Fagiale ~僕らの街には夢がある~ -30ページ目

共に歩む

1 堤  喬也
2 丸谷 祐一
3 玉林 睦実
4 伊藤 琢矢
5 山口 直大
6 青山 裕高
7 朝比奈 祐作
8 中川 英之
9 喜山 康平
10 川原 周剛
11 弦巻 健人
14 関口 圭亮
15 重光 貴葵
16 野本 安啓
17 加藤 佳孝
18 池松 秀明
19 明石 靖久
22 臼井 仁志
23 李  彰剛
24 掛谷 悠
25 丸谷 明
26 藤定 孝章
27 永禮 大貴
28 小野 雄平
30 徳永 武
37 大島 翼
38 三原 直樹
39 ジェフェルソン


28人、それは2007年ファジアーノ所属選手。

誰ひとり欠けても今年のファジアーノは無かった。



骨折をしながらも、チーム用のビデオを撮っていた選手。

試合に出れなくても、準備や片付けをしていた選手。

出場機会に恵まれなくても、最後まで居残って練習していた選手。


僕は、彼らを誇りに思える。



熊谷にも自家用車できた選手たちがいる。

昨年の大分と同じだ。

彼らは、彼らのやれることをしていた。

荷物運び、ビデオ撮影など裏方として彼らは戦っていた。

ある選手は、「自分ができることをするのは当たり前ですから」と言った。

当たり前のことを当たり前にすることは、難しい。

でも、それができる選手達がいるって凄いと思わない?

