次世代を担う子供たちの現在そして未来 -28ページ目

偏差値論2 

 昨年大ヒットした連続テレビ小説「あまちゃん」の登場人物に安部ちゃん(片桐はいり)がいる。小泉今日子が演じる春子とは学生時代の友人ではあるが,学校のマドンナ的存在だった春子に対して引け目を感じていて,


 春子さんは学校のマドンナで,私なんか給食のスパゲティミートソースになぜか紛れ込んだ輪ゴムみたいなものですから


 と,ネタ半分本気半分で自虐的に語る。


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 某科学者のツイートに対する意見をあちこちで見かけるようになった。誰かの記事によると,偏差値の低い大学に通っている学生には,


 どうせ自分は偏差値の低い大学に通ってますから


 と,自分の可能性や意欲に自身でふたをしてしまう発言や考え方をする人がしばしばいるらしい。私自身は直接こんな言葉や態度を学生から見聞きしたことがないので,伝聞の形でしか書けない。


 私の勝手な想像だが,某科学者は講演会に出向いた先の学生からこうした負のオーラを感じ取った(または直接見聞した)のではないだろうか。それであれば合点がいく。本来目をギラギラと輝かせながらエネルギッシュに毎日を過ごしているはずの学生たちが,どうしてこんな負のオーラをまとっているのか。


 その原因は,偏差値と予備校なんだよ!


 ってことなのだろう。昨日「偏差値論 」という記事を書いたときからウスウスわかってはいたけれど,それが「学生たちが傷ついているだろ!」ということか。


 

 これに対する私の考えは,昨日も書いたとおり。


 かまってしまう大人がいるから,彼らは変われない


と。君たちは悪くないよ,なんて言えば他に何か(誰か)悪いことになる。偏差値はあくまでも数字にしか過ぎない。


 その数字を扱う人間の心持ち一つで薬にも毒にも変わる


 ってことをこれまで誰からも教えてもらっていないとすれば,それは悲劇でしかない。



 「偏差値で自分の価値を決められてはたまらない」


 なんてことを言う学生もいるらしいが,自身に偏差値より光る魅力があれば誰もそんなことを言ってくるはずがない(就職活動も同じ。学校名で少々見劣りしたって,それを上回る何かを持っていれば問題ない。何もないというなら所詮そこまで。自分の頭で考えて他人に頼らず何か作れ)。偏差値を否定しながら,一番偏差値に振り回されているのが自分自身だと,気づけないことが悲劇。


 すべては自身の意識次第。


 大学生なら,他人は他人・自分は自分と割り切って,とことん自分と向き合えばいいのに。


 

 だから,いつまでも負のオーラをまとっている学生のことを同情する必要はないと私は思う。そのかわり「じゃあ,これからどうするの?」と前を向かせてあげるアドバイスをしてあげるのが,彼らより長く生きている者の役割だと思う。


 世の中が悪いからしくみを変えてあげよう


 これでは,彼らがたくましく生きていけるとは到底思えない。



 私は公務員受験対策講座を通して,決して算数数学ができるとは言えないレベルの学生たち(おそらく偏差値でいえば低いレベルの大学生)と接している。


 彼らにいつも伝えていることがある。


今さら小学生のとき,中学生のときの愚痴を言っても始まらない。当時理解できなかったことでも,この機会に必死に考えてここで追いつけ!


 と。自分の未来は自分でつかむしかない。必要以上に大人が干渉していじくるのは彼らにとってプラスにならない。授業を通してアドバイスはするが,その先は自分次第。公務員試験はレベルの上限がハッキリしているので追いつけばなんとかなる。


 昔は昔,今は今


 なのだから,今の自分を充実させて偏差値に振り回されていた自分を早く上書きしてしまったほうがよいだろうに。


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 安部ちゃんは「まめぶを普及させる」という自分の目標を持ち,やりきって堂々と北三陸に戻ってきた。「飛べない鳥」と比喩された他の登場人物がそろって逃げるように北三陸を目指したのとは対照的に。


 いつまでも「偏差値」のせいにして飛ぶことすらしない鳥


になりたくなかったら,背中に偏差値が刻印されているわけじゃないんだから前を向いて走れ!

 

今日は3月11日

 3年前の今日,当時担当していたクラスの最終回授業は中止になった。その当時ブログに書き記したことを,思い出しながら再掲することにした。

 

 あの時の中3生は,順調なら今春から大学生。3年たった今だからこそ,当時の大人たちがどんなことを考え,何を不安に想いながら君たちを守ろうしていたのかについて,ちょっとだけ考えてみてほしい。


次に何かあったとき,君達は守られる立場ではなく誰かを守る立場になるのだから。

 


「天災の前には人は無力」ということを,今回の地震を通して皆さんも理解したのではないでしょうか。


 いくら無力とはいえ,ただ立ち尽くすわけにはいきません。我々が人間である以上,生きなければなりません。一歩でも前に進むしかありません。


「こんな大災害なのに,どうすればいいんだ」と不安になる気持ちはわかりますが,ほとんどの大人だって,こんな経験がないからわからない,というのが本当のところでしょう。


