coupling
人は自由と思っている人がいます
ある大きな視点(マクロな)で観ると
人はある決まった動きをします
ある制約の中で動いているような・・・
どちらも正しいと思います
なぜか
人はその時点にある
情報や構造、有限なものの中で生きているし
(現存するものは無限ではない)
それらを利用し掛け合わせて生きているのです
(組み合わせは無限に近いです)
物や情報を掛け合わせるのは自由にできますが
そこは意思や意識などに統合されていないといけません
わかりやすく言えば
ある問題を意識して
それを解決するために
それまで培った知識や観念、概念などを掛け合わせるのです
そして答えを導きます
もし問題を意識しないでこれらの作業をすれば
答えを出してもなんら機能しません
言葉とはそういうものではないでしょうか
すべての文字の組み合わせより
少ない文字の組み合わせで我々は生きています
ただ文字を繋げれば言葉として利用できるとはならないでしょう
世の中には仕事と自分の欲望を掛け合わせて
行動する人がいます
実はこれ自体悪いとは決めつけられないのですが
行為の結果が自己満足で終わると
世の中うまくいきません
自分以外も満足できると
それは別に悪いとは思えません
必要な時もあるでしょう
しかし大半の犯罪みたいなのは
自分の欲望のみを追求して
相手をその欲望に利用したときに起こるのではないかと
ちょっと思ったりもしますが
(素人考えです、気にしないでください)
話を元に戻すと
その人の実力とは
意識や意思などに統合された
知識や経験などではないでしょうか
やりたいことだけをやれば必ず良いというわけではなく
何をやっているかわからないことを
(本当にあるのだろうか)
永遠とやっても実力にはならない
何かの実現力は備えられないかと
子供でも新入社員でも
目的意識や問題意識があると
記憶力や計算力に左右されることなく
経験や知識が結合しそれらに統合され
その人なりの仕事ができるのではないかと
(全ての仕事がこれに値するかはわかりません)
大事なのは意識や意思です
強い弱いではなく
無意識でもできる人がいるようですが
(最初はいちいち意識的かもしれません)
意思を持ちましょう
あらゆる方向へ意識が開けてる好奇心などもいいいですね
よく良い大学(会社)入るのが目的という人がいますが
そこで終わってはいけません
また誰かがやる気にさせてくれるとか
だれかが目的をくれるなどということもいけません
それは自由ではありません
奴隷です奴隷の根性です
本来大抵の人間には
欲というものがあります
その中に知識欲というものがあります
社会を良くする必要なものです
(そういう知見を昔の人は残していました)
周りのことなどを考えず
一度自分を顧みれば自ずと道は開けてくると思うのですが
当たり前に慣れてしまうと
発見は少なくなりますが
人間にはここの書いてある通り自由があるのです
よっぽどのことがない限り犯すことができない
自由があるのです
私には全てはここから始まるように思えるのですが
皆さんはどう思いますか?
