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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

皆んなビッグになる事を夢見ながら活動しているだろう。

そのための道筋をしっかり歩んでいるのなら、何も問題はない。

だが、実際にはどうだろう?

そんな手応えを感じながら暮らしてる人は、

そう多くは無いんじゃないかな?(大丈夫なら、もう読まなくて良い)

逆に無力感に押し潰されそうになっているかもしれない。

「このまま進んで行って大丈夫かな?」と。

もちろん皆んながイメージしてる「ビッグ・アーティスト」への道が、

君の目の前に全く無い訳でも無い。

果てしないそのチャレンジを諦めず繰り返せば、

道はある。可能性はある。

 

だが、違う考え方の生き方もある。

ある特定のジャンルの、とても限定的なマニアへ向けた、

専門的な「スモール・アーティスト」という道だ。

それは君と感覚の似た人々に、

君の「独りよがり」をプレゼントする、という行為だ。

「え?そんなのダメでしょう!」

そんな事は無い。

もしかしたら今後、そういう方向性が正解かもしれない。

「じゃ無きゃダメ」がきっと大切になる。決め手になる。

君にしか表現出来ない世界を作れれば、

君はその世界の王様だ。

マーケットは小さくても、かなりの強みがある。

得意分野をひたすら伸ばせば良いわけで、

「クセになる」というキーワードが、キャッチフレーズになる。

 

アーティストにしても、スタジオ・ミュージシャンにしても、

「個性」は大切な「売り」だ。

「何でも出来る」より「アレを演らせたら抜群に良い」という評価が、

君に道を作るだろう。

たまたま得意なその分野のマーケットの大きさが、

そのまま君の活動範囲になり、サイズを決める。

だがそこにニーズは必ずあり、切り開く世界が待っている。

ただもちろん中途半端はあり得ない。

少なくともそのジャンルでは、誰にも負けない力量が求められる。

磨きに磨いた「職人芸」が人を呼び込むだろう。

「何だ、結局また果てしない努力か」と思うかもしれないが、

漠然と「ビッグ」を目指し、メジャーを突き進もうとするより、

遥かに可能性があるとは思わないか?

ひたすら君の得意分野を伸ばせば良いんだ。

より鋭角的に君の個性を引き立たせる事で、

好き嫌いはあるにせよ、出会った人たち全ての印象には残るだろう。

それは評判を生む。ネットで、口コミで広がる。

「どストライク」なオーディエンスが集まり、

その世界のカリスマになる。

その「個性」以外は全て切り捨ててでも、

特化してずば抜けていれば、そこにチャンスは間違いなくある。

 

「スモール・アーティスト」でも良いじゃないか。

もちろんそれでさえ、ハードルは結構高い。

だが、そのハードルさえも越えられないのなら、

最初から「ビッグ」は無いんだよ。

自分をよーく見つめて欲しい。

必ずどこかに「君にしか無い個性」がある。

君だけが持っている「宝物」がきっとある。

まずはそれを発見しよう。

そして見つけた「それ」をひたすら磨きに磨こう。

それがビッグな「スモール・アーティスト」への

第一歩だ。

 

共演者の中に「ベテランさん」が混じってる事があるだろう。

それぞれが様々なキャリアで、今も演っているのだ。

大概の方は「さすが」な演奏で、長く演って来るには、

理由があるなぁ、と感心すると思う。

もちろんあまり「刺激的」では無く、落ち着いた内容で、

悪い言い方をすれば「退屈」な人もいると思う。

もっとイヤな言い方をすれば、

「自分はあんなになるまでライブハウスでウロウロしてないぞ」と

思う事もあるかもしれない。

だが、学ぶところは必ずあるはずで、

ぜひしっかりと観察し、話しを聞き、何かを掴んで欲しい。

 

色々なレベルの人がいるとは思うが、

大概は「良い時期」を過ごしている。

メジャーまで上がった経験や、

動員に恵まれ、盛り上がった時期を過ごして来たはずだ。

だから多様な経験を積んでいる。

「過去の栄光」にしがみ付き、自慢話しに終始しようと、

上がった事は事実だ。そこには理由がある。

どのように取り組み、どのように動員を伸ばしたか。

やり方は人それぞれだが、ヒントは必ずある。

そして失敗の教訓も。

 

そして別の側面も考えよう。

自分はどういう道のりで活動して行くのか?

やがてどこに辿り着きたいのか?

これから5年~10年頑張って、登れるだけ上を目指すのは当然だが、

その先に待つのは、どんな自分だろうか?

