崇峻天皇暗殺事件 ― 蘇我氏の時代(3)
587年。
厩戸皇子(うまやとのみこ:後の聖徳太子)の父である用明天皇が崩御。
これをきっかけに勃発した蘇我対物部の決戦。
朝廷の二大勢力であった両者。
勝利したのは蘇我馬子を筆頭とする蘇我氏でした。
これは、勢力争いであると同時に、
国神を崇める第一の物部氏と、仏教を信仰する蘇我との宗教戦争の体をなしていました。
同年。
厩戸皇子の叔父である崇峻(すしゅん)天皇が即位します。
蘇我氏の勢力は増大し、仏教信仰は公認となります。
しかし・・・
崇峻天皇は献上された猪をみて、壮絶に暗い笑みを浮かべた。
おもむろに剣をぬき、周囲の動揺を他所に、首を切り落としました。
「このように気に食わないものを斬ってしまいたい」と吐き捨てる。
天皇として即位したとはいえ、蘇我馬子の傀儡でしかありません。
飛鳥から距離をおいた桜井市の倉梯柴垣の宮に幽閉同然の生活を強いられます。
そのうっ屈がこのような奇行にはしらせたのでした。
592年。
蘇我馬子が東国のみつぎ(税)を進上に倉梯柴垣の宮を訪れた日のことでした。
馬子の配下である東漢駒(やまとのあやのこま)が、突如謀反を起こし、崇峻天皇を殺害しました。
即座に東漢駒を、馬子自身がうち倒した。
そのしらせを聞いた厩戸皇子は手にした笏をばったとおとした。
呆然自失としていた。
誰の目にも蘇我馬子の謀であることは明白でした。
仏教をこの国にもたらし、かつては多大な尊敬を抱いていた大叔父である蘇我馬子。
物部との戦いからもたげていた不信感は、ここに極まったのでした。
このとき18歳でした。
そして、もう一人、この場において決意を抱く人がいました。
額田部皇女(ぬかたべのおうじょ:炊屋姫)。
この後の推古天皇でした。
厩戸皇子(うまやとのみこ:後の聖徳太子)の父である用明天皇が崩御。
これをきっかけに勃発した蘇我対物部の決戦。
朝廷の二大勢力であった両者。
勝利したのは蘇我馬子を筆頭とする蘇我氏でした。
これは、勢力争いであると同時に、
国神を崇める第一の物部氏と、仏教を信仰する蘇我との宗教戦争の体をなしていました。
同年。
厩戸皇子の叔父である崇峻(すしゅん)天皇が即位します。
蘇我氏の勢力は増大し、仏教信仰は公認となります。
しかし・・・
崇峻天皇は献上された猪をみて、壮絶に暗い笑みを浮かべた。
おもむろに剣をぬき、周囲の動揺を他所に、首を切り落としました。
「このように気に食わないものを斬ってしまいたい」と吐き捨てる。
天皇として即位したとはいえ、蘇我馬子の傀儡でしかありません。
飛鳥から距離をおいた桜井市の倉梯柴垣の宮に幽閉同然の生活を強いられます。
そのうっ屈がこのような奇行にはしらせたのでした。
592年。
蘇我馬子が東国のみつぎ(税)を進上に倉梯柴垣の宮を訪れた日のことでした。
馬子の配下である東漢駒(やまとのあやのこま)が、突如謀反を起こし、崇峻天皇を殺害しました。
即座に東漢駒を、馬子自身がうち倒した。
そのしらせを聞いた厩戸皇子は手にした笏をばったとおとした。
呆然自失としていた。
誰の目にも蘇我馬子の謀であることは明白でした。
仏教をこの国にもたらし、かつては多大な尊敬を抱いていた大叔父である蘇我馬子。
物部との戦いからもたげていた不信感は、ここに極まったのでした。
このとき18歳でした。
そして、もう一人、この場において決意を抱く人がいました。
額田部皇女(ぬかたべのおうじょ:炊屋姫)。
この後の推古天皇でした。
蘇我氏の時代(2) ~高市郡明日香村 飛鳥寺―2― 【 聖徳太子 伝説 】
飛鳥寺
のつづきです。
飛鳥寺の門をくぐると、池があります。
そこには・・・!
ポストがあります。
さすがは大陸、そして朝鮮から最新の知識と技術を取り入れた蘇我氏。
この時代に郵便制度をとりいれていたなんて
・・・のわけないですね。しかし、立ち位置が、なんともまぎらわしい。
あ、このブログ、メールマガジンやってます。
よろしくおねがいします。
詳しくは、こちら!
・・・つづけます。(*゚ー゚)ゞ
こちらの住職、なかなかおおらかな人と見えて、
鐘つき堂があります。これ、うち放題です
なかなかできない体験なので、ゴンゴンたたかさせていただきました。
堂内にはいると、住職自らが飛鳥寺の由来、そして、飛鳥大仏の話をしてくれます。
住職、なにかと東大寺の大仏を目の敵にしているようで、
東大寺の大仏は人災で何度も作りなおされているということ、
飛鳥大仏は、天災で修復されて、創造当時の姿を残しているということを主張されていました。
(
天災の方が、人災より上なのかな・・・)
また、法隆寺などでは、建物の外観の写真はOKですが、中の仏像の撮影はNG。
うってかわって、この飛鳥寺では、ALLOKでした。
写真撮り放題
お寺の回廊が展示室になっていて、これまたサービス精神旺盛です
廊下の突き当たりにある”第二展示室”
周りは田園風景で本当にのどかな場所です。
明日香村をおとれましたら、是非とも、コースに飛鳥寺を組み入れることをお勧めします。
門前では売店があり、地場の野菜が格安で購入できますよ
玉ねぎ一袋100円
飛鳥の里新にんにくは・・・・1000円。(あれ?)
明日香村は田園風景ひろがるのどかな景色。
おすすめは、秋。
稲穂が黄金色に染まるころ、夕映えの中の明日香村は、最高です。
秋と言えば、10月17日、
「【特別企画】春日山原始林 ハイキングツアーのお知らせ 」
こちらもよろしくお願いしますね。
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飛鳥寺の門をくぐると、池があります。
そこには・・・!
ポストがあります。さすがは大陸、そして朝鮮から最新の知識と技術を取り入れた蘇我氏。
この時代に郵便制度をとりいれていたなんて

