さて、それじゃ終わりから始めよう。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

NO NEW YORK / V.A.

James Chance & Contortions / Teenage Jesus And The Jerks
Mars / D.N.A.

Produced by Brian Eno 1978


1980年も大して過ぎてはいない頃だと思う。
地方の大都市では少々有名な中古レコード・ショップ。
私たちが『エサ箱』と呼んでいた安売り専用の段ボール箱に
NO NEW YORKが何枚か見つけられるようになっていた。

パンクとかニュー・ウェーヴって言うのが、
音楽のジャンルじゃなくて、
その時代そのものだったと言う事に気づかされて、
スッキリと吹っ切れた訳では無いけど、
音楽を音楽として聴く事に感じていた違和感は、
自分の中では終息し始めていた。

自己嫌悪の塊で全く自分に自信が無かったけど、
それなりに自己主張出来たのは、
これらの音楽のお陰だったのも確かなこと。
沢山の人達に自分の意思とは別の部分で、
ぐちゃぐちゃといじりまわされた事も
今になって考えてみれば、
死にたいほどの孤独感から逃げ出す事が出来た。

何もかもが残ったままで、
何もかもを引きずったままだった。
ガキで有る事も確かな事だった。
それでも自分の中に
『大人』と言う言葉が確実に認識されだしていた。
人間はそう簡単に変化出来るものではないし
自覚している部分なんて、していない部分に比べれば、
大した事ではないだろうけど。

あれから20年以上経った今、
パンクと言う言葉が一般になり
ファッションとして、かっこ良くて、
ウルサイだけじゃ許されなくなったかわりに
出来上がった玩具で遊んでいるようにも見える。
人を可哀相だと思えるくらいには、
大人になったと言うわけだね(笑)。

パンクが云々で、
ニュー・ウェーヴが云々で、
ノー・ウェーヴが云々で・・・
って説明したい人がいるかもね。
でもそんな事は、もうどうでもいいんだから。
音楽と言う観点から言えば様々な表現法。
面倒だから、それで良いでしょ?


ブライアン・イーノのプロデュースで
1978年に録音されたこのアルバムは、
今まで前衛音楽の様な扱いを受けていたタイプの音楽を
ロックの次元まで引きずり落とした時点で、
パンクに成り上がったのだと思っている。

訳のわからない音楽に訳のわからない理論で武装させ、
価値を感じていたのは、それまでは一部の人間だった。
パンクやニュー・ウェーヴがそれらを
『衝動』と言う言葉で表現してしまった事は、
『反抗』と言う言葉を美化し過ぎた罪悪も有るが、
固定概念から作られた『カテゴリー』と言う言葉を
一度は無意味にしたのだからそれなりの価値は有るだろう。


このアルバムの今の存在価値?
たかだか、個人レベルでいいんじゃないの?
わたしにとってはね。
あっ、フリクションが聴きたくなった。