ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.] -105ページ目

ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

↑知り合いのペルー人のお店Pukioです。

今日の日本代表の試合は見るところの無い試合だった。
あんなに気の抜けた緊張感の無い試合は危険だ。
こう言う試合は、カードが出易いし怪我をする事が多い。
こんな試合で貰うカードは無意味だ。
怪我をした人がいないだけ良かったと感じるべきか。
ジーコの言うように功労者を出してするべき状況の試合なのに
代表に居るべき人を出した協会は無知としかいえない。

怒ってても仕方ないから気分を変えよう。
Latina大好き。だからサイト紹介(笑)。


http://www.christinaaguilera.com/
↑ Christina AguileraのHPです。
簡単な英語ですから気にせずに楽しめます。


http://www.epiccenter.com/EpicCenter/custom/56/main.html
↑ Gloria EstefanのEpicでのHPです。
ここも簡単な英語ですから
心配することはないと思いますが
内容的にはあまり面白くないと思います。


http://www2.uol.com.br/danielamercury/
↑ 数多有るBrasilの歌姫の中の一人Daniela MercuryのHPです。
ポルトガル語ですが大丈夫、大丈夫。
理解出来ると一段と楽しめます。


http://www.ivetesangalo.com.br/base.html
↑ 彼女もBrasilの歌姫です。
色々と楽しめるサイトです。ビデオも見る事が出来ます。


http://www.thalia.com/flash.html?PHPSESSID=436f6801affa53ee7e7bda2f7de7c927
↑ ThaliaのHPです。
残念ながら(笑)、英語でのサイトです。
可愛いと言うと叱られるかな。じゃ綺麗(笑)。
彼女の曲がBGMとして聴けますが、途中まで作って・・・の様な感じがします。


http://www.milliecorretjer.com/main.htm
↑ millieのHPです。
画面は小さいけどビデオも幾つか見る事が出来ます。
スペイン語と英語は基本的な単語は近いような気がします。


http://www.jenniferpena.com/index.html
↑ Jennifer PenaのHPです。
英語とスペイン語の切り替えが出来ます。
ビデオがDL出来ます。


http://juanamolina.com/
↑ アルゼンチンの摩訶不思議音楽です。
上記までのとはチョット違います。
環境音楽のような感じですね。
ビデオ等がDLのコーナーに有ります。
Easter / Patti Smith Group

Patti Smith (vo)
Lenny Kaye (stratocaster,b,vo) / Ivan Kral (lespaul,b,perc)
Jay Dee Daugherty (d) / Bruce Brody (key,synth)

1978


New York Punk と呼ばれる連中は、
英国のPunkとちょっとばかり違っていたように感じる。
彼らは人脈といい、明らかに過去の音楽との関係が深く、
それらから得た固定観念との戦いだったような気がする。
Londonなんかよりも暮らしやすかったのか、
年齢的にも少し高い気がするし何よりも極めて音楽的だ。

Horsesの印象的なジャケットで知ったPatti Smithは、
Radio Ethiopiaで横顔の美しさと
自分で考える自分自身の存在理由を私の前にさらしだしてくれた。
そしてEasterの彼女は美しかった。
ジャケットの彼女が大好きだった。
女性の強さと美しさ、そして脆さが出ているジャケだと思う。

このアルバムが出た頃は、
ブルース・スプリングスティーンとの共同制作の
Because The Nightだけが、
プカプカと浮かんでいるようで違和感が有った。
この曲からは女性らしさが感じ取れなかったのだ。
テープに録音する時は、この曲を外した。

これ以外の曲は完璧と言って良いほど彼女は女性だった。
ジャケットのイメージそのままに
女性の強さと美しさ、そして脆さが溢れ出ていた。
田舎に住む少年は、このアルバムの中のPattiに
感情をさらけ出しながらも理性を失わない
理想的な大人の女性の姿を見てしまったのだ。

年月と共に、めまいを起こす様な輝きは失われ
全てが思い込みだとわかった今でも
このアルバムは私の中で大きなウェイトを占めている。
間違えても一般的には美人だとは言い難いが、
それでもPattiは、今でも私の理想の女性だ。
今はそれらを全て含めて全ての曲を聴く事が出来る。
Adventure / Television

