このところ、
大阪は展示会続きで、また外出することがありました。

(お母さんの体調が安定していて、本当に有難いです!)

取引先の方からお食事に誘われたので、
4年ぶりに梅田に出かけたのですが、
すっかり「浦島太郎さん」でした。(笑)

お食事をご一緒したのは東京の方なので、
もちろん大阪の土地勘もないため、
私が知っている4年前のお店をご案内し、
会食しながら、ネットショップの商品に付いてや
展開について相談したり、アドバイスを頂いたりしたのですが、
いろんなお話をしているうちに、
気が付いたら、すっかり遅くなり、、
終電ひとつ前の電車で帰宅。

相変わらず、たくさんの方がその電車に乗っておられました。
(昔は、日常だったのに。。いまでは不思議な感じです)


こんなに込んでいる電車に乗るのは、
本当に久しぶり!と思って立っていたのですが、
ふと、なんか皆さんと動きが違うことに気が付きました。

電車が、「がたん!」と揺れる度に、
周りの人がいっしょにぐらっと揺れる。

なのに、
私一人が揺れていないのです。

???

なんで、みんなぐらっと動くのかしら?と思って観ていたら、
電車の揺れで、身体がぶれるんですね。

私は、毎日お母さんのお手伝いをする時には、
丹田に力を入れてお母さんの身体を支えているので、
なにか踏ん張る、となると、
自然に丹田に力が入るようになっていることに気が付きました。


丹田に力が入っていると、基本的に身体はぶれません。
とても安定するので、武術系の競技や座禅等では重要視される身体の部位です。


介護も、される側の人が安心して身を委ねてもらえるように、
介護する側の安定感が非常に重要になります。

ふらふらする人に支えてもらったり、
力任せに動かされ身体をぶつけられたりしたら、
される側の方は、本当に怖くて、身体が硬くなってしまいます。

この感覚が頻繁に起こると、
お母さんのような脳疾患による後遺症で麻痺のある方には、
触られる=緊張が高くなる
ということが起こり、
身体の機能回復に大きな障害となると感じます。

なので、
この人に身体を預けても大丈夫だ、
そんな風に感じてもらえるよう、ゆっくりと安定した状態で、
私は身体を動かしていきます。

そうすると、介護する側は、自然とストレッチ運動に近い動きになったり、
余分な力を抜いて必要なところにだけ力を使うことが出来るようになります。
結果、自然と調和のとれた動きをすることになりますので、
常にちょうど良い運動をしているのと同じ状態になります。

介護って、やり方次第で本当に元気になりますよ。

そして、これを身を挺して実地で教えてくれたお母さんに、
本当にこころから感謝しています。

「ま」行は、
人が日々の生活の中で感知しうるあらゆる様相についての
全体性を象徴する音として表現されている。




あるものと、あるものとの間にあるピーク点(頂点)を象徴した音。





ある存在が、そこに存在することを支えるすべてを象徴した音。





ある存在が、ひとつの動きを完了した状態を象徴した音。





ある存在が、他の存在からエネルギーから形へと変化していることを
目撃される状態を象徴した音。




ある存在が、エネルギーが抜けて形が徐々に不明瞭になっていく状態を象徴した音。





※これらの情報は、あくまで、私のインスピレーションによってまとめたものです。
 内容に付いては、ご覧になる方の責任においてご利用下さい。
 また、ことだまをお使いになる際には、「愛」によってお使い頂くことをお勧め致します。
私自身、
仕事柄ことばについて関わることが多かったこともあり、
日本語という言葉本来の力に付いて、気になっていたものの、
それを具体的にする機会を持つことはありませんでした。

言葉とより親しく関わり合うようになったのは、1997年から。
この頃から、自分のこころにあるものを、
詩の表現を借りてことばで綴るようになりました。

その後、
ことばの力に関する言霊の情報に辿り着くのは、2003年に入ってからです。
それ以後、色々な形で届くようになりましたが、
具体的にインスピレーションを受けたのは、2006年の秋です。

そのとき、
私は自然栽培のりんごで有名な木村さんのりんご畑の見学会に参加していました。
青森という土地は、とても不思議な土地で、初めて訪ねた地であるのに、
どこか懐かしく、とても静かで穏やかな空気に満ちていました。
私は、その空気を吸いながら、
木村さんのりんご畑で、「自由」であるというのはどういう感じがするのか、
を具体的に肌で感じ、
その「自由」であることをあらゆる面で吸収し、大きく育った
木村さんのりんごをたっぷり御馳走になる中で、
私の中にある何かがゆっくり開き始めていました。

