1974年全米1位(イージーリスニングチャートでも1位となり、ミリオンセラー)、全英22位。さらに、スウェーデン、カナダ、オーストラリアでも1位となり、75年のグラミー賞で最優秀レコード賞及び最優秀女性ポップボーカル賞を受賞。Olivia Newton-John にとって最初の全米 No.1 ソングです。この曲は、Peter Allen が Jeff Barry と共作したもので、Allen は自分のアルバムで発表しようと考えていたのですが、この曲のデモを入手した John Farrar が Olivia に聴かせたところ、彼女が気に入ったため、Barry が「オリビアに歌ってもらえばきっとヒットするぞ」と言って Allen を説得し、彼女に譲ったとのこと(もっとも、Allen は後にこの曲をセルフカバーした)。なお、Olivia は、1998年にもこの曲のリメイクバージョンをリリースしています。

 

 

そして、Olivia の5曲目にして最後の全米 No.1。

 

 

1981年全米1位(Hall & Oates の "Private Eyes" からトップの座を奪ったが、Hall & Oates は、"I Can't Go For That (No Can Do)" によってトップのポジションを奪還した)、全英7位。さらに、ベルギー、スイス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで1位、アイルランド、オランダ、西ドイツ、オーストリア、イタリア、ポルトガル、ブラジルでトップ10入りしたワールドワイドな大ヒット(日本でもオリコンの洋楽チャートとオールジャパンポップ20で1位)。アメリカでは10週間連続1位となって200万枚を超えるセールスを記録しました(周知のとおり、この曲とバッティングしたために10週間連続で2位の座にありながらトップになれなかった「悲劇の曲」が Foreigner の "Waiting For A Girl Like You")。この曲は、Rod Stewart を想定して作られたという説が有力でしたが、共作者の一人である Steve Kipner によると、正確には Rod Stewart みたいなシンガーにレコーディングしてもらいたいと思っていたとのこと。そして、Tina Turner にオファーしたところ、Tina は内容がエロすぎという理由で断り、代わりに Olivia に提供することをサジェスト(なんでそーなる?)。Olivia は、それまでの自分のイメージとは真逆なため最初は躊躇したものの、マネージャーから「大ヒットするから」と強く薦められて決断し、80年代を代表する大ヒットとなりました。なお、ギターソロは Steve Lukather(彼は、こんな笑っちゃうほどエロい曲はヒットしねーだろ、と思っていたそうだが、その予想は見事に外れた)。 

 

 

 

オリビア・ニュートン・ジョンが逝去しました。リアルタイムで最初に聴いたオリビアの曲は "Jolene" だと思いますが、陳腐な表現ながら、まるで妖精のような可憐さ(といっても、当時彼女は27歳か28歳だったのだが)にたちまち夢中になった私にとって、オリビア・ニュートン・ジョンは、外国人女性歌手としては唯一のアイドルでした(ただし、他に彼女に類する存在はいなかったということもある)。それだけに、やはりショックは大きいものがあって、この追悼記事もなかなか筆が進まず、適時性に欠ける投稿となってしまいました。そういえば、つい10日ほど前に、たまたま彼女のグレイテストヒッツをiPodで聴いたところで、単なる偶然とはいえ、何か虫の知らせでもあったような思いに囚われています。

 

 

ちなみに、オリビアは、"The Long And Winding Road" や "Here, There And Everywhere" などもカバーしています。

 

Rest in peace and thank you, Olivia