熊谷でも試合に出れない選手たちは、スタンドからベンチから出場選手と共に戦っていた。

試合に出れないメンバーが、どれだけ悔しいか知ってる。それでも、彼らは腐ることなく1年間、最後まで戦った。サポーターには、笑顔で応えていた。

僕らは、彼らを誇りに思う。


2007年のファジアーノは数人の選手がいたからJFL昇格できたのではない。

28人全員が折れない心で戦ったから約束の場所に行けたのだと思う。



ファジアーノが発足した時から、僕はこのクラブを選択した選手は凄いと思っていた。

勝利していくこと、上のカテゴリーにいくこと、それは考え方を変えれば自分の居場所が無くなるかもしれない。

RFKからファジアーノになった時、選手はどんな気持ちで受け入れたのだろうか。

県リーグから中国リーグに昇格した時。JFLを目指してる時。
僕らの夢をひとつひとつ叶えてはユニフォームを脱いでいった選手たち、彼らは何を思い戦っていたのだろう。

誰もがJFLやJリーグでプレーできるわけではない。それでも彼らは戦った。誰のためだろうか。




僕は、それらを知ってる。

だから、このクラブと何があっても歩もうと決めた。



きっと自分のためだけにサッカーした選手は、このクラブにはいない。


サポーターは、一生サポーターであり続けることができる。しかし、選手はそうはいかない。

だから、全ての選手にリスペクトしながら、歩み続けなければならない。



「結ばれし友よ」にこんなフレーズがある。

『何があってもオレたち見捨てたりはしない』



熊谷では、『僕らの街には夢がある』にある多くの礎の選手のメッセージが共に戦った。

そして、礎の選手のユニフォームを着たサポーターが多くいた。


今戦ってる選手を含めJFLまでの所属選手達は、Jリーグで戦うことなったクラブの歴史の中のほんの1ページに埋もれていくかもしれない。

今の子ども達が大人になった時、忘れているかもしれない。

そうなったとしても、このクラブがあの場所にたどり着いたなら、それで良いと思う。それで、岡山が幸せな街になったのなら。


でも、僕は忘れないし見捨てないし、胸に刻んで共に歩んでいきたい。伝えていきたい。


今のサポーターも礎になっていく事になると思う。

杖をつきスタジアムに通うことになった時に、今と変わらないファジアーノらしさがあってほしい。







出場選手も控え組も試合に出ない選手も戦う。

サポも全員を心から応援する。

礎を忘れずに歩んでいく。

みんなで歩んでいく。



それがファジアーノのやり方。




2008年、ファジアーノ岡山は新しいステージで戦います。

その時、ファジアーノのユニフォームを着る選手に伝えたいことは、このエンブレムとユニフォームの重さである。


28人の選手と

今までこのクラブに関わった全ての選手

そして、

これからファジアーノのユニフォームを着る選手達と

共に歩んでいこう。
これからも。
これからも。











空を隠してしまうような
大きく美しい翼じゃないけど

折れない意思で貫かれた
気高き翼さ

この果てなき空を
どこまでも飛び続ける

覚悟も 勇気もある







色んなプレッシャーがある中で戦った28人、すごい選手らよ。本当に。

僕らの街には夢がある
















僕らの街には夢がある






JFL昇格が決まった瞬間、この横断幕はスタンドからピッチに虹を描くように投げ渡された。




受け取った選手たちは、横断幕をひろげた。




そして、横断幕はある選手の首にかけられた。
選手が昇格を喜びあってる場所に共にいた。彼らが………。




これは、選手たちとサポーターの約束だった。










この横断幕には、色んな角度からこのクラブを支えてきた人々の想いが書かれている。




例えば、今までこのクラブのユニフォームを着た選手たち。



藤井一昌は、「俺たちの夢」と書き「ファジアーノをよろしくお願いします」と言った。



石川哲平は「魂だけは置いてきました」と書き広島まで応援に駆け付けた。



村井祐規は、「岡山のために」と書いた。



リバーフリーキッカーズに所属していた選手たちも、メッセージを書いてくれた。








他にも、三菱自動車水島FCの選手達もメッセージを書いてくれた。


「最後まで戦え、JFLで待っている!」








クラブハウスで働くバイトの二人も書いてくれた。


「出会い必然」




彼女らにとって、ファジアーノは単なるバイト先ではなくなっている。


選手全員が、現地に行けたのは彼女たちがいたからだ。地域決勝の直前に美作合宿があった時、選手に代わりシフトに入っていた。


あるファジアーノ専属カメラマンは、彼女らのメッセージを見て涙が止まらなくなっていた。






他にも、色んな形でチームを支えている人たちの想いが書かれている。






選手が家族みたいに安心して訪れるRoniRoni一家のメッセージもある。



ボランティアの人たちのメッセージもある。


熊谷に来たくても来れなかった仲間達のメッセージも書かれている。




どれもこれも重い言葉たちばかりだ。










さて、話を12月1日に戻そう。
ファジアーノはバンディオンセ神戸にPK負けをした。



試合後に、スタンドでは第2試合を見る選手たちがいた。




僕は、仲間に「ちょっと行ってくるわ」と言って横断幕を持って伊藤の所に向かった。


今、思えば何でそんな行動にでたのかわからない。ただ、体が動いていた。




伊藤のすぐ近くには青山がいた。隣にはジェフェルソンもいた。




僕は伊藤の近くで言った。




「見せたいものがある!」






夢の近くに書かれた昨年のメンバー達のメッセージを見せた。


伊藤は、その横断幕を見て、「やばい」と目に涙を浮かべていた。






伊藤は僕に向かって力強く言い放った。




『これを明日投げてほしい。体に巻きたい。』








その言葉の意味は、これだ。




「今年のメンバーだけで、JFLに行ったのではない。横断幕にメッセージを書いた彼らがいたからここに来れたんだ。だから昇格の瞬間を彼らと共に味わいたい。彼らとJFLに行きたい。」






