平成7年1月7日5時46分に発生した阪神淡路大震災から22年が経過しました。
 
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出典は 
 
あの日私はまだ保険屋にはなっておらず、旅行会社で中学校担当の営業をしていました。
 
関東でもあの日は少し揺れた様ですが全く気付かず、起きたのは6時過ぎ。
 
テレビをつけて目にしたのは、燃える神戸の町でした。
 
それでもその時は被害状況をそれほど理解しているとは言えませんでした。
 
職場に到着し、着いているテレビを見るとその被害状況に愕然としました。
 
倒壊したビル、横倒しになった高速道路。先がなくなった高速道路で、落下寸前で踏みとどまったバス。
 
現実に起きているとは思いたくない景色を映し出していました。
 
それでも時間が来れば日々の営業活動を行います。その日も何件かの客先を訪問しました。
 
どこもテレビをつけていました。そしてさらに驚かされました。被害者の人数がどんどん増えて行きます。それこそ数百人単位で。
 
映し出されているのは燃える町。ヘリコプターで上空からレポーター達が叫んでいました。
 
その音が倒壊した家屋からしている助けをもとめる声をかき消していることも知らずに。
 
6000名を超える方が亡くなられたとのこと。犠牲になられた方に心からのご冥福をお祈りいたします。
 
実は私の生まれ故郷は、兵庫県西宮市熊野町。甲子園口の駅から少しのところです。
 
もう10年以上行っていませんが、またこの街に足を伸ばしてみたいと思っています。
 
震災から立ち上がった不屈の街から、大切なことを学ぶためにも。
 
 

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あの日のこと、5回目です。

 
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今回の写真は記事とはなーんの関係ありません。今日の御成門付近です。
 
救急車が動き出すと、今自分がどこにいるのか、どっちを向いているのか全くありません。ただ、出された人差し指に自分の人差し指をくっつけにいくことを、何度もやりました。
 
左は問題なくできるのですが、右は全くできません。腕も指も動かせるのですが、コントロールができません。
 
天井を見つめ、サイレンの音を聞いているうちに、病院に到着しました。
 
身体を病院のストレッチャーに移されます。そして院内を移動。
 
目を開けていると気持ちが悪くなってくるので、移動中は目を瞑っていました。
 
病室らしきところに入ると質問が続きます。名前を言ってください。今日は何月南日ですか?今はどこにいますか?
 
さらに出された人差し指に自分の指をくっつける救急車の中でもやったことも何度も何度も。
 
さらに着替えもさせられました。入院着みたいのを着せられ、さらに紙おむつも。
 
もちろん自分ではできませんので、看護師さんたちが全部やってくれます。
 
その後は検査に次ぐ検査。超音波、レントゲン、CT、MRI。もちろん血液検査も。
 
点滴も始まりました。身体には心電図をとるための機械も常時付けられました。
 
さらに色々な書類にサインをさせられました。身体は起こせなく、手がきちんと動かない中でのサインです。多分ミミズが這った様な文字になっていたはずです。
 
どのくらいの時間が経っていたのかはわかりません。一通りの検査が終わって告げられた病名は
 
多発性脳梗塞でした。
今回は音楽ネタです。

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画像は昨日の風景です。肖像権を考えて手のみの掲載です。ピントのずれかたでその雰囲気を想像してくださいね。

私の好きな音楽、その真ん中にデーンといるのはラテン音楽です。サルサとかを聞いたことがあるかもしれません。

詳しい音楽履歴はまた書きますが、ここ数年とにかく好きなのは、サルサの原点になった音楽、ソンという種類の音楽です。

2000年代の始めに公開された映画、ブエナビスタソシアルクラブという作品をご存知の方がいるかもしれません。

その作品の中で演奏をされていた音楽が、ソンです。

昨日は秩父宮ラグビー場で身体が冷えきったこともあり、身体もさらに心も暖めようと、下北沢のキューバ料理店、ボデギータに向かいました。

昨日の演奏は、ドスソネステコラソネス。ボーカル、パーカッションのMAKOTOさんとアコースティックギターのMuchoさんの二人組です。ちなみに2人とも日本人ですよ。

この2人だけの演奏も素敵なのですが、昨日はそこにキューバの弦楽器、クワトロを演奏する末永雄三さんとウッドベースで渋谷和利さんも参加しての、賑やかなステージとなりました。

