紅狩人のブログ -90ページ目

diversity

最近、多様性が話題に上がってくることが
あると思います
会社でも大学でも社会でも・・・
システムの常識と社会の常識は
かなり違います
社会の常識は西洋文明を取り入れて
未開の地域が発達してきたなどと
認識されていると思いますが
システムの観点から見ると
それぞれの地域の文化的なものを取り入れた
(ゼロの概念や印刷技術、ギリシア時代の石板など)
西洋の文化が近代化していき
それをそれぞれの地域が受け入れて近代化しています
システムで見ると西洋が取り入れ統合した文化です
西洋独自で近代化したわけではありません
この認識の違いが
異質なものを排除する行為の正当化を与えていることも
疑えないと思います
この近代化には人間独自のらしさがあると思います
何かと何か違うものを結合して
新たな何かを生み出すという作業です
頭の中でこういうことが行われているのです
野生の動物はこういうことがあまりないと思います
あるものを道具として利用することはあると思いますが・・・

ある社会システムは常識を元に営まれています
(これを文化と捉えます)
他の社会の常識的なあるもの(道具や考えや社会的機能など)が
混じる時(取り入れた時)
新たなあるものが生まれる可能性があると思います
考えや道具や社会的機能などです
詳しく言いますと
ある文化をもとに統治された社会システムに対して
その社会システムを発展させるものは
他の文化などをもとに統治された社会システムの
道具や考えや社会的機能などです
自分たちの文化だけで自分たちの社会が発展してきたと
思い込んでいる人はこのシステムの認識ができません
つまり他の文化に統治された社会システムを敵視した上に
排除や政治的思い通りにしようとします
これがなされると社会の発展はなく
良くて維持、悪くて衰退してしまいます
しかも全体に影響がある経済が重視される現代
他の社会システムを含めた全体に対して
邪魔になるようなことや
自分だけ利得を得ようとして他の社会システムに還元しなかったりすると
(この場合始めは大変良い経済状況ですが全体が良くならず
損するので迎えるものは自分まで悪くなりおまけに全体も悪いので
どの社会もなかなか良くなることがないという悪夢です)
関係社会が困り結局自分たちの社会も困ってしまいます
未開の地を発展させようとしても
自分たちの社会が発展しないこともありえます

必ずしも良いことだろうと押し付けるのではなく
違う文化が良いことだと尊重することで
新たな考えや道具、社会機能が生まれ
よければ受け入れられるのです

みんな自分が正しいと思っていろいろなことを発言します
そして自分が正しいと思って相手が間違いだと主張することは
よくあることです
相手の発言を利用すれば
反論を防ぎ自分の主張を通しやすくなりますが
現象が良くなっているわけではありません
自分が正しいということは間違いの元ではありません
争いの元でもあるのですが
対立はさらなる統合のためのワンステップと捉えれば
自分にとっても相手にとっても正しい
もしくは良い考えや意見を言うことは
現代社会に求められている姿勢ではないでしょうか

人は一人一人違いますが
文化もそれぞれ違うと思います
でもその文化の成り立ちは他の文化と関係していることは
あながち間違っているとも思いません
システムは環境の影響を受けて発展します
そしてシステムを構成する要素は
システムに貢献、全体に貢献しなければ
巡り巡って自分が困ってしまいます
ガンはその細胞が他の細胞の栄養を吸収して増殖しますが
最後はガン細胞の宿主の死です(システム全体の崩壊)
生体システムも社会システムも経済システムも
システムとしてみれば振る舞いは自ずと分かると思います

でも国際常識とは違うことも否定しません
第二次世界大戦の後の国際構造は
負けた国が悪くて勝った国が正しいのでしょう
この常識はなかなか崩せませんが
(システムとしてみれば悪い国ではなく
戦争までの経緯の現象が問題なのです
でなければ同じ経緯の現象で他の国が戦争するだけです)
いつまでたっても戦争自体なくなりませんね
人類の知見もまだまだ平和に及ばないのでしょうか
平和のための戦争となるともう何が何だか・・・

action

システムには環境が付いてまわります
環境無きシステムは変わることがないでしょう
崩壊はありえますが(内部作用においての)
進歩はまずあり得ません

人はある集団を形成して
他の集団と争ったり協力したりして
維持発展しているとも言えます
大局的に歴史だってそう見てもいいと思います
つまり何年に何があったとかではなく
どこどこで何かがあって
それからその影響を受けたどこどこで何かが起きて
またそれがどこかに影響しているなどと言った歴史です
もちろん正しい歴史学の話ではありません
テキトーに読んでくださって大丈夫です

具体的な例をあげましょう
昔の中国で印刷技術の輝度ができて
それを西洋が応用して本が印刷されるようになってきて
聖書を印刷して多くの人が読むようになって
書いてある解釈が人によって違いが出てきて
(それまで聖職者の偉い人しか読んでいなかったはず
他の人はその人の言うことを聞いていた)
それが宗教革命に進むことになったとか
産業革命は
昔経済貿易をしていた西洋諸国とイスラム諸国との間で
イスラム諸国からギリシア時代の文献が
西洋に持ち込まれルネッサンスが起き
その後西洋が力をつけて未開の人を奴隷にして
その経済力とルネッサンス時代から研究してきた知識で
産業革命が起きいろいろ発展したり経済が豊かになったり戦争があった
(あまり詳しくまで説明できません)

