次世代を担う子供たちの現在そして未来 -4ページ目

代々木ゼミナール校舎閉鎖に思うこと

 塾予備校に勤務する方,受験生の子どもをお持ちの保護者の方々,怒涛の夏期講習がようやく終わり,元の生活ペースを取り戻せるようになったところでしょうか。


私も,「夏期講習終了!」と言いたいところですが,来週から大学での授業が始まる(大学生はまだ夏休みなので,夏期講座なのです)ため,まだまだ生活ペースは戻りません。



 そんな慌ただしい毎日の中,我々の業界を大きく騒がせるニュースが飛び込んできましたね。


代ゼミなぜ一人負け 強みが弱みに…窮余の大リストラ

(8月29日 朝日新聞デジタル)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140830-00000002-asahi-bus_all


 わが家の次男はこの春高校を卒業して大学生になりましたが,彼の高校生活中、予備校選びの選択肢に代ゼミが一度も入ることはありませんでした。我々の生活圏(大宮)のあんなによい場所に,大きな建物

が目立つように建てられているにもかかわらず,です。


 次男は「国立理系」を目指していましたが,その仲間たちの視野に代ゼミが全く入っていなかったことが理由の一つ(好きの反対は嫌いではなく無視,ってやつです。口コミの話題にさえ上がらない)。


 もう一つは,私の記憶にこんなことがあったからです。



 それはもう20年も前の話。その当時は代ゼミも中学生を受け入れていて高校受験のコースがあった。

残念ながらその事業から代ゼミが撤退することになったとき,こんな話を聞いたことがある。


「いやー残念です。まだまだ100人教室を一杯にできるのに」


と。あの当時は個別が今ほど市民権を得ていない時代。でも,世の中の流れは確実に「少人数制で細かく生徒個々をケアする」ことを求め始めていた。中学生を100人とか200人とかの大教室にいれて一斉授業というモデルはとっくに崩壊していたわけで。


 にもかかわらず,この発言。世の中のニーズ、変化を読み取ろうとせず、いつまでも自分たちの経営モデルに生徒や保護者をあてはめようとする感覚そのものが,中学生部門撤退の要因だったことを最後まで気づいていなかったわけです。当時の彼らは。


 そりゃ,傾きますって。


 それから10年以上が経過し,少人数制+きめ細かいケアの流れは大学入試部門(高校生)にとっても当たり前のことになってきたのは,皆さんご存知の通り。おそらく代ゼミの経営部門の方々は,相変わらず時代の変化を正しく読み取れていないだろうな,と当然ながら父親としては思うわけです。



 

 代ゼミのシェアを喰ったといわれる東進が,映像授業を武器に「徹底した個々のペース重視+個別の面倒見」の戦略をとっているところに,時代の流れを読み間違えた悲劇がすべて象徴的に現れているのです。


 今回の代ゼミの業務縮小は,間違っても少子化のせいじゃない。少子化なんて何年も前から予測ができていたこと。それに指導要領の改訂が重なって,打ち出した戦略が世の中に評価されなかっただけ。


 国立志向+理系志向+きめ細かいケア


 これが求められる時代が来ることは,業界人であれば「脱ゆとり」の議論が始まっていたときからわかっていたはず。この流れに対応しそこなった塾予備校は,自己責任で「市場から退場」となるだけ。



13歳からのことば事典

かつて一緒に仕事をした畏友矢野耕平氏(スタジオキャンパス代表)が,新刊を上梓されました。


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 「きもい」「うざい」「やばい」「むかつく」・・・といった言葉が飛び交う小中学生の日常において,完全に忘れられているのが,日本語本来の美しさを持つ「心情語」です。この書籍からは,子どもたちの「心情表現」の貧しさに対する危機感を憂う著者の想いが,ヒシヒシと伝わってきます。


 著者は前書きで,小中学生に向けて


皆さんには「フィーリングプア」にならないでほしい


と強くメッセージを発しています。


 前書きには,このよう記載もあります。


語彙が貧しければ貧しいほど,その思考回路は単純なものになってしまいます。さらにいえば,手持ちの心情語が少なければ少ないほど,感情そのものが貧しくなる可能性もあるのです。

 本来は細やかな心の持ち主であっても,他者から見たときに,無表情な,感情が乏しい人間と思われてしまうのは,とっても残念なことです。


 メールやSNSの普及によって,我々が子どもの頃にはなかった「話し言葉を書く習慣」を今の子どもたちは持っています。話し言葉と書き言葉を区別する意識が薄く,「きもい」「うざい」といったいくつかの定型ワードだけで会話が成立してしまう環境に身を置くことは,中学生の成長にとって好ましいことではありません。


「もう,マジへこむよ」を「正直,心が折れる思いです」と変換できるようになることは,中学生にとっては,高校・大学・社会人と自分の世界が広がっていく過程においてmustのはずです。


中学生の国語力低下の一因がはっきり視覚化できる1冊です。

学校や塾の教室に1冊置いておくとよいかもしれません。


矢野さん,献本していただきありとうございました。


13歳からのことば事典「まじ、ヤバい!」気もちを正しく伝えるには?―語彙力&表現力をのばす心情.../メイツ出版
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中学生の成績が上がる!教科別「勉強のルール」最強のポイント65 (メイツ出版のコツがわかる本 .../メイツ出版
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対談記事を紹介します

