面白がるべきだ。

そして実際、面白い。

 

 

 

「コアなファン」の獲得とは「恋愛」と同じだ。

つまり「友達レベル」ではなく、本気の「恋人」作りだ。

コアなファンにとってそのアーティストは、

生涯を通じて愛する対象になる。

なかなかの重さだが、そうなると当然その向き合い方は、

本気でなくてはならない。

アーティストからすれば「勝手に」愛される訳だが、

そこには「本気」と「生涯」が絡むだけに、軽々しくは扱えない。

恋愛でもそうだが、いつもハッピーなわけでは無い。

わがままや勘違い、思い込みなどメンタル面のトラブルは付き物だ。

一概には言えないが、その傾向として、

アーティストに寄りかかり、精神的に依存するタイプが、

コアなファンには多い。

しかも「裏切られた」と感じれば、即去って行く。

つまりむちゃくちゃ「メンドくさい」。

しかしアーティストにとって「コアなファン」を掴む事は

活動の根幹を支える大切なファクターだ。

彼ら、彼女ら無しには、ビッグにはなれない。

コアなファンの数が常にベーシックにあり、

そこにいかに上乗せしていくか、で、

アーティストとしての「サイズ」が決まる。

階段を駆け上がる時、コアなファンは増え続ける。

が、どこかで止まる。

それまでにどれだけ掴んでおくかで、その後のアーティスト活動の

「規模」も決まる。

 

しかし実際「愛される」には理由がある。

声質、演奏力、楽曲、容姿、雰囲気、などが複雑に絡み合って、

アーティストの「魅力」が生まれる。

この魅力に「ビビっ」と反応して人は誰かのファンになる。

取っ掛かりは大概「何となく」くらいのヌルいものだ。

しかしそこからガッチリとハートを鷲掴みにするのは、

やはり「ライブの力」なのだ。

何度もここで書いているが、ライブはやはり「説得の場」だ。

言い換えれば「口説きの場」と言っても良い。

そこで口説き落として「パンツを脱がせ」れば、

コアなファンの獲得だ。

下世話な言い方だが、実際それくらいの意識が必要なんだ。

誰かを口説こうと思ったら、それなりの準備や戦術も必要。

それが、ライブだ。

狂ったチューニングで、聞き取れない発音で、

聞こえない低音、出切らない高音のままで、

意味不明の歌詞で、区別のつかない楽曲で、

中身の無いMCで、その普段着で、

説得出来るか?口説けるのか?

 

知り合いや友達で座席を埋めている間は、

こんな意識はなかなか生まれないだろう。

君に夢中になる人がこの世にはたくさんいて、

でもまだ出会っていなのだ、と思おう。

片っ端から「パンツを」脱がすんだ。

(これは犯罪では無いし、倫理的にも問題無い)

そのための「口説きの戦士」としての高い意識があれば、

道は開ける。

ネットの力もスゴイが、ライブの現場の力には及ばない。

結局は「会って」「触れて」人は夢中になる。

そして皆んなは日々その現場にいる。

だから無駄なライブは止めよう。

毎日一人でもファンをゲット出来れば、階段を駆け上がれる。

「どうすれば口説ける?」

そこを考えよう。

必要な事は、やるべき事は、自ずと見えて来るはずだし、

散々ここにも書いて来た。

彼女を、彼氏を口説き落とすのは、並大抵の事では無いが、

我々には「音楽」がある。

音楽が強力に後押ししてくれる。

少々サエない奴でもステージに上がれば、変身する。豹変出来る。

音楽のパワーは、マジックは、信じて大丈夫だ。

君は最強の「武器」を持っているのだ。

しかしただ持っているだけでは戦えない。

訓練を、修行を繰り返し、「名手」にならねば。

自由自在に「音楽」を使いこなせれば、敵はいない。

 

人は誰かに夢を見る、夢を託す。

そんな存在になるという事は、大きな責任を負う。

信じてくれる人たちを裏切らない覚悟が必要だ。

愛される責任は重い。

アーティストとして成功するとは、そういう事だ。

「パンツを脱がせた」以上、責任は取ろう。

そのための努力は、大変だがしかし苦しいだけでは無い。

多くの愛に溢れた世界に生きるの良いものだ。

それが君が夢見たエンターテイメントの世界だ。

ライブハウスは愛を掴みに行く「バトルフィールド」だ。

鍛錬し、準備し、気合を入れて臨まないと敗戦を繰り返す。

だから、意識を変えよう。覚悟を変えよう。

負けて傷付かない内は戦士じゃない。

その傷をパワーに変えるんだ。

その傷が、何を成すべきかを教えてくれる。

さあ、いざ戦場へ!

