自分の良心で判断して正しいと思ったことを行え ~ 神道のおしえ ― 人間中心の宗教
神道には、難しい戒律はない。
「自分の良心で判断して正しいと思ったことを行え」
と説くのが神道である。
誰もが楽しく豊かに過ごすことを喜ぶ。
それならばみんなが幸福に生活できる世の中にするにはどうすればよいかを自分で考え、
人びとのためになることを行えと日本の神様は教える。
また、誰もが自然はかけがえのないものだと考える。
それならば動植物をたいせつにして、あるがままの美しい日本の風景をたもっていこう。
このような自然保護の考えも、神道からくるものである。
― 武光 誠 「知っておきたい日本の神様」より
「自分の良心で判断して正しいと思ったことを行え」
と説くのが神道である。
誰もが楽しく豊かに過ごすことを喜ぶ。
それならばみんなが幸福に生活できる世の中にするにはどうすればよいかを自分で考え、
人びとのためになることを行えと日本の神様は教える。
また、誰もが自然はかけがえのないものだと考える。
それならば動植物をたいせつにして、あるがままの美しい日本の風景をたもっていこう。
このような自然保護の考えも、神道からくるものである。
― 武光 誠 「知っておきたい日本の神様」より
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一日生きることは・・・ ~ 湯川秀樹博士 と 王寺町
一日生きることは
一歩進むことでありたい
湯川秀樹
これは日本人最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、
奈良県北葛城郡王寺町へ贈った言葉です。
王寺町立小学校の校庭には湯川秀樹博士の訓の碑があります。
・・・
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鹿と少年と紅葉 ~ 興福寺 十三鐘の石子詰(いしこづめ) 近松門左衛門 浄瑠璃「十三鐘」
花札の”鹿”は、鹿と紅葉のとりあわせですね。
鹿と紅葉。
この構図から、何を想像されますか。
深まる秋を偲ぶ鹿の姿
実は、こんなお話が起源となっていました。
奈良の鹿 は、春日大社 の神の使いです。
このため昔は、人間以上に鹿を大切に保護していました。
以前に記載しました 「早起きは、三文の得(徳) 」も、そのひとつのお話です。
鹿に危害を加えたら、厳しく罰せられていました。
石子詰め(いしこづめ)の刑といって、鹿を殺してしまうと、死んだ鹿と一緒に生き埋めにされる刑がありました。
これは、そのお話です。
興福寺の菩提院大御堂のそばに寺子屋がありました。
お寺の和尚様が子供たちに読み書きを教えていたのです。
そのひとりに三作という子供がいました。
ある日、三作が習字をしていたときです。
一頭の鹿がやってきて、廊下に置いてあった草子をくわえていこうとしました。
三作は「コラッ」と叫び、けさん(文鎮のようなもの)を投げつけました。
討ちどころ悪く鹿は、死んでしまいました。
果たして三作は鹿を殺してしまったのです。
幼い子供とはいえど、罰をのがれることはできません。
三作は、石子詰の刑に処せられることになりました。
大御堂の前の東側の庭に大きな穴が掘られました。
そこに死んだ鹿と三作が入れられ、上から小石が投げ込まれていきました。
三作の母親は気が狂わんばかりに嘆き悲しみます。
しかし、どうすることもできません。
その後、三作の母親は、供養のため紅葉の木を植えました。
それが今に伝わり、鹿と紅葉の取り合わせの所以だといわれています。
・・・
寺小屋があった菩提院大御堂では、
明け七つ(午前4時)と暮れの六つ(午後六時)に鳴る鐘を鳴らします。
鐘の音は、あわせて十三。
いつしか誰かが、それは三作の年齢が十三にちなんでいるといいました。