 「学習塾が取り組むべき算数・数学指導とは」というテーマで,エデュケーショナルネットワーク様発行の「ENジャーナル」編集長上野伸二様と対談させていただきました。


 その内容が記事になっています。2か月に分割で掲載されます(今回は前篇)


http://www.edu-network.jp/en/pdf/hen-201407.pdf

時代の変遷

 先日「アドレス帳」をなくした夢を見た。


 今の若い人は携帯電話にすべて記録を残すのでピンとこないだろうが,昔は知り合いの電話番号や住所を記録するための「アドレス帳」を持ち歩いていたものだった。


こんな感じのもの。


 今でもシステム手帳などには「住所録」という欄が残っていることがあるが,要するにあの欄だけを常に携帯していたということ。


 昭和の遺物,ともいえるものを,どうしてこの時代になくした夢を見たんだか。


 

その話を嫁としていたら,けっこう盛り上がった。


嫁:昔は,どこの家にも「電話の前にこんなのがあったよね」



 そうそう,あったあった。


私:昔のドラマを見ていると,今ではありえないシーンもよく出てくるね。


* * *

 そんな中,塾業界はそれほど形態を変化させることなく,よく頑張っているということなのか。いよいよ時代の流れに巻き込まれ,大きな転換を求められるような気もするけれど,まだまだこのままで乗り切れるような気もする。見究めがものすごく難しいなぁ。


 塾・予備校として,何か新しいことをやろうとする場合に一つだけ問題点がある。


 とくに中学・高校生を対象としているところでは,他塾との差別化を考えれば考えるほど,あるいは塾・予備校の枠の中で新しいことを考えると,たいがい今どきの私立中学がやっていることにかぶるのだ。


 しかも,いわゆる難関校の取組みではなく,これから実績を積み上げていこうとする新設校・リニューアル校(偏差値はけっして高くない)ところにかぶることが多い。


 たとえばグル―バル化を見据えた「英語表現」だったり,学習習慣をつけるための「天声人語の書き写し」だったり,職業観を考えさせるキャリア教育だったり。


 公立中生であれば学校での取り組みと違って見えるかもしれないが,忙しい日常にこれらを付加する余裕がない人がほとんどだ。私立中生であればどのような形であれ「学校と同じことをまたやらされる」ことになる人が多く,これらを売りにすればするほど前述の理由によってイメージが重なる私立中学・高校と同一視されるので,「この塾は大したことがないぞ」と思われることが多い。


 ここまで成熟してくると,自分が考えた「新しいこと」なんて,業界を見渡せば誰かが先に考え形にしているだろうな,という前提でちょうどいい。特に学校が先行していたり追随してくる場合には,さすがに勝てないから。


 だから一歩を踏み出せない場合が多いのだろう。






10年目の交流戦終わる

 10年という歳月はかくも早く流れてしまうのか,ということを実感させられたこの1か月あまり。


早いもので10回目のプロ野球交流戦が終了しました。ちょうど10年ということで,運営方法などにも再考が加えられると思いますが,10年目に比べると野球界をとりまく環境も大きく変わっており,


 一区切りつけて,いったん休止


でもいいのではないだろうかと思える今日この頃です。



 2004年のシーズン中に突然ふってわいた「球界再編」を思い返すと,


 ・近鉄球団消滅

 ・ストライキ

 ・楽天球団創設⇒分配ドラフト


 などがありました。実現はしなかったものの「ロッテとダイエーが合併」という報道もあり,1リーグ制が実現していたならば今頃プロ野球界はどうなっていたのでしょうか・・・。


 幸い我がホークスは,この流れの中でソフトバンクという球界随一ともいえる「野球を愛するオーナー」のいる会社に譲渡され,再び勢いを取り戻しつつあります。10年前は球団にお金がなく,本当に厳しかった・・・。



 さて,個人的には交流戦に一区切りつけたほうがよいと思うのですが,その理由を語っていきます。


この10年で球界にどのような変化が起こったのか。それは,


パリーグにスター選手(特に投手)が偏った


ことを第一に挙げたいと思います。具体的にいうと,


松坂⇒ダルビッシュ⇒田中


 の流れになりますが,第1回のWBC・北京五輪・第2回WBCの流れを通して,日本代表の主力として召集された投手陣がパリーグ中心だったことを覚えている人も多いことでしょう。 これによってパリーグの選手たちの知名度は飛躍的に上がりました。知っている選手が多くなれば,球場に足を運んでくれる人も増えるものです。


 次に,


 地上波TV放映がほぼなくなった


ことが大きな変化です。各球団はファンサービスに力を入れながら「放映権料に頼らないビジネスモデル」を否応なく模索しなければならなくなったことは事実です。

交流戦が始まった当時は地上波で放送される試合も多くありましたが,最近はすっかり・・・。そのかわりBS・CSでは自分のひいきチームの試合をじっくり見ることができるので問題はありませんが。


 結局放映権料に期待ができないとなれば,交流戦のメリットは観客動員だけ。巨人戦・阪神戦・広島戦における観客動員のプラス効果は大きいものがありますが,ちょっと慣れてきた感じは否めません。



 なんてことを考えると,パリーグは一回ここで「自立」を考えてみてもいいのではないかと思います。


10年を節目に一旦区切りをつけ,運営方法やファンの希望をよく考えて,「本当にやる価値があったのか」を総括しておくことが必要だと思います。すでに惰性に流されている感もあります。


 10年もたてば,最初の感動は薄れて当たり前

 

 本当に価値があるものであれば,なくなって初めてわかることも多いはず。ファンが渇望するその時まで,数年は休止でいいんじゃないかな。