■自分の立ち位置に応じた本筋の努力をする(概論)

 

さて、いよいよ霊的修行の話になる。

 

ここで2つのファクターが重要である。

 

1つは自分の立ち位置に応じた霊的修行を選択すること。これが従来の悟りへの方法論において、全く無視されてきた。

 

例えば、意識レベルが500台位の人、ましてや意識レベルが500未満の人が、通常行われている座って目を閉じる瞑想をしてみたところで、ほとんどの時間を雑念との戦いで過ごすことになる。

 

これは、あまり意味がないのである。時間効率がはっきり悪いと言ってよい。何十年も瞑想を続けても悟れなかった人など珍しくないが、これの原因の1つはこういったレベルに合っていない修行である。

 

こういう修行というのは、非常に苦労を伴うゆえに、本人は「やった気になる」のである。苦労して、修行して、満足してしまうのである。

 

もちろん、本末転倒である。

 

だから、ちょっと言いにくいことでもあるのだが、苦行の類というのも同じようなものである。厳しく苦しい修行というのは、やり遂げれば満足感を生みやすいのだが、成果が出るかは全くの別問題である。うちの女神様たちによれば、苦行は悟りへの道において遠回りのアプローチとのことである。

 

そして、修行らしい修行を張り切ってやると、エゴを強化する。

 

エゴを消滅させるのが悟りの方向性であるのに(正確には完全消滅はしないのだが、修行の段階では完全消滅させるつもりで取り組んでよい)、修行したことに満足して、「自分はこんなに修行ができて、普通の人とは違うんだ」となってしまい、エゴを強化する。

 

だから、霊的修行とは淡々とやるものである。逆に、淡々とできる修行が望ましい修行である。

 

もう1つの重要なファクターが本筋の努力をすることである。

 

霊的修行など無数にあるし、霊的修行という言葉が当てはまらないような、健康・食事に関するような教えなども無数に存在する。

 

それらが、どの程度悟りに直結するのだろうかという問題である。

 

例えば、「菜食主義」。これについては過去記事「悪とは何か、善とは何か」で以下のように書いた。

 

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魂が進化するにつれて、色々なことを卒業していくのだから、どんどん悪の範囲は広くなっていく。ちょっとしたことでも悪は悪だとするならば。

 

肉食についても、人類が進化すれば、いつかはやめる時が来る。しかし、当分はまだ続くであろう。

 

覚者やアセンション達成者であっても、肉食の人はべつに珍しくない。第1グループのアセンション達成者の中で菜食主義の人は約40%だそうである。

 

私もまだ肉食は続けている。この人生の中で、いつか肉食を卒業する時が来るかもしれないとは思っているが、それはまだわからない。

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第1グループのアセンション達成者の中では菜食主義者は半数以下である。ということは、善悪は別にして、菜食主義は悟りに関する決定的なファクターとは成り得ないことがわかる。

 

一般的にスピリチュアルの世界で考えられていることとは異なる結論なのである。

 

少し横道にそれるが、4次元の世界でもまだ肉食はあるそうである。5次元で肉食がなくなり、6次元で食事自体がなくなる。意識が進化すれば、結果としていつか肉食はやめることになる。

 

だが、それは意識が進化した結果なのであり、肉食をやめたら意識が劇的に進化するわけではない。世界中で行われているヴィーガンによる行き過ぎた抗議行動を見れば一目瞭然である。

 

意識レベルが低すぎるうちに菜食主義を採用することは、却って精神的に悪影響を及ぼす。まあ、女神様たちによれば、意識レベルが540くらいあって、本人が心の底から菜食主義がよいと思っているなら、やっても大丈夫だということである。

 

どちらかと言えば、肉食をやめた方が意識の進化に若干有利ではある。どんな小さなことでも意識の進化に有利な方を選ぶのなら菜食主義がよいということだが、決定的なファクターではないから、自信がないならやめておいた方が無難である。やりたくないのにやる必要はないのである。

 

霊的修行という感じでもない菜食主義を例として挙げたのだが、もっと修行っぽいものであっても、理屈は同じである。

 

効果的な霊的修行もあれば、そうでもない霊的修行もあるし、それはまた当人の意識レベルによって異なってくるということも言えるのである。

 

「悟りへの直結度」が80の霊的修行もあれば、20の霊的修行もある。それを一緒くたにしていたのが従来の悟りの方法論。これを非常に需要なファクターとして考慮した上で、霊的修行を提案しているのが私の方法論である。

 

■自分の立ち位置に応じた本筋の努力をする(意識レベル540以上~600未満)

 

具体的な霊的修行の話に入ろう。現在の私の目から見て、悟りを目指すうえで効果的であると考える霊的修行を提案する。

 

まずは、意識レベル540以上~600未満の場合。

 

[必須・省略不可]

◎自分の思考・感情の観察

◎さまざまな書籍・ブログ等を通じた悟りの知的理解(非二元を除く)

 

この段階で最もお奨めできる霊的修行は「自分の思考・感情の観察」である。以下の過去記事でも言及しているので、併せてお読みいただきたい。

 

