きちんと残しておかなければ… | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

気功の理論や教室のこと、日々のことなどを書いています


 今から10年後も50年後も100年後も、何らかの目的、何らかの目標を持って、気功の技や〔ゆるみの技〕を学びたい、探究したいという人が現れた場合、僕が永遠に生き続けられない以上、その人たちの参考になるような文章を書いておく必用があるように感じています。

 AI化が進み、動物性機能である外部情報の感知、判断、手足の動きという事柄、例えば、労働、交通、運輸、販売、看護、介護などについてはロボット化は出来るでしょう。
 健康寿命という点でも、遺伝子操作や改造細胞の移植などといった研究と技術の発展によって、かなりの部分は解決できるようになるでしょう。
 若しかしたら、いま僕たちが暮らしている社会の殆どはロボット化しているに違いありません。

 しかし、坐禅や瞑想による三昧の境地や涅槃の境地といった心境、或いは、体内で気を巡らせるといったような〔気の感覚〕の心地よさなどは、僕たち一人一人の人間の習練によってしか会得できないように思うんですよね。

 そういった視点から考えてみますと、やはり〔気功への道〕、〔ふぁんそんへの道〕などについては、文章や動画によって、きちんと残しておく必用があるのではないかと思います。

 さて、どうするのが一番良いんでしょうね?

 思案中。