君の場所へ!

 

 

 

長年音楽の世界で暮らして来て、言える事がある。

「ミュージシャンは大概バカだ」

しかも良い意味では無く、悪い意味で。

そこに行っちゃダメだよ、って言った側からそこに行く。

それをやったら間違いなく失敗するよ、と言った側からそれをやる。

じゃ、せめてこれをやって、と言ってもそれをやらない。

少々大変でも頑張ってアソコまで行って、と言っても、行かない。

バカだ。

答えはそこにあるのに、何故掴まないんだ?

 

物事には「摂理」がある。

あるべき場所にあるべき物は収まる。

簡単に言えば、「そうなるのが当たり前だ」って話しだ。

自明の理に気付かず、有りもしない夢を、

有りもしない方法で追いかけている。

一体誰に何を聞いたんだ?

それって、ほとんど「都市伝説」だろう。

そこに真実は無い。

ただ小っぽけな、だけど君にとっては大きな「金」が動いただけだ。

人生を賭けるなら、本気で動こう。

本気で探そう。本気で選ぼう。

美しい言葉に騙されたか?

有りもしない「夢物語」を無防備に信じたのか?

 

だからもう一度言う。

ミュージシャンてバカだ。

 

物事はそんなに都合よくは動かない。

本気で取り組み、努力した者だけが「果実」を掴む。

当たり前だ。

簡単に「夢のように」掴んだサクセスストーリーは、

必ず破綻している。

役者達は、画家達は、文筆家達は、漫画家達は、フリーのデザイナー達は、

とっくに気付いている。

甘く無いんだ。

身ひとつで勝負するしか無いんだ。

これだけ「情報」が行き交う時代に、

「簡単に」があったら、社会は崩壊する。

世の中に「簡単に」が無いおかげで、、物事はまだ正常に機能している。

もっと言えば、簡単じゃ無いから夢を追えるんだ。

「朝起きたら何かの天才になってる薬」が売り出された途端、

「天才」は「凡才」に早変わりだ。

この世から「天才」は消え、同時に一攫千金も消え去る。

難しいって事に感謝して、取り組むんだ。

少なくとも21世紀初頭には、まだ「夢」は存在している。

 

音楽で飯を食いたいのなら、まずその専門家になってくれ。

当たり前過ぎて涙が出るが、

素人以下の技量で、小学生以下の音楽知識で、

何が出来る?

クラシック畑の人達は、散々子供の頃から努力して、

やっと音大に入って、さらに仲間内で競って、

それでも良くて中学の音楽の先生だ。または街角の音楽教室の講師だ。

オーケストラ入団なんて、ほんの一握りだ。ソリストは夢の夢だ。

音大出たってなかなか音楽じゃ飯は食えない。

なのに一切そんな努力はすっ飛ばして、

雰囲気で「シンガーソングライターやってます」みたいなのが、

メジャーにのし上がれるのなら、サクセスを掴めるのなら、

頑張るって何だ?努力って何だ?

「でも、そーゆー人もいますよねぇ?」

いない!

実際にはいないんだ。

のし上がった奴らは吐くほど努力したんだ。

努力してるなんて意識さえ持たないほど打ち込んで来たんだ。

だから人々の心を動かす。

だからみんなが夢中になる。

そこの当たり前に気付いて欲しい。

 