そこから十三鐘といわれるようになったのです。
このお話は近松門左衛門の世話浄瑠璃「十三鐘」として有名になりました。
せめて我が子の菩提のためと、
子ゆえの闇にかきくもる、
心は真如の撞鐘を、
一つ撞いては独り涙の雨やさめ、
二つ撞いては再び我が子を、
三つ見たや、
四つ夜毎に泣き明かす、
五つ命をかえてやりたや、
六つ報いは何のその咎ぞ、
七つ涙で
八つ
九つ
心も乱れ、問うも語るも、恋しなつかし我が子の年は、
十一、
十二、
十三鐘の、
鐘のひびきを聞く毎に、
可愛々々々々々々とともに泣きに、
啼くは冥土の烏かえ。
関連記事
奈良公園の鹿
早起きは、三文の得。これは奈良が起源なんですよ。
鹿殺し裁判
鹿島神宮から春日大社へ長いながい旅
おやおや奈良の鹿がおじぎをするのは鹿せんべいが理由ではないのです。千年前からのようなのです。
鹿と紅葉。

この構図から、何を想像されますか。
深まる秋を偲ぶ鹿の姿

実は、こんなお話が起源となっていました。
奈良の鹿 は、春日大社 の神の使いです。
このため昔は、人間以上に鹿を大切に保護していました。
以前に記載しました 「早起きは、三文の得(徳) 」も、そのひとつのお話です。
鹿に危害を加えたら、厳しく罰せられていました。
石子詰め(いしこづめ)の刑といって、鹿を殺してしまうと、死んだ鹿と一緒に生き埋めにされる刑がありました。
これは、そのお話です。
興福寺の菩提院大御堂のそばに寺子屋がありました。
お寺の和尚様が子供たちに読み書きを教えていたのです。
そのひとりに三作という子供がいました。
ある日、三作が習字をしていたときです。
一頭の鹿がやってきて、廊下に置いてあった草子をくわえていこうとしました。
三作は「コラッ」と叫び、けさん(文鎮のようなもの)を投げつけました。
討ちどころ悪く鹿は、死んでしまいました。
果たして三作は鹿を殺してしまったのです。
幼い子供とはいえど、罰をのがれることはできません。
三作は、石子詰の刑に処せられることになりました。
大御堂の前の東側の庭に大きな穴が掘られました。
そこに死んだ鹿と三作が入れられ、上から小石が投げ込まれていきました。
三作の母親は気が狂わんばかりに嘆き悲しみます。
しかし、どうすることもできません。
その後、三作の母親は、供養のため紅葉の木を植えました。
それが今に伝わり、鹿と紅葉の取り合わせの所以だといわれています。
・・・
寺小屋があった菩提院大御堂では、
明け七つ(午前4時)と暮れの六つ(午後六時)に鳴る鐘を鳴らします。
鐘の音は、あわせて十三。
いつしか誰かが、それは三作の年齢が十三にちなんでいるといいました。
そこから十三鐘といわれるようになったのです。
このお話は近松門左衛門の世話浄瑠璃「十三鐘」として有名になりました。
せめて我が子の菩提のためと、
子ゆえの闇にかきくもる、
心は真如の撞鐘を、
一つ撞いては独り涙の雨やさめ、
二つ撞いては再び我が子を、
三つ見たや、
四つ夜毎に泣き明かす、
五つ命をかえてやりたや、
六つ報いは何のその咎ぞ、
七つ涙で
八つ
九つ
心も乱れ、問うも語るも、恋しなつかし我が子の年は、
十一、
十二、
十三鐘の、
鐘のひびきを聞く毎に、
可愛々々々々々々とともに泣きに、
啼くは冥土の烏かえ。
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早起きは、三文の得。これは奈良が起源なんですよ。
鹿殺し裁判
鹿島神宮から春日大社へ長いながい旅
おやおや奈良の鹿がおじぎをするのは鹿せんべいが理由ではないのです。千年前からのようなのです。
- 近松門左衛門 『曽根崎心中』『けいせい反魂香』『国性爺合戦』ほか ビギナーズ・クラシックス.../著者不明
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