蘇我氏の時代 (1) 【 聖徳太子 伝説 】
物部氏滅亡後、名実ともに蘇我馬子が権力を掌握します。
泊瀬部皇子(はつせべのおうじ)が皇位について、崇峻(すしゅん)天皇となります。
しかし実質は馬子の傀儡でしかありませんでした。
その上、桜井市の倉梯柴垣の宮に幽閉されます。
厩戸皇子は誓い通りに四天王のために難波の地に四天王寺を建立します。
馬子もまた、飛鳥に法興寺(飛鳥寺)を建立します。
592年。
崇峻天皇は、馬子をよしとしなかったため、馬子に暗殺されます。
次に、額田部皇女(ぬかたべのおうじょ)が即位して、
推古(すいこ)天皇となります。
604年。
壮年となった厩戸皇子は、
馬子とともに冠位十二階の制度を作り、十七条憲法を制定しました。
「和(やわらか)なるを以(もっ)て貴(とうと)しとし、
忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」
憲法といっても人々が遵守すべき道徳規範といった方がよいでしょう。
仏教を利用し権力を得た馬子。
対して、仏教による万民の救済を願う厩戸皇子。
両者の間には、亀裂が生じていました。
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【総集編】奈良妖怪大戦争・蘇我・物部の抗争
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しかし実質は馬子の傀儡でしかありませんでした。
その上、桜井市の倉梯柴垣の宮に幽閉されます。
厩戸皇子は誓い通りに四天王のために難波の地に四天王寺を建立します。
馬子もまた、飛鳥に法興寺(飛鳥寺)を建立します。
592年。
崇峻天皇は、馬子をよしとしなかったため、馬子に暗殺されます。
次に、額田部皇女(ぬかたべのおうじょ)が即位して、
推古(すいこ)天皇となります。
604年。
壮年となった厩戸皇子は、
馬子とともに冠位十二階の制度を作り、十七条憲法を制定しました。
「和(やわらか)なるを以(もっ)て貴(とうと)しとし、
忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」
憲法といっても人々が遵守すべき道徳規範といった方がよいでしょう。
仏教を利用し権力を得た馬子。
対して、仏教による万民の救済を願う厩戸皇子。
両者の間には、亀裂が生じていました。
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【総集編】奈良妖怪大戦争・蘇我・物部の抗争
蘇我・物部の抗争(8)~決戦 【 聖徳太子 伝説 】
穴穂部皇子(あなほべのおうじ)誅殺により、挙兵の大義を失った物部守屋(もののべもりや)。
奈良より大挙する蘇我馬子を迎えうつには2、3の応援があったのみでした。
蘇我馬子は討伐軍を2つにわけ、物部守屋を挟撃にうってでた。
馬子、泊瀬部皇子(はつせべのおうじ)、厩戸皇子の第一軍は、
河内の古市(羽曳野市)、国府(藤井寺)方面の餌香川(えかがわ。現在の石川)で激突。
「餌香川原の戦い」が展開された。
そこで両軍ともに多くの戦死者を出します。
物部軍を突破したのち、難波宮の守屋の私邸を占拠に成功します。
第二軍は、物部の本拠地・渋川(大阪府八尾市)を前面に攻撃。
物部守屋の抵抗は激しく、守屋は率いる河内の軍勢に、3度にわたって撤退を余儀なくされます。
しかし、駆け付けた第一軍に挟撃を受け、蘇我馬子と物部守屋、いよいよ決戦となります。
鎌倉時代に作成された「聖徳太子絵伝」によると、
厩戸皇子自身が馬を駆り、雨のように矢を降り注ぐ守屋軍に立ち向かいます。
そこでも多くの同志を失います。
御仏の軍として、推し進めるが、決死の物部軍に追い詰められる場面もありました。
伝説によると、退去余儀なくされ、今まさに厩戸は追い詰められようとしたときです。
椋(むく)の木がふたつにわかれ、その体内に厩戸皇子を呑み込んでしまいます。
これにより、物部の追手から目をくらますことに成功します。
大阪府八尾市大使堂では、大戦に勝利した後、寺院が建立され、この椋の木が神木として祀られています。
抵抗空しく物部軍は、蘇我の討伐軍の前に総崩れとなるのは時間の問題でした。
果たして物部守屋は矢にいられて戦死します。
御仏の軍として戦った厩戸皇子、勝利にわきかえる一同の中、胃の腑にゴロリとした違和感を抱きます。
双方多くの死者を出した決戦。
「彼らには御仏の加護はなかったというのだろうか・・・」
後日、物部の住居より仏をまつった形跡をみつけます。
物部守屋は仏教を国家宗教とすることには反対していたが、個人的には受け入れていたのです。
「・・・ここにも加護を受けるべきものがいた。」
厩戸皇子の不信感は、あれほど親しみ尊敬を抱いていた大叔父、蘇我馬子へむけられることとなります。
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奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(3)~石上神宮と物部氏―1―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(3)~石上神宮と物部氏―2―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(4)~厩戸皇子出陣 決戦前夜
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(5)~穴穂部皇子事件
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(6)~厩戸皇子出陣
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―1―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~生駒・信貴山スカイライン ―2―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―3―
奈良より大挙する蘇我馬子を迎えうつには2、3の応援があったのみでした。
蘇我馬子は討伐軍を2つにわけ、物部守屋を挟撃にうってでた。
