次世代を担う子供たちの現在そして未来 -74ページ目

数学を教える理由が変わってきた

 GW前に保護者会があり,新中1を中心とした保護者の皆様に40分ほど話しをした。


・今の大学受験が保護者の世代と比べて(何年前かは聞けないが)どのように変わっているのか


を話した後,こんな内容で締めた。


71年~74年生まれの世代は,各学年に200万人いる。

66年丙午生まれを除けば,60年代後半生まれも200万人弱はいる。


それに比べて


今度の新中1世代は119万人。

2005年生まれは105万人。


本当に子どもの数が半減している。

今,30代・40代の世代が日本を支えているとするならば,あと30年後には日本はどうなるのか?


・国力が半分に落ちることを黙って見守るのか

・今の2倍の行動力,発想力を持つ人間に育てて国力を維持するのか


 私は「119万人でも105万人でも少数ながら精鋭に育て,200万人と遜色ないエネルギーを維持するしかない」と考える。少なくともこれから自分と出会った子どもについては「一騎当千のツワモノ」になってもらうことを想定しながら指導していきたい。


と。


これを,数学を通して伝えていくだけだ。これは早稲田塾の入塾説明会でも話した。



 自分のホームグラウンドが塾講師であることは理解しているが,それであっても「●●中学・高校・大学に合格させればOK」という仕事に無力感を抱くようになっている。合格した後に彼らがつぶれてしまったら,結果的に自分自身も困ることになるからだ。ただの「受験マシン」を養成する仕事は,自分で自分の首を絞めることになる。


* * * *


8月に都内某所で面白い企画がある。


 ある地域の中学生を学校の枠を越えて集め,中学教員・高校教員・塾講師がこちらも「呉越同舟」で指導にあたるというものだ。同じ数学の授業でも,1日目は中学教員が,2日目は高校教員が,3日目は塾講師が教えるといったことが起こるので,子どもたちには刺激を与えられる一方で,教える側は容赦なく比較されることになる。


例えば「計算力」というキーワードでも,


塾講師は「高校合格のためには・・・」という切り口で語るだろうし,高校教員は「高校になったら・・・」という切り口で語るだろう。中学教員がどういう切り口を用意するのかとても興味がある。そして,どの切り口が子どもたちにヒットするのか,ちょっと想像できなくて今からワクワクしている。しかも,この授業はその地域の教員・保護者には公開される(ようだ)。


 

 私は授業担当の一員として参加する。もう学校と塾がいがみあう時代ではない。「どちらが上か」なんて優劣をつける時代でもない。同じフィールドで,自分の得意分野で,チームを組んで子どもに向き合う時代だ。教員でも塾講師でもいい,とにかく子どもたちを「少数精鋭」に育てることが最優先。


だから,どういう切り口がヒットしたとしても,この企画をキッカケにして勉強する意義や楽しさに気づいてくれたらそれでOK。だって,このままでは国が滅びると思っているから。


 こういう仕事はギャラの問題ではない。今までこの世界で生き残ってこれた者として必ずやるべき「恩返し」のような気がしている。

吾輩は下手である

実力はまだない。


これが,モノポリーに関する自己分析。


 下手は下手なりに,誰になんといわれようが気にせず思い切り楽しめばよいのだが,なぜか1月に勝ってしまったこともあり,「下手だと思われたくない」などと無意識のうちに考えていたのだろうなぁ,と思う。



本当に復刻するのか?俺に泣けということだな。

 いやいや,これは嬉しい!


