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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

80年代に活動していた私「山石敬之」のバンド

「SCRAMBLE 」には、ファンクラブがあり、

「’R」と表記し「アール」と呼んでいた。

正式名称は「SCRAMBLER」。

ま、ネーミングは有りがちだが、しっかりした結束力もあり、

私と仲間たちを支えてくれた。

最盛期には、会員数は1000人を超え、

その「数の論理」が私を「渋公」へと連れて行き、

メジャーに引き上げてくれた。

 

10代の少女だった彼女らは一体どこに行ったんだろう?

きっと今は40代後半。

家庭を持ち、子を成し、もしくは仕事に生きているのだろうか?

きっとALFEE時代の私をテレビとかで見て、

「遠い目」くらいにはなってくれてたとは思う。

それぞれの人生を歩んだのだ。

 

みんな、聞いてくれ。

山石は、4月7日にコンサートを開くよ。

観に来ないか?

マックも、一井も参加する。

「あいちゃん」は、音楽から離れ過ぎてて、

皆んなに会うのが怖い、って。

仕方ないね。

ドラムは「そうる透」さんが叩いてくれます。

頼りになるよ!

私は4月8日で60歳になります。

あ、いっちゃんもだ。

(マックは去年済ませてます)

その前の日に、皆んなと「大同窓会」を開きたい。

長く活動し、長く唄い、長く走って来た。

「劣化」が気になるって?

大丈夫!

今も「あの頃」のままだよ。

ほとんど奇跡のように。

あの「胸が熱くなる」感覚が必ず舞い降りるはず。

皆んな頑張って生きて来たんだ。

肩を叩き合うように集まろうじゃないか。

 

でもこれが最後かもしれない。

大きく皆んなに呼びかけるのは。

人生には厳しさもある。

もちろん私もそんなに甘く考えてはいない。

しかしまだまだイケてる内に、力のある内に、

この30年という時間の向こう側へと

押し流されてしまった「想い」にもう一度触れたい。

人生が輝いてた「あの頃」ともう一度向き合いたい。

そして4月7日の幕が降りた時、

私は、皆んなは、一体何を想うのだろう?

胸には一体何が残るんだろう?

30年の感慨は、明日を照らすのだろうか?

分からない。

実際にその時になってみなければ。

でも、試してみる価値はある。

大いにある。

だから今回は「無理やり」このコンサートを企画したのです。

もしかしたら、どうしてあんなに夢中になったのか、

今では不思議でならないのかも知れない。

だけど、その理由が4月7日には分かると思う。

思い出せると思う。

自分がどんな「ハートの持ち主」だったのか。

何を夢見て、何に向かって生きていたのか。

つまり「誰だった」のか。

 

2019年4月7日、

山石に会いに来てください。

私の歌達に会いに来て下さい。

そして「あの頃」のあなた自身にも。

 

2019年4月7日(日)

山石敬之/ここに立てば星は輝く

会場/ヒューリック・ホール東京

開場/16:30 開演/17:00

前/5500円  当/6000円(プラスドリンク代500円)

チケット/チケットぴあ (Pコード 136-259)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月1日だ。

いよいよページを一つめくり、春が近づいて来る。

正直、気持ちはかなり張り詰め出している。

もちろん昂ぶっても来ているが。

今回は、4/7の客入れBGM用に使う予定の

ストラビンスキーの「春の祭典」についてのお話し。

 

まずは本題に入る前に、

アナログ盤しか持ってなかったため、

今回CDを購入したが、すったもんだがあった。

どちらかと言うと「ツイッター・ネタ」なのだが、

ちょっと長くなるので、コチラでご紹介。

 

ずっと聞いてたのが、

「ブーレーズ指揮/クリーブランド管弦楽団」だったので、

CDもそれにしたかった。

ジャケットも気に入ってて、部屋に飾ってあるほどだ。

で、検索したら、いきなりそれが出て来て、即発注。

届いて「よし!」とプレーヤーに掛けたが、

「アレ?」読み込まない。

「えっ?」「不良品?」

何度試してもダメ。

で、返品手続きをして、即「次」を発注。

しかし返品手続きの中で、業者からの連絡の中に、

「今回の商品は、SACDで、プレーヤーが対応してなかったのでは?」とあった。

「SACD?」(スーパー・オーディオ・CDだって)

何となく聞いた事はあったが、

それが通常のCDプレーヤーで聴けないとは知らなかった。

「じゃ、新しく発注したのも?」と調べたら、そちらも「SACD」。

「やっちまった!」

うなだれながらも「通常CDフォーマット」の商品を

今度はちゃんと調べてから、さらに追加発注。

結果ダブルで返品になってしまった。

ネット通販は、しっかり商品を確認しなくちゃね。

 