そこまでに実力を蓄え、固定の客を持ち、

彼ら彼女らを引き連れ、安定した活動を続けて行きたいだろう。

今考える事じゃないかも知れない。

だがイメージして、そんな「安定感」を自分は実現出来るのか、

自分自身に問いかけてみるのも必要な事かもしれない。

今のままで「大人」を長い期間満足させ続けられるだろうか?

毎回「さすが!」と賞賛を浴びれるだろうか?

ベテランさんのステージを観ながら、ぜひ考えてみて欲しい。

 

やはりどうしても「味わい」は、時間が作る。

「深み」や「しみじみ」は簡単には手には入らない。

長い人生を生きて来た先に作れる曲がある。言える言葉がある。

戦い続けた人生が人を鍛え上げるのだ。

多くのオーディエンスの「想い」を受け止めて来た人には、

「説得力」が生まれ、「包容力」が備わる。

ガツガツと荒削りな楽曲や演奏ももちろん魅力的だが、

「安定感」は、お金を払って観る、大きな理由の一つだ。

ただ、そんな中でも「次」を見据えたチャレンジャーな人と、

ただひたすら「貯金」を食い潰してるだけの人もいる。

「もう今さら」と諦めムードな人も。

しかしそれはベテラン勢に限った事では無い。

20代後半でも、もう「流して」活動している人も見かける。

「諦め」はある意味魅力的だ。

もう頑張らなくても良い、と自分を許すおまじないだ。

だが、少なくともベテラン勢は、止めずにそこにいる。

その事実だけでも、尊敬に値するだろう。

 

とっとと諦めて「真っ当な」生活をすりゃ良いじゃん、て

思わない訳では無い。

だが、ベテラン勢の中には「復活組」も多い。

かつてそこそこやっていて、だが諦め、

歳月を経て、再び火が点き、活動を再開する。

本気でやってた人ほど、かなりの確率で復活する。

常識や境遇や運命は、結局「止める言い訳」でしか無かったのだ。

そういう人ほど「もっとこうすれば良かった」、

「もしあの時こうしていたら」という悔しさが残り、

若者を見て、一言余計な事を言いたくなる。

それはもしかしたら20年後の君かもしれない。

結局人はいつまで経ってもバタバタと、のたうち回る。

諦め切れない「火種」が胸に残るうちは、

また立ち上がり、歩き始めてしまうものだ。

だからこそ「味わい」も生まれるのかもしれない。

 

我々は皆、終わりの無い長い旅の途中だ。

ただ前を向き、ただのたうち回ろう。

あの「ベテランさん」のように。

 

 

 

 

 

「この人一体どれだけ熱いの?」って、

ここを読んで思ってる人に言いたい。

結構虚しいです。

言いたい事は大体二つ、三つなんだ。

それを手を替え品を替え、膨らませて書いてます。

でも、言いたい気持ちが止まらず、毎週金曜日に上げている。

月曜日くらいから書き始め、推敲を繰り返し、

バッカみたいに、生真面目に書いてます。

で、読者が増える。嬉しい!期待しちゃう。

池袋フィールドに、ここに触発された、

素晴らしいアーティスト達が集まり出す!

 

そうは行かない。

 

ブログ読者のアーティストは何組も来てます。

「ブログ読みました!感激して来ました!」

「あ、ありがとう!」

で、ステージに臨む。

「あ、アレ?」

「これ私がやっちゃダメって言ってた奴だよね」

「難しいですね。アドバイス下さい」

「ん~とね」「まず歌詞が聞き取れないし、聞き取れても意味が分からない」

「価値観ですかね?」

違う!

 

想いが届かないのは、何も恋愛だけじゃ無い。

いくら言っても分からない奴らと日々格闘を繰り返している。

なかなか勝ち目は無い。大体負けるか、引き分けだ。

でも、ライブハウスをやってる以上、始めた以上、

トコトン付き合うよ。

元々キャリアだけはもっともらしく有るけど、

「バカ」の一人です。仲間です。

来る奴、来る奴、皆んなバカだけど、それは当たり前なんだ。

だって他に能の無い奴が「行けるかも」って勘違いして、音楽始めた訳だから。

そして全く根拠の無い自信に満ち溢れてたのは、他ならない「私」です。

その私が偉そうにここに書いてるワケだから、

せめて勘違いでも、誤解でも、感激して来てくれた奴らには

門戸を開いてます。

しょせんブログは読み物で、「へー」って読み流すだけだ。

取り組む姿勢を変えたり、何かを試してみたり、取り入れてみたり、

まして人生を変える力なんて無いのだろう。

それは良いんだ。多くを求めたりはしない。

だが、「いつも読んでる」って人には何かが引っ掛かってるはずで、

その「引っ掛かり」が、いつか形を変えて実を結んでくれれば、と

はかない望みにすがりながら書き続けてます。

 

よく考えるパラドックスがある。

「私の言う事を聞くな!」という命題だ。

「分かりました。言う事を聞きません」では

言う事を聞いた事になるし、

「じゃ、言う通りにします」でも命題には反する。

アーティストが成長し生きて行くとは、

このパラドックスの中にいるような気がする。

「他人のアドバイスなんか要らない。信じた道を行く」べきだ。

でも、「愚かな遠回りも回避したい」はずだ。

じゃ、どうする?