ある大きな視点(マクロな)で観ると
人はある決まった動きをします
ある制約の中で動いているような・・・
どちらも正しいと思います
なぜか
人はその時点にある
情報や構造、有限なものの中で生きているし
(現存するものは無限ではない)
それらを利用し掛け合わせて生きているのです
(組み合わせは無限に近いです)
物や情報を掛け合わせるのは自由にできますが
そこは意思や意識などに統合されていないといけません
わかりやすく言えば
ある問題を意識して
それを解決するために
それまで培った知識や観念、概念などを掛け合わせるのです
そして答えを導きます
もし問題を意識しないでこれらの作業をすれば
答えを出してもなんら機能しません
言葉とはそういうものではないでしょうか
すべての文字の組み合わせより
少ない文字の組み合わせで我々は生きています
ただ文字を繋げれば言葉として利用できるとはならないでしょう
世の中には仕事と自分の欲望を掛け合わせて
行動する人がいます
実はこれ自体悪いとは決めつけられないのですが
行為の結果が自己満足で終わると
世の中うまくいきません
自分以外も満足できると
それは別に悪いとは思えません
必要な時もあるでしょう
しかし大半の犯罪みたいなのは
自分の欲望のみを追求して
相手をその欲望に利用したときに起こるのではないかと
ちょっと思ったりもしますが
(素人考えです、気にしないでください)
話を元に戻すと
その人の実力とは
意識や意思などに統合された
知識や経験などではないでしょうか
やりたいことだけをやれば必ず良いというわけではなく
何をやっているかわからないことを
(本当にあるのだろうか)
永遠とやっても実力にはならない
何かの実現力は備えられないかと
子供でも新入社員でも
目的意識や問題意識があると
記憶力や計算力に左右されることなく
経験や知識が結合しそれらに統合され
その人なりの仕事ができるのではないかと
(全ての仕事がこれに値するかはわかりません)
大事なのは意識や意思です
強い弱いではなく
無意識でもできる人がいるようですが
(最初はいちいち意識的かもしれません)
意思を持ちましょう
あらゆる方向へ意識が開けてる好奇心などもいいいですね
よく良い大学(会社)入るのが目的という人がいますが
そこで終わってはいけません
また誰かがやる気にさせてくれるとか
だれかが目的をくれるなどということもいけません
それは自由ではありません
奴隷です奴隷の根性です
本来大抵の人間には
欲というものがあります
その中に知識欲というものがあります
社会を良くする必要なものです
(そういう知見を昔の人は残していました)
周りのことなどを考えず
一度自分を顧みれば自ずと道は開けてくると思うのですが
当たり前に慣れてしまうと
発見は少なくなりますが
人間にはここの書いてある通り自由があるのです
よっぽどのことがない限り犯すことができない
自由があるのです
私には全てはここから始まるように思えるのですが
皆さんはどう思いますか?
increase
日本の少子化対策は
効果を出しているでしょうか
人の力とは
その国の力とは
繋がる力だと思っています
もちろん繋がる以前の問題もあります
要素(個人や機能)の能力
つまり繋がって効果を出すための
機能です
システムは機能の複雑さ
どのような機能があって
それが何に統合されて連携して機能するか
子供をつくるのだって
人との繋がりでつくられます
どれだけ相手の言っていることを理解できるか
これによって繋がりが生まれます
他にもあります
お祭りです
何かのイベントで何かを共有して
人との協働を実感するのです
一人よりいいと感じるはずです
現状日本では、先進国では
何か連帯意識を持って活動すると
警察や政権に解散させられます
勢いをつけまいと制します
それが少子化の原因です
つまり一人で生きたほうがいいと思えるように
政治が意思判断する層が
若年層などに思わせているのです
政治の安定や地域の治安と両立させれば
このイベント抑圧事象は防げると思うのですが
年寄りたちは国より自分たちのことで頭がいっぱいです
富を囲い込む老人たちが悪いとさえ思います
そして若者の連帯感を無くそうなど
クラブ規制法案だってそうです
若者のエネルギーを自分たちの都合に合わせようなど
悪い人たちにしか思えません
時代時代にその当時の若者の思うところがあるのです
インターネット技術を利用した若者を批評する前に
自分たちがコンピューター技術を勉強すべきです
今の年寄りはエゴがすぎます