・・・のわけないですね。しかし、立ち位置が、なんともまぎらわしい。
あ、このブログ、メールマガジンやってます。よろしくおねがいします。
詳しくは、こちら!
・・・つづけます。(*゚ー゚)ゞ
こちらの住職、なかなかおおらかな人と見えて、
鐘つき堂があります。これ、うち放題です

なかなかできない体験なので、ゴンゴンたたかさせていただきました。
堂内にはいると、住職自らが飛鳥寺の由来、そして、飛鳥大仏の話をしてくれます。
住職、なにかと東大寺の大仏を目の敵にしているようで、
東大寺の大仏は人災で何度も作りなおされているということ、
飛鳥大仏は、天災で修復されて、創造当時の姿を残しているということを主張されていました。
(
天災の方が、人災より上なのかな・・・)また、法隆寺などでは、建物の外観の写真はOKですが、中の仏像の撮影はNG。
うってかわって、この飛鳥寺では、ALLOKでした。
写真撮り放題
お寺の回廊が展示室になっていて、これまたサービス精神旺盛です

廊下の突き当たりにある”第二展示室”
周りは田園風景で本当にのどかな場所です。
明日香村をおとれましたら、是非とも、コースに飛鳥寺を組み入れることをお勧めします。
門前では売店があり、地場の野菜が格安で購入できますよ

