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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

よく思う事だが、人の「レベル」を決めるのは、

「当たり前」の違いだ。

人は皆、必要とあれば頑張る。

だが、日々の生活の中で当たり前に繰り返す事柄の違いで、

それぞれのスタート時の「居場所」が変わる。

それは例えば、同じ服を2日続けて着ない、とか

移動中、自分のリハやライブの音源を聞き込む、とか

毎日ハノンを弾く、とか

ちょっとした筋トレとか、ウオーキングを毎日する、とか

そんな「普通」で「当たり前」の習慣だ。

スタート時の居場所が違えば、

たとえ同時に頑張っても、

到達する場所も変わってしまうのは自明だ。

 

その「当たり前」を決めるのは、

どこに自分の身を置くか、に掛かっている。

「洗練」という言葉がある。

元々感性を磨く傾向にある人は、自ずと洗練する。

だが、そんな努力をしない人でも、

洗練された人達に囲まれて暮らしていれば、

自然とセンスは磨かれ、洗練された人になる。

それが日々「当たり前」だからだ。

それは言ってしまえば、国ごとにも違うだろう。

地域でも、会社や学校や、そして仲間たちでも。

「環境が人を変える」は事実だ。

で、「じゃ、しょーがない」で終わらせるか、

自ら感性の鋭い人達の中に飛び込んで行くか、で

人生は変わるだろう。

 

ミュージシャン、アーティストには特にこの事が顕著だ。

残念ながら、フィールド出演者をみていても、

優秀な奴は、連れて来る仲間やサポート・ミュージシャンも

皆一様に優秀だ。

そしてその逆も。

誰かに紹介されたり、共演者だったり、

ほとんどが「出会い頭」だろうが、

そんな中でも気が合うのは、やはり感性の距離感だ。

接しやすさや、気の良さ、年齢や環境の近さなど、

感性以外にも人と人を結びつける要素はあるとは思うが、

クリエイティブに共に歩もう、となると

ある意味「尊敬出来る」相手に近づくだろう。

そして、そんな相手に「ガッカリ」されない自分であろう、

という意識が、相乗効果で人を伸ばして行く。

周りの人達の「当たり前の努力」は、

やがて自分にとっても「当たり前」になる。

 

だが、さらに上に登る為には、もっと厳しい環境がある。

それが「プロの世界」だ。

甘えや妥協や失敗の許されない世界。

一度「✖️」が付いたら、二度と声は掛からない。

予想外の要求に、涼しい顔で応えなくてはならない。

出来て当たり前の世界。

だがさらに「それ以上」を提示しなければ、

立ち位置をキープし続けられない。

止まってる奴は、取り残される。

そんな「冷や汗モノ」の世界に身を置けば、

もう「当たり前」は、最高レベルに引き上がる。

ギリギリの所で一つ一つをクリアし続ければ、

プロの仲間入りが出来る。

「そんな環境なかなか無いよ」と言うのなら、

コンテストやオーディションがある。

「とりあえず出してみる」じゃなく、

「何が何でも勝ち取る」「勝ち取るまでやり続ける」

という意気込みがあれば、取り組みは変わる。

全ては変わる。

 

ダラダラと日々を過ごしてないか?

「これで善し」で終わらせてないか?

自分を崖っぷちに追い込もう。

冷や汗の先の「ガッツポーズ」を決めよう。

自分の限界を超えて行こう。

その為には「厳しい環境」に身を置こう。

敢えて困難な道を選ぼう。

成長はその先にある。

扉を開く鍵は、その綱渡りの崖の先に、

ほら、落ちている。

 

 

 

 

 

「しっかりとした準備を」とよく言うが、

実際に必要な準備ってどんな事だろう?

「練習ならちゃんとやってるよ」って人、

もちろん練習は大切だけど、

それはあくまで準備の中の一つに過ぎない。

 

弾き語りの人は大抵、曲を作り、作りながらアレンジし、

完成時には演奏可能になってて、ライブに降ろしてるだろう。

特にライブ本数の多い人は、言い方は悪いが、

本番が練習代わりで、数こなしてる内に、

新曲もこなれて、定着する、って人多いんじゃないかな?

