ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

気功の理論や教室のこと、日々のことなどを書いています

キーワード→名古屋・気功、教室・講座・ストレス・緊張・自律神経・健康・改善・回復・坐禅・太極拳・放鬆・ふぁんそん・元気・つどい・癒し・リフレッシュ・整体・気・大雁気功・太極気功18式・香功・スワイショウ・ほぐし・ゆるみ・ゆがみ・ゆらぎ


 〔ふぁんそんと気の感覚で遊ぶ〕というアトラクションの場があるとしましょう。
 そんな案内看板があれば、気功に興味のある人は覗いてみようと思われるかも知れません。
 しかし、気功に興味のない人は通り過ぎて行くでしょうね。

 僕たちにとって大切な課題は、より多くの人たちに〔気功&ふぁんそん〕の素晴らしさを伝えることなんですね。

 それなのに、〔気功&ふぁんそん〕という看板だけでは〔気功&ふぁんそん〕を多くの人の中に普及していくことは出来ないように思われます。

 そのアトラクションの場に、沢山の入口を設けたらどうでしょうか。

・自律神経の不調に悩んでいらっしゃる人は…

・精神的な緊張、ストレスに悩まされていらっしゃる人は…

・坐禅や瞑想で雑念に悩まされていらっしゃる人は…

・身体パフォーマンスのスキルを上げようと思われている人は…

・とにかく元気になりたい人は…

などという入口を設け、それに対応した〔気功&ふぁんそん〕の技を提供するようにすればどうなんでしょうね?

 どんな人たちの悩みや願いに応えられるのか、しっかりと〔気功&ふぁんそんテクニック〕の内容を点検、整理する必用があるようですね。


 もう少し考えます。

 ご意見をお聞かせ下さい。


思案中

 

 いま僕が投稿しているアメーバブログやFacebookでは〔まとめブログ〕にはなり得ません。
 ですから、いま僕が少しずつ書いているようなライブドアブログによって〔まとめブログ〕を作っていく方法があります。

 問題は、これから〔気功の道〕、〔ふぁんそんの道〕に入ってこられる人たちに読んで頂く為にはどんな風にまとめていけば良いのかということです。

 まだ、決めた訳ではありませんが、例えば、

・坐禅、瞑想を深める為に

・活力の元である丹田力を強くする為に

・心地よい〔気 の感覚〕を体感する為に

などといっま感じで、色んな入口を用意してみてはどうかと思うんですよね。

 さて、どうします?

 ご意見をお聞かせ下さい!


思案中

 今から10年後も50年後も100年後も、何らかの目的、何らかの目標を持って、気功の技や〔ゆるみの技〕を学びたい、探究したいという人が現れた場合、僕が永遠に生き続けられない以上、その人たちの参考になるような文章を書いておく必用があるように感じています。

 AI化が進み、動物性機能である外部情報の感知、判断、手足の動きという事柄、例えば、労働、交通、運輸、販売、看護、介護などについてはロボット化は出来るでしょう。
 健康寿命という点でも、遺伝子操作や改造細胞の移植などといった研究と技術の発展によって、かなりの部分は解決できるようになるでしょう。
 若しかしたら、いま僕たちが暮らしている社会の殆どはロボット化しているに違いありません。

 しかし、坐禅や瞑想による三昧の境地や涅槃の境地といった心境、或いは、体内で気を巡らせるといったような〔気の感覚〕の心地よさなどは、僕たち一人一人の人間の習練によってしか会得できないように思うんですよね。

 そういった視点から考えてみますと、やはり〔気功への道〕、〔ふぁんそんへの道〕などについては、文章や動画によって、きちんと残しておく必用があるのではないかと思います。

 さて、どうするのが一番良いんでしょうね?

 思案中。

 昨日(7/2)の《すずらん》に於いて、
「あと十年、お願いします!」
と言われ、笑いながら
「十年経ったら、僕、何歳(いくつ)になっていると思うんだよ!」
と応えてはみたものの、真面目に考えて、もうそんなに〔先生〕をしている時間はないんだなぁと、改めて気づきました。

 気功の教室を開き、こうして記事を書いている限り、新たに気功の門を叩いて下さる人や指導員になりたいと言って下さる人が現れるのは仕方のないことで、その人たちの願いを叶えようとするならば、僕は永遠に生き続けねばならなくなる訳で、そんなことは出来る訳もないんだから、さて、どうするべきなんでしょうね。

 思案中!

