うつ病を振り返って(1)
健康な時の私
■会社から:「お前の力が必要だ」は嬉しい
1.自分の得意とする分野や自分の仕事はだれにも真似できない(と思い込む)
2.そんな私の力は会社にとって必要だ
3.私自身の自分力のさらなるアップを試せる場が会社
うつ病になってから
■会社から:「お前の力が必要だ」
「以前のお前らしくない、また一緒に頑張ろう」は負担
会社から「お前がいてもいなくても仕事には影響ない」といわれるような存在は会社に存在する意味すら無いと思っていたし、もしそう言われた場合「私はいらない人間だ」と等しいと思い、自分を否定されやる気もなくなり適当に仕事をすればいいと思うだろう
「他人に認めてもらいたい」という欲求は「健康で長生きをしたい、おいしいものを食べたい、寝たい」という欲求に匹敵するくらい自然でかつとても重要な欲求だと思っている
実際、「うつ病」と診断されても、自分自身が「まさかうつ病だなんて」と思って、病気を受け入れらなかった最初の頃、面と向かって常務に言われた時は、ショックでした
「人生80年位生きるうちの1年や2年、大した時間じゃない。そういう時があっても、あれこれ思わずあせらず、必ず治るんだからしっかり治して、また復帰してくれればいい」
・・・それってもう辞めろっていう意味?! と半分あきらめの境地で聞いていた
けれども、今になって振り返ると常務は「うつ病」を理解してくれていたとわかった
2ヶ月に1度くらい、自宅へ訪ねてきてくれては、いろいろ経験談を話してくれる
「所属長会議で、あなたが元気になったら、また復帰を受け入れようということで一致した、それから先のことはあなた次第だ」と言ってもらった時は、私は素直に嬉しかったけれど、もう同じ仕事は出来ないという思いもあり不安でもあった
常務の同級生で「うつ病」になった人がいて、いろいろとその経験を踏まえてアドバイスしてくれた
「うつ病」とは治るが時間がかかる、そんな病気なんだと、「少しほっとした私」
1.現実は私がいてもいなくても会社は存続するし、代わりの社員が必ずいる
2.「私の力は必要だ」はただの思い上がりで、、有能な社員は会社が引っ張ってくる
3.自分力をアップする場は、会社でなくてもできる
そう思うようになっていった
9.仕事にミス・うつ病のきざし
私の勤める旅行会社
以前は年中無休でしたが、現在は正月1日~3日だけ休みになりました
そして、本社直轄営業所と私たちの営業所以外、日曜日は定休日です
一昨年前の04年12月~05年6月の半年間、日曜日を試験的に定休日にしました
日曜日が定休日だったので、息子の少年野球に専念できるようになりました
ですが、突然(6月から)また日曜日の営業が再開されたので、ローテーションで出勤の日もできました
05年6月からシーズンが終わる11月まで、会社に気を使いながら休みをもらっていました
とにかく春先1人退職し補充がないので、仕事量が半端じゃなかった
そして、9月頃から営業から事務所へ帰り、残務整理をしていると、気分が悪くなり、血圧が急に下がった時に以前からあった「ふっ」と立ちくらみをするような感じで意識が遠のいていくことが何度か起こるようになり、休憩室で横になり、落ち着いたらまた仕事に戻るというようなことが月に2、3度起こるようになっていた
日曜日のほとんどを無理を言って休みをいただき、平日はバリバリ仕事、週末は息子達の練習相手にに試合
結構ハードに身体を動かす事が多くなり、気分的にはリフレッシュしていましたが、自分自身の時間はなくなっていました
所員の皆に迷惑をかけないようにと思いながら、一生懸命仕事をこなし、旅行会社復帰後2年目の05年は11月に早くもその年のノルマを達成しました
とにかく忙しかったけれど、体調は9月を過ぎてだんだん悪くなっていった
仕事に追いかけられるのは嫌なので、追いかけるように気持ちを持ちながらも
1日は24時間
だんだん追われてるわたし
いつもは春秋の旅行シーズンは団体旅行でわたし達、営業マンの稼ぎ時
GW、夏休み前は個人旅行の予約で、その一ヶ月程度前から忙しくなる、カウンターの女性職員の稼ぎ時
通常なら営業は7・8月は一服し落ち着く時期になるのですが、その年は団体旅行が途切れることなく、出発団体の段取りと秋の団体旅行の計画が重なり、いつしか仕事に追われていることに気づいた
所長に、お客様から「依頼していた計画書はまだですか?」と言われ始めた時
既に、こなしてもこなしても次々に増えて溜まってしまっている仕事をかかえてしまっていて、
「お客さんを待たせてはいけない」「ちゃんとやっているのか」と所長に言われたとき、そんなことはわかっている、わかっていても、もう限界だ、と半分切れてしまった
えっ?!