1975年には始まっていたPunkとかNew Waveを
確実に認識したのは1978年頃だと思う。
個人的にこれらのジャンルで語られたアルバムで
印象的なのは1977年から1979年頃に発表されたものが多い。
そう、全ては始まった時点で終わっていたという事。

当事者が現場で冷静に感じ取れる事は少ない。
海の向こうの連中に侵食されたままで、
何一つ変わろうと思ってもいなかったのに
周囲の変化の中で明らかに変化していた事に
気づくのは随分後になってからの事だった。

1980年と言う区切りが1970年と言う区切りとは、
全く別の意味をもたらせてくれた事も
1978年の私はまだ気づきもしていない。
新しいものと古いものの区別も曖昧なままだった。
理屈とか理由だとかに嫌悪感を抱いて頃だから当然のことだろう。

Televisionに知性を感じていた。
理屈や理由を嫌悪しながら
知性に惹かれると言うのも変な話だが、
その頃は雰囲気が大切だったのだ。
黙っていても香り立つ知性は論理を必要としなかった。

神経を逆撫でする彼らの音楽は正しく知性だった。
線が細く蚊の泣くような声と
鋭角的で不安定なギターの音は、
混沌とした暗黒の中を歩く為の道標の様に感じた。
知的という言葉自体と雰囲気に憧れていた時代だった。

ボーカルと2本のギターの片方を担当したTom Verlaineに憧れた。
私にとって憧れはTelevisionと言うよりもTomだった。
詩人ヴェルレーヌを名乗ったTomは正しく理想だった。
固定観念から吐き出された静かなる反逆のヒーローだった。
大好きだったElliott Murphyをもっと知的にしたように思えた。

彼らの2ndアルバムのAdventureは、
どこかしら彼らの終わりを感じさせた。
次のアルバムを期待させるような雰囲気の無いアルバムだった。
勝手な思い込みからヒーローに祀り上げた彼らは、
いとも簡単に否定し、そこから逃げ出してしまったのだ。

こちらの勝手な思い込みは、
すぐに否定されてしまった。
時代のヒーローに成る事を拒み、
浅はかなこちらの思惑を否定して、
彼はミュージシャンで有る事を証明した。
元々Bandと言う形態自体に彼ら自身が
特別な思い込みや必要性を感じていなかったのだろう。

一介のミュージシャンになったTom Verlaineは、
解散してすぐにアルバムを出したし
Televisionの名前でその後もアルバムが出たりした。
Televisionは1stを出した時点で終焉を迎えていたのだろう。
2ndは彼ら式のけじめだったように感じる。

PunkやNew Waveが特別なものではないとすれば、
過去を引きずり出す事も許されるだろう。
何にでも特別な必要性を感じようとするのは間違いだ。
なぜなら気がつくのは全てにけりのついた後なのだから。
そして誰にでもやり残した事くらい有るのだ。
偉大なる国の偉大なる王へ。
-心くらい子供のままでいたい-


どうしてそれほど争うとするんだろう。
自分が傷ついたことばかり気にして、
自分が傷つけて居る事に
気がつかないのは何故なんだろう。
争う事が楽しいのか、傷つける事が快感なのか。

私はすぐに逃げ出すから
進もうとする人の気持ちがわからないのか。
戦争もイジメも誰かを傷つけているうちは、
自分が傷つくことから逃避できるからな。
でも本当は自分も傷ついているのにね。

私は、傷つけられたくないから
私は、傷つけたくもないから
私は、いとも簡単に簡単に逃げ出す。
争うことも戦うことも出来るけど
楽しくない事はしたくないから。

自分の正義が普遍な正義なんて考えるだけで恐ろしい。
多分自分に自信が無いからだろう。
嗜好が同じでも倫理観の違いが無くても
誰かが悪いなんてわからなくたても、
何も意識しなくても十分傷つけあっているのに。

色々な肌をした、色々な言葉を話す、
色々な宗教と色々な思想に囲まれて、
自分と価値観の違う人との対話が、
自分にとって快感に近いから
私は孤高の王様の快楽がわからない。