このチョイスが君の「生き方」だ。

何を信じ、何を吸収し、何を排除し、何にこだわるか。

アーティストに限っては「独りよがり」は美徳だ。

だがグラついた時、見失った時、どうする?

人は実際には脆いものだ。

あんなに自信満々だった人があっけなく崩れ去る姿がある。

ほんのちょっとの「発想の転換」で乗り切れる事がほとんどなのに。

勿体無い。

 

なので私は書いている。

自分の思い付きだと勘違いしちゃって構わない。

頭の片隅に薄っすら残っていれば、それを使ってくれ。

「いつかやってみるか」でも良い。

せめて「やっちゃダメ」だけでも実践する、でOK。

そんな事を信じ、虚しいながらも、このブログを書き続けてます。

結果同んなじ中身の繰り返しばっかだけどね。

しかし、音楽人生をただの空虚な失敗で終わらせないために、

本当の自分を実現させるために、実感出来るために、

私は信じる事を止めはしない。

 

 

 

歌唱について語る時、

「心意気」というキーワードが出て来る。

唄は技術の結晶だが、それを支えるのが「心意気」だ。

技術に振り回されてもいけないが、

技術無しに一流のシンガーには成れない。

そして常に「何のために、どう唄いたいのか」を

胸に問い続けながら、唄は成長し続ける。

 

歌唱において、皆んなが思っている10倍は技術が多様にあり、

唄の在り方は無限だ。

身体を楽器に変えて鳴らす、という行為は、

カンの良い人には結構楽勝で出来ちゃうかもしれない。

そこで落とし穴に陥るわけだが、

ボールを遠くに投げたり、早く走れたり、泳げたり、

みたいな事にとても似ている。

やってみたら「アレ?意外と出来るじゃん」な人達が

次々とアーティストになり、ライブハウスに登場する。

だが実際にはコンスタントにストライクを投げ込めたり、

100メートルを11秒台で走ったり、はなかなか出来ない。

試合や大会に出て結果を残すのは、

「やってみたら出来た」レベルでは、到底不可能なのだ。

その辺はちょっと考えてみれば分かるだろう。

で、ライブハウスに出演するとは、試合や大会に出るのと同じだ。

勝敗やタイムや記録がはっきり無いし、見えづらいから、

何となく成立しているように思うかもしれないが、

実際には自分の中で勝敗は出ているだろう。

今日の自分の点数は出ているだろう。

雰囲気でやり続けるには、音楽は手強い。

当然思ったように伸びては行かないし、

何よりイメージ通りの歌唱がどうしても出来ない事に気付くだろう。

そこには、技術が無いからだ。

 

そこでボイトレに通うなりして技術を身につけよう、と決心したとして、

立ちはだかる事がある。

そこに音楽と向き合う「心意気」があるか、という問いだ。

唄は技術で上手くなる。

だがその進み方を決めるのは、やはり取り組む姿勢だ。

唄を極めるのは、はっきり言って「一生モノ」の作業だ。

キリが無く、果てしなく奥の深い世界に飛び込んで、

得た技術で戦って行くわけだが、

ボイトレで重要なのは、「やり方」「技術」は多様で、

アプローチも無限にある、という事実。

そして習ったやり方に固執してしまう、という

誤解や危険性があるという事を知ろう。

習った事をただ忠実になぞっていては、自分の歌は唄えない。

ボイトレに通っても結果が出せない最大の理由はコレだ。

様々な技術を様々な形で試してみよう、という心意気が必要だ。

唄う度に違うアプローチを試してみよう、という心意気が必要だ。

上手く唄う事では無く、豊かで多様な表現を追い求める心意気が必要だ。

つまり「チャレンジ」し続けよう、という心意気が大切なのだ。

この気持ちの有る無しが、シンガーの力量を決める。存在価値を決める。

結果、必要なのは技術じゃ無く「心意気」だ、って事になる。

本当に上手いシンガーは、良いシンガーは、表現を追い求める求道者だ。

同じ歌は二度と唄わない、という心意気があれば、

ステージは常に「発見」と「新鮮」に溢れている。

「えー、そんなの無理」って思うかもしれないが、

それを敢えてやる「心意気」が大切なのだ。

そのやたら面倒くさい作業が楽しくなるのが「歌唱」だ。

終わりの無いチャレンジと発見の連続は、唄う事の真の喜びだ。

 

そしてこの考え方は、歌唱以外にもあてはまる。

曲作りにしても、楽器演奏にしても、そして生き方にも。

チャレンジする心意気が未来を開く。

技術はそのための武器に過ぎない。

その武器の使い方を決めるのが、心意気だ。

さあ、何をしたい?どこへ行きたい?