多くの歴史を関連させることは大変な労力と文献を読み解く力が必要ですが
面白いと思っていただける人は中に入るんじゃないかと思います

「原因ではなく現象で説明を」
これはあまり現代では常識的ではありませんが
(日本が戦争の原因と考える人々には
なぜ日本が負けると分かっている戦争したか
経緯を考える人は日本以外ではまずいないでしょう)
原因を突き詰めても原因の原因があるだけで
最終的な説明は無理です
納得できますか?
現象ならシステムの見方をした現象なら
納得できそうなのは私だけではないはずです

皆さんも生きていて感じることがあるはずです
「あの時のアレがあったから今がある」
過去は後から何とでも意味をつけられますが
今しなければいけないことはあるはずですよね
後からしても手遅れなこと
あ・り・ま・す・よ・ね?

step

手段と目的について
以前ブログで
目的が手段に変わるのは
いかがなものかと書きましたが
この二つは容易に入れ替わります

目的が手段になることもあれば
(何かのためにやっていることが
やることに夢中になって何かのためかを忘れる)
手段が目的になることもあります
(何かをやるために何かを目的にする)
目的が手段になる現象はよく耳に入るのではないでしょう
しかし手段が目的になるとはなかなか聞きませんね
具体例をいいます
何か目的を達成させたいと思うと
そのために他の何かをしなければいけない状況がある時
(目的達成のための必要条件が出てきた時)
他の事をするために取り組むためそれを目標にすると思います
それに意識を集中しなければ
とてもそのことを成し遂げられないとそんなことになります
そのとき本来の目的を達成させるための手段を目的にすると言えます

意識は容易に移ります
しかし真剣になったり集中したり夢中になると
意識は他に移りません
そしてその時に
観念が意識の先に総動員され
組み合わさったりしてその人の実力次第で
事が成し遂げられます
知識だけではなく経験も必要です
積み上げたものだって必要です
他にも必要かもしれません(性格などの素質)

内にある問題(心的にも内政的にも)が解決が難しい時
外(自分以外の人や外国)に非難の対象を作って
葛藤(問題)をから意識をずらし
自らを肯定しようとします
そうして自分を守り続けます
これには理由という理由があるのです

理由があるから納得するという理屈は
多くの人で受け入れられることでしょう
意味のわからない事や現象、発言は
無視するか何か得体のしれないものの仕業にしたりします
(昔は神や妖精などの仕業と捉えて神話や昔話になっています)
科学が発達している現代でも
説明のつかない誰もわからない現象は
多くの人は意識しません(なぜ惑星は自転するかなど)
本当にUFOや心霊現象はプラズマで全て説明できるのでしょうか?
プラズマで説明しようとする人たちは
心霊現象を体験してないだけではないでしょうか

話を元に戻すと
理由が自分たちによって不条理でなければ
大抵の人は非難することを受け入れます
受け入れやすい理由さえ思いつけば
正しいと思える理由さえあれば
理由を受け入れそれを前提に行為します
人類が昔から営んできたことです
ただし欠点があります
良かれと思ってしたことが
悪い結果に結びつくことがあるのです
理由を元に悪いことを正すために
対象の相手国や人を目的
(正義を理由にした是正でも自分が変わるより相手を変える
もしくは自分を非難するより相手を非難する)
を達成するための手段の道具として利用するということです
そうなると人類としてみたときに
悪い現象が起こっていることになります
自分にとって良い都合で相手を変えようとして不幸にしている
単純に言うと
自分の考えを変えないで相手の考えを変えようとしている
なぜか人類は有史以来この繰り返しから抜け出せません
自分のスキーマを変えられるのを嫌がってるのに
自分以外のスキーマを変えたがります
という人類のスキーマは変わりません
だれも歴史から学びません
洞窟の隠喩から教訓を得た人類は
今まで有史以来数え切れない人達の中で何人いたでしょう
洞窟の隠喩を知らなくても
同じ現象を繰り返していると気づくこともできるのではないでしょうか
争って自然を破壊し環境を破壊し文明が滅んでも
現代でも変わりません
変わらないための理由があるのです

いくら立派な理由があっても
万人がその理由を受け入れても
現象は変わりません
悪い結果を招く現象は変わりません
納得して苦しみたいのでしょうか
「苦しむのは自分じゃない、自分たちじゃない」
そうして人類は進歩しないのでありました
なぜなら人の意識は理由にとらわれて
問題現象を意識ぜず無視して
問題解決を目的にしようと意識したり
自分の目的のための手段として集中して取り組もうなどと
意識したりしないからね
(問題は原因や理由ではなく現象にあるかもね)

ま、無意識に解決できればこんなブログ読まなくてもいいんだけどね