孤高の王様は一人が嫌いなのだろう。
だからわざわざ戦争に出かけていく。
相手が求めているものなんてお構いなし。
初めから自分が正しいと揺ぎ無いから
決して考える必要も無い。

誰もが自分が一番大切だから
王の気まぐれには馴れたもの。
気づかない振りが現代の処世術。
聞こえもしない所からなら
幾らでも大声を張り上げる。

私はただ自由にしていたいだけ。
自分だけ自由でいようとは思わないけど、
自分の事は自分で決めたいし
やはり結局は自分が一番大切で、
臆病だから逃げ出す事を選ぶ。

人の心の死は楽しいもの。
有形無形の宗教や信仰は、
恐怖と快感がトレード・マーク。
自分の求めているものと違う振りをして
自分さえ助かればと傷つける。

私なんて、たかだかしれた人間です。
私は、なんて小さな存在なんでしょう。
ただ単に笑っていられたらと思うだけなのに。
排他的で独善的な世界が嫌いなだけなのに。
心くらい子供のままでいたいのに。

他人の事を都合良く簡単に理解して、
他人の言いたい事までも自分の都合で利用して、
世界の中心に都合良く自分を置く事が出来るなんて
偉大なる国の偉大なる王よ、
あなたは、なんて偉大なんでしょう。
NO NEW YORK / V.A.

James Chance & Contortions / Teenage Jesus And The Jerks
Mars / D.N.A.

Produced by Brian Eno 1978


1980年も大して過ぎてはいない頃だと思う。
地方の大都市では少々有名な中古レコード・ショップ。
私たちが『エサ箱』と呼んでいた安売り専用の段ボール箱に
NO NEW YORKが何枚か見つけられるようになっていた。

パンクとかニュー・ウェーヴって言うのが、
音楽のジャンルじゃなくて、
その時代そのものだったと言う事に気づかされて、
スッキリと吹っ切れた訳では無いけど、
音楽を音楽として聴く事に感じていた違和感は、
自分の中では終息し始めていた。

自己嫌悪の塊で全く自分に自信が無かったけど、
それなりに自己主張出来たのは、
これらの音楽のお陰だったのも確かなこと。
沢山の人達に自分の意思とは別の部分で、
ぐちゃぐちゃといじりまわされた事も
今になって考えてみれば、
死にたいほどの孤独感から逃げ出す事が出来た。

何もかもが残ったままで、
何もかもを引きずったままだった。
ガキで有る事も確かな事だった。
それでも自分の中に
『大人』と言う言葉が確実に認識されだしていた。
人間はそう簡単に変化出来るものではないし
自覚している部分なんて、していない部分に比べれば、
大した事ではないだろうけど。

あれから20年以上経った今、
パンクと言う言葉が一般になり
ファッションとして、かっこ良くて、
ウルサイだけじゃ許されなくなったかわりに
出来上がった玩具で遊んでいるようにも見える。
人を可哀相だと思えるくらいには、
大人になったと言うわけだね(笑)。

パンクが云々で、
ニュー・ウェーヴが云々で、
ノー・ウェーヴが云々で・・・
って説明したい人がいるかもね。
でもそんな事は、もうどうでもいいんだから。
音楽と言う観点から言えば様々な表現法。
面倒だから、それで良いでしょ?


ブライアン・イーノのプロデュースで
1978年に録音されたこのアルバムは、
今まで前衛音楽の様な扱いを受けていたタイプの音楽を
ロックの次元まで引きずり落とした時点で、
パンクに成り上がったのだと思っている。

訳のわからない音楽に訳のわからない理論で武装させ、
価値を感じていたのは、それまでは一部の人間だった。
パンクやニュー・ウェーヴがそれらを
『衝動』と言う言葉で表現してしまった事は、
『反抗』と言う言葉を美化し過ぎた罪悪も有るが、
固定概念から作られた『カテゴリー』と言う言葉を
一度は無意味にしたのだからそれなりの価値は有るだろう。


このアルバムの今の存在価値?
たかだか、個人レベルでいいんじゃないの?
わたしにとってはね。
あっ、フリクションが聴きたくなった。