全ては思いのままだ。

心意気を胸に、旅を続けよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

最近観念的な話しばかりで申し訳ないが、

今回もぜひ伝えたいテーマなので、我慢して読んで欲しい。

 

音楽活動に限らず、生きていれば選択を迫られたり、

判断、決断をしなくてはならない場面が必ず出て来る。

その場合の判断基準を持たないと、

結論に迷い、優柔不断に陥る。

正しい答えを見つける事は本当に至難の技だ。

もちろん答えが明白ならば苦労などしないが、

現実は大体難しい選択を迫られるものだ。

合理的に考えれば良いはずだが、そこは人間。

なかなか一般論や正論では括れない。

結果「見栄」や「損得」で判断してしまう場合さえもあるだろうが、

そこで一つ考えておいてもらいたい事がある。

またまた私の持論の登場なのだが、

信じている事なので、嫌な顔せず、読んでみて欲しい。

 

「善悪」には絶対的な基準がある、と私は考えている。

それは「心の声」だ。

「え?何か宗教的な?」

イヤイヤ、そういう事では無い。

私のこれまでの経験上、何かを決断する際に、

心のどこかで「警報」「警鐘」が鳴る事がある。

心の片隅から聞こえて来る「それは違うぞ」という声だ。

そこまで明白で無くても、何だか引っかかり、

決めたはずの事を躊躇させる「何か」だ。

皆んなにもそんな経験は無いだろうか?

それは言い換えれば「良心」と言えるかもしれない。

犯罪者が総じて「イヤな顔」になるのは、

このきっと誰でもが持つ「心の声」「良心」に

ずっと耳を塞いで生きて来た結果だと思っている。

自分の本心に反した生き方が、表情を歪めて行くのだ。

どういう仕組みで「良心」が育まれるのかは分からないが、

きっと成長の過程で見聞きした倫理観や正義感、

親の教えや自身の経験値から、心に合致した「真理」が、

次第に刻まれて形成して行くのではないか、と思う。

 

「こう有りたい」「こう生きたい」という理想は、

多かれ少なかれ誰でもが持つだろう。

大切なモノ、守りたいモノ、目指す姿は、

心の中で静かに成長する。

そうした「善き発想」が「良心」を作り上げ「心の声」となる。

そして自分が間違った判断や行為に至る時に「警報」を鳴らす。

時としてそれは、合理性に反する場合さえある。

つまり、どう考えても「お得」なチョイスに、心が「違う」と言う。

散々話し合い、検討した挙句出した答えに、心が「ノー」と言う。

その場合、その心の声に従うのはかなり難しいだろう。

周りの反対を押し切るパワーも必要だろうし、

かなり歯をくいしばらねば、自分には従えない。

そしてその責任は全て自分自身に舞い降りて来る。

人生はいつも結果論だが、私はやはりその「警報」には

ツラくても厳しくても従うべきだと思っている。

あくまで経験値だが、結果的に心の声が正しかった場合がほとんどだ。

そして聞こえたその声を無視しての失敗は、本当に後悔する。

言い換えれば、その声は、本当に自分自身が望む形を示している。

警報が鳴った時点で、その選択は本心から望んでいた事では無い、と言える。

 

私のブログの中でもダントツ観念的な回になってしまったが、

自分にとっての正しい事、間違っている事は、

本当は自ずと分かっている、という話しだ。

そこを無視したり、無理したり、周りの声に流されたり、

損得や雰囲気で決断してはいけない、という話しだ。

「後悔」は、自分を信じられなかった時に起こる。

「心の声」に従えば、全てが上手く行くわけでは無いだろうが、

少なくとも自分の本心、良心に従ったわけだから、

そこに悔いは残らない。

人生は選択の連続だ。

振り返って「たられば」でクヨクヨするより、

自分を信じて真っ直ぐ歩いて行きたい。

 

「Do the Right Thing」

日々の戦いはイコール「何をすべきか」のチョイスで決する。

自分自身に耳を澄ませ、

己れにとっての「善き事」をしよう!