自分でも信じられなかった
黙って頑張っているのに、能力が追いつかない
自分の苛立ちと、いままでにないわけのわからない感情が膨らみ、手伝ってもらいながら、仕事をこなす私
そうしながらも控え室で横になって休むことが多くなってきた
9月の下旬彼岸過ぎた頃からだったような気がする
いままでは、いけいけどんどん!
気持ちも、営業車で1日120Km近く走ることになろうとも、次々に商談をこなし、充実していた
21時、22時辺りに帰宅して、一杯飲むビールが格別に旨かった!
そして11月初旬に少年野球も、シーズンを終え、部員と部員の親御さんたちと送別旅行もしたのでした
しかし
何時の日からか、とにかくこのシーズンを乗り越えよう、12月になったらオフになるのだから、一息入れようと、息切れするような状況になっていた
お客様に「楽しい旅行だったよ、また頼むね」の一言が聞きたいために、バスに乗って頑張っていた
が、徐々にその添乗に力が無くなっていった
細かな気配りが明らかにできていない自分がいた
11月下旬の2泊3日のお得意様の旅行で、今年の添乗は終りでした
そして、最終の日曜日で紅葉観光の団体旅行を見送って、大きな仕事は片付いたのでした
もう、新規計画もなければ、出発の段取りもない、精算が済んで集金してしまえば12月になる
数字もこなしているので、12月の忘年会旅行団体は積極的に勧誘せず、たくさんのお世話になったお客様へ挨拶まわりの計画などしながら、ゆっくりしようと思っていた
正直、数字をクリアしたことにほっとした
1月から3月もマイペースで仕事をしても、もう大丈夫
と同時に、顧客リストを整理し訪問計画を立てて、打ち合わせでなく、伺いに出掛ける準備を始める時期がきたなあと考えていた
しかし
まったくリスト整理をする気が起きない
シーズンも終わり仕事が一段落したのだから、お店にいても仕方がないので、朝から出掛け、夕方帰って、日報を提出する
新規営業は、営業マンの中でも苦手な人は多い、旅行会社はルート営業的な要素が強いのですが、私は損保の営業経験もあるので、それほど抵抗はなかった
それなのに、1件も行けない
それどころか、お得意様まわりをするお客様の企業や施設へも行けなくなった
運転大好きなわたしは運転すること自体負担に思ったこともなかったのに
1日終わって駐車場に帰ってきて、運転後動けなくなるほど疲れ、車の中でそのまま一休みすることが多くなった
まったくといっていいほど無気力・やる気なし
12月に入り、状況はますます悪くなり、毎朝最寄駅までは車で行き、電車で通勤していましたが
「車が故障した」とか、「1件近くのお客さんのところへ行ってから出社します」とか言い出社が遅れ勝ちになりました
とにかく、会社へ足が向かなくなり、電車へ乗ることさえ嫌になってしまった
2日休んでは、2日出社し、また休んでは出社し、という不安定な状況の12月初旬でした
とうとう12月中旬の日曜日の当番勤務で営業(外回り)ではなく、カウンター業務の当番の日に
お客様への案内をミスしたり、チケット類の確認ミスに気づかず違う切符準備していた
お客様に迷惑を掛け始めたので、所長にそのことを打ち明け、妻に相談し心療内科へ行った
診断の結果は「うつ病です」「2ヶ月くらいは、なにも考えず休養することです」
05年12月20日から会社へ行かなくなりました
終
8.事故の当日
●それにしても
交通事故は起こそうと思って起こすものではない
どちらにも非はある
最悪、命に関わる
私は一生忘れることができない日となった
事故を起こす少し前に、携帯で妻と話をしていたのだった
野球の応援に一生懸命になっていた妻は、お昼の弁当を買いに出かけるのがすっかり遅くなってしまっていた
私は電話までして「急がないと間に合わない、なにをしてるのか!」![]()
と腹を立て、語調強く怒鳴っていた
妻も「早くしないと」と思っていながら、追い討ちををかけるようにそう言われたものだから火に油をさしたも同然だった
イライラしながら、急いで帰ってきていたに違いない
私の一言が、事故の原因になったのだ
とても悔やんだ
妻に謝っても謝りきれない