どうせ「バカ」なら、バカみたいに打ち込んでみよう。

呆れるくらいギターを弾き、ピアノを弾き倒し、

呆れるくらい何度も唄い、

呆れるくらい曲作りに没頭し、

呆れ返るような夢を本気で語るんだ。

頭の中は「次」へのプランで一杯で、

仲間を引きずり込み、ひたすら前へ進もうとする。

だがその先には必ず見えて来るモノがある。

ステージが今までとは違った世界に感じるはずだ。

表現する喜びが、宝物に感じるはずだ。

音楽の「真髄」に触れて、初めてアーティストになるんだ。

あやふやだった自分が「これしかない!」の自分へと羽ばたく瞬間を、

ぜひ、掴んで欲しい。

バカにはバカなりのやり方があるはずだ。

ただ一途に、そして真っ直ぐに。バカみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

池袋フィールドでは、毎年8月と2月にそれぞれ2日間の

集中セミナー「千本ノック」を開催している。

この夏は、8月7日(月)と8日(火)の2日間。

ボイトレを中心に、曲作り、ステージングなどをクリニックする。

それぞれ19時スタートで、22時までの3時間。

料金は、各6000円。通しなら、10000円。

申し込みは、→ikb.field@gmail.com  まで。

 

もうあまり多くは語らないが、

とにかく「他人の手」を一度借りてみよう。

アーティストは誰もが自分なりに頑張って活動しているだろううが、

そこに問題点の無い人などいない。

それはメジャーに上がろうとも同じだ。

絶えず手直し、見直し、軌道修正は必要なのだ。

メジャーにいればスタッフが必要な人材を含め用意してくれる。

だが、まだ自力で全てをこなしている皆んなには、

自分をチェックする機能が無い。

周りの人たちは色々な事を言うだろう。

様々な評価を受けてるうちに、実際どうして良いか分からなくなってしまう。

客も含め、人は勝手でいい加減な評論家だ。

なので褒めてくれる事にだけ耳を傾け、批判は聞き流す。

それはそれで構わないし、どちらかと言うと、それが正解だ。

だが、自分の中で誰に言われなくても抱える問題点はあるだろう。

その欠点やマイナス面に目をつぶったまま走り続けても、

成果は上がらない。結果は出ない。

さらに悪いのは、欠点やマイナス面に気付いていない場合だ。

自分では出来ているつもりで、評判も良いのに結果が伴わず、

「どうしてなんだろう?」と首を傾げたまま活動している人は、

当然修正しようって意思も工夫もないままだから、

いくらライブを繰り返しても動員は増えず、手応えも掴めない。

やはりそこには間違いなく「問題点」は存在するのだ。

自分の力不足にウンザリを繰り返しているのなら、

もしくはもっと上へ這い上がるガッツのある人は、

千本ノックに参加してみよう。

何が足らず、何が必要で、対処するにはどうすれば良いのか、

明確に見えて来る。

 

誰の声に耳を傾けるかを決める事、が、ある意味運命を決める。

私の事は、ここのブログを読んで評価してくれ。

そしてボイトレに関しては、「浅見昂生」というトレーナーは、

日本最高峰だ。間違い無い。

世の中にはボイトレが溢れている。

驚いた事に出演者の中でボイトレ講師をしている人も結構多い。

嫌な言い方をすれば、アーティストとして上手く行かなかった人の

「逃げ道」がボイトレ講師である事が多いのも事実。

もちろん「カラオケ・レベル」なら良いだろう。

楽しく歌う事を習うレベルまでなら。

だが、皆んなは違う。

目指す高みがあるのなら、特にボイトレはしっかり選ぼう。

プロを選ぼう。プロ中のプロを選ぼう。

ここでも何度も書いているが、歌唱は身体を使った表現方法で、

気持ちやガッツなど精神論よりも、「科学的、医学的」だ。

技術やテクニック、理論が必要な分野なのだ。

技術を理論的に身につけていないと、

今出来ている事が、日によっては出来なくなる。

そして今出来ていない事は、一生出来ない。

誰もが「自力」には限界があり、

それを乗り越えるためには「プロ」の手を借りるしかない。

 

結局長くなってしまった。

物事の多くは、後になって気付く。

だがそれでは間に合わないんだ。

そこには「後悔」が累々と残っていくだけだ。

自分を100パーセント表現するためには、

多くの努力と「自分をチェック」する勇気が必要だ。

無策に時間ばかりを無駄にするのがイヤなら、

この夏「千本ノック」に参加し、自分を変えよう。

一歩踏み出す勇気が、君の未来を作る。

戦う「心意気」のあるアーティストよ、集まれ!