若者よりエゴイストなのは
大人になりきれていない証拠です
昔日本には厄年があったそうです
(受け売りですが)
今もあるって言っても意味が違います
昔は年をとると村のための役割が増え
大変だから神様に守ってもらおうなどといった風習らしいですが
いまの厄払いは
べつに社会のための役割を
人より多く受けなくても
ただ単に嫌な思いをしたくないからといった動機で
受けている人がほとんどだと思います
昔の人が現代を観たら
嘆くでしょうね
結局少子化対策で効果を出すのは
社会のために役割を多く背負う年寄りと
権威の言うことを聞くより
相手の言わんとしていることがわかることと
(わからないのに批判するのは批判に値しません)
お祭りごとなどイベントに燃える若者を
邪魔しないことが重要かと思われるのですが
年寄りには都合が悪いでしょうねぇ・・・
なんせ自分の思い通りにはいかないのですから(笑)
効果を出しているでしょうか
人の力とは
その国の力とは
繋がる力だと思っています
もちろん繋がる以前の問題もあります
要素(個人や機能)の能力
つまり繋がって効果を出すための
機能です
システムは機能の複雑さ
どのような機能があって
それが何に統合されて連携して機能するか
子供をつくるのだって
人との繋がりでつくられます
どれだけ相手の言っていることを理解できるか
これによって繋がりが生まれます
他にもあります
お祭りです
何かのイベントで何かを共有して
人との協働を実感するのです
一人よりいいと感じるはずです
現状日本では、先進国では
何か連帯意識を持って活動すると
警察や政権に解散させられます
勢いをつけまいと制します
それが少子化の原因です
つまり一人で生きたほうがいいと思えるように
政治が意思判断する層が
若年層などに思わせているのです
政治の安定や地域の治安と両立させれば
このイベント抑圧事象は防げると思うのですが
年寄りたちは国より自分たちのことで頭がいっぱいです
富を囲い込む老人たちが悪いとさえ思います
そして若者の連帯感を無くそうなど
クラブ規制法案だってそうです
若者のエネルギーを自分たちの都合に合わせようなど
悪い人たちにしか思えません
時代時代にその当時の若者の思うところがあるのです
インターネット技術を利用した若者を批評する前に
自分たちがコンピューター技術を勉強すべきです
今の年寄りはエゴがすぎます
若者よりエゴイストなのは
大人になりきれていない証拠です
昔日本には厄年があったそうです
(受け売りですが)
今もあるって言っても意味が違います
昔は年をとると村のための役割が増え
大変だから神様に守ってもらおうなどといった風習らしいですが
いまの厄払いは
べつに社会のための役割を
人より多く受けなくても
ただ単に嫌な思いをしたくないからといった動機で
受けている人がほとんどだと思います
昔の人が現代を観たら
嘆くでしょうね
結局少子化対策で効果を出すのは
社会のために役割を多く背負う年寄りと
権威の言うことを聞くより
相手の言わんとしていることがわかることと
(わからないのに批判するのは批判に値しません)
お祭りごとなどイベントに燃える若者を
邪魔しないことが重要かと思われるのですが
年寄りには都合が悪いでしょうねぇ・・・
なんせ自分の思い通りにはいかないのですから(笑)
reform
悪い結果を良くするには
その結果の原因にアプローチしなければ
なりません
原因の原因とかもあるのですが・・・
とりあえずわかるとこまで遡ってみましょう
現象を!
原因を遡っても
さらにその原因があるだけで
何が悪いかはわかりません
あくまで現象を明らかにすることで
悪い結果を変えるのです
そしてそれは現在進行形なはずです
悪い結果が現在進行形である限り
その時に起きている現象ではない
過去の現象は引き継いでいる今があるだけで
悪い結果が変えられないことという意味では考えられません
当然現状を変えようとすると
現状が都合のいい人たちは
変えようとする人たちの足を引っ張ります
手段を対象とします
目的を共有しません
そして自分の都合ばかりを押し付けます
悪い結果を良くしようとしません
個人の場合でもこういうことは良くあります
目的を忘れ
今やっていることに全神経を集中し
改善が行われなかったり
学習しなかったりします
分析、計画、実行のサイクルは
目的があって初めて
効果が得られます
何かに統合されてこそです
そもそも人間の脳は
意識に統合されているので
何かを分析するにも
何かを計画するにも
何かを実行するにも