しかし、このやり方だと、いつも曲の仕上がりは中途半端だ。

新曲は常に「前の自分」を超えて行く意気込みが必要で、

新しい風をステージに吹かせなくてはいけない。

単に「ちょっとした新味」程度の発想の新曲なら要らない。

旧曲を磨いた方がマシだ。

現在の自分の持ち曲を眺め、

足らない物、欲しい物、チャレンジしたい物、

という発想で新曲を作って欲しい。

となれば、アレンジや歌唱にも今までに無い一工夫が欲しい。

オーディエンスが「オッ!」となる瞬間を作ろう。

その繰り返しが君を「上」へと連れて行く。

その為には日々、曲の、歌詞の、サウンドの

「ネタ探し」をしていよう。

貪欲にアンテナを張り、ヒントを探し続けよう。

それが言うなれば、曲作りの「準備」だ。

 

さて、次に「ここぞのワンマン」を打つ時の

準備の一例を上げてみよう。

思い切ったイベントを打ちたいのなら、

キャパは日頃の平均動員の10倍。

一年前くらいからは準備を始めたい。

まず場所を決めたら、ライブのタイトルを決める。

この「キーワード」が全てを導く。

ある意味今の自分を表す言葉だ。

ここから一年間を貫く言葉だ。

気合いを入れて考えよう。

そしてこのタイトルに合わせた写真を撮り、フライヤーを作ろう。

ここは予算を掛けて、両面の印刷で行きたい。

(と言っても、今の印刷は安いので、かなりの物を作れるはず)

次に「Xデー」に向けた、これからのライブの組み方を考える。

ここは戦略的に行かなくてはいけない。

日頃弾き語りなのに、バンドを考えるなら、

ぶっつけにならないよう、どこかでバンドでのライブも入れておこう。

雑多なイベントに顔を出すのは、初期にまとめ、

次第にワンマンに寄せたステージを作って行こう。

その中でキーになるサポートミュージシャンと

綿密な連携を積み上げておきたい。

スタッフについても考えておこう。

頼りになるのは誰なのか?

必ず誰かと相談しながら進めるべきだ。

ここで誰の顔も浮かばないようでは、

大きなイベントは組めない。

日頃からのミュージシャン、スタッフの人脈作りが必要だ。

こればかりは「いざ」となってからでは遅い。

人脈こそが成功への最大の原動力だ。

シロウトの友達でも良いが、

しっかり時間を掛けて学んでもらう必要がある。

ポンと頼んで即出来る事では決してない。

そして、半年前には、セットリストを決めておこう。

ステージ構成を考えて、セトリを作る中で、

「足らない要素」があれば、

それがこれから作るべき「新曲」だ。

曲の性格や色合いがはっきり見えて、作りやすいはずだ。

こうして出来上がったセットリストの、

縮小版を3ヶ月前頃から各ライブで試し、

さらに修正を加えよう。

新曲も最低3ヶ月前には出来ていなくてはならない。

 

こういった通常の数倍を準備に費やして、

大きなイベントは成功する。

意味のあるモノになる。

ただのお祭りで終わらせず、

必ず「次」を期待させるモノにしよう。

全ては準備で決まる。

何もせず「奇跡」をただ期待しているようでは、

「奇跡」は決して起こらない。

結果は当日ではなく、その前に既に決まっているのだ。

 

さあ、準備だ。

明日のために出来る事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダジャレではない。

アーティストにとって大切な資質の一つだ。

「これで出来上がり」が分からなければ、

当然「過不足」が生まれ、満足のいかない作品になってしまう。

では、それはどうすれば分かるの?

ここが「感性」だ。

その作品の「完成」は、その作者にしか分からない。

他人が決める事ではない。

言い方を変えれば、それが分かる者が「アーティスト」なのだ。

 

実際、描き込んだ油絵を見ると、

作者はどこで「これで善し!」ってなったんだろう?って思う。

小説でも映画でも、散々時間を掛けて作って来て、

仕上がりを感じるのは、どんな感覚なのだろう?