玉ねぎ一袋100円

飛鳥の里新にんにくは・・・・1000円。(あれ?)
明日香村は田園風景ひろがるのどかな景色。
おすすめは、秋。
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奈良妖怪大戦争―蘇我氏の時代(2) ~高市郡明日香村 飛鳥寺―1―
蘇我氏の時代(2) ~高市郡明日香村 飛鳥寺―1― 【 聖徳太子 伝説 】
奈良県高市郡明日香村。
飛鳥の真神原(まかみのはら)に、蘇我馬子が建立した法興寺(ほうこうじ)、後の飛鳥寺があります。
596年。物部との戦い に勝利したら仏寺を建立することを誓い、無事に果たした証として創建されました。
そして、日本初の本格的寺院です。
かつては三つの金堂が塔を取りかこんだ伽藍は失われ、今では、田舎の寺という風情になっています。
1300年前の平城遷都の際に、分割、移転・創健されたのが「元興寺 」です。
ご本尊「釈迦如来像」通称、飛鳥大仏。
推古天皇の発願で609年に造像。
写真ではわかりづらいのですが、堂内におさめられた身の丈3メートルの姿は、迫力があります。
天災により、光背は焼失。修理を繰り返し今に至ります。
つまり、造像当時の面影を残す数少ない仏像です。
飛鳥大仏の脇に鎮座する聖徳太子(厩戸皇子)少年の像。
病床にあった父である用明天皇の回復を祈願された御姿と伝えられています。
飛鳥寺はまさに蘇我氏の栄華を象徴した寺でした。
しかし・・・
飛鳥寺よりわずかばかりの先に、蘇我馬子の孫である蘇我入鹿の首塚があります。
大化改新によって討たれた蘇我入鹿。
蘇我氏の繁栄の終焉でした。
この飛鳥寺より800メートル先に、その入鹿殺害の舞台となった伝飛鳥板蓋宮跡があります。
645年。中大兄皇子と中臣鎌足が起こした古代史最大のクーデター「乙巳の変」。
大化の改新への礎でした。
そして、この飛鳥寺に中大兄皇子の軍隊が潜んでいたのでした。
このお話は、またいずれ・・・
飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
0744-54-2126
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談山神社【大化改新発祥の地】(4)
談山神社【大化改新発祥の地】(5) 神廟拝所 ― 1 ― 秘仏・談峯如意輪観音像
談山神社【大化改新発祥の地】(6) 神廟拝所 ― 2 ―
談山神社【大化改新発祥の地】(7) 140の石段~十三重の塔
談山神社【大化改新発祥の地】(8) 楼門、談山神社本殿・透廊 ―1―
談山神社【大化改新発祥の地】(9) 楼門、談山神社本殿・透廊 ―2―
談山神社【大化改新発祥の地】(10)―完結―
飛鳥の真神原(まかみのはら)に、蘇我馬子が建立した法興寺(ほうこうじ)、後の飛鳥寺があります。
596年。物部との戦い に勝利したら仏寺を建立することを誓い、無事に果たした証として創建されました。
そして、日本初の本格的寺院です。
かつては三つの金堂が塔を取りかこんだ伽藍は失われ、今では、田舎の寺という風情になっています。
1300年前の平城遷都の際に、分割、移転・創健されたのが「元興寺 」です。
ご本尊「釈迦如来像」通称、飛鳥大仏。
推古天皇の発願で609年に造像。
写真ではわかりづらいのですが、堂内におさめられた身の丈3メートルの姿は、迫力があります。
天災により、光背は焼失。修理を繰り返し今に至ります。
つまり、造像当時の面影を残す数少ない仏像です。
飛鳥大仏の脇に鎮座する聖徳太子(厩戸皇子)少年の像。
病床にあった父である用明天皇の回復を祈願された御姿と伝えられています。
飛鳥寺はまさに蘇我氏の栄華を象徴した寺でした。
しかし・・・
飛鳥寺よりわずかばかりの先に、蘇我馬子の孫である蘇我入鹿の首塚があります。
大化改新によって討たれた蘇我入鹿。
蘇我氏の繁栄の終焉でした。
この飛鳥寺より800メートル先に、その入鹿殺害の舞台となった伝飛鳥板蓋宮跡があります。
645年。中大兄皇子と中臣鎌足が起こした古代史最大のクーデター「乙巳の変」。
大化の改新への礎でした。
そして、この飛鳥寺に中大兄皇子の軍隊が潜んでいたのでした。
このお話は、またいずれ・・・
飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
0744-54-2126
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談山神社【大化改新発祥の地】(10)―完結―