 でもね,大人である以上,「正解が見つからない」といって諦めるわけにはいかないのです。守るべき大切な人のために,一人一人ができることを懸命にやり続けるしかないのです。「最善を尽くす」というやつです。


 皆さんは,まだ保護者に守られる立場ですが,あと数年もすれば社会人として自立することになります。「自立」とは,まさしく「大人になって世の中を生き抜く」ことです。「諦めたら試合終了」の中で懸命に働いている大人の姿を目に焼き付けておいてください。


そして,私と向かいあって学んだ数学の,そしてこれから皆さんが続けていくであろう勉強の,目的の何割かは,これから皆さんに必要とされる「諦めずに粘る習慣」の取得のためだと思ってください。


予備校論 「悪の帝国」って言われちゃいました

先日twitterでとある有名な脳科学者が,偏差値と予備校を痛烈に批判されていました(まとめになっているので興味ある方はコチラ を)。

 教育産業の片隅で仕事をしている者としては,「偏差値や塾予備校にもいいところがあるよ(何が悪いんだ!,などとケンカを売るつもりはありませーんw)」という意見も発信しておこうかと。



「明日、駿台、河合塾、代ゼミ、東進がこの世から消えたって、誰もこまらないじゃん。なくなっちまえよ。何が、偏差値だ。教育者ぶるな。悪の帝国どもが!」というツイートから考えること。


 

 あっさりと反論しておこう。


誰も困らないのなら,とっくにつぶれているはずなんですけど。


 塾予備校の使命は,「通ってくれる人のニーズに応えること」,これに尽きる。 そのニーズが「志望校に合格する」「日常の勉強のフォロー」「定期テスト対策」など多様化しているだけだ。


 応えられないところは当然淘汰されていく。この市場はそんなに甘くない。

 

 塾予備校のやり方が気にいらないのなら,受験システムを変えればよい。偏差値や塾予備校を批判する前に,自分たちが理想的な受験システム(塾予備校を必要としないシステム)を作って走らせればよろしい。センター試験をつぶして新しい試験を導入しようが(到達度テストの概観はコチラ ),


 我々は,生き残りをかけて生徒や保護者のニーズ(新たに生まれるものも含めて)に応えていくだけだ

 

 

 ただ,これだけは言える。いくらシステムを変えようとも「数学を勉強しなくてよい」とはならない。それはゆとりの10年間で誰もが懲りたことだ。


 社会に出てから数学なんて使ったことがない。だから勉強しなくてもよい。


 なんて大人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。だから私は,目の前の生徒を鍛え続ける。



 この科学者が名指しで批判した予備校,さらに多くの塾や予備校が,すでに中学や高校(公立・私立を問わず)と連携しながら生徒たちの学力向上を手助けしていることなんて・・・,知らないだろうな。「◎◎大学の教授を連れてきました!」なんて華やかなものは目につきやすいが,本当に地道で黒子に徹して仕事を請け負っている塾予備校も多いんだよ。


塾予備校が本当に「悪の帝国」だとするならば,学校や保護者にとっては必要悪ってこと。


 学校と塾がいがみあっていたのも,すでに20年前のこと。少なくともこの10年は,塾予備校の講師力・情報力を中学・高校が無視していることはない。世間は悪をとりこんでいるよ。


 この人の偏差値・塾予備校に関する情報は,何もかも古い


ってことなのかな。



 

偏差値論

 先日twitterでとある有名な脳科学者が,偏差値と予備校を痛烈に批判されていました(まとめになっているので興味ある方はコチラを)。




 教育産業の片隅で仕事をしている者としては,「偏差値や塾予備校にもいいところがあるよ(何が悪いんだ!,などとケンカを売るつもりはありませーんw)」という意見も発信しておこうかと。



「お前らが勝手に計算している「偏差値」とかやらで、どれだけ多くの18歳が傷ついていると思っているんだ」というツイートから考えること




 少なくとも自分の中学生時代には「偏差値」が普通に使われていたので,現在の親世代(50代前半~40代)は「偏差値」の意味は理解していると思う。我々の学生時代であればともかく,21世紀のこの時代にかつてと同様の強引な進路指導が行われていると思う人は,そんなに多くないはずなんだけど。



 そもそも偏差値とは,わかりやすく言えば健康診断の数値と考えればよい。



  血圧→英語,尿酸値→数学



 なんて具合に置き換えて考えてほしい。血圧だって尿酸値だって必ず「標準値」というものがある。これが基準。この基準があるからこそ,今の自分の数値について判断できるわけだ。




 この標準値が,受験の世界では「偏差値50」にあたる。健康診断のネタで突っ走れば「腹囲90cm→メタボ偏差値40」という感覚だろうか。



  