さて、ここから本題。

私が「春の祭典」と出会ったのは、高校一年生頃。

当時夢中になってたイギリスのプログレ・バンド「yes」の

アレコレを調べてる中で、彼らの好きな音楽の中に

「ストラビンスキー」が出て来た。

元々クラシックの知識はあって、

ドヴォルザークだ、ベートーベンだ、はまあまあ聞いてはいた。

が、ストラビンスキーは20世紀の作曲家。

いわゆる「現代音楽」だ。

訳の分からない、難解で退屈な物と思っていたが、

プログレッシブ・ロックの基礎はここにある、と知り、

これをきっかけに、さらに「ラヴェル」や

「ドビュッシー」なども聴くようになった。

しかしダントツで聴いたのが、

ストラビンスキーの中でもこの「春の祭典」。

まさにロック。まさにプログレ。

複雑なリズムと金管、木管が縦横無尽。

久しぶりに聴き直してみて、

細部まで覚えてる事に驚愕。

どれだけ聴き込んだのか、って話しだ。

もしかしたら「yes」の皆さんより

私の方が影響を受けてるんじゃないか、と思うほどだ。

 

で、4/7の客入れBGMの選定にあたり、

迷っていた私の目に、飾ってあるレコードのジャケットが目に入る。

ぜひ私にとってゆかりがあり、影響を受けた音楽で

当日皆さんを迎えたかった。

で、「これだ!」ってなった。

しかも「春の祭典」。ピッタリ過ぎる!

で、気持ちがノリノリのままCDを購入。

で、上記の顛末。

 

音楽に夢中だった。

16歳の私は「yes」と出会い「春の祭典」と出会う。

あれから実に40年以上が過ぎて、もう一度出会う。

どうして多感な時期に出会ったモノって一生モノなんだろう?

その後も多くのアーティストと出会い、夢中になり、

今の私を作って来た。

そして、そんな私とやがて出会う人達もいた。

今度は多感な彼女、彼らと私の音楽が出会い、

少なからず人生を共に歩んだ。

それは素晴らしい事だ。

奇跡のような出来事だ。

だが、ふと気付くと時と共に全てが色褪せて行く。

充分長くやって来た。充分長く持ったもんだ。

分かってはいる。

一生モノとは言え、やはり朽ちて行くのも必然だ。

で、受け入れるのか?

「仕方ない」で終わらせるのか?

違う!

だって私はミュージシャンだ。アーティストだ。

立ち止まらず、前だけを見ろ、と

このブログでも偉そうに若いアーティストに語ってる人間だ。

だから4/7がある。無茶をしてみせる。

言ってるだけじゃないんだ。

出来る最大限にチャレンジしなくては、

自らやってみせなきゃ、それはウソだ。

 

そんな決意を「春の祭典」を聴きながら、

心がもう一度、誓うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか曲を書けないアーティストと

ガンガン新曲を作れる人との違いって一体なんだろう?

それは多分、頭の中が常に音楽に向かっているかどうか、だ。

ドンドン曲を作るのが当たり前で、

その為に「次はどうしよう?」って、

いつでも頭の中が回転していれば、

曲が生まれないわけがない。

結論、曲が書けない奴は、

単純に「ボンヤリ」してるんだと思う。

それでも今回は、そんな「新曲作れない症候群」の人でも

今すぐ出来るアプローチを紹介して行こうと思う。

答えは簡単。

「同じ歌を二度と唄わない」と決めれば良いんだ。

同じ演奏を二度としなければ、

古い曲も常に新鮮で、刺激的なステージを作れる。

 

アーティストにとって「変化を求める」は基本だ。

常に前の自分を越えて行く、という心意気無しに、

成長は無く、衰退だけが待っている。

同じ曲でも、工夫の余地は常にある。いくらでもある。

アレンジ面で言えば、

イントロのギターに別のアプローチは?

エンディングにもっと「儚さ」は表現出来ないか?

余韻を与えるために、最後のピアノをオクターブ上げてみる、。

思い切って、最後のサビを半音転調してみる。

エンディングにAメロの頭をもう一度持って来る。

効果的な「ブレイク」の入れ所、アカペラの入れ所は?

あ、でもすぐに「コール&レスポンス」に走るのは、

今回はちょっと「無し」って事で。

歌唱に関しては、もっと果てしなくある。

世界をどれだけ表現し切れているのか?

見直せば足らない事だらけだ。

発音一つを取っても、聞き取れないのは問題外だが、

「悲しい」を「うれしい」を「笑顔」を「涙」を

唄えているだろうか?

「kanashii」「ureshii」「egao」「namida」という

単なる「音」になってはいないか?

Aメロから始まって、Bメロ、サビへと、

言葉の数だけ表現があり、

パートの違いが、「うねり」を生み、

前半から後半へとドラマが動き、聴く者を別世界へと連れ去る。

そんな歌唱が出来ているだろうか?

