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鹿物語 ~ 【奈良公園の冬】 奈良のゆるキャラ ナポくん登場! 

いやはや、寒い日が続きますね。
みなさん、いかがお過ごしですか?

こんにちは。

奈良歴史ミステリーハンター☆鈴木です。

先日、久々に奈良公園に訪れました。
このイベント の下見のためです。


奈良公園といえば、鹿さん。

この時期は冬毛がモコモコの鹿さんばかりです。

顎のラインが丸みを帯びて、キュートさ倍増(フェチ?)。

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こんな鹿さんがいました。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-奈良公園 鹿 ナポくん

奈良県警のマスコットキャラ「ナポくん」

警視庁のマスコットキャラ「ピーボくん」の奈良版・・・・いや、お友達です。

ひとたび事件が起こると、角の先についたパトランプが光るゾ!(妄想。)
(≧▽≦)

それはさておき・・・

春日大社で、こんな鹿さんがいました。

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よーく見てください。

首輪がついています。

首輪の中には、単一電池らしきシルエットが・・・

個体識別の発信機かなにかでしょうか。

奈良公園の鹿は、野生動物ですが、なにかと事情がありそうですね。

今度、この方 に伺ってみましょうか。


それでは、みなさん、お体にはお気をつけてお過ごしください!


早起きは、三文の得。これは奈良が起源なんですよ。
鹿と少年の悲しいお話。 ~ 興福寺 十三鐘と石子詰

金子みすゞと、矢崎節夫先生の影菩薩 ~ 當麻寺 聖衆来迎練供養会式

旅では、思いもかけない出会いがあります。

だから、おもしろいのです。

・・・

続・大和七福八宝巡り【2010年12月奈良ミステリー開運ツアー!】。

最後におとずれた當麻寺 でのことでした。

ふらりと立ち寄ったお土産屋さんで、當麻名物の「ケハヤ団子」とお茶をいただきます。

ちいさなヨモギ餅を、串団子にしたものです。

とてもカワイらしい。

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気さくなおかみさんにまねかれて、あつかましくも、お店の中でいただきます。

お店の中で、まっさきに目についたのは、金子みすゞさんのパネルでした。

よくよくみてみると、お店の中には金子みすゞさんの関連書物が、所せましに並べられていました。

・・・おかみさんの愛読書かな?

他にも、金子みすゞを見出し、世にしらしめた矢崎節夫先生の著者も多く見受けられました。

さて、おかみさんからこんなお話を伺いました。

聖衆来迎練供養会式」です。

毎年5月14日、當麻寺では「聖衆来迎練供養会式」(しょうじゅらいごうねりくようえしき)がとりおこなわれます。

お練り供養とは、二十五菩薩に扮した人々が、人間の俗世界にみたてた東側の娑婆堂(しゃばどう)と、極楽浄土にみたてた西側の曼荼羅堂(まんだらどう)を結ぶ約110メートルの永い来迎橋を練り歩く儀式です。

いわゆる菩薩様のコスプレ行列ですね。
(うーむ。罰あたりだな・・・)
菩薩様のお面は、新しいもので350年前の仕立てになります。

二上山に陽が傾くころにおこなわれます。
差し込む日差しが、練供養の神々しさを引き立てます。
見る人々に、西方浄土を連想させます。

ことに當麻寺で行われる聖衆来迎練供養会式は、中将姫 が、生きたまま成仏したという伝承を再現しております。
お練供養の代表格といわれております。

この祭事に、かつて金子みすゞさんの研究家で名高い児童文学者の矢崎節夫が、参加されたことがあったそうです。
もちろん、おかみさんの口利きだそうです。

彼は、菩薩に扮し、来迎橋を練り歩いたそうです。

人々が二十五菩薩に扮した一行に注目する中、彼は、来迎橋に落ちる自らの影を見つめ、「影菩薩」と称しました。

だれもが夕陽をあびて黄金色にかがやく菩薩様の姿に気を取られる中、菩薩の姿をかりて、歩をすすめるため、自らの影をみつめ、そう呼んだのでした。

それは練供養に参加できたものが見ることができる菩薩様の姿だと、感極まり語っていたそうです。


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旅では、思いもかけない出会いがあります。

おかみさんから、おもしろいお話をうかがうことができました。

あ、前回の「當麻寺と、天満宮の天神さま~天神講 」のことも、おかみさんにおしえてもらいました。

さて、今年の五月、ぜひとも當麻寺聖衆来迎練供養会式をみてみたくなりました。

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金子みすゞ
明治36年(1903年)山口県生まれ。
大正末期、すぐれた作品を発表し、『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛される。
昭和5年(1930年)26歳の若さで世を去った。
没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人と語り継がれる