おはようございます!

7月3日(水)です。

 6時4分に来る〔お天気メール〕の着信音と振動音にさえ気づかずに、6時45分までぐっすり寝てしまいました。

⛅今日の名古屋は、曇りのち時々晴れで、最高気温は35℃(前日差 +5℃)。
「今日は日差しが届きます。
 昼間は気温がグンと上がって厳しい暑さに。
 こまめな水分補給や空調の使用など万全な熱中症対策が必須です。
 紫外線対策もしっかりと。」
とのことです。

 今日は真夏日だよ!

 暑さ対策として、日中はスタバなどに行ってブログを書いても良いんだけれど、せいぜい2時間だし…、帰宅するにも、夕方の6時過ぎでないと暑くて帰れないし…、そうなると、幾つかの店をハシゴしなければならなくなるし…、お金の無駄遣いになるから、諦めて、食糧の買い物だけ行って来て、あとは大人しく家に居ることにしようかな。

 今年も暑さに悩まされそうだね。

ということで、みなさん、今日の一日、心涼やかに、健やかにお過ごし下さいませ。

(一)
 誰がどんなことに関心を持ち、何を求め、どんな風に生きていくかは、それぞれ自由だ。
 人は生きている間にも〔六道〕を行き来する。
 〔六道〕というのは、六つの生き様のことだ。
 六つの生き様とは、
1、地獄の生き様
2、餓鬼の生き様
3、畜生の生き様
4、修羅(阿修羅)の生き様
5、人の生き様
6、天の生き様
の六つである。
 僕は常々少なくとも、〔人〕以上でありたいと思っている。
 出来れば、〔六道〕を精神的な修行によって乗り越え、〔菩薩〕の生き様になりたいと願っている。

(二)
 〔菩薩〕への修行には、六つの修行があり、それを〔六波羅蜜〕と呼んでいる。
 〔波羅蜜〕とは、サンスクリットの〔パーラミター〕を漢字にしたもので、その意味は〔究極最高の状態〕という意味だ。
 自分が人間として〔究極最高の状態〕に至る為の六つの修行、それが〔六波羅蜜〕なのだ。
 〔六波羅蜜〕とは、
1、布施
2、持戒
3、忍辱
4、精進
5、禅定
6、智慧(般若)
の六つだ。
 僕にとって困難な課題は、1の布施と4の精進だと思っている。
 菩薩行の中心は、何と云っても、他人(ひと)の役に立つことに献身的に取り組む〔布施行〕だろう。
 利己的で我が侭な僕には基本的に〔布施〕の心がないのだ。
 精進もまた然りだ。
 自らを律し、自らの人間性を高めていく為の取り組みに邁進することなど出来はしないのだ。
 〔布施〕の心を持ち、行動に表し、自らを律していくということに焦点をおいて、日々を生きていきたいものである。
🎋気の感覚への探究・2


(一)
 駅の構内などで〔歩きスマホ〕を注意する案内が流れている。
 スマホ(ケータイ)を操作しながらの車の運転は禁止されている。
 何故か?
 人間の脳は何かに集中すると、他のことには注意が向かないのだ。
 そうか、自分の意思で脳の働きを休める為には、別の何かに意識を向ければ良いんだ。
 そうか、スマホを見るという行為の代わりに、体内感覚を体感するという方法を用いれば、脳は休まり、副交感神経側に移行するに違いないのだ。
 その体内を体感する感覚、それが〔体性感覚〕ではないか。
 自分の意思で自律神経を副交感神経側に傾ける為には、体内の感覚を体感する体性感覚に没頭して行けば良いんだ。
 