 

誰でも自分の演奏の中で、一瞬「あっ!」という

「絵が見える」感覚を味わった事があるはずだ。

でもそれは幻のように、掴もうとしても消えてしまう。

どうしてそんな事が出来たのか分からない。

それは奇跡のような「たまたま」だ。

でももしそれを何度でも再現出来たら、

どんなに素晴らしいだろう。

それだ!

そこを追い求めるのが、アーティストなんだ。

この歌詞を、どう唄えば良いかを追い求める。

トライ&エラーを辿り着くまで何度でも繰り返す。

そして答えは一つじゃない。

セットリストの流れの中で、置かれた状況の中で、

表現はまた別の形を求める。

5年、10年と経てば、「曲の意味」自体も変わって行く。

同じ曲がアーティストの成長と共に、

オーディエンスの成長と共に、色を変えて行く。

それは素晴らしい化学反応だ。

そこにもしっかり気付いて欲しい。

我々はそんな「変化の海」を泳ぎ続けるアスリートだ。

やがてそれは当たり前になり、

「同じ歌を二度と唄わない」に辿り着く。

 

長々と書いて来たが、

簡単に言えば、ジャズシンガーがスタンダード曲を、

いつも同じに唄ってたら、あっという間に飽きられる。

元々「スタンダード」で散々唄われて来た曲だ。

そこに「らしさ」を「新味」を「変化」を加えられなければ、

一体どんな存在価値があるのだろう?

でなければ家でCD聴いてるのと変わらない。

わざわざ出掛けて歌を聴きに来る理由は、そこにある。

「何が出てくるのか分からない」からワクワクする。

「前に聴いた時より素晴らしい」からまた来る。

「そんな大変な事、出来ないよ!」

いーや、出来る。

と言うより、したくなるはず。

だって真っ先に飽きちゃうのは、自分自身だ。

掘っても掘ってもまだ先がある、そんな世界に飛び込んで、

楽しくてしょーがない、って奴だけが、

真髄に触れ、自分自身を証明出来る。

世界を変えられる。

「音楽って素晴らしい!」は、

そんな発見のワクワクの先にある。

さあ、「変化の海」に飛び込もう!

そして「本物」になろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィールド出演者を見ていると、

セットリストに変わり映えの無い人が多い。

活動を始めたばかりならまだ分かるが、

そこそこのキャリアの人間でも

特にメインにしている曲が変わらない。

シンガーソングライターを名乗るなら、

やっぱソングライトしなくちゃ、ね。

しかし100歩、いや1000歩譲って、

新曲の無いステージの中でも、チャレンジ出来る事はある。

たくさんある。

今回はそんなお話し。

長くなったので、前後編に分けます。

 

お説教っぽくなるが、

とにかく「これで善し」で止まったら終わりだ。

特にギターやピアノの弾き語りの人は、

常に「変化」「進化」を求めよう。

出てくるモノは、声とその楽器一本。

それにメロディーと歌詞だ。

後は、MCと服装、髪型、髪色。

マテリアルはこれくらいだろう。

だがイジる余地は結構ある。

工夫の余地もかなりある。

メロディーと歌詞は、一旦出来てしまったら、まあ変わらない。

変えやすいのは、まずMCだ。

工夫の宝庫だ。

 

ワンステージ内でのMC構成を毎回考え、

出来れば「ネタ帳」を作り、備えよう。

「MCは苦手」ってMCほどつまらないMCはない。

最悪だ。禁句にしよう。

苦手なら尚更準備しなくちゃ。

私自身、20代初頭くらいまでは苦手だった。

だがある日開眼する。

「あ、普通に話せば良いんだ」って。

友達とダラダラ喋ってる感じで行けば良いんだって。

MCの最大のコツは「リラックス」です。

しかしそれでも上手く行かない人は、

「MC無し」のステージ構成を考えてみよう。

曲のつなぎ方で、別世界へとオーディエンスを連れ去ろう。

緩急をつけた曲達の流れで、世界観で抱き締めよう。

「MC無し」も一つのMCの考え方だ。

音楽のライブに「笑い」は必須ではない。

(ま、あるに越した事はないが)

流れの悪い、間の悪いMCなら無くても良いかもしれない。

さらに口下手なら、一言の重みが増す。

大事な言いたい事だけ、ボソッと言おう。

 

服装や髪型、髪色は、アーティストとしての「主張」だ。

しかし布団から起き上がったまま、みたいな

超普段着の人の主張って、一体なんなんだろう?

「眠い」か?「腹減った」か?