青森の源泉掛け流しの温泉に入ったあと、
私はすっかりリラックスしていました。
ロビーで案内役を務めくださっていたナチュラルハーモニーの河名氏と
ことばについて、話をしていました。

なんとなく、
日本語の素晴しさについて、
日本語の言葉に付いて話題が出ました。

そのとき私は、「あ」行が原初のエネルギーを表現している音であることが
自然と私のイメージの中で展開し、
それぞれのひらがなの音が順番にそのエネルギーを明らかにして行きました。
このとき、河名氏に言霊について解説しながら、
目の前に展開しているクリアではっきりとしたイメージに私自身が驚いていました。

話の途中で、
私は急に怖くなり、言霊に付いて、
河名氏により深く話すことはしませんでした。

その後、このことについて、まだ深く探求する時ではないと感じて、
私はその扉を閉めました。

そして、しばらくその扉は閉めたままとなりました。




私が言霊についての知識の扉を閉めた理由


私はそのとき、言葉の力を発揮して日常の中で過ごすことは、
現状、不適切だと感じていました。

当時の私は、今と違い、倉庫で物流関連の事務職をしていましたから、
お勤めをされている方と同じように、仕事でもいろんな人と、
いろんな言葉を使うところにいたため、
うっかりすると、私の使った言葉のために、
何か危険が生じるような気がして仕方がありませんでした。

というのも、
普段、何気ない会話の中で、ついうっかり人の悪口や他愛もない冗談などとして、
無意識に自分の口から不要な言葉や、不適切な言葉が
私の口からこぼれてしまうことを自覚していました。
だからこそ、言霊に深入りすることを避けたのです。



いま、なぜ公開することにしたのか

私はいま、言葉を使う機会がとても限定されていることで、
安全に言霊を意識して使うことが出来る環境にいます。

その状態で、言霊のパワーを確認しながら、
深く探求することが可能になりました。

また、
ことだまを意識して言葉を使いわけることが出来るようになった、
と感じたこと、
「愛」について、その感覚が分かるようになったこと、
このふたつが一番大きな理由になっています。

また、ことだまを知って、ヒーリングに活かしたり、
ことだまを使って話しをすることで、
より愛が大きく拡大していくようにも感じました。


愛を意図すること。
動機を愛にすること。

このふたつは、その後に続くものの本来の力を発揮させ、
最高最善の結果をもたらすように私は感じています。


力を持つ日本語を使うものとして、
愛を動機に、言葉の持つ本当の力を発揮して、
より世界が平和で安らぎに満ちたものになるよう、
ぜひみなさんにもお使い頂きたいと思っています。


ここで解説しているように、
日本語の一音一音が、エネルギーを動かしますので、
その組み合わせ次第で、いかようにもなります。

それが平和と安らぎのために使われるなら、
これほど、素晴しいことはないと思いますので、
くり返しになりますが、愛を動機に
言霊に興味がある方は、ぜひお使い下さい。

「は」行は、
生命エネルギーや、生命活動に関するエネルギーを象徴する音として表現されている。





いのち(生命エネルギー、生命活動)がそこに現れている状態を象徴した音。





生命エネルギーや生命活動が活発に表現されている状態を象徴した音。





生命エネルギーや生命活動が内側にある状態を象徴した音。





生命エネルギーが直線的に流れ出ている状態を象徴した音。





生命エネルギーや生命活動がその場に留まって眠っている(休息している)状態。



※これらの情報は、あくまで、私のインスピレーションによってまとめたものです。
 内容に付いては、ご覧になる方の責任においてご利用下さい。
 また、ことだまをお使いになる際には、「愛」によってお使い頂くことをお勧め致します。
3月末に、カラダスキャンが我が家に届いてから、
この「体年齢」という幻想と色々な方法で遊んでいます。

初めて計ったとき、

体重が 48kg
体年齢が 30歳

と、出ました。

それから、約ひと月。

体重が 45.6kg
体年齢が 25歳

最高記録更新です。

骨格筋率は、どの時もだいたい30%越えで、
なかなか鍛えられているようです。

※ちなみに、私は今年39歳になります。(ほんとのアラフォーですね)

