「終わり」をどうしようか、考えてしまう。
「死ぬまで続けりゃいーじゃん」
そう思う。
「ステージで死ねれば本望じゃん」
そう思う。
でも、上手くステージ上で死ねるかな?
そんな理想的な死に方した人知ってる?
(確か「堺駿二さん(堺正章さんのお父さん)」はそのはす)
でも実際には結構迷惑だよね?
死に方に「上手い下手」は無い。
それは「寿命」た。
別の話しだ。
じゃその前に使い切ろう、と思った。
で「ヨンナナ」を企画した。
ただウジウジと「終わりの算段」をするより、
あるモノ全部使い切って、その先に何が見えるのか、
そんな景色が見たかった。
人は置かれてみなけりゃ分からない。
そこに立ってみないと気付けない。
だが、なかなか自分の意思で、裁量で
「あるべき場所」に身を置く事は難しい。
かと言って「いつの日か」とか言ってるウチに
全ては朽ち果てる。
ここは踏ん張りどころだろう、と思った。
今しか無いだろう、と思った。
無謀だろうと何だろうと、やるしか無い時はある。
で、それは「今」だった。
間違いない。
私は「日常」に戻ります。
フィールドと共にドタバタと駆け回る日々に。
出演者の為に悩み、怒り、笑う日々に。
それでもやっぱり私自身の旅は終わらない。
ヨンナナを終えて思うのは、
「終わりじゃ無かった」という事。
顔をどっちに向けるか、で全ては決まる。
前を向くか、後ろを向くか。
「次」は作るものだ。
欲しがるものだ。
もちろん歳と共に「諦め」がまとわり付く。
「もう、良いんじゃ無い?」って。
「充分やったよ、ご苦労さん」って。
その声を聞き入れるか、聞かないか。
それが先の人生を決める。
ヨンナナに関しては、
30歳の時に解散したバンドの「総ざらい」を考えた。
ちょうどその後30年間過ごして来た、
自分の音楽の歴史を辿る旅のようなものだった。
そしてそれが終わった。
「で、次は?」
ここからはもう「前」しか無い。
「落とし前」は付けた。
60歳を迎え、振り向くのは終わりだ。
正直「一度やってみたかった」って気持ちがあった。
で、それを思い切りやった。
思い切り振り向いてみた。
ここからは新しい地平を目指そう。
池袋フィールドの仲間たちと共に、
どんな景色が見えるのか、作れるのか、
そんな新しい旅に出よう。
ステージは、どんな場所だろうと「夢のアトリエ」だ。
我々は特別な事を演っている。
観る人にとっては特別な存在だ。
「奇跡」を作れる、数少ない存在だ。
道半ばで倒れようと構わない。
前へと向かう推進力だけが、それを可能にする。
旅は続く
いつの日も
ここに立てば星は輝く
山石敬之