ステージは戦場だ。

戦うためには「戦闘服」が必要だと思う。

オーディエンスは君を見ている。

聴いているだけではない。

どうしたって「見る」わけだ。

どうせなら「カッコいい」方が良いに決まっている。

オフステージでは冴えない地下アイドルの女の子も、

髪型を整え、バッチリ化粧し、

それっぽい衣装に身を包めば、ステージ上では輝く。

言ってしまえば「別の人間」に変身するのだ。

衣装は、その「スイッチ」になる。

そしてファッションとは「主張」そのものだ。

生き方や考え方、スタンスがそのまま反映される。

油断していると、音楽そのものへの取り組み方も

怠けている、と判断される。

「頑張る」とは、その全てに渡るはずだ。

明日、武道館に立つのに、その普段着で出るのか?

また、もし「カッコいい方が良いに決まってる」に賛成なら、

身体を締めよう。鍛えよう。

やり方次第だが、まあ、無料で出来る。

どんな貧乏なミュージシャンでも出来る。

ブクブク太りながら、何が「夢」だ?「希望」だ?

本気でメッセージを伝えたいなら、

その本気を「体型」でも示そう。

 

新曲が出来ないのなら、せめてこれらをやってみよう。

「俺は、そういうんじゃ無いので」って?

じゃ君は「どういう」んだ?

努力を放棄するのなら、ステージに立ってはいけない。

動員に悩むのなら、もっと大きくなりたいのなら、

「欲しがられる存在」になろう。

そこに「隙」があってはならない。

あらゆる面で思い付く全てについて努力を、工夫をしよう。

新曲作らないんだったら、暇でしょ?

 

さて、来週は肝心の「音楽面」について語ります。

以下、次週。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も思い付かなかった画期的なアイデアを

見つけた奴が成功している。

世の中はそういうものだろう。

思い付きさえすれば、特別なスキル無しでも、

アイデア一発で行けちゃう事柄さえもある。

「よーし、じゃ俺も」と思うが、

何一つ浮かばない。

そりゃそーだ。

結局「誰も思い付かないような」の

思い付かない側の人間が大多数だ。

 

一攫千金は置いといて、

音楽の世界でもアイデアは「命」だ。

「切り口」と言っても良い。

あるヒントがあって、詞を書く。曲を書く。

特に今は「サウンド面」が引っ張る事も多い。

それが、ギターやピアノの弾き語りだろうと。

いや、弾き語りだからこそ「サウンド面」を

強く意識すべきだ。

ブッキング・ライブで共演した人たちを眺めてみよう。

同じギターでもアプローチの違いがはっきりあるはず。

イントロや間奏での工夫の有る無し。

カッティングやアルペジオでのテンションの入れ方。

オブリ、ハーモニクス、スラップなどなど。

それは、頭に描く「サウンド像」の違いだ。

お手本にするレジェンドやアーティストを

どれだけ研究したか、の違いだ。

だってそこには、ヒントが溢れているから。

それはちょっと小耳に挟んだだけの、

知らないアーティストからも得られる。

「オッ、これ面白い、使ってみよう」みたいな。

「気付き」はアンテナを張っている者にだけ訪れる。

 

若干脱線するが、よく思うのが、

お笑い芸人は、日頃から生活の中で、

「面白エピソード」に出会う確率がやたら高い。

ぱっと見、一般人ではそれを

面白いとは思えない事柄の中にも「面白み」を発見する。

「笑い」へのアンテナの「感度」が違うのだ。

ミュージシャンにも同じ事が言える。

当然、一般人よりも感度の高い「耳」を

持っているはずだ。

音楽をリスナー・サイドでただ聞き流しても、

何も得られない。何も生まれない。

そこに隠された「ヒント」を「お宝」を

ピンセットでつまみ上げるセンスが絶対に必要だ。

 

そしてそれは音楽的な事だけで留まってはいけない。

アーティストは言わば「発信者」だ。

人生を眺め、人を見つめ、自分を掘り下げ、

想いを伝えて行く存在だ。

自分も含め、周りの人間や、社会の中に隠された

様々な事象から、「自分だけの真実」を探して行こう。

幸せも悲しみも、怒りも喜びも、

その現れ方は単純では無く、複雑に絡まり合う。

静かに日々の生活の中に隠されてしまっている。

それに気付かずに通り過ぎてしまえば、

「真理」には届かない。

アンテナを研ぎ澄まし、目の前の「本当の意味」を

解読出来る者が、真のアーティストだ。

「伝えたい想い」とは、

そんな「気付き」が育て、築き上げた結晶だ。

 

「ヒント」はそこら中にある。

もしかしたら既に手の中にあるかもしれない。

それを探す心意気、求める意識、気付く感度、が

「他人とは違う存在」になるための必須事項だ。

ボンヤリしてる奴が、上に登れるわけがない。

弛まず、研ぎ澄まし、熟考し、掴み取ろう。

そんな取り組みは、きっと君を人間としても

大きく成長させるはずだ。

 

さあ、見回して。

そして、見つけて。