【マスター】への道のり ー奇跡のコースを学ぶ!ー


【マスター】への道のり ー奇跡のコースを学ぶ!ー

【マスター】への道のり ー奇跡のコースを学ぶ!ー


私は、お母さんが倒れて以降、
この4年間、特に激しい運動をしたという訳ではありません。
外にも出かけていませんし、家の中でほとんどの時間を過ごしています。

ただ、毎日お母さんの看護と介護をすることを中心に
家事などで体を動かしていただけですが、
身体はどんどん若くなります。

ごはんは、最近では、なんちゃってマクロビアンですし、
日常的に行う精油のデトックス以外は、
特に変わったことはしていません。


今回、どこまで体年齢が下がるかを楽しんでいるので、
私が意図することで身体は自由に変わることから、
やはり、身体は幻想だと感じます。


また、余談ですが、
介護で身体が悪くなる、というのも迷信です。
(と、私は信じています)

介護でなくても、身体をどのように使うか、
それを理解しないで力任せに使うと、壊れます。

私のお母さんのお手伝いですが、
お母さんの状態的には、完全寝たきりの状態ですし、
気管切開をしており、嚥下不可のため胃に穴を開けてそこからの流動食です。
そのため、何か異常がないかどうか、常に衛生面、環境面に気を配り、
お母さんのために行う看護と介護は、365日24時間営業です。

ほとんど、お母さんのとなりにいて、
体調の変化がないかどうか、状態の経過観察を行っています。

そのため、私の睡眠時間は、当初、こまぎれで平均3時間、
現在は、連続3時間(有難いです)
プラス、細切れで多い時は3から4時間ほどになりました。

お母さんの手伝いの合間に、
ネットショップの仕事をしたり、
依頼を受けたヒーリングやイベントなどの企画と開催をしています。


毎日非常に多忙ですが、
私は、意図して身体を使い、介護をしているので、
身体を壊すどころか、若返りました。(笑)
(が、先日あまりに抱える仕事が増えてしまい、
 根源からは、自分の仕事だけに専念するよう忠告を受けてしまいました:笑)


この世界は幻想なので、
なんでも使い方次第、
私のこころ次第で、如何様にもなる。

そんなことを、カラダスキャンで遊びながら体験しています。

「な」行は、
あるものの中心から何かが放射状に伸びる様相を象徴する音として表現されている。





この現象世界に物質をともなった形で、
自然に表に現れた状態を形容したものを象徴した音。






この現象世界に関わるすべての「関係」を象徴した音。






この現象世界に現れた二元のどちらも象徴した音。タオ。






この現象世界が現れるために基盤となるものを
根底で支えるすべてを象徴した音。





この現象世界にあるものが、別の現象へと変化する間の中継地点を象徴した音。
山から平地へ、静から動へ、生起し消滅することの間のこと。



※これらの情報は、あくまで、私のインスピレーションによってまとめたものです。
 内容に付いては、ご覧になる方の責任においてご利用下さい。
 また、ことだまをお使いになる際には、「愛」によってお使い頂くことをお勧め致します。

「た」行は、
何らかのエネルギーが一定の規模で集合している状態を象徴する音として表現されている。





運動や生命活動が活発に行われる空間のようすを象徴した音。

<この言葉の象徴するものから派生したもの>
「田」:命の源である稲を育てる場所をこの音で表現。





ありとあらゆるものが生み出される様子を象徴した音。

<この言葉の象徴するものから派生したもの>
「血」:身体をくまなく廻り、あらゆる細胞を作り出す源としてこの音で表現。




流れるエネルギーが渦を巻く活動の様子を象徴した音。

<この言葉の象徴するものから派生したもの>
「月」:丸く渦巻く大きなエネルギーが輝いているものと考え、この音で表現。




大きなエネルギーが素早く動く活動の様子を象徴した音。

<この言葉の象徴するものから派生したもの>
「手」:身体の中で外へ向かうエネルギーを集中させて拡大したり、
    さまざまな作業をこなすものとして、この音で表現。




エネルギーが次に動く前の準備段階にある状態を象徴した音。

<この言葉の象徴するものから派生したもの>
「戸」:ひとつの場所から、次の場所へ移る前に、
    一度立ち止まったり、隔たりを作るものとして、この音で表現。


※これらの情報は、あくまで、私のインスピレーションによってまとめたものです。
 内容に付いては、ご覧になる方の責任においてご利用下さい。
 また、ことだまをお使いになる際には、「愛」によってお使い頂くことをお勧め致します。

「さ」行は、
「か」行の状態、つまり、おぼろげに存在していたエネルギーが
徐々にその規模を膨らませて、
比較されるほどはっきりとしてきた状態を象徴する音として表現されている。






