多分、始まる時には終わってた。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

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ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

Adventure / Television

1975年には始まっていたPunkとかNew Waveを
確実に認識したのは1978年頃だと思う。
個人的にこれらのジャンルで語られたアルバムで
印象的なのは1977年から1979年頃に発表されたものが多い。
そう、全ては始まった時点で終わっていたという事。

当事者が現場で冷静に感じ取れる事は少ない。
海の向こうの連中に侵食されたままで、
何一つ変わろうと思ってもいなかったのに
周囲の変化の中で明らかに変化していた事に
気づくのは随分後になってからの事だった。

1980年と言う区切りが1970年と言う区切りとは、
全く別の意味をもたらせてくれた事も
1978年の私はまだ気づきもしていない。
新しいものと古いものの区別も曖昧なままだった。
理屈とか理由だとかに嫌悪感を抱いて頃だから当然のことだろう。

Televisionに知性を感じていた。
理屈や理由を嫌悪しながら
知性に惹かれると言うのも変な話だが、
その頃は雰囲気が大切だったのだ。
黙っていても香り立つ知性は論理を必要としなかった。

神経を逆撫でする彼らの音楽は正しく知性だった。
線が細く蚊の泣くような声と
鋭角的で不安定なギターの音は、
混沌とした暗黒の中を歩く為の道標の様に感じた。
知的という言葉自体と雰囲気に憧れていた時代だった。

ボーカルと2本のギターの片方を担当したTom Verlaineに憧れた。
私にとって憧れはTelevisionと言うよりもTomだった。
詩人ヴェルレーヌを名乗ったTomは正しく理想だった。
固定観念から吐き出された静かなる反逆のヒーローだった。
大好きだったElliott Murphyをもっと知的にしたように思えた。

彼らの2ndアルバムのAdventureは、
どこかしら彼らの終わりを感じさせた。
次のアルバムを期待させるような雰囲気の無いアルバムだった。
勝手な思い込みからヒーローに祀り上げた彼らは、
いとも簡単に否定し、そこから逃げ出してしまったのだ。

こちらの勝手な思い込みは、
すぐに否定されてしまった。
時代のヒーローに成る事を拒み、
浅はかなこちらの思惑を否定して、
彼はミュージシャンで有る事を証明した。
元々Bandと言う形態自体に彼ら自身が
特別な思い込みや必要性を感じていなかったのだろう。

一介のミュージシャンになったTom Verlaineは、
解散してすぐにアルバムを出したし
Televisionの名前でその後もアルバムが出たりした。
Televisionは1stを出した時点で終焉を迎えていたのだろう。
2ndは彼ら式のけじめだったように感じる。

PunkやNew Waveが特別なものではないとすれば、
過去を引きずり出す事も許されるだろう。
何にでも特別な必要性を感じようとするのは間違いだ。
なぜなら気がつくのは全てにけりのついた後なのだから。
そして誰にでもやり残した事くらい有るのだ。