 

正直唄の上手い人とそうでも無い人はいる。

やっぱり音楽なので、素敵な声で唄われると、グッと来る。

気持ち良くサビで伸びやかに唄われると、心に響く。

だが、ここに大きな落とし穴が隠れている事に

今唄に自信を持ってる人達は注意して欲しい。

 

まず、唄の上手い人達は「高音で張る」。

これが唄ってる方も、聞いてる方も気持ち良い場合もあるが、

時として、唄ってる人だけが気持ち良くなってる場合がある。

歌唱を深く掘り下げないで、とりあえず唄えちゃう人は、

大概「母音」ばかりを張るので、歌詞が聞き取れない。

そして結構「耳に痛い」声になってる事に気付かない。

いわゆる「キンキン声」だ。

これは聞いてる方はツラい。

そして「抜く」事を知らないから、

無理してちょっとでも調子を崩すとリカバリー出来ず、

ひっくり返ったり、割れたり、喉を潰したり、を引き起こし、

最後は勢いだけで乗り越えようとして、雑な印象を残す。

こういう人は好不調の波が大きく、

「今日はちょっと喉の調子が悪かった」と言い訳がちになる。

だがそれは調子では無く、技術が無いだけだ。

安定してなきゃ、本当に上手いとは言えない。

 

そして唄の上手い人は、

つまらない曲でも良い感じで聞かせてしまう、という危険をはらむ。

中身スカスカの歌詞でも、何だか説得力があるように勘違いさせられる。

だから、自分の声を活かした曲作りに走り、

唄の邪魔をしない、唄いやすい歌詞しか書かない。

人間の本質や、人生の厳しさを探り、掘り下げる努力を怠る。

よーく聞いてると「アレ?結局何言ってるの?」となり、

美声ばかりが上滑りを起こす。

また、サビで「声を活かす」音域を重視した曲作りなので、

大概平唄(Aメロ)の音域が妙に低く、メロディーも歌詞もボヤけて分かりづらい。

逆に唄に自信の無い人ほど、歌詞の内容にこだわり、

自分の想いをしっかり表現出来てる、という場合が多い。

内容でグッと来るのか、雰囲気でケムに巻くのか、

どちらが良いだろうか?

ライブ終わりの印象として、

「○○って曲、良かったなぁ」と

「唄、上手いねぇ」とに分かれ、

で、結局唄ウマの人は記憶には残らず、

後日名前を見ても「誰だっけ?」になる。

 

言い方を変えると、

中途半端な唄の上手さは、邪魔になる。

中途半端にステージが成立してしまうが、その先が見つからず、

活動はすぐに煮詰まり、自力では改善策を見つけられない。

「唄上手いのに、なんで人気出ないんだろう?」と途方に暮れる。

そこで考えるべきは「本当にそんなに唄上手い?」という疑問。

アーティストはカスミのような「個性」だ「魅力」だ、という

難題をクリアして行かなければならない。

当然、唄の上手さは戦力だ。

だが、それだけで戦うのはかなりの難易度だ。

つまり「上手いねぇ」から「良いねぇ」へと

別次元へと上がる必要が出て来る。

それは針の穴を通す精度で、声質から発音から発声から、

自由自在にコントロール出来る技術と、

「伝える」というマインドの部分の練度の高さが要求される。

結構気が遠くなる。

唄ウマの人達は、そこまで突き詰めない。

だってもう唄えちゃってるから、その先までは考えない。

だから出来てる割には結果が伴わず、迷宮に落ちて行く。

 

「身体を響かせる」というコツさえ掴めば、

歌唱はある程度は成り立つ。

楽器を弾くのと実際は同じだ。

唄も楽器も、しっかり弾けるようになって、

「さあ、ここから何を表現しようか」が問題だ。

皆んなこのスタートラインに立った後、もたつく。

唄も楽器も上手い人は山ほどいる。上には上がいる。

しかし自分にしかし表現出来ない「世界」を、

自分のライブでしか味わえない「感動」を、

一度観たら夢中になる「個性」を、

作り、表現出来なくては、先は無いのだ。

唄ウマは、単にスタートラインだ。

せっかくの力量をもっと的確に使おう。

弱点を補強し、強みはより磨こう。

 

終わりは無い。

やればやるほど課題は山積みだ。

だが、それらを一つ一つクリアして行く先に未来はある。

そしてその事自体が、面白くて仕方ない人達だけが、

成功するのだ。