馬子、泊瀬部皇子(はつせべのおうじ)、厩戸皇子の第一軍は、
河内の古市(羽曳野市)、国府(藤井寺)方面の餌香川(えかがわ。現在の石川)で激突。
「餌香川原の戦い」が展開された。
そこで両軍ともに多くの戦死者を出します。
物部軍を突破したのち、難波宮の守屋の私邸を占拠に成功します。
第二軍は、物部の本拠地・渋川(大阪府八尾市)を前面に攻撃。
物部守屋の抵抗は激しく、守屋は率いる河内の軍勢に、3度にわたって撤退を余儀なくされます。
しかし、駆け付けた第一軍に挟撃を受け、蘇我馬子と物部守屋、いよいよ決戦となります。
鎌倉時代に作成された「聖徳太子絵伝」によると、
厩戸皇子自身が馬を駆り、雨のように矢を降り注ぐ守屋軍に立ち向かいます。
そこでも多くの同志を失います。
御仏の軍として、推し進めるが、決死の物部軍に追い詰められる場面もありました。
伝説によると、退去余儀なくされ、今まさに厩戸は追い詰められようとしたときです。
椋(むく)の木がふたつにわかれ、その体内に厩戸皇子を呑み込んでしまいます。
これにより、物部の追手から目をくらますことに成功します。
大阪府八尾市大使堂では、大戦に勝利した後、寺院が建立され、この椋の木が神木として祀られています。
抵抗空しく物部軍は、蘇我の討伐軍の前に総崩れとなるのは時間の問題でした。
果たして物部守屋は矢にいられて戦死します。
御仏の軍として戦った厩戸皇子、勝利にわきかえる一同の中、胃の腑にゴロリとした違和感を抱きます。
双方多くの死者を出した決戦。
「彼らには御仏の加護はなかったというのだろうか・・・」
後日、物部の住居より仏をまつった形跡をみつけます。
物部守屋は仏教を国家宗教とすることには反対していたが、個人的には受け入れていたのです。
「・・・ここにも加護を受けるべきものがいた。」
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奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―1―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~生駒・信貴山スカイライン ―2―
奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―3―
蘇我・物部の抗争(7)~信貴山・朝護孫子寺 ―3― 【 聖徳太子 伝説 】
信貴山・朝護孫子寺。
山の中の寺ではありますが、私の印象からすると・・・
それは、あたかも寺社仏閣の見本市のようなところでした。
とてもではありませんが、紹介しきれません。
詳しくは、最後に掲載したホームページをご覧ください。
抜粋させていただきますが、まずは目を引いた物たちを紹介します。
それは境内にあった寅たちです。
まずは、前回にも紹介しました巨大な張り子の寅 です。
まるで怪獣です。電動で首が動きます。
その脇に子供たち(
)が並んでいます。
やんちゃそうな寅の子ですね。まるで
うちの猫のコチク
のようです。
万札を咥えた寅です。
マネーの寅・・・・
金と銀の寅。なんだか、すっかりマンガのキャラクターですね。
これが神社の門の左右にいるのです。
真剣なのか、冗談なのやら・・・
本堂の前にいた寅。なぜか檻の中にいます。
夜中になると暴れるからです。(ウソです。)
信貴山 最古の笑寅。
時代がかっていて、なんとも重々しさすら感じます。
笑みも重いです。
そして、日本最大のお地蔵様!
信仰によって、仏像は大きく作られていきます。
大きな御姿は、まさに求心力の象徴ですね。
【お知らせ】
「奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争」ですが、いったんお休みし、
次回、8月14日のなら燈花会(最終日)と、春日大社万灯篭について報告します。
本日、開設予定と告知していたメールマガジンについては、
こちらをごらんください。
「本日15日メールマガジンの受付開始についてお詫び 」
重ね重ね、ご期待いただきました方々には、申し訳ございません。
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奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争(7)~生駒・信貴山スカイライン ―2―
「信貴山ホームページ」
URL:http://www.sigisan.or.jp/
山の中の寺ではありますが、私の印象からすると・・・
それは、あたかも寺社仏閣の見本市のようなところでした。
とてもではありませんが、紹介しきれません。
詳しくは、最後に掲載したホームページをご覧ください。
抜粋させていただきますが、まずは目を引いた物たちを紹介します。
それは境内にあった寅たちです。
まずは、前回にも紹介しました巨大な張り子の寅 です。
まるで怪獣です。電動で首が動きます。
その脇に子供たち(
)が並んでいます。やんちゃそうな寅の子ですね。まるで
うちの猫のコチク
のようです。
万札を咥えた寅です。
マネーの寅・・・・

金と銀の寅。なんだか、すっかりマンガのキャラクターですね。
これが神社の門の左右にいるのです。
真剣なのか、冗談なのやら・・・
本堂の前にいた寅。なぜか檻の中にいます。
夜中になると暴れるからです。(ウソです。)
信貴山 最古の笑寅。
時代がかっていて、なんとも重々しさすら感じます。
笑みも重いです。
そして、日本最大のお地蔵様!
信仰によって、仏像は大きく作られていきます。
大きな御姿は、まさに求心力の象徴ですね。
【お知らせ】
「奈良妖怪大戦争―蘇我・物部の抗争」ですが、いったんお休みし、
次回、8月14日のなら燈花会(最終日)と、春日大社万灯篭について報告します。
本日、開設予定と告知していたメールマガジンについては、
こちらをごらんください。
「本日15日メールマガジンの受付開始についてお詫び 」
重ね重ね、ご期待いただきました方々には、申し訳ございません。
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「信貴山ホームページ」URL:http://www.sigisan.or.jp/




