昭和の日本映画黄金期、多くの撮影所があったことで有名な京都の太秦。
現在も東映や松竹の撮影所で時代劇が作られ、テーマパークである太秦映画村には多くの観光客が訪れています。
そんな太秦に、古くから存在し続けている寺院が太秦広隆寺。
飛鳥時代の西暦603年、この地を治めていた豪族の秦氏が、聖徳太子から弥勒菩薩を譲り受け、それを祀る寺院を建てたのが、広隆寺の起源とされています。
しかし、それを立証するような古文書は残っていないので、実際のところ、寺院の歴史に関しては良く分かっていない部分が多いのが現実なんだそうです。
当初は別の場所に建っていた広隆寺ですが、平安京に遷都するのに合わせ、現在の場所に移転。
それを境にして、聖徳太子と薬師如来を御本尊として祀る寺院へと変わったといわれています。
御本尊である聖徳太子が祀られているのが、寺の本堂である上宮王院太子殿。
古くから大きな火災に何度も見舞われてきた広隆寺は、江戸時代に建て直された建物が多く、この太子殿も西暦1730年に建立されたもの。
しかし、中に祀られている本尊・聖徳太子立像は平安時代に作られたもの。
太子の33歳当時の姿を再現しており、像が作られた平安時代から現代まで、天皇家から賜った着物を身に着けるのが慣習となっています。
太子殿に掲げられた額に書かれている『大悲救世』は、「仏様の大きな慈悲の力によって、この世の苦しみや悲しみから人々を救う」という意味。
その奥に掲げられている額には、聖徳太子の有名な言葉である『以和為貴』(和を持って貴しとなす)が書かれています。
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度重なる火災によって多くの建物を失ってきた広隆寺ですが、その一方で、火災による焼失を免れた仏像が多く残されています。
そんな貴重な仏像が数多く保管されているのが、霊宝殿。
霊宝殿の建物自体は昭和になってから建てられたものですが、その中に保管・展示されている仏像は飛鳥時代~鎌倉時代にかけて作られた歴史的価値の高いものばかり。
照明が落とされた薄暗い室内に入ると、50体近くの仏像が壁に沿って並べられていて、まさに美術館の「仏像展」のようです。
飛鳥時代、聖徳太子が秦氏に与えたとされる弥勒菩薩像と、同時代に作られた「泣き弥勒」と呼ばれる弥勒菩薩像は、共に国宝。
ちなみに、彫刻として国宝に指定された第一号の作品が、この弥勒菩薩像です。
3メートル以上の高さのある不空羂索観音立像(奈良~平安初期の作品)と、2.6メートルの千手観音立像(平安時代の作品)は、目の前にすると、思わず息を吞むような圧倒的迫力があります。
その他、国宝の十二神将像(平安時代の作品)や、重要文化財に指定されている多くの菩薩像、観音像、如来像などが並んでいて、どれだけ観て回っても飽きる事がありません。
残念ながら、座って休める椅子などはないので、足が疲れてきたところで、泣く泣く霊宝殿を出ていく事となりましたが、なかなか良いものを観せて頂きました。
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霊宝殿からの帰り道、奥院へと向かう横道がありました。
残念ながら、私の訪れた日は公開日ではなかったので道は塞がれていましたが、この道を進んだ奥には、標識に書いてある通り、桂宮院という建物があります。
聖徳太子を祀る為、鎌倉時代に建てられた桂宮院は、法隆寺にある「夢殿」を模した八角円堂になっています。
火災で焼失してしまった建物が多い中、広隆寺では数少ない現存している建物として、国宝に指定されています。
堂内には、同じく鎌倉時代に彫られた聖徳太子像が祀られていましたが、現在、その像は霊宝殿に展示されており、いつでも誰でも観る事が出来ます。
残念ながら、今回は間近で見る事が叶わなかった桂宮院。
しかし、どうしても諦め切れない私は、寺の駐車場から塀越しに…
よし、ちょっとだけ見えた!
一応、名誉の為に言うならば、強引に塀をよじ上ったり、敷地に不法侵入して写真を撮った訳じゃないですよ。
ちょっとだけ背伸びして、ちょっとだけ手を伸ばして撮っただけなので…。
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<2017年夏 京都旅>
13、聖徳太子ゆかりの広隆寺