 さて本題に入る。健康診断ではこの数値をもとに「このままだと病気になりやすいし早死にするかもしれませんよ」と言われる。これを受験に置き換えれば「このままでは志望校に入りにくいですよ」ということだ。


 ここで大切なことは,医者は口にはしないかもしれないけれど「で,あなたはどうしますか?」と聞いている。これを読み取った人はダイエットを始めるだろうし,私のように聞こえないふりをしている人はそのまま。


 


 受験の世界では,この問診を塾予備校の先生やスタッフが行う。ここで多くの人が



 塾予備校では「偏差値で輪切りにして,もう無理だあきらめろ!こんなところ受けるな!」なんて指導をしている



 と誤解している。これは,医者が「きみはもう無理だ,あきらめて早く死になさい」と言っているに等しい。いまどきこんなことを言う人がいるはずないことくらい想像できるだろうに。



 確かに昔は,上記のようなことが学校現場でも現実にあった(15の春を泣かせるな,なんて言葉もあった)。でも,それが問題視されて偏差値追放運動が起こったのはもう20年以上前だ。そんなことがあったことも知らない教員・講師も多くなっている。




 では,どうして「偏差値が原因で若者が傷ついている!」と叫ぶ人がまだ世の中にいるのか。それは「偏差値のせい」にしている受験生が多くて,その言い訳を信じる大人も多いからだ。




 受験で大切なことは,偏差値で志望校をあきらめることじゃない。今の自分の立ち位置を把握して「だったら,どうやったら逆転で合格できるか」を考え実行することにある。この思考過程こそが,今後の人生に活きるのではないだろうか。



 ところが,世の中には「もがいたり試行錯誤することもなく,思考停止状態で偏差値だけをみつめて志望校を決めた人」がたくさんいる。そんな人にとっては,偏差値を逆手にとってねばってやろうという発想を持つ人々がいることすら想像できないのだろう。だって,自分には経験がないから。



 すべてが予定調和のなかで収束する受験の世界しか見てこなかった人,万事安全策を取り続けてきた人にとっては,偏差値は薬にも毒にもなるけれど最も大切なアイテムなのだろうが,



 絶対◎◎大学に行きたい! △学部しか考えていません!



 なんて人には偏差値なんて指標は,目安にはなるけれどそれ以上にはならない。だって受験が「自分との闘い」になるから。



 だからこの科学者が講演した大学の学生にしても,初志貫徹で大学に入学した人は「傷ついた!」なんて言わないはずだ。言うとしたら,偏差値を見て妥協して楽な方を選んで入学した人たち,あるいは努力が足りず志望校に入学できずにここを選んだ人たち。




 そんな学生たちの言い訳を,本気にして受け止めてしまう大人




 が一番何も見えていないのかもしれない。受験生には「選ばない自由」だってあったはず。それでも自分の意志で入学したのだから。「偏差値を見てあきらめた」っていうのも自分自身の判断。誰のせいでもない,自分のせいなのに。




 いわゆる「偏差値に振り回されている人」ってのは,その原因が「数字に対するリテラシーの弱さ」にあることを気づいていない。偏差値と上手に付き合えない,利用できない自分に問題があるにもかかわらず,それは認めようとしないのだ。誰だって自分に都合の悪いものは見えない・聞こえないってことにしたいからね。「偏差値のせいで傷ついた!」って言えば,誰も悪者にならないから都合がいいんだよ。


 


 ちなみに,塾予備校が偏差値を頼るのは「セーフティーネット」の選定の時。それ以外は「受かるも落ちるも自分次第,しっかり頑張れ!」と送り出す。いまどき「ここは偏差値が足りないから受けるな,受験校を変えろ!」なんて指導をするはずがない。している塾予備校(あるいは学校)があるとしたら,ちょっとその指導レベルを疑ったほうがよい。


 

2年目

 昨年のちょうど今頃,それまでプロデュースしていた仕事に区切りをつけた。


 次の仕事として,自分の本業である「難関高校入試」の世界に戻ろうと考えたのは自然なこと。定期的に原点回帰しないと,自分の立ち位置や価値がぼやけてしまうから。



 そんな中でスタートした某進学塾での日曜講座が2年目に突入した。


 昨年の中3生と入れ替わった新中3は,昨秋から断続的に「中2向け日曜講座」として教えていたので顔見知りも多い。昨年同時期と違って,この塾のシステムや教材なども見えるようになっているので,色々な点で本日の初回授業はスムーズに終えることができた。


 昨年を通した反省から色々と管理方法を変えたりしたし,日曜に顔をあわせる生徒たちのおよそ半数を,今後平日にも指導するスタイルをとったので,今年は遠慮なくビシビシと鍛えることができそうだ。


 首都圏難関高校の合格実績は,かつて自分も所属していた塾の一人勝ち。


これでは面白くないんだよね。10年前に某塾で目指していたのと同じように「強大な塾に追いつけ追い越せ」でやっていこうと思う。


 結局このスタイルが好きなんだろうな。