矢崎節夫
昭和22年 東京生まれ。
昭和57年「ほしとそらのしたで」で赤い鳥文学賞。
大正末の童謡詩人金子みすゞの全作品512編をさがしあて「金子みすゞ全集」にまとめて紹介。
昭和59年日本児童文学学会特別賞。
平成5年「童謡詩人 金子みすゞの生涯」で同学会賞をうけた。
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>>続・大和七福八宝巡り
【2010年12月奈良ミステリー開運ツアー!】
 1.信貴山 朝護孫子寺
 2.達磨寺
 3.當麻寺

【雑記帳】奈良から大阪へ 阪神・淡路大震災

1995年1月17日。

早朝。

まだ暗いくらい時間。

いつものように会社の先輩の車にのせてもらい、大阪は西区の事務所へと向かいます。

未だになれない早朝の仕事。

特にその日は、全身がだるく、朝の冷え込みがひどくキツく感じていました。

風邪をひいていたことに気付いたのは、ずっと後のことでした。

先輩はケチで、車の暖房をつけない人でした。
底冷えする助手席で震えていました。

国道163号線を、生駒から大阪へ下っていきます。
四条畷市にさしかかったとき、突然、車が大きく振れました。

・・・ええ!?

車を急停止します。

普段、この時間、猛スピードで飛ばす車が多いのです。
目の前の信号が、赤信号にかわっていたので、幸い追突される心配はなかったのですね。

・・・パンクか?

何事かと、二人して車を飛び出します。
タイヤを点検しますが異常ありません。

ふと、前後の車が、てんででたらめに車をとめ、運転手たちがいぶかしげに辺りを見回していました。

「?」

気を取り直して車にのりこみ、会社へ急ぎました。

カーラジオから流れるニュースは、てんで何をいっているのかわけがわかりません。
時間が経つにつれて、地震が起こったことが理解できました。

いつも先輩の車では、音楽ではなく、
MBSラジオの「おはようございます川村龍一」がかけられていました。

このとき、ラジオパーソナリティの川村龍一さんが、スタジオに到着しないと騒いでいました。

熱にうなされながら、いつもと違う雰囲気に気分が重く落ち込んでいきます。

門真市から守口市へさしかかったときに、地面が割れて大量の水が噴き出していました。

どうやら水道管が破裂したようです。

町中、いたるところでサイレンの音が鳴り響きます。

先ほどの車のスリップの原因と、ラジオでいっていた地震の規模が、おそろしく大きいことがようやく理解できました。

これが私の「阪神淡路大震災」の体験でした。


1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。

マグニチュード7.5の地震が、阪神、淡路を襲ったのでした。

死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名


カーラジオから、川村さんの電話の声が届けられる様子が流れてきます。

このとき川村さんは、出勤途中に地震と遭遇。
情報が混乱を極めていた瞬間に、被災地にて被災状況を電話でレポートをしていたのでした。
彼の口からは、壮絶な被災状況が伝えられます。

事務所に着いて、グッタリしながらも作業をこなします。
他の社員は、いくら待っても来る様子がありません。

一仕事終え、休憩室のテレビをみて愕然としました。
そこには、倒壊した高速道路の光景がありました。

社員の女の子一人、が三宮に住んでいたので、心配になりました。

先輩と二人してなんとか連絡をとろうとしますが、まったく駄目でした。

その人は、助かって命からがら、大阪へ逃げ延びてきました。

だけど、住むところを失い、すぐには行くあてなく、
しばらく事務所に寝泊まりすることになったのでした。

社長が、元気づけようと、ふざけて、ワッと脅かしたところ、

ギョッとなり、へなへなと泣き崩れてしまいました。

心胆を寒からしめる恐怖が、彼女に巣くっていました。

この震災では、建築や、住宅事情、緊急災害時の対応・・・様々な問題をこのとき、世間へ投げかけたのでした。

あれから十五年。

この震災は過去のものとなってしまいました。

一見、町は復興されたかのように思えます。

今でも、心の奥に深い傷をおったまま日々を過ごす人が、まだまだ多くいらっしゃると聞きました。

しかし、理不尽なほどに圧倒的な大災害の力にのみこまれ、命を落とした人のこと、

瞬間、夢や、笑顔をうしなった人たちのことを思えば、

そして、私自身にもいえることなのですが、

今、生きていることがどれだけ、有難いことか。



ラジオの川村さんの声が、今でも脳裏によぎります。

高揚していましたが、つとめておさえ、震災の状況を伝えていました。

このとき、彼は、自分のできること、
この瞬間、生きて残ったものが、できうることを、
果たせることができる責務を、精一杯にやってのけていたのでしょう。

後で知ったのですが、
彼の活動により、MBSをはじめとするマスメディアに、この地震の重大さを認識させたのでした。


最後に、阪神淡路大震災で亡くなった全ての方にご冥福をお祈りいたします。