奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ -8ページ目

百万辻子(ひゃくまんづし)と道浄和尚 ~ 奈良市

奈良市の開化天皇陵の西方に、百万ヶ辻子(ひゃくまんがずし)という町があります。

むかし、ここに百万という春日の巫女様が住んでいたそうです。

百万は、後に、ひとりの男の子をもうけます。
西大寺の法要に、男の子と参詣しました。
ところが、百万と男の子ははぐれてしまいます。
いくら探し求めても、どうしても見つかりません。

一方、吉野の雲水僧が、西大寺の柳のかげで迷子になっていたその子を拾ったのでした。
はぐれた母親がみつからず、これも縁と思い、その子を連れ立ち、各地を行脚することになったのでした。

それからずいぶんと時が経ちました。
二人が
京都の嵯峨野の清涼寺(せいりょうじ)の大念仏会にお参りしたときでした。

烏帽子に舞衣装をつけ、黒髪を振り乱した狂女が出てきました。
大勢の人の前で念仏踊りを始めた。
それをしばらく見ていた男の子は、はたと気付きます。
驚いたことに「あの狂女は私の母です。」と叫びました。

雲水僧が狂女に問いかけたところ、女は涙ながらに答えました。
「わらわは、もと春日の巫女です。一人の子を西大寺の法要に連れていって見失ってしまいました。
 このようなあさましい姿を人目にさらすのは恥ずかしいことですが、群衆の中から我が子に巡り会わんためなのです。」

雲水僧は、男の子の母親であることを確信し、引き合わせました。

百万は「これもかたじけない御仏の功徳よ。」と、いたく喜び、親子抱き合って嬉し涙にむせんだそうです。
狂女であったのも、たちまち、正気にたちかえったそうです。


男の子は清涼寺で仏門に入り、後に道浄和尚(どうじょうわじょう)となりました。
その後、唐招提寺の住職となり、寺の復興に努めたそうです。

道浄和尚は、心配をかけた母にむくいるため、寺のそばに母を住まわせて孝行をつくしたそうです。
奈良の今辻子町の西照寺には、百万の塚が今でも残っています。

百万辻子は世阿弥の謡曲「百万」として語り継がれています。





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良弁杉伝説~春つげるお水とり 東大寺二月堂修二会

デーダラボッチのたくらみと、大和三山の誕生 ~ 橿原市

むかし、むかし。
おおきなおおきな巨人がいました。
名前をデーダラボッチといいます。

デーダラボッチは、なにを思ったか淡海(今の近江・滋賀県)に大きな穴を掘りました。
それが、今の琵琶湖です。

デーダラボッチは、次に、掘りだした土をモッコ(荷物をくるみ、吊り上げにつかう布)にくるみ、オオコ(オイコともいい運搬用の道具。リヤカーみたいなもの。)で運び出しました。

行き先は大和の国でした。
なんとデーダラボッチは、大和の国を埋めてしまおうとたくらんでいました。

力がつよいデーダラボッチも、さすがに息があがってきます。
ようやく今の橿原市までたどり着きますが、ひどく疲れ切ってしまいました。
土の重さで、オオコの車輪がヤギー、ヤギーと悲鳴をあげています。

そこから、その場所を「八木」と名前がついたのです。

そしてとうとう、オオコが壊れてしまいました。
デーダラボッチは、舌打ちをし、
「イマイマシイ!」といって、オオコを捨てました。

そこから、その場所を「今井」と名前がつきました。

そのときにデーダラボッチの足跡が、八木の東はずれにある夫婦池となりました。

すっかり疲れ果てて、天香久山の上に腰をおろしました。
そのために天香久山は低くなってしまったと伝えられています。

かついできたモッコの土を、二か所にもりあげました。
それのひとつが畝傍山、もうひとつが耳成山になりました。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-大和三山

こうして今の大和三山の姿になったと伝えられています。

とあるお話では、デーダラボッチは、武蔵坊弁慶であったり、役の行者であったりします。





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もちいどの商店街 今むかし。 勘兵衛の大蛇退治 ~ 奈良市 奈良町 餅飯殿町 ~ 吉野郡黒滝村

近鉄奈良駅から、奈良町にむかう途中、三条通りぞいに、もちいどの商店街があります。
奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-もちいどの商店街

あの高速餅つきで有名な中谷堂さんや、

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ならクターショップ絵図屋さんがある商店街です。

奈良公園のツアーをするときには、かならずたちよります。
奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-ならクターショップ 絵図屋



もちいどの商店街は、”餅飯殿”と書きます。

餅飯殿町のいったいは、むかし南都のふき畑町と呼ばれていました。


いまのようににぎやかではなく、さびしいところでした。

そこに箱屋勘兵衛さんという人が住んでいました。


鳳閣寺理源大師をおとずれるとき時に、いつも餅や飯をもってきたので、まわりから餅飯殿と呼ばれていました。

いつからか、勘兵衛さんが住む町までを
餅飯殿町と呼ぶようになったそうです。

炭水化物が好きな人には、なんだかパラダイスのような名前ですね。

その名のとおり(?)餅飯殿町は、現在では楽しい、おいしいお店がたくさんならんでいます。

麻と和雑貨のお店 遊 中川

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-遊 中川 中川政七茶房

などなど。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


さて、この勘兵衛さん、理源大師について吉野を訪れます。

最近、山にすむ大蛇が、ひとびとに危害をくわえるため、勅命をうけ退治にむかったのでした。

大峰のとある山にのぼると、祈祷をしホラ貝を吹きました。

まるで百の貝がいっせいになりひびいたかのような大音声に、びっくりした大蛇がでてきました。

そこで大師は、法力で大蛇をしばりつけてしまいます。

次いで勘兵衛さんは、もっていた大きな斧をふりあげて、大蛇を、まっぷたつに切り裂いたのでした。

果して、大蛇は退治されました。
後にこの山は百貝岳とよばれるようになったのでした。
今の吉野郡黒滝村です。

その中腹に理源大師の鳳閣寺があります。
その時の特大の法螺貝と、退治した大蛇のものといわれる頭蓋骨が保管されています。

餅飯殿と愛称でよばれている一方、大蛇退治という、いさましい伝説がある勘兵衛さんでした。






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