それは、ある意味恐怖を伴う。

「完成!」ってなった時、心のどこかで「本当か?」って声が聞こえる。

そんな囁きがあるウチは、まだまだなのかもしれない。

音楽の場合、まず楽曲制作での完成があり、

レコーディングを経て、録音物の完成がある。

二重構造だ。

楽曲制作でもメロディーと歌詞。ここでも二重構造がある。

レコーディングでも、まず手前の「アレンジ」があり、

それから録音に入る、

そのそれぞれどの段階でも、完成を見ない内に先に進めば、

本当の「出来上がり」には到達しない。

怖い作業だ。

だが、そんな綱渡りの中に楽しさもある。

奇跡のように、自分でもどうして思い付いたのか分からない

「閃き」に包まれた時だ。

もっと言えば、そんな至福の瞬間を味わいたくて、

クリエイターは「ウンウン」唸りながら、

日々奮闘してるのかもしれない。

 

ここでポイントになるのが「過不足」。

特に「過」だ。

前述の通り、どんなクリエイターも「不安」を抱えて作業する。

それは主に「足りないんじゃないか?」という不安だ。

本来はパズルが「パチッ」とハマる瞬間があり、

そこに到達すれば良い訳だが、

それに気付かず進めば、当然追い越してしまう。

そこで立ち止まりカットして行くのは、

なかなかの勇気なのだ。

過剰な部分も労力を掛けた訳で愛情も湧く。

だが「過ぎたるは及ばず」だ。

「捨てる勇気」は、クリエイターにとって大切な資質なのだ。

 

さて、この「完成を感じる感性」は、

もしかしたら日々の中にも隠されてる気もする。

仕事上でも家庭内でも、例えば何かに愛情を注ぐ場合、

足らなければ想いは伝わらず、

過剰になれば、軋轢を生む。

「ちょうど良い」は難しいが、

それを求める心が無ければ、人生は空振りばかりだ。

もちろんそれは「感性」で、

人それぞれセンスが違うが、

努力無しには届かない、という意味では、

アーティストも含め、万人に共通だ。

さあ、物事を見つめる「目」を「心」を鍛えよう!

「感性」とは、放って置いて育つモノでは無い。

「磨く」モノなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は私も含め、大きなイベントを組むレギュラー陣が多い。

通常のワンマンやレコ発以上の賭けに出る訳だが、

もちろん悪くない。

そうなれば今までの自分を総ざらいし、

楽曲、演奏力から始まり、

アーティスト性やイメージ戦略、SNS展開など、

考え得る全てに渡り見直し、構築し直す事になる。

当然「足らない事」が浮き彫りになる。

それら全てを「急いで」改善して行かなくてはならない。

そして気付くだろう。

「もっと前からやっときゃよかった」って。

だが、遅過ぎる事はない。

これをきっかけに成長出来るのなら、

最悪イベントに失敗しても、得るモノは大きい。

 

また、別の側面もある。

それは「友達」「仲間」の存在だ。

大きなイベントを組むとなれば、

一体どれだけの人が協力してくれるだろうか?

頼りになるのは誰だ?

細かな作業や準備が山ほど待っている。

当日のスタッフ割りだけを考えても、

かなりの人間が必要だ。

もちろん金で雇う余裕など無い。

そうなれば友達や仲間に頼る事になる。

今までの交友関係が、ここに来て響き出す。

ブッキングで仲良くなった共演者や、

イベントに呼んでくれたアーティスト。

そしてレギュラーだったライブハウスの人達、

時々頼んでたサポート・ミュージシャン。

もちろん、地元の友達や東京に出てからのバイト仲間、などなど。

「いざ」という時に、君の人間性が問われるのだ。

自分の損得の事しか考えてない奴に誰が手を差し伸べるだろう?

誰かの為に「無償の協力」を惜しまない事が、

結局自分に返って来る。

もちろん今更言っても「後の祭り」だが。

 

こう考えて来ると、大きなイベントを組むとは、

アーティストとしても、人間としても、

「本当の自分」と正面から向き合う事に繋がる。

そして「成功」とは何だろう?って事も考えるだろう。

本当に自分を欲してくれる人達ってどれだけいるんだろう?

自分の音楽を、アーティスト性を、世界観を、

そして存在そのものを。

もし、いてくれるのなら、自分は彼らに

一体どれだけのモノを届けて来たのだろうか?