伊藤は、昨年までのメンバーの話、試合前のロッカーでの話をしてくれた。

今でも、昨年のメンバーの映像を見ると涙が溢れてきてヤバくなる話もしてくれた。




僕は、伊藤に言った。




「去年の涙を忘れていない。明日、あんな涙を流させはしない。横断幕は投げる。だから勝とう!」





伊藤は、力強く握手で応えた。




その後に、重光や周剛にも同じように横断幕を見せた。




重光は親御さんと一緒の所に割り込んで話をした。凄く良い御両親だった。




周剛は「1年しんどかったやろ?」と話すと「そんなことないっすよ」と笑顔でこたえた。




昨年までの選手たちの想い、子どもたちの想い、支えている人たちの想いを語りかけながら横断幕を見せた。



2人とも力強い目と握手で応えてくれた。

彼らと話した時に、明日は必ず勝てると思った。










木村社長にも横断幕を見せた。社長は、森さんと共に全メッセージを一文字一文字読んでいた。

昨年のメンバーのメッセージを嬉しそうに読んでいたのが印象的だった。


涙を浮かべながら「これは凄すぎます」そう言って社長は力強く握手をしてきた。










僕は、1年前と同じ思いをするのは絶対に嫌だった。


この人たちの悔し涙を見るのも嫌だった。昨年以上に増えた仲間の悔し涙を見るのも嫌だった。


今の選手でJFLに行くと決めた、あの人たちをオトコにすると決めた。

だから、伝えずに後悔だけはしたくなかった。










当日の朝、会場入りする選手とスタッフ全員が見えるようにサポーターと入口前で掲げた。








あるスタッフは、じっとその横断幕を見ていた。




伊藤は、その横断幕を見た瞬間に表情が変わった。


あの顔は本当にカッコよかった。




ある選手は、試合後に言った。

「あれを見た時に、僕らの街、それががすんなりと受け入れられた。」










試合終了間際、その横断幕を柵から外し、サポーターの最後尾で掲げた。


僕らの街の仲間達の最後尾で、高く高く掲げた。


ある選手は、思わずそれが目に入ってきたそうだ。










JFL昇格が決まった瞬間には、最前列で手に持ち横断幕を掲げた。










そして、サポーターへ挨拶にくる選手の中から1人の男が走ってきた。


「投げてくれ」


伊藤は手で合図しながらそう言った。






僕は、横断幕を伊藤に思いっきり投げた。












そこに素早く駆け寄ってきたのは、重光だった。


2人で横断幕をひろげ、僕たちに見せた。






『僕らの街には夢がある』






よく見ると、チャンガン達も持っていた。


先日の雉マガに書かれていたある選手の言葉。

「スタンドで吠えてるサポーターは俺らと一緒に戦ってると俺は思う…」

それは、チャンガンの言葉だ。






伊藤は、その横断幕を首にかけ涙を流していた。






選手が円になって高らかに歌った時も、




選手が一列になり写真を撮られていた時も、




選手がサポーターに挨拶した時も、




横断幕は共にあった。








周剛は、僕がエンブレムを叩き拳を突き出すと、応えるかのように、拳を突きだした。






昨年、一昌たちをJFLに連れていってやれなかった。


今年、メッセージとサインだけだったが、あの場所に彼らを連れていくことができた。








僕は思う。




JFLに行ったのは、今の選手たちだけでも、今のサポーターたちだけでもない。


ファジアーノに関わってきた全員の力でJFLに行ったのだ。




ファジアーノに関わった人たち、岡山サッカーを支えてきた人たち、その人たちがいたから12月2日があったのだ。




そのことを選手たちも、今ファジアーノに関わる人たちも知っている。




だから、ファジアーノは素晴らしいクラブなんだ。








この場を借りて全ての人に感謝します。


横断幕製作に携わった猿会の家族、メッセージを書いてくれた仲間達…………ありがとうございました。




この横断幕を作った時に、こんなにも重たくて大切なものになるとは思っていませんでした。


目立つところに張らせてくれた仲間たちにも感謝します。








そして、伊藤、シゲ、周剛……………約束果たせてよかった。ありがとう。




君達とJFLに行けたこと。


僕は、この日を忘れない。










僕らの街には夢がある




僕にとって、それは大切な友だちがいるってこと。その街が好きってこと。












伊藤は横断幕をもって挨拶にきてくれた。その伊藤に、未来のファジアーノが近寄っていった・・・・・・・・・。














この話には続きがある・・。
























































あれから、1年

ヒナのゴールの時も、ホンダロックに勝った時も、喜びはそれほど無かった。



周りが抱き合って喜んでる中でも冷静な自分がいた。


顔会わせた人には、「きりかえよう、ここからだから」と言ってた。


帰りにも、喜びよりこれから先にあるものを話した。

素直に笑えない自分がいた。

なぜだろう?


ここまでは、当然の如く来るべき場所だという気持ちがあった。





僕にとっては、あの大分での3日間は強烈だった。





悔しいなどという言葉では言いあらわせないぐらいの気持ちを味わった。



頭に包帯を巻きながら大泣きしていたアキラ。


ベンチコートのフードを被りながら号泣していた伊藤。


涙を我慢しようと天を見ていた陽介。

今でもハッキリと覚えている。




あの3日間、サポーターも全員恐いぐらい吠えていた。



みんな……今まで見たことないぐらい叫び、体全体でチームを応援していた。僕は、豹変したぐらい叫び何度もピッチに落ちそうになっていた。



最後のPK戦、全員がガラガラ声で叫んだ。選手の名を。ファジアーノを。



気付くと、みんな目から涙を流していた。



選手が挨拶にきた時、下を向くサポーターはいなかった。


その時、思った。

絶対にこの人たちとならJリーグまで歩んでいけると。

歩んでいきたいと。





指先に手をかけた「JFLの切符」。
それが、するりとこぼれ落ちた瞬間。

僕らは、その瞬間を知ってる。



あなた達の嬉し涙だけがみたいんで、また豹変します。