ただ演奏を聴くだけでなく、踊ったり一緒に歌ったり。

それほど広い会場ではないので、お客さん同士も仲良くなって、おしゃべりしまくったり。

美味しいキューバ料理と美味しいラム酒も加わって、本当にあったかい夜になりました。
先週の土曜日に続いてのラグビーネタです。
 
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今日は関係ある写真ですよ。
 
今日は秩父宮ラグビー場に、ジャパンラグビートップリーグの最終節2試合を観戦に行きました。
 
応援している東芝がこのタイミングで最終戦となるまさかの展開。しかも先週のサントリーとの試合では、無得点に押さえられています。
 
相手は前年度のトップリーグ王者のパナソニック。せめて意地は見せて。そんな心境でした。
 
午前11時少し前に秩父宮に到着。まずは最初の試合、NTTコミュニケーション対クボタの試合を観戦しました。
 
NTTコムにはマフィ選手、クボタには立川(たてかわ)選手という2人のジャパン戦士が在籍しています。
 
2人のプレーも見応えありましたし、ゲームとしてもなかなかのものでした。
 
試合は27対17でNTTコムの勝利。熱い試合でした。
 
ただ試合の熱さと反比例するように、スタンドは寒くて寒くて。
 
秩父宮ラグビー場のバックスタンドは、太陽さえ出て入れば、真冬でもポカポカです。
 
今日は太陽は雲の中に隠れ、なかなか出てきてくれません。その上雪まで降ってきて。
 
寒いなんてものではありませんでした。
 
あまりの寒さにホットワインを飲んだのですが、暖かくならず。参りました。
 
それでも2試合目も盛り上がりました。
 
東芝とパナソニックの試合ではいつものパターンですが、壮絶な守り合い。
 
前半東芝が1トライに対して、パナソニックは4本のペナルティーゴールを重ねます。7対12でパナソニックがリードして前半終了。
 
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後半はさらに壮絶な守り合いになります。そんな中東芝が1トライ1コンバージョンで14対12とリードした状態で後半40分、ラストワンプレーを迎えます。
 
ここで東芝が自陣で痛恨のペナルティー。パナソニックがペナルティーゴールを決めれば、逆転です。
 
最後のキックは左のポールを直撃。でもゴールポスト内に跳ね返り、ペナルティーゴール成功。そしてそのままノーサイド。
 
14対15で東芝は敗れました。
 
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今季はトップリーグが出来て以来最低の、もしかしたら社会人時代も含めても最低かもしれない順位に甘んじた東芝。
 
でも最後の最後に見せてくれた意地に、スタンドからは大きな拍手が送られていました。
 
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来週からは日本選手権。
パナソニックはヤマハと、トップリーグを全勝優勝して昨年の借りを返したサントリーは帝京大学と対戦します。
 
東芝は残念ながら出れないけど、これはこれで楽しみです。
 
我が町府中のもう1つのチーム、サントリーの優勝を信じて応援したいという思っています。
 
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帰路についたら秩父宮ラグビー場をゴジラが襲撃していました。
 

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話をあの日のことに戻します。

前回は救急車の音がしたとこまでだったかな。
 
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程なくして救急車が到着しました。正確に言うと、消防車が1台いましたが。すぐに屈強な隊員が4人、部屋に入ってきました。
 
玄関の鍵は当然かけています。後で考えると、事態に気がついた下に住む大家さんが合鍵で開けてくれたようです。
 
大家さんが鍵を開けることができない環境だったらたと、今でもぞっとします。
 
隊員の方から矢継ぎ早に色々と質問を受けました。名前や生年月日、ここの住所。
 
身体は思うように動かせませんし、ろれつが回らない状態ではありますが、頭は割と冷静でした。
 
何を持って行きますか?何がどこにありますが?
これらの質問に正確に答えていきました。
 
ここで大きな問題がありました。私の住んでいるところは4階。エレベーターはありません。私は歩けない上に重量級。
 
どうやって降りるのだろうと思っていました。
 
隊員の方は、私を床に敷いた大きめのシートの上に4人がかりで下ろします。
 
その4隅を持ち上げて家の外に出してくれました。さらにそのまま階段を降ります。4階から3階2階1階と。
 
そして救急車のストレッチャーに乗せて、シートを外します。プロの技でした。
 
救急車の中で、どこの病院に行くかの希望はあるかと聞かれました。
 
迷わず答えた病院は、都立府中病院。現在は多摩総合医療センターという名前になっている病院です。
 
かつて喘息が酷くなった時や、麻疹にかかってしまった時にお世話になっていました。
 
すぐに隊員の方が連絡を取ってくれました。すると受け入れOK。これが2つ目の幸運だったと今でも思います。
 
救急車が出発する直前、大家さんが奥様に一緒に行くように言いました。でも私は大丈夫ですと伝え、病院に向かいました。