意思に統合されていないと
共有されたもの(問題意識や理念など)
などにも意識されていないと
なんの効果も出ません
意思決定などに関わる人は
座右の銘や
叡智に関わる言葉を
胸に刻んで仕事に取り組むのが責任かもしれません
(それに背くような判断はすべきではないでしょう)
ちょっと前よく官僚の言ってることに
「前例がないからそれはできない」
「決まりがあるからできない」
などと言って仕事のやり方を変えようとしないことが
ありました
法律や規則は目的のための手段です
法律を目的として
それを守るために
社会があるのではなく
社会を守るために法律があるのです
なんのために官僚になったのでしょうか
生活安定のためだとしたら
税金を一切かけないで
自分のお金だけで勉強してもらって
せめて能力でも貢献してもらいたいものです
給料が税金から出るのなら貢献は最低限の条件です
口先だけの世の中を良くするなどといった
戯言では実行はとてもできません
本人が本当にそう思えるだけの
実行に移したいその想い、意思がなくては
はっきり言って成せることではないのです
大層なことのように言ってますが
簡単にできる人はできます
社会を良くできる人に
学歴は関係ないはずです
足りなければ勉強すれば良いだけですから
個人の努力だけではダメでも
目的や問題意識を共有した人たちとなら
できても不思議ではないです
「三人寄れば文殊の知恵」
とは私なりに解釈だと
問題を共有してそれぞれが意見を出すこと
だと思ってます
現代はコミュニティが発達しているので
文殊の知恵どころではなくなるかもしれません
それ以上の知恵が人類に蓄積されているかは
別の話です(笑)
その結果の原因にアプローチしなければ
なりません
原因の原因とかもあるのですが・・・
とりあえずわかるとこまで遡ってみましょう
現象を!
原因を遡っても
さらにその原因があるだけで
何が悪いかはわかりません
あくまで現象を明らかにすることで
悪い結果を変えるのです
そしてそれは現在進行形なはずです
悪い結果が現在進行形である限り
その時に起きている現象ではない
過去の現象は引き継いでいる今があるだけで
悪い結果が変えられないことという意味では考えられません
当然現状を変えようとすると
現状が都合のいい人たちは
変えようとする人たちの足を引っ張ります
手段を対象とします
目的を共有しません
そして自分の都合ばかりを押し付けます
悪い結果を良くしようとしません
個人の場合でもこういうことは良くあります
目的を忘れ
今やっていることに全神経を集中し
改善が行われなかったり
学習しなかったりします
分析、計画、実行のサイクルは
目的があって初めて
効果が得られます
何かに統合されてこそです
そもそも人間の脳は
意識に統合されているので
何かを分析するにも
何かを計画するにも
何かを実行するにも
意思に統合されていないと
共有されたもの(問題意識や理念など)
などにも意識されていないと
なんの効果も出ません
意思決定などに関わる人は
座右の銘や
叡智に関わる言葉を
胸に刻んで仕事に取り組むのが責任かもしれません
(それに背くような判断はすべきではないでしょう)
ちょっと前よく官僚の言ってることに
「前例がないからそれはできない」
「決まりがあるからできない」
などと言って仕事のやり方を変えようとしないことが
ありました
法律や規則は目的のための手段です
法律を目的として
それを守るために
社会があるのではなく
社会を守るために法律があるのです
なんのために官僚になったのでしょうか
生活安定のためだとしたら
税金を一切かけないで
自分のお金だけで勉強してもらって
せめて能力でも貢献してもらいたいものです
給料が税金から出るのなら貢献は最低限の条件です
口先だけの世の中を良くするなどといった
戯言では実行はとてもできません
本人が本当にそう思えるだけの
実行に移したいその想い、意思がなくては
はっきり言って成せることではないのです
大層なことのように言ってますが
簡単にできる人はできます
社会を良くできる人に
学歴は関係ないはずです
足りなければ勉強すれば良いだけですから
個人の努力だけではダメでも
目的や問題意識を共有した人たちとなら
できても不思議ではないです
「三人寄れば文殊の知恵」
とは私なりに解釈だと
問題を共有してそれぞれが意見を出すこと
だと思ってます
現代はコミュニティが発達しているので
文殊の知恵どころではなくなるかもしれません
それ以上の知恵が人類に蓄積されているかは
別の話です(笑)