自分の性格を変えないと、自分自身を変えないといけない
やりきれない思いと、自己嫌悪と、後悔と、自責の念と・・・
妻はもう今までの元気な身体ではなくなるのだ
●事故現場に着いた私
川沿いの見通しの良い緩やかな右カーブ
信号が変わり、加速しても事故現場は軽四だとそんなにスピードは乗らない場所でぶつかっていた
相手の車は、スカイラインGT-R、妻の車はアルトBEAM
相手は年齢も1つか2つ下の30代半ば
相手:「私が右折しようとしたら、彼女がブレーキもかけずに突っ込んできた」などと言っている
私:「で、あたなは運転されてたんですか?」
相手:「ええ、そうですけど」
私:「救急・警察には連絡されました?」
相手:「警察は呼んだ」
私:「救急は?」
相手:「警察に電話したから、来ると思う」
私:「警察に電話しても、救急車は呼ばないと来ないでしょう」
相手:「警察に頼んだ」
私:「・・・」
センターラインのないくらいの狭い道なので、右へ曲がるのならさっさと曲がれば、ぶつからない
相手が道をふさぐように止まったから、ブレーキを踏んでも間に合わなかったのだと想像できた
よほどお互い間が悪かったのだろう・・・
事故が起きてから、私が事故現場に到着したのが、妻が電話をかけてきて5分後、いや10分は経っていただろうか
もう救急車を呼んでいれば、とっくに来ているはず(おかしい・・・)
呼んでいるにしても、いないにしても、119へ連絡した
信じられないことに、相手は救急車を呼んでいなかった
後々の事情聴取では、この点を強く警察に訴えた
「運転免許証」道路交通法を遵守すること
もし事故を起こしたら、人名救助が最優先
これは法律で定められなくても、30才過ぎた大人なら判断できるはず
私たちと同年代で、そんな自覚もなく運転していたことに怒りを抑えられなかった
事故をした近辺は民家は少なく、会社の事務所近くで、日曜なので誰もいなかった
通りすがりのおばあさんが一人か二人かいたような記憶がある
それから私は彼に続けた
私:「私は彼女の夫です、状況を詳しく教えてください」
相手:「僕が右へ曲がろうとしたら、すごいスピードでブレーキも掛けずに突っ込んできた」
私:「すごいスピードで来たなら、なんで待たなかったんですか?」
相手:「・・・」
そうしているうちに、救急車が来て、彼女を運び出すのに、狭い軽四の中に大の大人が二人入り四人がかりで車から妻を出し、救急車に乗せて病院へ行った
警察も来た
相手に聞いている
警察「あなた、なぜ右折を待たなかったんですか?」
相手「相手(私の妻)が、すごいスピードでブレーキも掛けずに突っ込んできたから、避けられなかった」
・・・(同じことを言っている)
警察「彼女はブレーキをかけてない? ここへ来て見なさい、タイヤの焦げた臭いとタイヤのカスがよくわかるから、それとブレーキ痕」
相手「でも、すごいスピードだった」
警察「すごいスピードで来たのなら、なぜ待たなかったの?」
相手「・・・・」
警察「相手の車はどの辺から確認していたんですか?」
相手「見通しがいいので、来ているのは分かってました」
警察「どうして右へ曲がったのですか?」
相手「家に帰ろうとしていました」
警察「家はどこですか?」
相手「ここを曲がったら、すぐ近くです」
警察「そしたら、ここは毎日通る道ですね?」
相手「そうです」
警察「では、危険も十分予測できるはずだよね」
相手「ええ、でも・・・」
私の保険会社の担当(先輩)が来てくれた
状況を全てデジカメに撮って、今後の対応をいろいろと確認した
相手の保険会社の担当も来た
見覚えのある人
そう、同じ保険会社のこれまた大先輩だった
大先輩(相手方の保険担当)「どう考えてもお前が悪いんだから、反省しろ」って相手に言っていた
私は、現場に到着してからなぜか非常に冷静だった
その後、私は妻の病院へ行き、先生の説明を受け、命に別状がないことに感謝しながら、身動きのとれない妻を見ながら、今後の生活に対し強い不安と後悔にさいなまされていた
続く
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