覚醒に向けた意識レベルの向上のために(7)

 

「書籍・ブログ等を通じた悟りの知的理解」という誰しもがやっていることを別とすれば、ほとんどこれだけで良いのではないかというくらいである。

 

過去記事「聖なる催眠: アイデンティティー」において、意識レベル600あたりで自己に対する見方が激変すると書いた。個人意識(小さな自己)と全体意識(大いなる自己)の二重構造であることを知覚するのである。

 

単なる知識としてではなく、自分の体験からこの二重構造を見抜くにはどうしたらよいのか。その答えが「自分の思考・感情の観察」ということになる。

 

自分の思考・感情の観察をしていると、当然ながら、「自分を観察するもう1人の自分」がいることがわかる。これが全体意識である。全体意識は常に小さな自己を俯瞰で見ている。

 

これが悟りへの道において、非常に重要な訓練なのである。なぜなら、覚者は常に自己をそのように知覚しているのだから。

 

そして、意識レベルが600に到達すると、ほぼ24時間、自分をそのように俯瞰で見て、自分の思考・感情に気付いている状態になる。逆に、それができる段階が意識レベル600である。

 

だから、最初は意識して自分の思考・感情の観察をする訓練から始まり、意識している時しかそれができない状態であり、短時間しか自分の思考・感情の観察ができないのであるが、最終的には、ほぼ24時間自然に自分を観察できる状態になる。それが、ここでの目標である。

 

この最終着地地点を考えると、この訓練はできる限り1日中やるのが望ましい。最初はできなくても、これができるように訓練していくのである。

 

逆に言えば、24時間(深い眠りの時は別だが)できる訓練であるというところが素晴らしいのである。

 

例えば、通常の瞑想を20分実践するとする。普通の人の場合、この段階では雑念だらけで効率が悪いことが予想されるのだが、仮に瞑想が得意な人がいて、そこそこ瞑想ができるとする。

 

それでも、その瞑想という訓練は20分の間のことにすぎないのである。

 

それに対して、自分の思考・感情の観察という訓練は1日中できる訓練なのであり、それゆえに上達が早いのである。

 

そして、覚者というのは基本的には1日中自分を俯瞰で見ているのだから、その最終状態に向けて、その最終状態になれるような訓練というのが効果的であるということである。

 

もちろん、これをやらなければ覚醒できないという話ではない。ただ、私の方法論においては、推奨を超えて必須・省略不可という扱いである。それほど重要な訓練である。

 

それでは、これ以外の霊的修行についての考えはどうなるのかと言えば、もちろん、やって構わないのである。

 

むしろ、1つのことしかしていないと、おそらく飽きてしまうので、色々取り混ぜてやった方がよいとは思う。

 

意識レベルに関わらずにできて、効果があるものとして、マントラ・ありがとう・天国言葉を唱えるなどはお奨めできる。

 

もし、あなたが瞑想が得意で、ある程度できるのなら瞑想をやってもよい。ただ、雑念だらけで効率が悪いと自覚しているようなら、この段階では瞑想に取り組むのは時期尚早、やらなくてもよいということである。苦痛に耐えて黙って座っていることは霊的向上をもたらさないと、はっきり自覚しておくことはとても有益である。

 

ほかにも、あなたが好きな訓練をすればよいのだが、難しすぎて効果が疑問だと思うものは訓練メニューから外せばよいのである。そして、私が必須訓練として挙げているものに取り組んでいただきたい。

 

さて、もう1つ必須として挙げているのが「さまざまな書籍・ブログ等を通じた悟りの知的理解(非二元を除く)」である。まあ、悟りに真剣に取り組んでいる人なら、誰しもがやっていることではある。

 

覚醒に向けた意識レベルの向上のために(6)

 

お奨め書籍や注意事項が書いてあるので、読んでいただきたい。

 

この段階では、「悟り系スピリチュアル」の書籍を読むのがよい。つまり、非二元の書籍はまだ早いということである。

 

これも瞑想と同じことなので、もし、全面的に理解もできるし、書いてあることに反発も特に感じないということなら読んでも構わないのであるが、読んでも反発ばかり感じているようであれば逆効果ということになってしまうのである。

 

一旦、反発を感じてしまうと、将来的にも受け入れることが難しくなってしまうかもしれないというデメリットがある。

 

だから、最初から読まないか、読んでも反発ばかり感じていることを自覚したら、そこで読むのをストップして一旦保留にしてほしい。意識レベルが上がって時が来たら理解できるようになるからである。

 

それから、上記過去記事には挙げられていないのだが、当然このブログの過去記事も隅々まで読んでいただきたい。これも書籍と同様に、難しいと感じるとか、反発を感じる記事は読むのをやめて構わない。何年かして自分の意識レベルが記事内容のレベルに追いついてきたら、再度読んでいただきたい。

 

意識レベル540以上~600未満における霊的修行の内容と考え方は以上である。

 

次回は意識レベル600以上~700未満の段階における霊的修行について述べることにする。

 

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過去記事はこちらからどうぞ。

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