知っていました? 学問の神様・菅原道真のルーツをたどる。 ~算命学と奈良歴史 (再掲載)
連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第四弾、 菅原道真
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福岡県太宰府市にある太宰府天満宮。
毎年早春、650万人に及ぶ学生達が、学業成就を祈願し訪れます。
伝説では、亡くなった菅原道真の遺体を運ぶ牛車が、現在の太宰府天満宮本殿の場所で動かなくなったので、その場に埋葬したのが始りだと伝えられています。
菅原道真の生い立ち
神童と誉れ高い菅原道真は、わずか5歳で和歌を詠み、10歳で漢詩を創作。
18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格。
33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。
55歳で右大臣、そして、ついに、若きライバルであった藤原時平と共に従二位に登りつめます。
しかし政争にまきこまれ、藤原時平の姦計にあい大宰府左遷となります。
当時、大宰府へ左遷というのは配流に等しい扱いでした。
菅原道真は、ひたすら謹慎し天を怨む素振りもみせず、劣悪の環境の中で健康を損ない延喜3年(903)2月に亡くなります。
雷神道真の逆襲と北野天満宮
菅原道真死後、京では異変が相次ぎます。
ライバルであった藤原時平が若くして急死。
天皇家、朝廷要人が相次いで急死します。
延長8年(930)朝議の最中に清涼殿に落雷し、多くの死傷者が出ました。
このことから都中、道真が雷神となって復讐しにきたといまことしやかに流れたのでした。
天慶3年(942)右京七条の多治比文子に道真の神託が下り、雷神を鎮める祠を建てました。
それが現在、京都上京区にある北野天満宮の前身でした。
奈良菅原町
奈良は西大寺の南には、かつて一帯に菅(すげ)が生えていたところから”菅原の里”と呼ばれていました。
現在の菅原町となり、古い家並みと新興住宅地が共存する静かな町となっています。
道真の先祖に野見宿禰(のみのすくね)という人物がいました。
垂仁天皇の時代、出雲の野見宿禰は、当麻(奈良県葛城市當麻)の当麻蹴速(たぎまのけはや)と、角力(相撲の原点)で、生死をかけた戦いをおこないます。
結果、蹴速は、野見宿禰に腰の骨を砕かれ敗れます。
この試合が後世に相撲の発祥とされます。
行われた地、桜井市の穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)の摂社「相撲神社」に野見宿禰と当麻蹴速は共に相撲の神とされ祀られています。
野見宿禰は、垂仁天皇に「殉葬」の慣習を廃止し、埴輪を用いることを進言されました。
以後、埴輪を制作する「土師氏」(はじし)としてこの菅原の里に住んだと伝えられています。
野見宿禰については、こちらの記事もご覧下さい。
「【出雲 紀行】その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅 」
やがて道真の曽祖父の代になると、菅原の地名から姓を「菅原」に改めたのですね。
菅原神社と喜光寺
菅原町に菅原神社が鎮座します。
祭神は、天穂日命(あまのほひのみこと)、野見宿禰、菅原道真です。
小さな神社です。数ある「菅原道真誕生」の地の一つと伝えられ6月には誕生祭が行われます。
菅原道真は書道の神様としても祀られているため3月の「奈良筆祭り」には、筆は奈良の代表産業のひとつであるだけに、2000人ものの参拝客が押し寄せます。
境内には牛の像が並び、それぞれが愛嬌があふれる顔を覗かせています。
菅原神社からほどなくの場所に、古い町並みに華麗な甍(いらか)を覗かせる古寺「喜光寺」があります。
霊亀元年(751)創建時には、菅原寺と呼ばれていました。
伝説によると、平城京の聖武天皇 が参拝した際に本尊より不思議な光明が放たれ、天皇は御仏の御印と喜び「喜光寺」と改めたそうです。
また、養老5年(721)東大寺大仏造立に貢献した行基が創建したとも伝えられています。
本堂は室町時代に再建され、東大寺大仏殿の十分の一のサイズに建てられたことから「試みの大仏殿」とも呼ばれていました。
「平城遷都1300年祭」の奈良に訪れた時には、「菅原神社」、「喜光寺」をコースに入れられてはいかがでしょうか。
算命学カウンセラー紅星くれないぼし先生の鑑定結果は、こちら。
連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
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関連情報:
紅星先生との連動企画で紹介した歴史上の人物はこちら。
第一弾、豊臣秀長 。
第二弾、筒井順慶 。
算命学カウンセラー紅星(くれないぼし)先生のブログは、こちら。
ノガミさんの男祭。 大和の野神行事 国選択無形民俗文化財
「野神」さん「野神」(のがみ)さんは、農耕の守護神です。
全国的に広く信仰されており、地域毎に「ノガミ」、「ノガミサン」、「ノーガミ」、「ジャマキ」、「ノツゴ」と呼び方も様々です。
野神に関わる行事は、大和盆地、琵琶湖周辺が盛んです。
大和の野神行事大和の野神行事は、端午の節供に集中し、田植え前の5月から6月にかけて行われます。
多くは子供の集団が主体です。
毎年、ジャ(蛇形)と呼ばれる藁の作り物を製作します。
それを担いで集落を巡行します。
その後、野神に供えたり、
あるいは新たに鍬・鋤などの模型をつくって奉納するなど、伝承地によってそれぞれです。
6月の第一日曜日、旧暦の5月5日。
男の節句ともいいます。
田原本町の唐古・鍵遺跡 のひざ元にある田原本町鍵と今里でも野神行事が執り行われました。
両町は隣接しあっていますが、野神さんの形態が著しくことなります。
こちらは、巨大な頭を有する鍵の蛇巻き(かぎのじゃまき)。
鍵の氏神である八坂神社の境内でつくられます。
頭の重さは、200キロにおよびます。
五穀豊穣を祈願とともに、14歳から17歳の少年が、大人の仲間入りを果たす機会でもあります。
頭持ち(かしらもち)をつとめる少年たちは、命がけで200キロの蛇の頭を担ぎ、集落を巡行します。
このときの様子は、こちら。
「1.ノガミさん出発! 鍵の蛇巻き 」
「2.ひっぱれ!ひっぱれ! どっすーん! 」
「3.少年たちの初夏 」
そして長さ20メートルものの今里の蛇巻き(いまざとのじゃまき)。
杵築神社の境内で、大人の当屋を中心に、子供たちが手伝いながらつくられます。
一軒一軒の家の玄関をたずね、いっせいに「おめでとう!」と声をあげます。
このときの様子は、こちら
「1.そのころ、今里では・・・ただいま準備中 」
「2.龍が誕生する時 」
「3.龍の完成 神様の坐より 」
「4.ワカメの味噌煮 いただきました (^^)v 」
「5.おめでとう!おめでとう!おめでとう! 」
「6.そ~ら! 巻きこめ! 蛇巻き! 無病息災の祈り 」
このように野神行事は、伝承地によって変化に富んでいます。
また分布地点がきわめて多いのです。
地域的に特色ある実態を記録保存しようと国選択無形民俗文化財に指定されています。
関連記事いつでも誰かが きっとそばにいる
復元された弥生時代の高層建築物 唐古・鍵遺跡、楼蘭
参考文献文化庁「大和の野神行事とは―国指定文化財データベース 」
田原本町ホームページ「鍵の蛇巻き・今里の蛇巻き 」
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