(二)
 〔体性感覚〕というのは、視覚や聴覚など、外部の情報を感知する為の感覚の総称である〔五感〕と同じように、体内の情報を感知する感覚の総称だ。
 その中に、自分の体の動きを体感するというのも入っている。
 動いているものを体感するだけなら、脳を使って一生懸命に感じようとしなくても体感できる。
 だって動いているんだから、そこに気持ちを持っていけさえすれば体感できるのだ。


 僕たちが習練している〔ふぁんそんテクニック〕は、ここから始まったんですね。

 「あと十年お願いします!」

 何てことを言う生徒たちだ。

 僕が十年経ったら何歳(いくつ)になってると思うんだ。

 でも、新しい方が入会され、気功&ふぁんそんテクニックの指導員を目指していると聞くと、嬉しくなっちゃいますね。

 《すずらん》では、新しい人が入られると、簡単な歓迎会(お茶会)をしているんですが、今日はTさんの歓迎会で、そこで出た話です。

 心温まる仲間の会になって行くのは嬉しいことですね。


🌈《美しく清らかな気功の仲間のつどい〔すずらん〕》
🎈毎週火曜午後1時半~3時半
🎈名古屋市市政資料館/名古屋市東区白壁1

🎈参加の度に五枚5,000円のチケット一枚/体験→2,000円

💃日本気功指導員協会(和気信一郎:鍼灸師&気功指導員)
👍お問い合わせはSメールかお電話でお願いします→09019816957


 毎週の金曜教室が長期休暇に入ると、僕の仕事は毎週の火曜と土曜、月に二回の木曜、月に一回の日曜教室だけになってしまう。
 第一第三の奇数週は、水、木、金と、毎回三連休になってしまうのだ。
 収入が無くなるのも辛いが、それよりも、日中は外に歩きに行く訳にもいかないし、一日中家に居ては体が鈍ってきてしまう。
 僕の眼は、夜は小鳥のように殆ど見えないから歩きに行く訳にもいかない。
 ならば、朝の5時台6時台に歩きにいくとするか。

 怠け者のオイラが出来るとは思わないが…。

 さて、雨でない限り、明日から始めるか?

 ただ、我が家は名古屋市内の住宅街ぬあり、散歩するような道は無いんだよな。

 行きたいところが無いという悲しさよ。 

 どこに歩きに行くか、それが問題だ!  

 僕は、ある物事を見る場合、プラス面よりマイナス面に目が向いてしまい、そのマイナス面を指摘するという批判的な言動の多い人間でした。
 プラスのことは、出来て当たり前で、そんなことは評価に値しないという考えを持っていたんです。

 相手の弱点を指摘はするけれど、弱点を補足するような提案をするといったような姿勢ではなかったんですね。

 しかし、養生気功を習い始め、気の感覚の習練に取り組みだし、それを伝える側に立った時、マイナスをプラスにしていく、つまり、解らないことを解るようにしていく指導がひつようなことに気づいたんです。
 決まった動きを伝えるだけなら、そんなに問題はないんですが、感覚を体感していくということを伝えるには、僕がどのようにして感覚を体感して来たのかという具体的な技を含めて丁寧に伝えなければならなかったんですね。
 「1の次は2です」として〔2〕の内容を話しても、〔1〕から〔2〕にくる筋道の解らない(体感できない)人がいると、〔1.1〕、〔1.2〕……というように、細かく伝えなければ理解してもらえない人もいる訳です。
 「解らない人に対して、どうすれば解ってもらえるのか」という視点で〔気の感覚の習練法〕を伝えていくという立場に立った時、マイナスを批判しても、そのマイナスをプラスにすることは出来ない、マイナスをプラスにする為には、マイナスからプラスになっていくための具体的な技を丁寧に伝えていかねばならないことに気づいたんですね。
 それが、僕がライフワークにしようとしている〔心や体の緊張やストレスを無くしていくためのゆるめる技=ふぁんそんテクニック〕なんです。
 最後はコマーシャルになってしまいました。🙇

ℹ7月14日(日)
《気功を極める学びの仲間〔はらみたスクール〕》
🎈9時半~14時半(昼食タイム有り)
🎈名古屋市市政資料館
🎈受講料→1日3,000円(会員2,500円)