答えは、その大きなイベントの後に出る。

きっとイベント当日は必死にかき集めた人達で、

そこそこ席は埋まるだろう。

だが、その後の通常のブッキング・ライブに戻ると、

動員はいつも通り、かも知れない。

「お祭り」で終わってしまえば、全ては虚しい。

本来は逆なのだ。

通常の月一ライブで、30~50人がレギュラーで集まり、

100人キャパの小屋に移る。

今度は100人が普通に動員出来るようになったら、

東京以外にも進出し、全国展開に打って出る。

その先にホールに挑戦する、のが正しい流れだ。

実際には大きなイベントからの逆流はあまり望めない。

まだそこまで求められていないからだ。

じゃぁ、だから無意味だ、止めろとは言わない。

前述のようにそこに意味はある。

ただそこで気付いた事をその後どれだけ活かせるか、

それこそがポイントだ。

大きな努力と苦労の先にあるそれは、

かけがえのない財産になるだろう。

 

だから、イベントを組もう。

大小は問題じゃない。

チャレンジする事が大切だ。

そしてアーティストとして、人間として、

大きく成長するきっかけにして欲しい。

失敗も成功も、全てが君の血と肉になるだろう。

そして歩むべき「道」も見えて来るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年4月7日(日)に、私は有楽町マリオン11Fにある、

「ヒューリック・ホール東京」にてコンサートを開催する。

今年、私は4月8日で60歳になる。

その前日、つまり50代最後の日に行なう訳だ。

 

まぁ、よくある「還暦ライブ」で、そんなに珍しくもない。

だが、その規模が大きく、キャパは約1000人だ。

何もそんなに無理をしなくても、という声もあった。

だが、無理をする「最後のチャンス」だ、とも言える。

実際、このタイミングで何かしなくては、という想いは、

数年前からあり、そう考える度に規模については様々考えた。

やるからにはホール規模でやらなくては、という想いと

現状に即した規模で安全に成功を求める想い。

それらが交錯した。

だが、逃げれば一生後悔する。

そして「次」はもう決して訪れない。

そう心に言い聞かせ、決心した。

 

私の生涯での最大動員は、1987年4月4日渋谷公会堂の「1600人」だ。

初めてのホールでのワンマンで、当時ファンクラブは、1000人を超えていた。

あれから30年が過ぎ、置かれた状況も違う。

どう考えても無茶な企画だ。

だが、私はある意味開き直っている。

「別に満杯でなくても構わない」と。

誰かに「失敗だ」と陰口を叩かれようと、全く気にならない。

ここまでひたすら音楽に打ち込み、生きて来た。

その結果がどう出るか、見てみたい。

そしてこれまでに出会った全ての人に、

「山石敬之」という生き方をもう一度見せつけたい。

ドタバタと浮いたり沈んだり、騒がしく生きて来た奴の

「今」がどんなだか、確認して欲しい。

4月7日のコンサートを観た人たち、

それが100人だろうと、1000人だろうと、

彼らの心に小さな「炎」を灯したい。

忘れかけた「想い」、置き去りにした「夢」、

理由の分からない「熱」、大切だった「宝物」、

それらがその日くっきりと蘇るだろう。

そして「60歳」で終わりじゃない、上がりじゃない。

始まりなんだ、という心意気を見せたい。

 

20代の頃までは、誕生日の4月8日は、

桜が満開だった。

入学式の日だったりもして、

まさに「春の日」だった。

現在は大抵桜は終わり、葉桜の時期だ。

時は流れた。

だが私は、変わらず走っている。

今こそ、自分自身を咲かせる事で、春を生きてみたい。

そろそろ人生も晩秋に入ろうって年齢だが、

「春の日」に手を伸ばし、桜吹雪を舞わせたい。

4月7日に、私はそれにチャレンジする。

「ここに立てば星は輝く」

31歳の春に作った曲のタイトルだ。

バンドが解散し、行き先を見失った私が、

それでももう一度立ち上がるきっかけとなった曲だ。

今でも私の代表曲だと思っている。

生きていれば様々な壁にぶち当たり、

へこみ、歪み、ねじ曲がる。

それでも生きて来たんだ、走り続けたんだ、という誇りを持って、

私は4月7日、ステージに立っている。

そう、私の「春の日」に。

 

2019年4月7日(日)

山石敬之/One Night Stand

「ここに立てば星は輝く」

会場 / 有楽町ヒューリック・ホール東京

チケットぴあにて、1月5日/10:00より発売開始!