このレプリカユニホームと帽子は買おうかな。

75年・76年なんて何試合平和台へ行ったことか。

ライオンズが所沢へ去った時点で,もう見ることができなかったはずの「自分の少年時代の記憶」が甦るとは・・・。


75年のワクワク感と76年の失望感は今でも鮮明に思い出す。


西武復刻ユニ 今年は70年代“太平洋クラブ” 


西武が球団の歴史を回顧するために2008年から始めたイベント「ライオンズ・クラシック」で、今季は1973~76年の太平洋クラブライオンズの復刻版ユニホームを着用することが6日、分かった。6月26日オリックス戦(西武ドーム)を皮切りに、主に本拠地主催試合で8月まで5カードで着用する。

 

同イベントでは08年に西鉄、昨年は80年代の黄金時代を象徴するスカイブルーのユニホームだった。今季は首回り、袖部分がワインレッド色のユニホーム。イベントの監修は当時チームに在籍した東尾修氏(59)が務める予定。福岡を本拠地とした太平洋クラブのユニホーム復刻は、オールドファンにとっては貴重なものになる。

 過去2年は選手から「昔のユニホームは格好良い」との声が上がり、レプリカユニホームの販売も好評だった。太平洋クラブは4シーズンで3度のBクラスに終わったが、75年には「山賊打線」の異名でリーグ3位と健闘。昨季4位だった西武が今季のスローガンに加えた「逆襲の獅子」というテーマにも合致するため、70年代への回帰となった。

 

◆太平洋クラブライオンズ 1972年11月に当時ロッテの中村長芳オーナーが西鉄ライオンズを買収し、「福岡野球株式会社」に商号変更。ただし野球協約の「複数球団の保有禁止」条項に触れるため、ロッテのオーナーを辞任。保有株を正式に譲渡してから買収、経営に当たった。ゴルフ場開発会社の太平洋クラブと提携し、73~76年の4年間、太平洋クラブライオンズの球団名となる。本拠地は平和台球場。76年オフにクラウンガスライターと提携。球団名はクラウンライターライオンズとなったが、太平洋クラブからの資金援助は続いた。78年シーズン後に国土計画に売却。西武ライオンズとなる。
[ 2010年05月07日 スポニチ ]


75年の主力メンバーはこんな感じ。

投手

東尾・・・最多勝

加藤初・・・76年巨人へトレード

※永射(変則左腕)は77年から主力


捕手

楠城・・・現在息子が楽天の選手

西沢

※若菜(城島の師匠)はまだ主力ではない


内野

1塁・・・土井(本塁打王・清原の師匠)

2塁・・・基(79年大洋へ)

3塁・・・ビュフォード(76年南海へ,バリバリの大リーガーだった)

遊撃・・・梅田

※真弓(現阪神監督)はまだ主力ではない


外野

竹之内・・・79年阪神へ

白・・・首位打者,77年ロッテへ

アルー・・・アルー3兄弟として有名だった

※立花(現ホークスコーチ:18歳の3番打者)は入団前


指名打者

江藤・・・監督兼任

※大田はまだ代打。主力になるのは翌76年から。



いまだに語り草となっている「胸番号ユニホーム」の復刻はないのかな?

自己満足の世界

 今月は各種原稿の締切が,連休の関係で早い。


月末にくるラッシュがこの数日で一気にやってきた。


しかも,金・土には授業が始まったので思うように時間が取れず。


明日(正確には今日:しかも5時間後)には鹿児島に向かわなければならない。保護者会のレジュメも作っていない・・・。


つまり,残りのすべては今日やるしかなかった。



でも,よくやったぞ自分!


やればできるじゃないか。全部終わらせたぞ!!!



今日,朝からモノポリーの大会に出かけたにもかかわらず,締切をちゃんと守った点に感動。



金曜夜・土曜夜がともに3時間睡眠・・・。今日往復の京浜東北線は記憶が全くありませんでした。


午後10時の自由が丘駅

 今日からいよいよ,早稲田塾の中3講座が正式開講しました。


午後9時過ぎに授業が終わって,ウダウダしてから帰路につくのが午後10時頃。


駅についてみると,


高校生(中学生含む?)がウジャウジャ



学校・塾・予備校が乱立している地域だからとはいえ,


夕方の帰宅ラッシュなみ


の多さでした。


地方の人が見ても,あの光景は驚くだろうな・・・。