内側に内在していたエネルギーが、ひとつのピークを迎え、
内と外を隔てていた一線を越え、外側へと流れ出す様子を象徴した音として表現されている。





エネルギーが一定の状態で留まっている様子を象徴した音。





一点から扇状になって広がるエネルギーの状態を象徴した音。





流動している塊状のエネルギーを象徴した音。





果てしなく拡散しているエネルギーの状態を象徴した音。

「か」行について


「か」行は、だんだんとこの世界の時空間に
おぼろげに存在し始めるエネルギーを表現している。

「あ」行の持つ純粋なエネルギーから、「か」行の象徴する子音によって、
この世界に現象や感じとして知覚できるレベルへと
変化したエネルギーを象徴している。

また、あくまで知覚できるエネルギーであって、
具体的な形までにはならないものを指す。






そこに立ち現れたり、
また、そこにあったものが急に暗くなって見えなくなる様を表現した音。





総合的に「エネルギー」と感じるものを表現した音。
「◯」+「き」が使われる際には、○○というエネルギー、という意図がある。





内在しているもの、もしくは、隠されているエネルギーを象徴する音。





確かにそこにあるが、具体的にはっきりとしないのものが存在する状態を象徴する音。




人の中の本質であるエネルギーを象徴する音。「愛」を象徴する音。
また、こで表現される愛は、葛藤を含む愛であり、自己やエゴから生まれる愛を指す。



※これらの情報は、あくまで、私のインスピレーションによってまとめたものです。
 内容に付いては、ご覧になる方の責任においてご利用下さい。
 また、ことだまをお使いになる際には、「愛」によってお使い頂くことをお勧め致します。

純粋なエネルギーの状態を象徴する「あ」行


「あ」行が持つエネルギーに付いて


「あ」行は、すべて母音のみで構成されている行です。

これは、他の行では見られない構成であり、
また、この「あ」行を元に、他の行を考察することが可能なように作られています。

つまり、
「あ」から「お」までの5音は、
それ以後の音に共有される普遍的なエネルギーの状態を決定しています。

日本語の中では、「あ」は、「あ」以外として表現できない言葉として、
位置づけることが出来ます。

また、
「い」、「う」、「え」、「お」も同様に考えることが出来ます。

これらの点からも、「あ」行は、この時空間が生み出される以前の
純粋なエネルギーの状態を象徴することばとして表されたものと考えます。
そしてそれは、他のなにものにも比べることが出来ず、
ただ、そのものとして存在している、ということが基本の性質です。

また、「あ」行で表現されているものは、
この世界にあるものを超越し、この世界の範疇を越えています。
大乗仏教で言うところの「唯識(ゆいしき)」の中で語られている
「阿頼耶識(あらやしき)」のようなものではないかと感じます。

この根源的エネルギーを表現した「あ」行の音なしに、
他の日本語の音を表現できないという構造に、
古来の日本語を話す人々が持っていた深い叡智を感じます。
というのも、
すべてに共通しているなんらかの根源的エネルギーが、
他のすべての現象を生じさせているという
古代の日本語を使っていた人々の考えを表現しているのではないか、
と考えられるからです。

そして、
「か」行以下は、
この「あ」行の母音と各行それぞれの子音とを重ね持っているという構造は、
この世界はこの「あ」行が象徴するエネルギーを根底として持ち、
それが各行の特徴によって展開し、現れているという、
この世界の構造そのものを表現していると考えられます。

「あ」行は、エネルギーそのものを表現するため、具体的な形や状態の象徴を持ちません。
それぞれのエネルギー的特徴は、次のようなものがあります。




原初の音。この世界の始まりのエネルギー。ここから世界が展開した「始まりの点」のエネルギーを持っている。




原初のエネルギーから次に生まれてくるもの。原初のエネルギーから展開する様々な形態のエネルギー全般を指す。カオス。




エネルギーが2元化した状態。全体性ではなく相対的な状態のエネルギー。違い、相違、対比が現れている状態。また、善悪などの対比されるものの中で、それを捉える時に好ましいものとされるエネルギーを象徴する。





エネルギーが具体的に何らかの方法で、時空間に存在しようというきわめて1に近い0の状態。形や物質などが現れる直前の様。





それまで行われていたり、存在していた活動が徐々に終止符が打たれる状態。小休止。休止。ただし、完全なる消滅ではない。エネルギーの1サイクルが終わる。