紅狩人のブログ -92ページ目

zoo

最近、Eテレを見ていて
エコアップなる活動を知りました
何でも、人間が今まで壊した生態系などを
生物豊かにしようという活動らしいのですが
(ちゃんと見てなかったのでいい加減な説明です)
どうせなら動物園もエコアップして欲しいと思いました

動物園では母親動物の育児放棄が
たまにテレビで取り上げられるのですが
私はこの原因に飼育方法があると思います
それは人間が餌を与えて
人間が食生活を管理しているので
動物の方は主体的に生きることができず
生きるために捕食するという活動ができず
子供を産んでもちゃんと生きれる環境にない
つまり育児ができないと
判断するのではないでしょうか
お腹が空いた時に動物自身が捕食活動ができて
体調が悪くなったら寄生虫を他の動物に食べてもらったり
薬草を食べることができれば
生きていけると実感でき
そして育児をしてなんなら
種が増えていくことにも繋がるんではないでしょうか

システムを他のシステムと切り離した時
生態系によってはうまくいかないこともあるんではないでしょうか
支え支えられている状態を複雑に関係しあっていては
要素を切り離したらその要素はうまく機能するでしょうか
(要素は個体生体システムと言う意味です)
システムとはそんな足し算引き算では
わかりきれない世界でもあります
二つの要素の機能が新しい要素を生むことだって
三つ分以上の要素の効果を果たすことさえあるのです
必ずそうなるとは限りませんが・・・
(必ず環境の影響は受けて不確実性はあると思うのですが)

エコアップにつながるこの考えは
野生公園やサファリパークにだって通じるかもしれません
物言えぬ動物たちにとってこの考え方のアプローチがいいのか
他にもっといいやり方があるのかは聞いてもわかりませんが
育児放棄がこのまま常態化しないことは
人間の責務だと思います
動物になんの罪もありませんし
自然からさらって危険だからって
檻に閉じ込めるのがいいのかどうか
生きる気力を無くさせては
あまりにも身勝手すぎますよ
せめてコンクリートは・・・と見てる方は思います
どうでしょう?みなさんはもっといい考えはありますか?

relation

戦争にまで現象が進むには
常識と経済の関連した原因があります
常識だけでなく
経済だけでもないです
きっかけはどちらかの場合もあるのですが

どういうことかと申しますと
システムの本分は
生き残ることにあります
個体の生体システムにおいても
集団の社会システムにおいても

社会システムを具体的に分析してみましょう
まず集団の方向性、常識など機能させるために
指示系統を効率的にさせ
行政を行います
これが機能を具現化するための構造というやつです
そして指示を受け各セクションが機能します
その行政の機能を元に経済システムが活動します
生活のためのシステムです
政治体制によっては生活が豊かになったり
貧困になったりします
知識を積み重ねても
技術を磨いても
経済システムは必ず向上するとは限りません
でも向上する可能性は高くなります
(経済活動の効率化などなどで)
そして経済システムを包括する社会システム全体を
生き残りのために機能させます
敵から守るとか
社会システムの機能を守るためとか(資源の確保など)
社会システムを運営するためには常識が必要ですし
(コミュニケーションが整わないと機能が関連できません
システムとしては不具合が多すぎて目的を実行できません)
その常識はどのシステムも同じではありません
(現代の国際常識上外交規約はありますが元々無法状態でした)
そして一方の社会システムにはいいことが
もう一方にとっては悪いことであることがあります
常識の相違です
しばしば国際会議上では
問題に対して指摘した意見そのものの意見を
指摘して意見を交わすということが繰り返されますが
問題を共有して解決案をあげるなどという生産的な場は
政治家には無理でしょう
科学者に取っても無理ですし
立場によって問題は見え方が違うことさえ
改善する必要より利用したほうが利口でしょうし
そして社会システムの違うもの同士避難しあって
戦争にまでエスカレートしたりします

常識が違うだけでしたら
国交を結ばなければいいだけです
経済だけの問題でしたら
お互いの利益のために譲り合えばいいだけです
自分達の社会システムにとって
有利に事を進めたいがために
衝突するのです

私は戦争にまでことを進めない為に
一つは経済システムに重視をおくことを提案します
システムは支え支えられて
全体として発展するのです
ある一つのシステムを支えることによって
そのシステムの可能性は開けるのです
(食物連鎖による捕食に似たイメージです)
そして支えられたシステムは
他のシステムを支えることによって
他のシステムを発展させるのです
それができるのでは
経済システムが一つでもあります
(他に探してみるのも知的冒険家も)

でも指導者達は人類全体より
自国のことを優先しがちです
両立だってできません
自国のシステムを優先することによって
人類全体が危機にさらされても
(地球の気候変動は経済水準を
下げるかもしれなかったらどうしよう、
牛さんは変わらず牛乳を出し続けてくれるかなぁ)
この間のリーマンショックでそのロジックは
危険だって学べなかったんですかね
少なくとも全体に対する危機に取り組む人は
大至急養成する必要があると思うのですが
(システミックリスクはTPPで無視できなくなります)

イースター島のお話が本当なら
人類はそのロジックから抜け出せないのでしょうねぇ
どこが知的生命体なんだ?

introspection

前回のブログで
ジレンマを紹介しました
市民の生活に貢献すべく行政を維持するため
市民の生活が破綻するというやつです
この現象はどうして起こるのでしょうか
他にもあるのでしょうか

有名な同じような例に
「自由を求めて不自由になる」
ということがあります
自由に縛られて
かえって不自由になると言う意味ですね
このことを分析しますと
何に統合されているかが問題になります
意思、決意に統合されているか
言葉、結果に統合されているか
意思や決意に目的が統合されていると
する自由、しない自由があります
決意に至っては
諦めるという自由だってあります
あなた次第です
一方
自由という言葉に統合されていると
選択しなければいけない
ということに縛られて
自由という本質を見失ったり
自由にこだわって
選択を選択できなくなったりします
(選択しないという自由が無くなる)
結果でいえば世の中を良くしようとするべくルール(結論、結果)に
縛られて世の中が生きづらくなるということは身近にあります

ここまでに一つ気づいた人はいるでしょうか
このことが起きているということは
何らかのすり替えが起きているということです
統合意識のすり替えです
いつの間にか起きているのです
本人が気づかない間に

無理もありません
意識とはいろいろな統合のされ方を
無意識のうちにされてしまうのです
単純な例でも
本気モードで仕事をしたりすれば
一方手抜きの仕事もあったりします
(全て真剣にしなければいけない仕事は
脳が持ちこたえません、短時間労働なら別ですが)
これだけでも真剣だったりそうじゃないなど
取り組み方が違います
つまりそういうことです
人にはいろいろな意識の統合のされ方があり
可能性があり
理解の次元も発達することさえあるのです
単一の次元しか理解されないのではありません
次元によって見方を変えることができます
(単純に経営者側と労働者側の会社の見方が違います)

この現象を防ぐというより
こういうことがあるのだと知ることで
分別をつけることで
気づくことができるはずです
気づくことで対処することができます
その人なりにですが・・・

ま、このような内観、反省みたいなことは
仏教的で西洋には馴染まないとか・・・
日本人ならそんなに難しくなないかと・・・思うのですが
どうでしょうか?