デーダラボッチのたくらみと、大和三山の誕生 ~ 橿原市 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

デーダラボッチのたくらみと、大和三山の誕生 ~ 橿原市

むかし、むかし。
おおきなおおきな巨人がいました。
名前をデーダラボッチといいます。

デーダラボッチは、なにを思ったか淡海(今の近江・滋賀県)に大きな穴を掘りました。
それが、今の琵琶湖です。

デーダラボッチは、次に、掘りだした土をモッコ(荷物をくるみ、吊り上げにつかう布)にくるみ、オオコ(オイコともいい運搬用の道具。リヤカーみたいなもの。)で運び出しました。

行き先は大和の国でした。
なんとデーダラボッチは、大和の国を埋めてしまおうとたくらんでいました。

力がつよいデーダラボッチも、さすがに息があがってきます。
ようやく今の橿原市までたどり着きますが、ひどく疲れ切ってしまいました。
土の重さで、オオコの車輪がヤギー、ヤギーと悲鳴をあげています。

そこから、その場所を「八木」と名前がついたのです。

そしてとうとう、オオコが壊れてしまいました。
デーダラボッチは、舌打ちをし、
「イマイマシイ!」といって、オオコを捨てました。

そこから、その場所を「今井」と名前がつきました。

そのときにデーダラボッチの足跡が、八木の東はずれにある夫婦池となりました。

すっかり疲れ果てて、天香久山の上に腰をおろしました。
そのために天香久山は低くなってしまったと伝えられています。

かついできたモッコの土を、二か所にもりあげました。
それのひとつが畝傍山、もうひとつが耳成山になりました。

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こうして今の大和三山の姿になったと伝えられています。

とあるお話では、デーダラボッチは、武蔵坊弁慶であったり、役の行者であったりします。





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