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蘇我・物部の抗争(7)~生駒・信貴山スカイライン ―2―  【 聖徳太子 伝説 】

信貴山朝護孫子寺への交通案内。

JR王子駅、三郷駅近鉄信貴山下から、信貴山へゆくバスがでています。
車であれば、国道25号線より約10分。
または西名阪道路法隆寺IC、または香芝ICより約20分。

今回、私は、もうひとつのルートとして、
車で、生駒から阪奈道路より信貴・生駒スカイライン(約40分)で信貴山を訪れました。

信貴山・生駒スカイラインは、奈良と大阪の境にある生駒の山から南端である信貴山まで結ぶ有料道路です。
ハイキングコースとしてもハイカーに親しまれております。
生駒山上遊園地があります。


展望台から望む、大阪。
この日は天気が良くて、遠くまで見渡すことができました。
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写真ではちょっとわかりずらいですが、左手上に、大阪港、南港付近がうかがえました。


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今回の同行者はAYAさんです。
坂本竜馬がファンで、町の剣道場の剣士です。
聖徳太子はよく知っていないそうです。

信貴・生駒スカイラインの途中にある「鐘が鳴る展望台」です。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-信貴・生駒スカイライン 鐘の鳴る展望台



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ここからは、大阪と奈良を両方を見渡せることができます。
道路の先に奈良盆地が広がります。

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奈良の飛鳥より西進した蘇我馬子と厩戸皇子も、こういう景色をみていたのでしょうか。

「鐘が鳴る展望台」の踊り場には、このような輪があります。

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”鍵”がとりつけられています。
訪れた人が、それぞれの想いをこめて、鍵をかけてゆくのです。

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つづく




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蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―1―  【 聖徳太子 伝説 】

奈良と大阪を隔てる生駒山地の南端。

信貴山とよばれるところに、朝護孫子寺(ちょうごそんじ)があります。


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寅の年、寅の日、寅の刻に厩戸皇子・後世の聖徳太子が、
仏敵・物部氏討伐の戦勝祈願をされました。
すると虎をともにした毘沙門天があらわれ、皇子に戦勝の秘法を授けられたそうです。

物部氏との抗争に勝利した後、
信ずるべき貴ぶべき山”として、皇子は、この山を”信貴山”と名付けられたのでした。

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信貴山・朝護孫子寺では、沢山の虎が奉られています。

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特に毘沙門天出現の年・日・時に因んで、
三寅の福といい、ご利益が得られ縁起が良いとされています。

境内にある聖徳太子像です。

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そのすぐそばに、かやの木稲荷大明神があります。
御神木である榧(かや)の木。

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樹齢1500年。
つまり西暦480年の蘇我と物部が抗争の頃に誕生し、以来、世の有為転変を見つめ続けていたことになります。



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蘇我・物部の抗争(6)~ 厩戸皇子出陣  【 聖徳太子 伝説 】

587年7月。

穴穂部皇子誅殺の翌月。

夏の盛りでした。

反逆者とはいえ、国神の祭祀で、軍事をまとめていた物部氏

その力は、未だおとろえず。

しかし、それにもまし蘇我馬子の動きは早かった。

日本全国の要所に散っていた物部の一族が結集するいとまを与えませんでした。

蘇我馬子は御仏の名の下、大々的に物部討伐を、各豪族に呼びかけ大軍を編成しました。

そして、飛鳥で陣容をととのえ、奈良盆地の南部から、大阪は河内の古市(羽曳野)、国府(古市)方面へ西進。

奈良と大阪をへだてる生駒山地の二上山(ふたかみやま。今では、”にじょうざん”とよばれています。)を仰ぐ峠にさしかかりました。

明け方。

まばゆいばかりの朝日が差し込む中、物部討伐軍の兵隊たちが集まった。

そこへ、蘇我馬子が姿をあらわすと、急にシーンと静まり返った。

「時は来た。
古き考えにとらわれ、大王(おおきみ)を私した物部を討ち、
この国に大陸よりの新しい文化をもたらさん。
御仏の加護がみなにあらんことを!」

馬子の呼びかけに、一同がわきかえった。
傍らで憧憬の眼差しで見上げる厩戸皇子(うまやどのおうじ)。
後の世で聖徳太子と呼ばれる人、この時、13歳。

ふと、馬子が振り返る。
「さぁ、皇子もみなに声をかけてやりなさい。」
エッとひるむ厩戸皇子。
「みながまっております。」
逡巡した後、意を決し厩戸は馬子は頷いた。
生まれおちた時から神童とほまれたかい皇子の出現に、一同が感嘆の声をあげた。
グッと息をのみ、大軍を見渡す。
昨夜つくりあげた四天王像を額にかざす。

「今・・・・」

「今、
もし我をして敵(あた)に勝たしたまわば、
必ず護世四王の未為(みため)に、寺塔(てら)を起立(た)てん!」

厩戸皇子の誓いの叫びが、一同の声が怒涛の波のようにうねり、空へと轟く。

「さぁ!出陣だ!」
一同は、物部守屋の難波の邸宅がある難波京を目指して進軍を開始した。
「この戦、勝ったな・・・」
ニタリ・・・笑む蘇我馬子





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